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小説

「ハナ&ミッチー」 〜天然デンジャラス後輩ちゃんと行くハードボイルド潜入捜査〜

作者: シサマ


 「センパイ、お昼またカップ焼きそばっスか!? そんなんじゃ身体もたないっスよ!」


 今日も今日とてウザい後輩、貴公殿覇菜美(きこうでんはなみ)は、この俺、柔道太郎(やわらみちたろう)に敬意ゼロの敬語でお節介を焼く。

 

 「……うるせえな、この仕事に飯の時間なんてあってない様なもんだろうが。残して勿体ない気分になる昼飯とか要らねえよ」


 そんな悪態をつきながら、実はカップの四隅に押しやられたキャベツの一枚も見逃さないくらい、カップ焼きそばマニアな俺なのだが。


 「センパイ、栄養偏るからこのカツあげるっス!」


 覇菜美は自分の弁当から、衣の厚い冷凍食品のカツ、それもよりによって「すみっこが落ち着くんです」とでも言いたげな、カチカチの端の部分を俺に捧げようとしていた。


 「……いやお前、それ殆ど油と衣だろ? 人体への貢献度カップ焼きそばレベルだから」


 曲がりなりにも大学まで柔道に打ち込んでいたこの俺だ、栄養の知識くらいある。



 「道太郎、覇菜美、次の仕事の段取りが決まったぞ!」


 世のデジタル化など何処吹く風、分厚い紙の資料を抱えた是永(これなが)部長が俺達の前に姿を現した。


 俺達は警察庁刑事局、組織犯罪対策部の潜入捜査官。

 

 厚生労働省の職員である麻薬取締官(マトリ)が出来ない事をやらされる、言わば下請けの様な立場だが、ノンキャリアの警官としてはそれなりの手当があり、必要な時には柔道技を使っても許されるとあって、俺個人としては嫌いな仕事じゃない。


 「刑期を終えて暴力団から足を洗い、スーパーに就職した松尾健太という男がいる。奴は警察の監視下に置かれていて……」


 オールバックに口髭がダンディな是永部長は、仕事熱心で理解のある上司なのだが、いかんせん前振りが長く、なかなか話の本題に入らない。

 普段はずけずけと本音をぶつけて礼儀を知らない覇菜美も、是永部長の話だけはしっかり聞いてくれる為、俺はふと、昔を思い出していた。



 俺がまだ、柔道選手として期待されていた大学時代。

 

 稽古中、女子テニス部の部室に潜入してテニスウェアを盗もうとしていた変質者を撃退した俺だったが、その男は大学のワンマン理事長の息子(35歳・無職)だった。


 俺に非はないはずなのに、理事長の怒りを買った結果「過剰防衛・暴行容疑」を押し付けられ退学処分、柔道界からも追放されてしまう。


 途方に暮れていた俺に声をかけたのは、捜査で一部始終を把握していた警察組織。

 彼等のバックアップを受けて警察学校に入学した俺は、190㎝、100㎏の体格と強面(こわもて)のルックスを買われて、犯罪組織と戦う潜入捜査官へと転身したのだ。



 「松尾さん……この人確か、お父さんの弟分だった人っスよ! お父さんの遺品の携帯に、松尾さんへのメールがあったっス!」


 もう25歳だが、いつまでも男子学生の様な言葉遣いが抜けない天然キャラの覇菜美。

 だが、こいつは喋りさえしなければアイドル顔負けのショートカット美人で、更に筋金入りの暴力団の家系育ちという、いわゆる属性てんこ盛りの女なのである。



 覇菜美の祖父が組長、父親が若頭を務めていた暴力団『貴公会』は、ビジネスの方針を巡って分裂し、一部組員のクーデターによって、覇菜美の祖父と父親は暗殺されてしまう。

 母親と、まだ幼い覇菜美は警察に保護され、彼女達の人脈と情報を犯罪捜査に役立てたい警察組織の意向もあり、覇菜美は自然と警察官への道を歩む事になった。


 とは言うものの、覇菜美は元来暴力団のDNAを持つ女。

 大人しく婦警や事務員に収まる器ではなく、並外れた度胸と隣り合わせのトラブルメーカーぶりで、結局俺の相棒にならざるを得なかったのである。


 彼女の伝説発言の一部をご紹介しよう。


 【センパイセンパイ! 早くしないとヤクの取り引きに遅刻するっス!】(コンビニにて)


