父と息子
第一章ここまでです。
次回から第二章に入ります。
アンソニー・ボールドウィンは前領主である。
西の辺境の地、通称『眠りの森』を管轄下に置き、外敵からの防衛とともに、森の監視、いわゆる守り人を担ってきた。
現国王とは貴族院の同窓生であり、ふたりは無二の親友と見做されている。
嫡男レオナルドが20歳の時に妻を亡くし、それを機に息子に爵位を譲り引退した。
しかし、今なお国政への睨みを効かせており、アンソニーの居宅にはさまざまな人間が訪れては報告し、指示を仰ぐのである。
レオナルドから見た父は怪物であった。
母や家族より国家を愛しており、幾たびに及ぶ近隣国との戦で数々の功績を残した英雄でもある。
たった数名の腹心の部下を連れて砦を落としたり、攫われた姫を単身で救い出したり(その姫が妻帯者の父を婿にと望んで一悶着あったらしい)、戦争中であるのに他国の名武将と一対一の個人的な喧嘩をして勝って、その結果国交が結ばれたりと、父の逸話は数えきれない。
どれもこれも、アンソニー・ボールドウィンのカリスマ性を高める逸話であり、その父や仲間の活躍により、この国も周辺国も平穏な日々を送れるようになったと言える。
父はレオナルドの剣術の師でもあったので、剣と向き合う時だけ、親子の情というものを感じたが、それ以外ではほぼ交流を持とうとしなかった。
しかし、レオナルドはまだ良い方である。母や姉とは接点がなく、姉などは父のことを嫌っていた。
ある日突然、嫁げと言われるのである。しかも挙式の日まで相手を知らされず(相手は平民だとのみ伝えられた)、辺境伯の娘が下野することに屈辱を感じた姉は挙式の日、ベールを上げた男がチャールズと知るまで笑顔を見せることはなかった。
姉はチャールズの事を密かに慕っていたので、この婚姻が命令という形ではあったが、実は父からの娘への不器用な愛情表現だと知った。
アンソニーは、娘と部下がお互い恋心を抱いているのを知っていたのだ。
尤も本人は否定する。俺は自分に都合の良いことしかしない、動かせる駒は娘だとて使う、と。
レオナルドは当時子どもだったので、父の想いも姉の感情も理解できなかったが、今ならわかる。母を不幸にした埋め合わせをしているのだろうと思う。
姉や自分に対してはそっけなかった父が、なぜか双子の姪達には甘いお祖父様でいる。彼女らは優しい祖父しか知らないのだ。
そんな父親だが、レオナルドには結婚せよと命令することはなかった。レオナルド自身、両親を見て育っているので、後継者を生み出すためだけの婚姻は不要と思っている。どうしても必要なら、姪達のひとりが、優秀な男と結婚して、生まれた子を養子にすれば良いと考えていた。
そんなレオナルドが、眠りの森の娘に興味を持った、という話は、すぐさま父親へ知らされた。
ガルフの口から、どうやら息子が彼女を気に入ったらしいと聞いて、アンソニーはニヤリと笑った。
*
アンソニーがチャールズからアリスの報告を受けたのは3年前だった。
村のはずれにある森の入り口に少女は倒れていた。
痩せ細った傷だらけの身体、衣服はボロボロだった。
盗賊が何かに乱暴されたのか?と、医者にみせればその形跡はないという。
ただ傷については古いものから新しいものまであるのと、栄養状態が悪いという事だった。
その娘の姿に心を痛めたアマンダの指示で、少女は村長であるチャールズが預かり回復するまで面倒を見ることになった。
という報告が、アンソニーの元へと上がってきたのだ。
ただの行き倒れ、特に報告も要らないようなものであるが、この辺境の地は防衛の最重要地であるから、人の出入りには気を配っていた。
たとえ傷だらけの少女だとしても、間者でないとは言い切れない。アンソニーは、少女を監視するよう指示を出した。
助けられた少女は、名を尋ねられた際、名乗るのを一瞬ためらった。口を一文字に引き結び、視線を落とした少女は、傷が癒えたらすぐに去ります、それまで馬小屋でもどこでも、雨風が防げる場所に置いていただければ、、と懇願した。
その様子に、チャールズは胸が痛み、アマンダはハンカチで目元を抑えた。
「貴女は、アリスよ。」
そう命名したのは双子の姉、ミランダだった。
娘たちは少女が読む小説を愛読しており、とりわけお気に入りは、『眠りの森』を題材にしたものだった。
アリスとは、その小説に出てくる主人公の名前だった。
「だって、森から来たのでしょう?ね、アリス?」
妹ベリンダが嬉しそうに言った。
娘たちの命名で少女はアリスとなった。
傷はどれも浅いものだったので、大した跡も残らず癒えていった。その間アリスは、ボルトン家の下働きのようなことをして、厨房や庭仕事、洗い物などの仕事をしては、休んでいなさいと叱られていた。
