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スリーライティング・中 Three Lighting  作者: タイニ
第十三章 天の灯の下で
11/70

11 全て託して



「尚香ちゃん………」

道が、心配そうに尚香を見た。



重い言葉のはずなのに、冤罪は犯罪のはずなのに、冤罪そのもののはずなのに名誉棄損や侮辱罪にしかできない。


「それを犯罪にまで落とし込むのって、ものすごい労力がいるんです………」


物凄い労力がいるから、セカンドレイプは許さないと言ってくれる人がいる世の風潮は助かる。でも、その中でも、一定の出来事において()()()()()()()()()()と気が付かない人たちがいる。




尚香は思い出す。


同じ日常なのに、

現実と自分の世界が乖離してしまったような感覚。


責めることは何も言わずに、日常を見守ってくれた父と母。



「………あの頃、あの頃。父の髪が……白髪になったんです…………」


「!」


「お父さん……数年前まではまだ、あんなに真っ白じゃなくって………」

尚香の顔が歪む。


「物忘れもなくて………。本当は会社の再雇用も決まってて!」



変わってしまったのは、尚香だけでなく金本家もだった。同じようにお母さんも一気に白髪になり、スマホ越しに心配する兄に、両親はただ笑うだけで何も説明できなかった。


もし話していたら、お兄さんは地球の裏側からでも飛んで来ていただろう。けれど、それはお父さんと尚香の判断でやめた。今現場で状況を変えて行こうとしている人たちに、それ以上の混乱を与えたくなかったからだ。


そして今後は、尚香がうわあぁ!と泣き出した。

「尚香ちゃん!」



『あなたにも隙があった』『思わせる方も悪い』と雄弁に語っていた同じ人の他ニュースのコメントに、『冤罪に陥れた女性は決して許されないであろう。』というものを見た時。


そんな言葉を思い出した後に、日常がおぼつかなる白髪の父を見て、海外のお兄ちゃんにも、取り返しのつかないことをしてしまったと気が付いた時。


そして、主力で書き込んでいた人物のうち、1人はネットに固執した一人暮らしの男性。1人は家族と日常を歩む中年男性。その男性たちが、自分だけの城で静かに日常を過ごし、家族と普通の日常を歩んでいると知った時、


尚香には紛れもない殺意が沸いた。言い様のない殺意。


目の前にいない彼らの首を掴んで揺すりたいと思った。




それまでは、ただ自分が大事(だいじ)にしてしまったと、とにかくこれ以上大事(おおごと)にしないようにしなければと思っていた。けれどその時初めて、こんな名乗りも出ない人のために、自分たちが潰されるのかと気が付き憤怒が沸き上がった。怒りに満ちて許せなかったのに、周りが和解に持って行こうとしたのだ。


反対したが、書き込みより大きな件があるのでどうしようもないと言われた。尚香の目に留まった人はこの2人だが、実際は欄自体を消さなければいけないほど、多くの人が書き込み話が膨張していた。



そして、尚香も気が付いていなかった。自分が既に疲れ切っていたことに。



大企業に関わった一連の件は、ある一定のところまで話が大きくなると、それまでが何だったのかというように、急に収拾した。


どんな力が動いたのか、それは美香たちにも全部は分からなかったらしい。これ以上話を拡大したくない人たちが他にもいたのか。恐ろしいことのように思えたが、ひとまず肩から力が抜けた。





………今、道のアパートの小さな部屋。



「うわぁぁ………」

と、声を出して泣く尚香を、道がそっと抱きしめる。


「……尚香ちゃん………」


道が背中を優しく叩き、二人はしばらくそうしていた。






***




前と違って少し寒い。床に敷いた電気布団に二人で並んで寝る。

時々章やお客さんも来るので、(かさ)張らない布団をもう一つ用意しているらしい。



あの後、道が尚香のために手を取り合ってしばらく祈ってくれた。

章とも小さい頃から、よく手を取り合ってずっと祈り合っていたらしい。


章君にそんなことができるのかと思ったけれど、考えてみれば洋子さんもイギリスのクリスチャンだ。


「私なんかでいいんですか?」

「神様は、尋ね来るものは誰も拒まないよ。」

道は子供に語り掛けるように優しい笑顔を向けた。


「ただちょっと神社と違うのは、お願いするだけじゃなくて、祈ったことは神と共に自分も歩んで、結果も託すの。日本語で……内省とか……甘受?…………そう、全部…叶わなかったことも全部…………」