 【センパイ! ここなら拳銃(ちゃか)撃っちゃってもバレないっスよ!】(工事現場付近の張り込みにて)



 「……松尾の交遊関係は、彼には秘密にしたまま警察がチェックしている。暫くは怪しい動きはなかったんだが、先日スーパーの従業員用と思われるコミュニケーションツールに、気になる情報を見つけたんだ。この資料がそのスクリーンショットだよ」


 是永部長が机に広げた資料には、従業員が職場の不満、店長の悪口などの雑談を交わしている様子がスクショされていたが、突然、とある商品らしき在庫の話題が盛り上がりを見せている。


 

 松尾【あの白いやつ、本社から大量におりてきたけど、全然買い手つかないよな。なんでだろ?】


 中山【あれ、一口でめっちゃアガるぜ! 俺も色々試したけどよ、あれが一番キクぜ!キターー!! ってなる】


 ブイ【ベトナムノトモダチ、マニア。ヨーロッパノブツハ、メズラシイ。マトメガイスルカモ、チョトキイテミル】



 「……白いやつ、ヨーロッパのブツ……。部長、これ、やっぱりヤクですかね?」


 「……アガる、キク、キターー!!……めっちゃ怪しいっス!」


 俺と覇菜美は、思い思いの意見をぶつけ合い、是永部長も両腕を組んで大きく(うなず)いていた。

 

 「……うむ、最近はヤクの密輸も巧妙になってきている。日本を経由して中間マージンを取り、より大きな市場に転売する事でアシを残さないやり方があるらしい。最後のブイという従業員がベトナム人という点も怪しいな」


 堅気になったと噂の松尾だが、やはり裏稼業から足は洗えなかったのか?

 いや、スーパー側から松尾の経験を必要としたのかも知れない。


 俺と覇菜美は互いに顔を見合せ、是永部長が段取りを決めた仕事の内容を直感的に理解した。


 このスーパーに潜入する。


 「……実は昨日、そのブイというベトナム人従業員が、店の食料品を盗んで姿を消したそうなんだ。ベトナム人という立場から足もとを見られ、相当にブラックな環境で働かされていたらしい。店側も下手に訴えられるよりは逃げたままでいいと判断した様だ。つまり、従業員に空きが出来た訳だが……」


 是永部長は不敵な笑みを浮かべ、まとめて綴じられていた分厚い資料を俺達に手渡す。


 「急な話で悪いが、明日、お前達はそのスーパーで面接をする。手元の資料には、面接に備えたお前達のキャラ設定が書いてあるから、よく読んでおけ。柳道雄(やなぎみちお)柳華(やなぎはな)、軽犯罪の刑期を終え、ゼロから再出発する夫婦、ハナ&ミッチーという役柄だ」

 

 「……ぶっ!! 是永部長、冗談じゃないですよ! 何で俺達が夫婦なんですか!?」


 食後のブラックコーヒーを思わず吹き出し、怒りを露にする俺。

 

 これまでの潜入捜査でも、それなりの役柄はこなしてきた俺達。

 だが、ここまで本名に近く、生々しい設定を与えられた事はない。

 

 一方で覇菜美の方は、俺との夫婦役に結構乗り気な様子だった。


 「やった! センパイ……いやミッチー! 宜しくお願いするっス!」


 その体格と強面なルックスから、どう見ても愛想が良いとは言えない俺なのだが、何故か覇菜美は初対面から俺に好意的である。

 

 確かに、建前に縛られず、時には思いきり悪党を演じる事が出来る潜入捜査官の仕事は、俺や覇菜美の様な変わり者にはやり甲斐のある仕事だろう。

 そして、30歳の俺と25歳の覇菜美という、夫婦役にも違和感のない適度な年齢差はお互いに遠慮が要らず、男女のコンビとしては気楽だが……。


 「ところで是永部長、俺達はそのスーパーに潜入するとしても、行方不明のブイも参考人として捜索しないといけないんじゃないですか?」


 俺はどうにか気をとりなおし、重要な手がかりを握っている可能性があるブイの捕獲を是永部長に進言した。


 「……ああ、周囲に怪しまれない様に、ウチだけで捜索を続ける。何なら、今からお前達がやってもいいぞ。奴はオンボロアパートの1階に住んでいたらしく、戻ってくる所を張り込みするのも簡単なはずだ。捜査令状もある」


 「……はい、やらせて下さい! 何なら俺ひとりでも!」


 取りあえず、必要以上に覇菜美とくっつきたくない俺は張り込みに立候補し、その足でブイのアパートを検索する為に署内から飛び出す。


 「あっ、センパイ、抜け駆けはずるいっス!」


 覇菜美も追いかけて来やがった、ちっ……!