双子たちはアリスと一緒に過ごしたがり、手先の器用なアリスは彼女らの髪を編み込んだり、簡単な装飾品を作ってやったりして過ごしていた。
3ヶ月ほど経過してアリスはチャールズに願い出て、村外れの小屋を貸してもらい、ひとりで暮らすようになった。
村のはずれに住み始めたアリスに別段変わったところはない。
日の出ごろ、あのうるさいほろほろ鳥の鳴き声とともに起き、日々の生活の営みを行う。
時々森の中へ出かけては、ウサギなどの小動物を狩ってくる。
動物の下処理をしたら、剥いだ皮の処理もしてなめして、ベストや襟巻きを作る。それらは村のバザールで売り、生活に必要なものを買うための資金にしている。
チャールズは、定期的にアリスを訪ねては、困ったことはないか?足りないものはないか?と世話を焼いていた。
時には、娘たちからだと、お下がりの衣装や甘いお菓子を手土産に持ってきた。
それらの衣装も、アリスには着ていく場所もないので、結局は解体して、簡単な普段着に仕立て直し、余った部分でハンカチやテーブルクロスなどを作って、それをまたバザールで売るのだった。
その逞しい生き方を報告されたアンソニーは、アリスに関しては第一級の警戒は不要と結論付けた。
しかし、ガルフには継続して監視するように伝えていたところ、今回の騒ぎである。
しかも、あのレオナルドが、娘に興味を示していると聞く。
あの娘は警戒するのではなく、むしろ取り込みたい存在なので、レオナルドには是非頑張ってもらわねばと、アンソニーはほくそ笑んだ。
怪我をした男は、おそらくブライアン殿下だろう。
疎まれた第一王子がなぜ西の辺境に現れたのか?
アンソニーは国に対する忠誠はあるが、王家に対して忠誠を誓っているわけではないので、王家のゴタゴタに巻き込まれることなど、御免こうむりたい。
そして、国王であるエドマンドが病床にある今、次期国王は王太子オースティンが最有力であり、不運なブライアン第一王子はひっそりと表舞台から消えていくだろうと思っていた矢先に、突然現れたのだ。
面倒事を避けるならブライアンは見捨てるべきだった。
しかし、息子である辺境伯レオナルドは、ブライアンを保護すると決めた。その決め手になったのがアリスの存在なのである。
(あの娘が見つけて助けた、という事に何か大きな意味があるとしか思えん。)
ブライアン殿下を匿い味方したとなると、現王妃であるイルミナ妃から睨まれることになるだろうが、それだけのことだ。
辺境の地はちょっとやそっとでは倒れない。
「あの女狐がどうでるかだな。
アンソニーは濃い酒を一気に煽った。
*
その夜、父に呼び出されたレオナルドは、久しぶりに父の隠れ家を訪れた。
最低限の使用人のみを周りに置いての悠々自適な暮らしは、ある意味羨ましくもある。
久々に向き合った父と子は無言で酒のグラスを合わせた。
「保護することに決めたらしいな。」
レオナルドは、誰を?とは聞かずともわかる。
「はい。彼はどうやら、ブライアン第一王子ではないかと。」
「そうだな。で、お前はどうするのだ?殿下が襲われたと言う事は、これから国を揺るがす事態になる可能性もある。」
「わたしは、そうですね。
あの娘、アリスが殿下を助けた事に何か深い意味があるのではないかと思っています。
父上は、あの娘がわたしの役に立つと仰った。ならば彼女の意思を尊重してみようか、と。」
「それは何故だ?あの娘はただの行き倒れの平民だぞ。預言者でもないし、力を持っているわけでもない。
なぜ、あの娘を信じるのだ?」
「何故でしょうか。そうしなくてはいけない、殿下を助けねばならない、そんな気がするのです。
このような理由で動くわたしは軽率でしょうか?父上がお命じになるなら、殿下の保護はすぐさま取りやめましょう。
王宮に連絡して送り返すのみです。」
「いや、それはいい。それよりあの娘はどうなのだ?娶りたいのか?」
「は?いや、そんな事は考えてもおりません。第一、素性の知れぬ平民ではないですか。
ああ、義兄上が養女にするとか。」
いきなり尋ねられ、レオナルドは柄にもなく慌てた。
「お前の好きにすれば良い。そういう感情は止められぬ。」
「え?父上?」
アンソニーは笑って手を振ってレオナルドに、もう良いさがれ、と告げたが、その表情は楽しげだ。
一方、レオナルドは一体何だというのだ?父上はどうしたのか?と、ぶつくさ言いながらも、彼もまた頬を緩めて部屋を出て行った。
俺は、あの女狐さえ仕留められれば良いのだ。
エドマンド、後は我が息子達が必ずや正しい道を切り開くはず、
我知らず病床の親友を思い、空に向けてグラスを合わせるアンソニーであった。
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