それぞれの思惑
面会室には、チャールズとその連れのふたり、そして前領主の従臣であり今はチャールズの配下で働いているガルフが控えていた。
彼らは領主が室内へ入ってくると跪き頭を下げ、アリスはお辞儀をした。
「義兄上、お久しぶりです。姉上や姪たちは元気に過ごしていますか?
近頃はあの子たちが来ないので、館が静かすぎて落ち着かない。遊びに来るように伝えてください。」
レオナルドは親族としての挨拶を述べた。
「レオナルド様、妻子ともども息災に過ごしております。ありがたきお言葉、娘たちも喜ぶでしょう。」
チャールズの返答に満足するとレオナルドは雰囲気を変えた。
「それは重畳。
さて、早速だが本題に移ろう。畏まらなくて良い。頭を上げなさい。」
平伏していたアリスとブルーは頭を上げると、レオナルドからの刺すような視線を浴びた。
アリスは皮膚に刺さるレオナルドからの威圧が強まるのを感じたが、それは敵意ではないと自分に言い聞かせて、まっすぐにレオナルドを見返した。
チャールズに促されて、アリスはブルー発見から今までの経緯を話した。その様子にレオナルドは、ほほぅと感心した。
(この娘、筋道立てての説明もさりとてながら、辺境伯を目前にして緊張も恐れも感じず、威圧にも動じない。一体何者か?
そしてこの若者は。)
「なるほど。状況はわかった。
それで、この者、通称ブルーの保護を願い出ているということか。」
「左様でございます。我が家で預かるつもりでおりますが、ひとまずは領主様への報告と許可を得てからと、参った次第です。」
「しかしながら、ボルトン男爵家では警備に不備もあろう?
ブルー、と申したか、彼の外見は尊き血筋の特徴が色濃い。真偽は不明だがな。
万が一、何事か起こった場合、頭の傷も含めてこのボールドウィンの責任になるだろう。」
チャールズは頭を垂れて、レオナルドの言葉を待つ。
そしてブルーは成り行きに身を任せるしかないこの状況にあって、何も出来ない自分が歯痒く、指が食い込むほど手を握りしめていたが、アリスがそっと手に触れたことで我に返った。
その様子を眺めていたレオナルドは心を決めた。
「よかろう。ブルー殿、貴方をわが屋敷の正式な客として預かることにする。それ相応に失礼のないように対応しよう。安心して過ごされるが良い。わたしも貴方の記憶が戻るよう手を尽くす。
そしてアリス、君にはブルー殿の世話係を頼みたい。メイドとしてこの屋敷に滞在することを命じる。」
「閣下、お待ちください。
ブルー殿については保護を願っておりますが、アリスは我が家で引き取るつもりでおりまして、閣下のお手を煩わせることは望んでおりません。」
チャールズは抗議してくれたが、レオナルドの返事は予想外のものだった。
「なるほど。義兄上の養女になれば、男爵家の娘で、わたしの義理の姪ということになりますね。それではメイドの仕事は与えられないな。アリス、君も客人として滞在しなさい。」
*
思わぬ成り行きで、ブルーとアリスは領主館で保護されることになった。
チャールズは、その方が安心かもしれない、と慰めてくれたが、アリスの心中は複雑だった。
アリスには隠している能力がある。
そんな力は要らないと逃げて、密かに生きることを望んでいる。
他人と関わることを避けて村のはずれにひとりで暮らしているが、いずれはこの地を去るつもりだ。
村長一家などの親しくなった人が巻き込まれることのないように、ひっそりと出て行くつもりなのだ。
領主に保護されるということは、自由を失うことであった。
アリスは貴族が嫌いだ。
貴族達はひたすら傲慢で、平民の命を虫けらのようにしか思っていない。
王族と呼ばれる人たちはさらに傲慢で醜悪だ。アリスはそういう類の人々を信用していない。
ブルーを助けてやりたい反面、彼が記憶を取り戻した時に起こるだろう事を想像してしまう。彼が王家に連なる人間だったら、王家はアリスを取り込もうとするだろう。
かつて、あの人達がしていたように、アリスの自由を奪い、大切な人たちを苦しめるだろう。
過去を思い出し暗い表情になったアリスを、ブルーは心配そうに気遣った。