 ブイのアパートは、スクールゾーンの外れにある閑静な、いや、ぶっちゃけ何にもない所にぽつんと建っていた。

 

 外国人労働者やフリーターなど、経済的に恵まれていない者が人目を(はばか)る様にして生活しているであろう事が容易に想像出来、警察に拾われなければ同じ暮らしをしていたであろう俺と覇菜美も、自然と口数が少なくなってしまう。


 俺に理不尽な仕打ちをした大学のワンマン理事長は、その後失脚して社会的制裁を受けている。

 テニスウェアを盗もうとしたバカ息子は、(のち)に違法薬物に手を出してしまい、理事長が大学の金を無断で息子の支払いにあてていた事が明るみになったからだ。


 そして、覇菜美の祖父と父を暗殺した組員も逮捕され、既に無期懲役の判決が下されている。

 

 俺達個人に罪はないと信じたいものの、ともに警察組織以外で生きていくのは難しい。

 潜入捜査官なんて仕事は、まともな人間なら精神を病んでしまうだろうが、それが務まるという事は、すなわちまともな仕事には向いていない人間なのだから……。



 「……ブイの部屋、カーテンが閉まっていて中が見えないっスね……」


 恐れを知らない覇菜美は、アパートのベランダに侵入してブイの部屋の窓ガラスを覗き込む。

 ってか、そんなに近づくなんてバカじゃないの? 天然女王すぎ!


 「バカ、何やってんだよ! 居留守してこっち見てるかも知れないだろ!」


 覇菜美を連れ戻そうと、慌てて飛び出した俺の目に映ったもの、それはカーテンの隙間から覗く、とあるゴミの山だった。


 「……あれは……、カップ焼きそばのカップ?」


 流石に綺麗に洗ってはいる様だが、カップ焼きそばのカップが積み重なっている光景は、見ていて余り気持ちの良いものではない。

 だが、俺も大学を退学させられた頃は一時期部屋の中があんな感じだっただけに、嫌悪感だけで終わらせたくはない。


 「……うわぁ……センパイ、ブイと仲良くなれそうっスね……」


 言って欲しくない一言を、確実に突いてくる女、覇菜美……。


 「……あのカップ……あれは特定のチェーン店でのみ輸入している、アジア某国の激辛焼きそばだ……。ひょっとして、店から盗んだ食料品ってのはあれか!?」


 その特徴のあるデザインからカップ焼きそばを特定出来てしまう、恥ずかしい俺。

 どうやらブイは身を隠す為に、保存の利く食料を盗んでから店を逃げ出したと考えられる。


 ひょっとしてほとぼりが冷めるまで、この部屋で息を潜めて暮らしているのか……?


 「覇菜美、車に戻れ。夜まで張り込むぞ。夕飯時に何かある」



 

 車の中で待つこと、実に3時間以上。

 時折交替でコンビニに行き、飲み物を買ったり用を足したりしながら、俺達は部活帰りの中高生達が通りを闊歩(かっぽ)する、スクールゾーンならではの混雑時を待っていた。


 この時間帯であれば、部屋の中で生活音を出しても所在は突き止めにくい……ブイはそう考えるはず。


 「覇菜美、ベランダまで行くぞ。但し、一言も喋るなよ」


 「え〜!? 何でなんスか!?」


 早速声がデカイ覇菜美の口を強引に塞ぎ、俺達はベランダ近くの壁に耳を押し当てる。

 

 俺の推理が正しければ、奴は食事で音を出す。

 あの音を出すはずだ!


 「……ベコッ……」


 カップ焼きそばの湯切りの熱で、シンクがヘコむ音。

 ブイは部屋にいる!


