Ep.18 師
〈モンゴル アルタイ山脈〉
虎影という男を探しに、間違って訪れたモンゴルの地にて、不運にもグレンとキゼルは、天霊と呼ばれる化け物と遭遇してしまった。
天霊が現れてから約1分。数時間は経ったのではないかと錯覚してしまうほどに2人は動揺し、ただならぬ緊張感を前に、未だ動けずにいた。
《おいキゼル。どうすんだよ。このまま待ってたらこいつ消えんのか?》
《知るか。でも、動いたら確実にやられる。俺たちがどう足掻いても絶対に太刀打ちできない。だから、絶対に動くなよ》
何故だかは分からないが、2人と同じように、頭上にいる天霊『魑魅』も静かに動きを止めていた。まるで、何かを待っているかのように、笑みを浮かべながらジッとしていた。
両者の我慢比べが続く中、災厄なことが起きる。
先程倒れた遊牧民の1人が、目を擦りながら起き上がってしまったのだ。
「……あれ、私はなんで寝てた。 うん? なんかフワフワするぞ」
起き上がった男の動きと声で、じっとしていた魑魅がゆっくりと男に顔を向ける。
おい……嘘だろ。頼む、やめてくれ。
終始冷静だったキゼルの鼓動が急激に高まると同時に、これはヤバいと感じたグレンが動く。
彼はその場を離れ、上空にいる天霊の顔面の前へと移動した。
「キゼル!! こいつは俺がなんとかする! だからそいつらを頼んだ!!」
彼の声は震えていた。それに、いつものような笑顔はなく、その表情は恐怖を物語っていた。
恐らく彼は覚悟を決めたのだ。
仲間を逃して、自分が死ぬということの覚悟を。
当然だが、長いこと一緒にいるキゼルはすぐにそれに気がついた。
勝てるわけない。挑めば死ぬ。助けないと、でも足が動かない。グレンが死ぬ。それは……
ほんの僅かな時間の中で急速に駆け巡る思考。
その全ての思考が、グレンを死なせたくないという想いであった。
そして、その思考そのままに、彼は動き出そうとした。グレンを助けるために。
しかし、それはグレンも同じこと。
彼もまた、キゼルを救うために瞬時に動き出した。
「炎纏 火楼羅炎 ーー絶戯」
キゼルの動き出しよりほんの僅か早く、グレンは|力を解放させた。
全身に赤き炎を纏い、一気にそれを左腕に集約させる。
「燃カスにしてやる!! くたばれ化け物!!」
一気に解放した力を天霊目掛けて放とうとした。
しかし、その炎が届くことはなかった。
魑魅は、グレンの神力が上昇し、自分に危害が及ぶと判断した瞬間に、見た目からは決して予想できないほどのスピードで動き出し、炎を纏ったグレンごと一気に捕食した。
「グ……レン?」
口の中に消えたグレン。そして、「ゴクリ」と飲み込む音と共に、「ケタケタ」と魑魅は笑い始めた。
それを目にして、完全に冷静さを失ったキゼルは、魑魅の更に頭上に移動し、
「ーー霳鳴霅」
怒りも相まってか、通常よりも遥かに速く、遥かに強く轟く電撃を纏った彼は、勢いそのままに、
「絶戯 『黒霧雷走』」
彼の言葉とともに、暗く黒い雲が魑魅の半身を覆う。
そして、魑魅がそれに反応し、少しだけ動いた瞬間、鋼をも貫く威力の電撃が、覆った雲から一斉に放出された。
「ケタケタ」と笑っていた魑魅も、これには表情を変える。
電撃が当たった箇所の皮膚は黒く焦げ、ピクピクと痙攣を始めた。
だが、これだけの威力を持ってしても死に至るどころか、ただの軽傷。
しかし、キゼルはそんなこと気にも留めず、
今度は魑魅の顔の目の前に移動。直後、大きく息を吸い、
「ーー絶戯 『瞬迅咆哮』」
纏っていた全ての電撃が彼の口から一気に放出される。
それは、魑魅の巨大な体を凌駕するほどの広範囲な雷の渦であった。
力の余波で、辺り一体に雷雲が発生し、地面の草木は燃え、「ゴロゴロ」という音が鳴り響いた。
「はぁ……はぁ……」
天霊の常軌を逸した圧のせいか、緊張で力の消費が普段の倍以上。
余力を無くした彼は息を上げながら、地上に落下した。
