領主の事情
翌日、アリスとブルーは、チャールズの家の使用人たちによって、身支度を整えられた。
平民であるアリスが領主様に会うためには、体裁も必要だった。
「弟は堅苦しくない人間ですが、礼儀は守ります。最初が肝心なのよ。」
そう言うと、アリスの化粧の仕上げとして粉をはたいて、健康的に日焼けした肌を少しでも白く見せようとした。
一方ブルーは、何を着ていてもどんな姿であっても隠しきれない気品が漂っており、チャーリーの2人の娘たちは、王子様よ、王子様ね、と言ってうっとり眺めている。
2人は、レオナルドお兄様とどちらがお美しいかしら?どちらも違った美しさね、眼福ね、などと騒いでいたが、アマンダ夫人に叱られて退出した。
「アリス、レオお兄様にお会いしたら、わたくし達が会いたがっていたとお伝えしてね。」ミランダはちゃっかり伝言を頼んだ。
アリスはそんな機会が有るだろうかと思いつつも、とりあえず頷く。
準備の済んだチャーリ達一行は、馬車に乗り込んだ。
目指すは領都である。
*
馬車で3時間揺られて着いた領都は、石造りの堅牢な建物が立ち並んでいた。辺境の地らしく防衛に重点をおいてはいるが、同じような石の建築物が並ぶ様は壮観だった。
その街の最奥に領主の館はあった。
アリスは珍しそうに馬車の窓から石造りの景色を眺めていたが、やがて到着するとブルーがごく自然に当たり前のように手を差し出してアリスを馬車から下ろしてくれた。
まるで、敵地に乗り込むような気分ね、アリスは無意識に自分の肩を抱いた。ピリピリと肌を刺す感覚が付きまとう。これは「警戒」ね。
アリスには、物事の本質を敏感にキャッチする感覚がある。敵意や悪意にはとりわけ敏感になる。
そしてそれは、他の人には知られてはならないアリスの能力のひとつで、慎重に隠しているつもりだ。
しかし先日、ブルーには目が良いことをうっかり話してしまった。
「視える」ことはとりわけ秘密にしなければいけないことだ。そのせいでアリスの運命は変わってしまったのだから。
しかし不安げにアリスに縋るブルーを見ていると、過去の自分と重なって、ブルーの出自と安全に関わることでもあるので、言わざるを得なかった。
ただ、チャールズには知らせてはいない。領主にも告げるつもりは無い。
ブルー本人だけが知っておくべき秘密だ。いずれ判ることだとしても。
(彼のその出自が、排除される方でなければ良いのだけど。)
アリスが封印しているすべての力を解放すれば、ブルーを守り切ることは可能だが、守る理由はなかった。
誰かのために力を使い、誰かを守ろうとすれば、必ず不幸が降りかかる。
そんな力など閉じ込めてしまいたい。
だから目立たぬようにひっそりと、慎ましく暮らしていたのだが。
あの日ブルーを拾ったことで彼らの運命の歯車が噛み合って、動き始めたということに、アリスは気がつかない振りをしていた。
*
眠りの森に隣接する村の村長であり、義兄でもあるチャールズが、平民2人を連れて急ぎの用で面会を希望している、と聞かされた領主レオナルドは、はて?と片眉を持ち上げた。
「連れている平民とは?」
「ひとりはフードを被った背の高い男で、ひとりは年若い女でございます。
女の方は、3年ほど前にやってきて、森の入り口付近にひとりで住んでおり、ボルトン男爵一家が面倒をみている者です。」
レオナルドは、わかった、会おうと告げると、執事は恭しく礼をして下がった。
現領主であるレオナルド・ボールドウィン辺境伯は25歳、黒髪に黒い目をし、辺境の黒鷲とふたつ名を持つ勇敢で優秀な人物である。見目も麗しいことから、貴族令嬢たちから秋波を送られているが、一向に興味がないようで未だに独身である。
その女性の話は父である前辺境伯から聞いていた。
「あの娘は必ずお前の役に立つ。静観するのだ。事が起きるまで。」
父はレオナルドに、手を出すなと釘を刺した。もとより手出しをすることなど考えてはいない。レオナルドは賭博や女といった享楽的なものより戦に身を置くことを好み、部下を率いて馬上にいる時が何よりの癒しの時間であった。
ただ、父が役に立つと言った女の事は、ほんの少しだけ頭の隅に残っている。
父は自分の娘さえ駒として利用し、当時平民であった男の元へと嫁がせるような人間だ。
姉はある日突然で、平民の元へ嫁げと告げられたが顔色ひとつ変えずに、お父様の仰る通りにいたします、と言ったのだ。その心中はいかほどのものだったろう。
姉とは10歳離れているので、当時7歳の子どもにらは知るよしもないが、自分に当てはめてみると、やはり受け入れ難いと思っただろう。貴族の娘として17年育ってきて、いきなり平民に嫁げと言われるのだ。
「相手が義兄上でなければ、俺なら家出してるな。」当時を思い出して、レオナルドはふっと笑みを浮かべた。
姉のアマンダは、後日、結婚式当日に自分が嫁ぐ相手がチャールズだと知って頬を赤らめた。
何のことはない。姉はチャールズを慕っており、それを知っていた父が、有能な彼をボールドウィン家に取り込むために、命令という形で婚姻させたのだ。
そして平民との婚姻により貴族籍を抜けるはずが、逆に姉に婿入りさせ分家であるボルトン男爵を継がせたのだ。
父のやり方は合理的だが、人の感情の機微といったものに一切配慮はしない。
結婚する相手が、娘の慕う男である事を先に告げていれば良かったのに、そうはしなかった。そんな父の手腕を観察してきたレオナルドは、尊敬する反面、父のようにはならないと決めていた。
母を亡くした日のことは忘れない。
父に尽くし父の後を着いて歩くだけだった母は、病で帰らぬ人となったが、父はそんな母に寄り添うことをせず別邸で暮らしていた。そこに愛人がいたかどうかは、レオナルドは知らないし興味もない。
ただ、不器用すぎて母を大切に扱えなかった父を、哀れには思っている。
母は亡くなる前日に、お父様はこの国のためだけに生きている方、わたくしは添え物なのよ、と力無く笑った。
「だけど、レオナルド、貴方は真に愛する女性を見つけたら寄り添いなさい。愛は全ての過ちや後悔を凌駕するわ。
わたくしはあなたのお父様を心から愛していたわ。あの人から同じ分量の愛を返してもらえなくても。」
父は、父なりに母を愛しているのだと言うが、恋愛経験のないレオナルドには解りかねた。
そして翌日母は逝去し、父は引退して自分がボールドウィン辺境伯を継いだ。
レオナルド20歳、5年前の事だ。
父は相変わらず、生垣で隠された別邸に住み続けている。そして時折、レオナルドを呼び出して、世情や領地について質問を投げかけてくる。
それはまるで、レオナルドを試しているかのようで、父から呼び出しが有る時は、まるで戦に赴くかのように緊張するのだ。
*
父から告げられていた娘のことを思い出したレオナルドは、その者たちに会う必要がある、と判断した。
すでに侍従により面会室に通されているはずだ。レオナルドは面を引き締めた。
チャールズが連れてきた2人の人間、彼らがどういう役割りを与えられているのかは神のみぞ知る。
「さあ、事が起きたかどうか、見届けようじゃないか。」
読んでいただいてありがとうございます!
レオナルドお兄様登場です。