 「警察だ! 窃盗容疑で家宅捜索する! 令状もある、ドアを開けろ!」


 コミュニケーションツールでの従業員同士のやり取りを見る限り、ブイはかなり日本語を身につけている。

 俺はブイが警告を理解したと判断して激しくドアを蹴り上げ、覇菜美はベランダからの逃走を防ぐ為に窓の前に身体を押しつけながら睨みを利かせていた。


 「ワアッ……ナンダヨ……!? ワルイノハテンチョウダヨ……!」


 ブイは自身の待遇に恨みと怒りがあるのだろう、そこは理解出来なくもない。

 だが、ベトナム人への情状酌量は裁判官の仕事。

 俺達の仕事は、窃盗容疑で日本の法を犯した事への対処なのである。


 「……お前、ブイだろ? しくじったな。あのカップ焼きそばは紙のフタに、箸で穴を開けて湯切りする。つまり、穴が綺麗に開かないが故に湯切りが不安定になり、シンクにお湯を当てない様に湯切りする事は出来ない。必ず音が鳴ってしまうのさ!」


 自分でも恥ずかしくなる程のカップ焼きそばの蘊蓄(うんちく)を披露した俺だったが、小柄で素早く、かつスタミナもありそうなブイを捕まえるのは容易ではない。

 たかだが窃盗の軽犯罪だけに、拳銃をちらつかせて脅す訳には行かないのだ。


 「ブイ、お前には黙秘権がある! 希望があれば弁護士もつくだろう! だが、俺達は窃盗以外にも訊きたい事がある!」


 俺はスーパーの在庫商品である、『ヨーロッパの白いブツ』の正体を探る為、どうにかブイを説得しようと試みたものの、気が動転してしまったブイはベランダのガラスを突き破り、覇菜美を振り切って逃走してしまう。


 「……クソッ、待ちやがれ!」


 意気込んで追跡する俺達だったが、女の覇菜美とヘビー級の俺では当然追いつけず、車で追いかけたくても土地勘を活かして狭い路地を潜り抜けるブイを見失ってしまった。


 「是永部長、こちら道太郎! ブイはアパートにいましたが、振り切られてしまいました! 奴は身長165㎝くらいで、浅黒い肌に丸刈りの頭、服装は黒のスウェットと緑のトレーナーです! 手配お願いします!」




 「センパイ、失敗しちゃったっスね……。ごめんなさい……」


 覇菜美とコンビを組んで一年、初めての任務失敗にうなだれる俺達。

 沈んだ気分とは裏腹に、帰りの車内から見える景色はやけに美しい。

 

 昔を振り返ってみると、凶悪な犯罪組織は縦社会の厳しい規律があるが故、大事な証拠や商品を捨ててまで、その場から人間がいなくなる事はなかった。

 今回の様な個人の軽犯罪の方が、当事者の行動は予測がつきにくく、経験を積まないと任務の成功はおぼつかない。

 

 俺達は、特殊な任務でこそ成功はしていたが、まだまだ警察官として未熟だったのだ。


 「いや、覇菜美は悪くない。俺が慢心したからだ。お前を活かせる、もっといい相棒がいるはずだよ……」


 俺はバカだった。

 ちょっと口の利き方に癖はあるが、こんなに美人で、こんなに俺を気にかけてくれる相棒を信用し切れず、自分勝手な行動に覇菜美をついて来させる日々を送っていた。

 その報いが来たに違いない。


 「……センパイ、あたしの事ウザいですか……?」


 覇菜美の口から弱気な言葉を聞くのは、初めてだった。


 「……い、いや、ウザくなんかない。時々うるさく感じる事はあるけどな。まあ、場を明るくしてくれるのはお前のいい所だし、余り気にするなよ……」


 どうにも気まずい空気を感じた俺は、明日の潜入捜査に備えて気持ちを切り替える様に、カラ元気を装う。


 「……センパイ、あたしには分かるっス。警察はあたしが可哀想だったから保護してくれて、人脈や情報が捜査に役に立ちそうだったから警察官に育ててくれて、生まれ育った環境が特殊だったから、腫れ物に触れる様にこのキャラも許してくれている事を……。元々警察官じゃなかったセンパイだけが、あたしに本音で接してくれているから、出来るならコンビを組みたかったっス……」


 覇菜美が俺とのコンビを望んでいた……。

 その事実を初めて知り、俺は嬉しい様な、苦しい様な、言葉に出来ない複雑な感情に襲われていた。


 確かに、俺は覇菜美が美人であろうが、暴力団の家系に生まれ育って祖父と父が殺された過去があろうが、必要以上の情けはかけずに正直に接している。

 