「グレン……クソ……千年様……」
ありったけをぶつけたことにより、段々と意識が遠ざかっていく中、彼の目には、電撃を全て払い、同じように「ケタケタ」と笑う魑魅の姿が映っていた。
「……死んでも殺してやる。あの世から絶対に殺してやる」
戦意はあるが、満身創痍のキゼルを見て、今まで以上の声で魑魅は笑った。
そして、笑い終えると、彼に向かってゆっくりと動き出し、口を大きく開けた。
「ヨダレ……汚ねぇな。潔癖の俺には災厄の終わり方だ。ッチ、やるならやれ、このクソ野郎」
死を前に、なぜか冷静さを取り戻した彼は、ゆっくりと目を閉じ、捕食をされるのを待った。
しかし、待てど待てど食べられた感覚がない。
そもそも食べられるなんてことは当然経験したことがない故、キゼル自身も、「果たして俺はもう食われたのか? 死んだのか?」と戸惑っていた。
それから暫く経ったが、状況が全く変わらないため、彼は恐る恐る目を開けた。
すると目の前には、目を閉じる前と変わらない、魑魅が口を大きく開けている姿があった。
これは……いったい……走馬灯か?? いやいや、死んだら流石にわかる。ならこれは、俺を馬鹿にしているのか?
どちらにせよ、非常に鼻につく魑魅の行動に、
「おい、快楽捕食者にしても度が過ぎるぞ。殺るなら早くしろ」
しかし、魑魅はピクリとも動くことはなく、
「どうなってんだ? 言葉が通じないのか?」
ある程度の時間が経ったことで、ギゼルも回復していので、ゆっくりと立ち上がり、後方に飛んで距離を取った。が、それでも魑魅は動かなかった。
「何がどうなってんだ」
疑問に溺れる彼はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
そんな時であった、彼の前方、つまり魑魅の下半身の方から、誰かが近づいてくるのが見えた。
遠くからでもわかる、かなりの使い手。
時間が経つにつれて、ハッキリとその者の正体が見え始める。
左手を腰に添え、右手に握った黒い棒を杖にして歩く、かなり歳のいった男。
正体がはっきりとわかった所で、魑魅遭遇時よりキゼルの顔に緊張が走る。
「ーーやれやれ、あれだけ教えたじゃろうに」
その男が近づくにつれて、無意識のうちにキゼルは徐々に後ずさっていた。
「はぁ〜〜。何度も言うておるが、己よりも力量のある強者には決して挑むな。生きていれば何度でも好機はくる。そしてその好機は、修練し力をつけることで全員に平等に与えられる。というのに……それをみすみす放棄するのは滑稽且つ無駄なこと……と教えたはずじゃが?」
すると、その男は瞬時に姿を消し、キゼルの目の前に移動した。
そして、眉間にシワを寄せ、
「2度と此方の言いつけを破るでないぞ? 良いな?」
凄む男に、キゼルは首が捥げそうになるほど、激しく頷いた。
「さて、説教も済んだことじゃし、グレンのバカタレを救出するわけじゃが、ここで1つ、新しいことを教えておこう。例えば、逃げることもできない、挑まないといけない、そういったケース、つまり今のような状況になったとき、|キゼル《己)ならどうする?」
嘘だろ……この状況で授業? やっぱりイカれてやがるこのジジイ……。
「きょ、今日のようなケースだったら、グレンと俺のどちらかが囮になって、もう1人は周辺の民の避難と、逃走経路の確保……です」
キゼルのその返答に、男は目を見開き驚いていた。
なんと。自分とその仲間以外を嫌うキゼルが民の配慮まで……ほぉ、そうかそうか。神域の試練を終えたか。なるほど。千年様、また随分と荒療治を……ふん、鍛え甲斐があるわい。
「それがわかっていて何故グレンは喰われた? キゼルは考えを行動に変える力はあると思うが?」
「……伝え方に誤りがあったのと、行動が遅れたから……です」
なんと?! 全て己に非があったと言わんばかりの反論!! これはこれは、中々に面白い。この老いぼれに楽しみをくれるではないか!!