「アリス、済まない。君の望まぬ結果になってしまった。保護してもらうのは俺ひとりで良いのに。」
「仕方ありません。ご領主様の意向に背くわけにはいきません。でも客人というのは困るので、メイドとして雇ってもらえるよう執事様に相談してみます。」
「そうか。だけど俺は嬉しい。またアリスと一緒にいられる。」
ブルーは自分の感情に素直だ。それは記憶を失っていることも大きな要因なのかもしれない。生まれたての雛が親鳥を慕うように、アリスがいないと不安になるのだ。
だから彼は思いがけずアリスも領主館に留まる事を、心から喜んでいた。
アリスの内心はどうであれ、今はブルーが危険から回避できることを喜ぶべきだと思ったので、それは良かった、とブルーを安心させるように答えた。
しかし、チャールズ達の思惑は別にあった。
執事に案内されて部屋へと向かうアリス達を見送ると、チャールズとガルフは帰路についた。
何事か考え込んでいたチャールズだが、ガルフに向かって話しかけた。
「ふむ。ややこしい事になったな。」
「ですな。閣下はアリスの事を気に入ったようで。」とガルフも言う。
「レオナルド様には婚約者もいないし、浮いた噂のひとつもない。剣術にも容姿にも優れておいでなのに、女に興味が無いと言い切る。そのお方が、アリスを手元に置くと言う。そしてブルーはアリスを慕っている。
彼が真に王族であった場合どうなるのだ?」
自分が守れる範囲なんてたかが知れている、アリスを守るための行動が裏目に出たのでは、とチャールズは後悔していた。
3年前、ボロボロの姿で倒れていた娘を助けた時から、この娘を守ってやらねばと決めていたのである。
なぜそう思うのかは説明が出来ないが、チャールズには何某か縁があると思えてならなかった。
「ガルフ、お前はあの方へ報告へ行くのだろう?
ならば、わたしがアリスを養女にすることも伝えてほしい。もしも、レオナルド様がアリスを望んだ場合、せめて男爵という後ろ盾でもあれば、安心だからな。」
ガルフは別のことを考えていた。
(お嬢ちゃんを取り込みたいのは、辺境伯だけではない。王家だって欲しがるだろう。
しかし、王の目を持つ彼が記憶を取り戻した時、お嬢ちゃんのことをすっかり忘れてしまったとしたら、どうなる?)
2人はそれきり無口になった。
*
レオナルドは執務室で先程のやりとりを反芻していた。
チャールズが連れてきた男は、恐ろしいくらいにある人物に似ている。いや、似ているのではなく本人だろう。
国の中でも限られた者しか知らない王家の秘密の存在、ブライアン殿下その人だとレオナルドは確信していた。
ただ、彼には残念ながら視る力は備わっていなかったので、瞳を確認することは叶わなかった。
複雑な立場のブライアン殿下が、なぜ辺境の眠りの森で倒れていたかは謎だ。しかも頭部に怪我を負わされている。
「継承権を巡る争いか。」
ボールドウィン辺境伯としては、どちらに着くかで運命が変わる。
現在の王家には、王妃との間に王太子と王女がいる。先の王妃が病で急死したあと、第二妃であった夫人が繰上げになったのである。
前王妃との間に生まれたのがブライアン殿下だが、後見である前王妃の父の公爵が政権争いに負けたことで、王宮を去りひっそりと暮らしている、筈であった。
現王太子に何事かあった場合のスペアとして、生かさず殺さずの存在と聞く。
レオナルドは王家のゴタゴタに興味などなく、誰が王位を継いでも辺境に何の影響もないと思っている。
だから本来なら、おそらくブライアン殿下であるところのブルーには関わりたくないところだが、アリスの存在が彼の意識を変えた。
(あの娘、手に入れたい。)
ただしそれは色恋が絡むものではないのだが、珍しく女性に対して執着を見せた若様に、古参の使用人たちはやたらと張り切ることになる。
(それより、父上がどう反応するかだな。)
レオナルドには考えることもやるべき事もたくさんあった。
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