 だが、それは俺自身が強面の大男で、柔道の道を絶たれた過去から、自分の事をずっと損な男だと思い込んでいたからだ。

 自分を人生の被害者だと思い込んでいて、必要以上の優しさを持とうとしなかったからなのだ。


 「……覇菜美、今まで悪かったな。俺達は結局、似た者同士だったんだよ。だからこそ、俺達は最強のコンビだ。いや、これからもっと最強のコンビになれる! 俺はお前を守る、だから、お前も俺を守ってくれ……!」


 これは、俺としては勇気を振り絞って発した言葉。

 だが、言いたくなかった訳じゃない。

 例え上手く伝わらなくても、言わなければならなかった言葉。

 

 「……センパイ!? は、はい……頑張るっス……!」

 

 俺達の胸の中には、確かに熱い感動がこみ上げていたはずだった。

 しかしながら、潜入捜査で感情の抑制を覚えたからなのか、涙は出ていない。

 

 でも、今はこう思う。

 それでいいじゃないか。

 湿っぽくならず、いつもバカやっているのが俺達のいい所なんだ、と……。




 いよいよ潜入捜査当日。

 初日は面接と職場見学だけだが、店長や従業員に上手く馴染み、出来るだけ早く『ヨーロッパの白いブツ』の手がかりを得たい。

 

 未だにブイが捕まっていない点は気がかりなものの、昨日の一件で距離を縮めた俺と覇菜美は、夫婦という設定に違和感がなくなっているはずだ。



 「……まったく、ちょっと厳しいとすぐ逃げる。近頃の若い奴はろくでもないよ。ま、あんたらも前科者だろ? せいぜいクビにならない様に頑張るんだな」


 面接に立ち会った店長は、予想以上に感じの悪い男。

 前科者や外国人労働者ばかり集めている時点で、恐らくパワハラが蔓延するブラック企業だとは想像していたが、面接の時くらいは綺麗な嘘を並べてもいいんじゃないだろうか?


 (……お父さんもお祖父ちゃんも、組員にはもっと愛情を持って接していたっス……)


 言葉にこそしないものの、覇菜美も心の中でそう言っている様な表情だ。


 「……まだ買い手がつかないだと!? 何をやっているんだ! もう時間がない、早く捌け! 松尾、お前もクビになりたいのか!?」


 どうやら店長は、これ以上隠し通す事の出来ない『ヨーロッパの白いブツ』の売却ルートに目処が立たず、業務連絡でも苛立っている様子。

 どの業界も生き残りに躍起になっているのは分かるが、これはもう松尾やブツの問題だけじゃなく、労働実態を含めた企業ぐるみの問題がある、ヤバい会社と言わざるを得ない。


 

 「……嫌な店長だろ? こんな店で無理に働く必要はない、君達は大した前科じゃないんだからさ」


 俺達の正体を知らない、元『貴公会』の組員である松尾は、貴重な休憩時間を潰されたにもかかわらず、にこやかに控え室を案内してくれた。

 とは言うものの、その表情はブラックな環境に慣らされてしまった、全てを諦めた様な薄ら笑いでしかないのだが……。


 「正直、面接に来て後悔しました。松尾さんも、こんな所早く辞めたらどうです? もう少しマシな職場があるはずですよ」


 覇菜美は、まだ幼く無邪気な頃ではあったが、松尾と面識があるらしい。

 正体がバレる危険性を考慮して、彼と正面から顔を合わせようとはしない為、やむ無く俺が松尾とのコミュニケーションを一手に引き受けていた。

 

 「……俺は無理だよ。昔ヤクに関わった事があるし、兄貴分(きょうでえ)を殺された怒りで拳銃(ちゃか)もぶっ放したんだ。足もとを見る企業があるから、俺みたいなのも何とか堅気で生きていけるんだろ。仕方ないよ。辞めちまったブイは、親子くらい歳が違うのに、俺にも優しくしてくれたいい奴だったけどな……」


 これ以上身の上話を聞いてしまえば、情が移って警察としての仕事がやり辛くなるだろう。

 俺は話題を切り替え、『ヨーロッパの白いブツ』の存在をそれとなく松尾にほのめかす。


 「何だか、早く売り切らないといけない物があるみたいですね。安売りは出来ないんですか?」


 「……ああ、白缶の事だね。本社がライバルを出し抜いて入荷したブツだから、相場の額で捌いたデータばかり欲しがっているんだよ。でも、あれは日本人の口には合わないんだろうね」


 缶入りのヤク……(あぶ)り用の原液か……?