「ならよい。あとは経験と修練じゃな。まぁ安心せい、死にたくなるほど鍛えてやるからのぉ。どうじゃ、嬉しいか?」
笑顔の男のその言葉に、キゼルの顔から一気に血の気が引いた。
「さて、さっきの続きじゃが、こういったどうしようもないような強敵を前にした時は、キゼルの言う通り1人が囮、もう1人が避難経路を確保する。
しかしじゃ、言うは易し、その両方ともが出来なかった場合はどうするか。答えは簡単じゃ。こうして、"対象の動きを止めれば良い"。倒せずとも"封じれば"何ら怖くない。そうじゃろ? 魑魅」
男は魑魅の額に触れ、さっきとは逆の立場、男が嘲笑い、魑魅がそれを見つめる状況になった。
それが何よりも悔しかったのか。
動きを止めていた魑魅の力が跳ね上がり、
「コ〜〜ロ〜〜ス〜〜。ト〜〜ラ〜〜カ〜〜ゲェ゛〜〜!!」
奇声にも近いその声は、まるで目の前で台風でも起きたかのような風圧を放った。
「おぅおぅ、まだまだ元気ではないか。どれ、時間もないことじゃ。此方の愛弟子を返して貰おうかのぉ」
男は魑魅の額から手を離し、一歩後ろに下がると、地面に片膝をつき、両手を地面に添えた。
すると、男の全身から美しく清らかな淡い光が放たれる。
そして直後、それは一気に全身を纏うように凝縮され、先ほどの魑魅と変わらない、いやそれ以上の神力へと変換された。
「ーー神戯 『心通糸針』」
それは目で認識するにはあまりにも難しいほどの細い無数の針。能力発動と同時に、その針は魑魅に突き刺さる。
すると、怒りで叫び喚いていた魑魅が静まり、ピクリとも動かなくなった。
「図体がデカイと針の量が多くてかなわん」
ふぅ……今の針の量で、恐らく動きを止めるのに1分くらいかのぉ。ホッホ、相変わらずの化け物よ。
「ではキゼル、ここで再び問題じゃ。神通力者即ち命源細胞を要する者が、同じく命源細胞を持つ神通力者に血を与えるとどうなる?」
男はギゼルに背を向けたまま、彼に問いかけた。
「えっと……あ、はい。血液同士が反発して、侵入してきた血を追い返す。です!」
「その通り。神通力が違えば、命源細胞も違う。命源細胞は力の根源であると同時に、第二の心臓であり、もう1人の自分である。つまり、体内に得体の知れない血液なんかが侵入すると、それを追い返そうと中で反発する。すると、体内に入った血液はどうなるか。答えは簡単ーー逆流する」
その言葉と同時に、動きを止めていた魑魅が突如苦しみ出した。
「心通糸針は、無数の針を作り出す。そして、それが刺さることで対象の動きを止める力じゃ。じゃが、先程魑魅に射った針は、ちと仕様が違くてのぉ。針の全てに、此方の血液を含ませてもらったわ。ほれ、飲んだもん全て吐き出してみぃ」
体をクネクネと揺らし、吐き気を我慢している魑魅であったが、男の血の量が多いせいか、我慢できず胃液と共にグレンを吐き出した。
「天霊の好物は心臓や命源細胞じゃったのぉ? 大方、丸呑みしておいて、神域に戻ってから血液のみ取り除いて喰う予定じゃったか?? すまんのぉ、予定を狂わせてしもうて」
勝ち誇る男に激昂する魑魅であったが、まだ心通糸針の効力が切れておらず、ただただ睨むことしか出来なかった。
「己で吐くのと、吐かされるのとでは全然違うじゃろ? ほほっ、爽快爽快。それにしてもあれじゃなぁ、グレンは生まれたての子供のようにヌルヌルしておるのぉ。どれ、生誕祝いじゃ。ちと遊んでやるか」
男は魑魅の頭に乗り、杖にしていた棒を掲げ、
「神刀 『桎梏』ーー※神刀戯 『百足牢窮』」
※神刀戯
神刀は名の通り神の刀。何の変哲もなかった刀や棒といった武器に、神通力・神力を流すことで自分仕様の武器に変えることができる。
神刀戯は、神刀に流し込んだ力を解放することで使用することができ、どのくらいの量をどれだけ溜め込んだかで威力は変わる。
