束の間の平穏
アリスとブルーが、領主に保護されてひと月が経った。
その間にボールドウィン辺境伯お抱えの魔道士によって、ブルーの瞳の中の紋章が確認されて、ブルーの身分が確定していた。
ブライアン・ヴェルランド第一王子、というのが表向きのブルーの立場だ。
生母ベルティーナ妃亡き後、母の実家であるウィンストン公爵家預かりのまま過ごしてきたので、ごく限られた者しかその存在を知られていない。
ベルティーナ妃はヴェルランド王エドマンドの正妃であったが、ブライアン5歳の時に病により儚くなった。
第二妃であったイルミナ妃が繰り上がりで王妃となり、居場所を無くしたブライアンは、ウィンストン公爵家へと追いやられたのである。
真面目で堅物なウィンストン公であったが、イルミナ妃の実家ユディトー伯爵が力を付けるに連れ、政権の中心から追いやられた。
公爵は娘の残した大切な孫を守ると決めて、ブライアンを連れてウィンストン領に戻った。
そのブライアン王子が、何者かの手によって怪我を負わされ、記憶を失ったまま、西の辺境ボールドウィン領にて保護されている。
ブルーは自分が何者であるかを知って、動揺することなく、淡々と事実を受け入れた。
未だにブルーの記憶は戻らないが、自分の立ち位置や境遇を聞かされ、考え込む時間が多くなった。
一方、ボールドウィン辺境伯レオナルドはウィンストン公爵家へ使者を出し、ブライアン殿下の無事と保護を伝えた。
ウィンストン公爵家では、レオナルドの失踪が何かの陰謀に巻き込まれたものと推測していたが、事を荒立てないために、密かに調べていたところ、思わぬ場所で見つかったのである。
それが、王都から離れたボールドウィン領であることに密かに安堵した。
ブライアンの怪我が癒えるまで、正確には記憶が戻るまで、ボールドウィン領でお預かりする心算があるが、ウィンストン公爵に従いましょう、
まだ若いが有能だと評判のレオナルドの言葉に、ブライアンの叔父にあたる公爵家当主は感謝した。
公爵家は既に代替わりをしていた。政治の中心から追いやられ燻っているウィンストン公爵は、ブライアンの事をお荷物と考えるようになっていた。
さらにはイルミナ妃とユディトー伯爵の思惑が絡み、ブライアンの立場は非常に危ういものであった。
ウィンストン公爵は渡に船と、レオナルドの申し出を受け入れた。
その結果、当分の間は辺境の地でブライアンを預かることになり、王家への報告もボールドウィン辺境伯から伝えられた。
王家側がどのように受け取ったかは定かではないが、病床の父、エドマンド王は第一王子の無事に安堵したと聞く。
*
「ブルーさん、お茶にしませんか?」
ブルーはホッとした顔で、声をした方を振り返る。
「アリス!」彼は嬉しそうに少女の名を呼んだ。
アリスはブルーと共に辺境伯に保護された後、「客人として扱う」と言われたことに反発し、自主的にメイドとして働き始めた。
まずは執事と侍女長に話をつけ、自分はただの平民であるからこのような扱いをしては他の皆様に示しがつきません、またどんな粗相をして、ご領主様にご迷惑をお掛けするかと思うと、命の縮まる思いでございます、と。
その上で、
「ご領主様から、殿下の世話係を言いつかっております。どうかメイドとして働かせていただけますようお願い申し上げます。」
と言って見事なお辞儀をしたアリスは貴族の娘そのものだったが、レオナルドから指示を受けていた執事達は、アリスの懇願をあっさりと受け入れた。
「彼女の好きなようにさせておけ。」
レオナルドはそう言ったのだ。
アリスは客室からメイド用の小さな部屋へ移り、お仕着せの仕事着を与えられた。ブライアン付きのメイド、というのが正式な立場となる。
ブライアンが辺境伯に保護される事になって、館の侍女達は色めきたって、謎の美青年の専属侍女になりたがったが、領主からの厳命で、ブライアンに関わることを禁じられた。
それゆえ、アリスはやっかみや嫉妬から、小さな嫌がらせを受けたがまるで意に介さず、涼しい顔をして対応するので、侍女たちの方が自分達の敗北を認める羽目になった。
領主館には行儀見習いでやってくる近隣の貴族子女が少なからずいる。あわよくば領主様の目に留まって、妻、せめて側室、いや愛人にでもなれれば、と虎視眈々と狙っている。
しかし肝心の領主レオナルドが、女性に興味がないのか、美貌や身体で籠絡しようと考えていた浅はかな女たちは、自らの愚かさを悟り、行儀見習いとして去ってゆくものがほとんどだ。
中には、辺境の地の暮らしを気に入って、そのまま居付く娘もいる。
アリスが仲良くしている侍女や下働きのメイド達は、辺境の地を好んでいるものがほとんどだった。
彼女たちは、休憩時間にブルーと、この館の主人であるレオナルドと、どちらがアリスの心を射止めるので大いに盛り上がっていたが、あり得ませんね、わたしは平民ですからと、とアリスに一刀両断にされていた。
*
「落ち着く。ほっとするよ。」
ブルーは、湯気に顎をひたして、幸せそうに微笑んでいた。
「自分のこと以外はわかっていても、肝心の事がわからないなんてな。」
ブルーにとって気が抜ける相手はアリスしかいないので、教師陣による帝王学の復習(ブルーにはそこら辺の記憶もないので実質的には初めての学習であるが)の後のお茶は、心待ちにしている時間だ。
そしてブルーのたつての望みで、こうやって設けたお茶の時間では、殿下ではなくブルーと呼ぶこと、その間は2人は対等の立場でいることを約束させられたアリスは、面倒な人だと思いつつもブルーの我儘に付き合っていた。
「思い出す気配もないのですか?」
これって、不敬罪だわね、と内心思いつつアリスは出来る限り普通に接することを心がけている。
「うーん。最近、母らしき人の姿を思い出すんだ。
ベッドに横たわっている姿とか、俺を見てブルーって呼ぶ声とか。
そういえば、アリス?」
問いかけられたアリスが何でしょう?と答えると
「母上らしき人も、俺のことをブルーと呼んでいた。
ブライアンだからブルーなのだろうと思う。しかし君は海の色だと、そう言った。」
「はい。そうでしたね。」
「俺のことが始めからわかっていたのか?」
「まさか。ブルーさんの瞳の青、その色で呼んだだけですよ。」
「君は、、、君には一体何が見えているのだろう?」
「わたしには、、、そうですねぇ、お勉強に疲れたブルーさんが見えてます。このクッキー、わたしが焼いたの。味見してくださいな。」
ブルーは目をキラキラさせてアリスを見た。
(なんだか餌付けしてるみたい)アリスはおかしくなってくる。
「ああ、そうだ。村長チャールズ様の奥様とお嬢様達がいらっしゃるそうです。レオナルド様が、ブルーさんにも同席して欲しいと仰ってましたよ。」
「世話にはなったが、あの娘達は苦手だ。」
「わたしもお供しますよ。」
気を張らずに済む、尚且つ女性として意識している相手と一緒に過ごす時間の、他愛のない会話。それはブルーにとって何よりの大切な時間だった。
正直なところ、記憶のない今、王族である事に何の価値も見出せなかった。
全てを捨てて、アリスと共にあの森の家で生きられれば、とブルーは叶わぬ望みを持っている。
アリスに対する感情が、恋愛なのか親愛なのかよくわからないまま、ただアリスの側にいたいと願っていた。
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