 確かに、東南アジアからのブツに慣らされた日本のジャンキーにとって、ヨーロッパの精製純度は高すぎるのかも知れないな……。


 「やっぱり松尾さんも、昔の知識や経験からヤバい仕事を押しつけられてる感じなんですか?」


 俺は『ヨーロッパの白いブツ』についてより具体的な情報を引き出す為、少しばかり踏み込んだ質問を松尾にぶつけてみた。


 「……ん? 君は勘違いしているのかな? 確かに本社や店長の態度はヤクザじみているけど、ウチは違法な商売はしていないよ」


 「……へ? どういう事?」


 驚きの余り顔を見合わせ、思わす拍子抜けが声と顔に出てしまう俺達。

 『ヨーロッパの白いブツ』は、脱法ハーブか何かなのか?



 ガシャアアァァン……


 突然鳴り響く、ガラスの粉砕音。

 BGMの流れる店舗で働いている従業員や、タイムセールの熱気に押されている買い物客には聞こえていない様だが、休憩中の松尾と俺達の耳には鮮明に届いた。

 

 それもそのはず、ガラスが割れる音が聞こえたのは、明らかに店長室の方向なのだから。


 「……あれは……ブイ!」


 俺達と松尾が店長室に駆けつけると、金属バットで窓ガラスを破壊して侵入したブイが、怯える店長を睨みつけていた。


 「……ボク、ツカマル。デモ、ソノマエニテンチョウ、ナグリタイ!」


 積年の恨みが乗り移った、鬼気迫る表情。

 ただ一点の真っ直ぐな願望。


 かつての俺が、大学のワンマン理事長を殴りたかった様に、ブイの気持ちは痛い程に理解出来た。


 だが、これ以上罪を重ねてはいけない。


 「ブイ、止めろ! このスーパーの問題はいずれ労基署が調べてくれる!」


 俺はブイを説得しながら、覇菜美、松尾とともに奴との間合いを詰めに行く。


 「ウワアアァッ……!」


 錯乱したブイは金属バットを振り上げ、倉庫の在庫品を手当たり次第に破壊して回る。


 「センパ……いやミッチー! ブイをお客さんのいる店舗に出しちゃダメっス! とおっ……ぶっ!!」


 覇菜美は果敢にもヘッドスライディングに挑み、ブイの両脚を抱えて動きを止めようとしたものの、空振りでそのままフロアに撃沈した。

 お前の魂は無駄にしないからな。

 

 「オリャアア!」


 ブイの振りおろしたバットが三段積みのダンボールを直撃し、中から白い缶飲料らしき物体が散乱する。


 まさか、あれが『ヨーロッパの白いブツ』なのか!?


 フロアに叩きつけられた白缶のうち数本が破損し、中から緑色の怪しい液体が噴出する。

 しかし、それはヤクの様な匂いの液体ではなく、もっと甘ったるく、それでいて人工的なフレーバーが感じられた。


 これは……エナジードリンクだ!


 「……ああ、本社イチ押し商品が……この売り上げが俺のボーナス査定に繋がっていたのに……この役立たずがあぁ!!」


 従業員にパワハラしておきながら、自己の利益に異常に執着するこの店長は、辺り一面に散乱する『ヨーロッパの白いブツ』を眺めて、その怒りが頂点に達している。


 「どけ! この疫病神が!」


 ようやくブイを押さえつけていた俺と松尾を体当たりで突き飛ばし、ブイの首を絞めようとする店長。

 俺は背後からの攻撃を間一髪察知し、慌てて柔道の前受け身を用いて顔面をガードする事に成功した。


 「センパイ、今の体当たりは公務執行妨害っス!」


 遠くで覇菜美の声がする。

 ミッチーではなく、センパイと呼んでいる。

 

 潜入捜査は取り越し苦労に終わったが、今必要なのはブイの逮捕と労基署への報告。

 そして何より、この店長に一発喰らわせたい!