(武器そのものの耐久以上の神力はストックできない。上限を越えれば武器は壊れる)
解放と同時に、桎梏と呼ばれる棒の先端部分、約3/10が切り離される。
切り離された先端部分は、男の頭上にふわふわと浮き上がり、暫くすると止まった。
そして、ミチミチという音とともに、数にして100本、ムカデのような形をした、ムカデよりも遥かに長い物体が一気に魑魅の上半身目掛けて広がった。
そしてその100本の物体は、キゼルのありったけですら傷1つ付けられなかった硬い皮膚に突き刺さり、
「ほれぇ、もう心通糸針の効果を切れたぞ? 体は動くはずじゃ。どれ、魑魅との我慢比べといこうかのぉ!!」
心通糸針の効力が解け、自由になった魑魅は、怒り狂ったかのように暴れた。
しかし、それは『百足牢窮』に抑えられていない下半身だけだった。
上半身、つまり『百足牢窮』によって抑えつけられている箇所はピクリとも動かず、
「どうした? 此方は頭の上じゃぞ? ほれ、はよぉ食うてみぃ」
煽られた分だけ怒りに任せて暴れたが、結果は変わらず。バタバタと下半身だけが動き回っていた。
「なんじゃい、大したことないのぉ。魑魅の力はそんなもんか? まぁよい、魑魅と敵対して何年じゃ? 長いこと掛かったがこれで確信したわい。次で必ず"殺せる"。ホッホ、楽しみじゃよ」
そういうと男は魑魅の頭から飛び降り、再び顔の前に立った。
「もう時間じゃのぉ。今回で2度目じゃ、1人の犠牲も出さなかったのは。つまり、此方の勝ちじゃなぁ。それより魑魅、いつから何も食べておらぬ? そろそろ限界じゃなかろうか? まぁ安心せい、次で殺してやるわい。どうじゃ、怖いか? ならもう出てこなければ良い。まぁそうしたら魑魅は消滅するだろうがな。ほほっ、時間じゃな。3……2……1……」
「ト〜〜ラ〜〜カ〜〜ゲェ゛〜〜!!!!」
男が数え終えると、魑魅は完全に姿を消した。
「やれやれじゃなーーさてと」
男は、吐き出され意識のないグレンの上にまたがり、喉仏に手を添えた。
数秒が経つと、グレンの指先がピクピクと痙攣し始め、さらに数秒が経つと、もがき苦しみ出した。
それを見て、男が喉仏から手を離すと、「ゲホゲホ」と言いながら彼が目覚めた。
「死ぬ死ぬ!! はぁはぁ、呼吸ができなかった。死ぬ、じゃない死んだ!? いや生きてる。あれ、キゼル!! 無事ったよかったぁぁ!! うわぁぁ虎影!! オェェ〜〜」
「ホッホ、起きて早々うるさいやつじゃのぉ。ところで今なんと言った? 虎影? 聞き間違いかのぉ?」
凄む男を見て、急激に引きつった顔を浮かべたグレンは、その場にすぐさま正座し、
「と、虎影師匠。おはようございます」
これぞ土下座!! と言ってもいいくらいの綺麗な姿で頭を下げた。
「無事で何よりじゃ。ーーで、キゼルはいつまで惚ぉけておる? 師匠の前じゃぞ?」
睨みつける先にはキゼル。彼もグレンと同じ姿で男の前に並んだ。
「よろしい。それで己らはなんでここにおるんじゃ? ないとは思うがまさか天霊を追っていたわけじゃなかろう?」
キゼルは頭を下げたまま目線をグレンに送り、「お前が言え」と首を「くい」と揺らした。
「え、えっとだな、えっとですね、ジジイ! じゃなくて、師匠!! 今回は、師匠に稽古をつけて頂きたくて来た。来ました」
「どうかグレンと俺を鍛えてくださらないでしょうか。宜しくお願いします」
更に深く頭を下げる2人であったが、内心は「断れ断れ断れ」と切に切に願っていたが、
「ホッホ。己らは運が良いのぉ〜〜。ちょうど、暇になったところじゃ。よかろう、そこまで言うなら可愛がってくれるわい」
そうくるだろうとわかってはいたが、絶望のあまり、2人は地面に顔を擦り付けた。
男は、探し求めていた2人の師匠。
名は虎影、"封滅神"である。