「結果もってことですよね………。」

不足さも、苦しみも委ね、共に歩む。


「…西洋的なそういうのって、オーマイゴッドとか信じる!って、神に託すだけかと思っていました。なんかお寺より修行ですね……。」

尚香、ちょっと意外だが考えてみれば日本の方がよくご利益信仰と言われる。

「宝くじの大当たりを祈ってもいいんですか?」


「はは、いいんじゃない?でもね、それが当たろうが当たるまいが、全部天に託す。自分の心も……喜びも、悲しみも……慢心も、欲も、憎しみも………」

「………それも全部?」


「あなたの内にあるものも、あなたがどこかでしたことも、最後に世界は関係ない。全て神と私との、一対一の関係。」

そうして道は自分の鼻と、どこか空を指す。

「…………?」


「そうしたらね、いつか、自分が神を見る時が来る………」


「………」

「基本はどこも同じだよ……。本当は仏教だって上座部部分が必要だからね……」

そう言ってもう一度手を握ってくれた道の掌が温かかった。



尚香も養護施設で毎日歌っていたことを思い出す。




のの様は何も言わないけれど、


あなたがしたことを知っているんだよ。




___





「章君もここに来るんですね。」


「時々ね。でも、この頃は章のマンションでも会わないし。帰ってはいるみたいなんだけど。」

「……大丈夫かな。私に死なないでねって言ってたけど、章君の方が死んでそう……」

あんなにマイペースに生きていたのに、忙しいらしい。

「アイドルの時みたいに、細かいことはしないらしいから大丈夫だとは思うけれど………」


章を思い出すと、スポンサーがどうなったのか聞きたいが今は考えないことにする。ただ、限定商品で一旦3か月という1クールだけだったらしく、既にCMは共演したアイドルだけの物に切り替わっているらしい。ちょっと安心した。事後の契約もあるだろうが、ひとまず仕事は終わっているということだ。





「道さん、こんなこと聞いたらなんですけど……、まだ若かったんですよね。よく、章君の母親になろうと思いましたね………」

今の章が、父親になるようなものだ。自分の子でも考えられない。


バンドで食べていけると分かる今なら、章の母親を買って出ようと思う人もいるだろうが、暴れん坊どころか意味不明な園児だったらしい当時の章君の母親を、誰がしたい、出来ると思うのだろうか。

「結婚してからも、なんで自分がこの子をって思いませんでした?」

「…………」

道、思わず真顔で尚香を見てしまう。

「あ、ごめんなさい……。」


「尚香ちゃん、私ね……」

「………あ……」

そういう言い方は失礼だったか。章にも。


「押し掛け女房なの。」


「?」

「超押し掛け女房!」

「………」

言われている意味が呑み込めない。


「結婚して下さい!!って、頼みに頼み込んで、嫌がっている章のお父さんと結婚したの。」

「……??」

「章のお父さん、すっごく引いてて、何度か追い返されて。」

「え?ええ??」

道はニコニコ笑っていいるが、尚香もちょっと引いてしまう。

「でも、追い返されなかったけどね。山野瀬家圏内からは!」

「??」



あれ?道さんは修道女になろうとしていたのではなかったのか。それに今までの道さんを見る限り、そんなのは想像できない。お互い穏やかに結婚したのではないのか?


「ええぇ??」

もう一度考え、さらに分からなくなり、温かい布団にくるまって驚いてしまう。




________






だってあれは晴天の日。


祈っていたら、そう答えが来たのだ。




それは道の家族が通う、ソウルのプロテスタント教会の中。



道は礼拝堂で祈りに祈っていた。


『神様、私は主なるキリストの花嫁である修道女となり、人生の全てを天に捧げたいのです……』

…………と、麗しく(しと)やかに祈るも本音が出る。


『………なのに母も兄も反対で、兄なんて挙句の果てに、勉強に来なさいって言ってくれた修道院に怒鳴り込みに行ったんですよ!サイテーです!!こんなに短絡的でなければもっと世界は平和になるのに!!

隣人愛の教えを読み解いて、なんで隣人を愛せないわけ?私たちが一番人を愛してないですよね?気に入らないからってホント、最低……。神様、兄に分からしめてください!!

海外に奉仕に行くのもダメで、留学もダメで!ソウルにマンションを買える安定職の人と結婚しなさいとか、何十年も昔の思考をカチ割って下さい!!』


と、短絡的に言いたいことを言い切って、礼拝堂のシンプルな十字架を眺めて、でも泣きそうになる。




手に握りしめた本。


そこには身寄りのない子たちを支える笑顔のシスターたちの、ノンフィクションが描かれていた。新約聖書に忠実に生きるなら、この道しかないと思ったのだ。子供の時から自分の教会の子供礼拝助手も務め、地域の高齢者への奉仕にも参加してきた。



シスターたちの毎日の聖体訪問、命のパン、聖体拝受。


プロテスタントで育った道は、聖書原理の考え方はカトリックとは違ったが、それでも生き方は彼女たちを見習いたいと思っていた。




神の人になりたかったのに。



主の手足になりたかったのに。

実体のない、主と世の、通過点に。


「主よ、この世界にあなたの御手は一つでは足りないから、私がその一部になります」と、そう誓ったのに。



誰かの飢えを満たせる全てになりたかったのに。

だから看護学校にも通って……。


なのに、もう3年、家族すら説得できない。


既に成人ではある。幾つか回って対外活動ができる教会を選んだ。でも、修道院には親を説得しなさいと言われてしまった。無理だろう。まず教会も宗派も違う。道に垣根はなかったが、人々には垣根があった。そして非現実的だとも、子供のような夢に過ぎないとも言われた。すぐ根を上げると。

なので、この国でシスターになれないなら他の国でシスター見習いになろうと、アルバイトで飛行機代も貯めていた。片道切符でいい。



何回も読み切った聖書の詩編のしおりを触り、天への歌を口ずさむ。



 神よ、私を探って、私の内を暴いてください。

 私を試し、私に教えてください。

 私に愛せない心があるかどうかを見極めて、

 永遠(とこしえ)の命に、お導きください。



そして礼拝堂に一礼をして外に出ると、道は家に帰る道である市場側に、トボトボと歩いて行った。





※この物語の大枠は、今より15年以上前に構想したものです。#metoo運動などもない時代です。あまり時勢と絡めず、物語の中の出来事としてお楽しみください。


※のの様の言葉は、仏教童謡『ののさまの歌』よりお借りしています。仏教系の園で歌われる童謡、賛歌です。








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