 「動くな、警察だ! ブイは窃盗と器物損壊容疑で逮捕、店長は公務執行妨害で拘束する!」


 俺は決め台詞とともに、颯爽と警察手帳を見せつける。

 孤立無援になりがちな潜入捜査に於いて、このカタルシスを味わう機会は意外と少ない。


 「……くっ、くそおおぉっ……!」


 警察手帳を前に一瞬怯んだものの、店長には他にも余罪が隠されていたのだろう。

 半ば開き直った様に、俺に向かって突進を始めた。

 

 「はあっ、せいっ!」


 店長の突進を真っ正面から受け止め、俺は彼の上半身を手前に引き寄せる。

 その態勢のまま早歩きで相手を前方に押し出し、すかさず左足を裏から一気に刈り取る。


 「……!? どわあぁっ!」


 一瞬の出来事に状況を飲み込めず、フロアに背中を打ちつける店長。

 柔道技『大外刈』は、格闘技のボディーメカニズムを知らない人間には面白い様に決まるのだ。


 「悪かったな! あんたに余罪がなければ自腹で謝礼してやるよ!」


 俺は、どうにか起き上がって更なる抵抗の意思を示そうとする店長の手を取り、そのまま全力で担ぎ上げて投げ飛ばす。

 柔道経験者にはほぼ通用しない、漫画の様な大技『一本背負い』。


 「……がはっ……!」


 安全対策の為、背負った店長の腕を握らず、軽く手を添えて投げる俺。

 選手時代のスポーツマンシップが僅かに残っている自分自身を、今までは好きになれなかった。


 だが、今なら誇れる。

 容赦ない戦いがやりたければ、怒りの悪魔に魂を売ればいい。

 この仕事を続ける限り、いつかはその時が来るのだから……。




 覇菜美が呼んだ応援部隊が現場に駆けつけ、ブイは大人しく労基署の聞き込みつきで逮捕となった。

 

 店長はそれなりの時間拘束されたが、パワハラは証明までに時間がかかる。

 むしろその間、本社から彼が切り捨てられる可能性の方が高い。


 同情したくはない男だが、彼がこうなってしまった理由がきっとあるはずだ。

 理由が分かるまで付き合うつもりはないけどな。


 「……華さんとやら、君の面影、そして喋り方……。ひょっとして君は、警察に保護されたと言われていた、あの覇菜美ちゃんなのかい?」


 かつて暴力団『貴公会』で、覇菜美の父の弟分だった松尾に声をかけられ、一瞬肩をいからせる覇菜美。

 しかし、彼女はやがて穏やかな微笑みを浮かべながら、松尾の問いかけをやんわりと否定する。


 「……人違いっスよ。顔や喋り方が似ている人なんて、沢山いるっス。その人、暴力団の娘さんなんスか? そんな人が警察官になんて、なる訳ないじゃないっスか……」


 何処か寂しげな覇菜美の横顔に、松尾はそれ以上言葉を続ける事はなかった。

 


 

 「センパイ! お昼またカップ焼きそば、しかもエナジードリンク付きっスか!? 成人病で死ぬっスよ!」


 今日も今日とてウザい後輩、ハナこと覇菜美と潜入捜査の日々。

 とは言うものの、今では犯罪組織以外の捜査では、すっかり『ハナ&ミッチー』というコンビ名が定着している。


 「このエナジードリンクはシュガーレスだ。しかもビタミンB1入りでカップ焼きそばの代謝にもいい。これはコーヒーにはない魅力だな。おっ、キターー!!」


 今思い返せば、俺達の絆を深めようとした是永部長の策略にまんまと()められた様な気がするのは、俺だけだろうか?

 

 まあ、それでもいいさ。

 

 俺達がこの仕事に運命を感じている様に、俺達ふたりも互いに運命を感じている……かも知れないんだ。

 

 

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[良い点] 楽しかった! コント見てるみたいな軽妙なテンポで、一気読みしました! 「太陽にほえろ」と「トミーとマツ」、わたし両方好きだったんですが、その両方が持つ雰囲気とシサマさま独特の世界が合わさ…
[良い点] キーワードを見事に盛り込んで、なおかつ小気味いいストーリーに個性豊かなキャラたちがそろっていて、終始楽しく読むことができました。(*'▽') 特に、テンポの良さが際立っていたように感じまし…
[良い点] エッセイの熱さと、バンドーなどで培われたテンポのいいストーリーが上手く融合していて面白かったです。 カップ焼きそばが出てきた辺りで、「ヨーロッパの白いブツ」の正体は何となく想像できたのです…
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