アリスの引っ越し
本日2本目です。
アリスとブルーは、バザール広場から歩いて20分ほどの、村長チャールズの屋敷までやってきた。
この地方は、いわゆる西の辺境で、通称『眠りの森』と呼ばれている奥深い森と隣接している。
森の深さはわからない。昔から探索へ行った者たちは数えきれないほどいたが、半数は戻ってくる事はなかったし、戻ってきた者たちも、途中からの記憶がなく、気がつけば森の入り口に倒れていた。
彼らは口を揃えて言う。森にはセイレーンがいる、と。
セイレーンというのは、伝承によると、その歌声を聴くと眠りにつくという魔女である。たしかに声を聴いた、そして目覚めたら入り口だった、と。
そんな眠りの森の入り口があるのが、この村だった。
西の辺境の中でもかなり重要な立地だといえるこの村の村長は、チャールズという名の、男爵位を持つ壮年の男だ。
もともと平民であったが、商売上手で金持ち、また村民や領主からの信頼が篤い。
そしてチャールズの妻は前領主の娘だ。
領主であるボールドウィン辺境伯からの依頼で、森探索のため村を訪れる騎士団や貴族達の接待をすることもあるため、チャールズの村長館はかなり大きく立派だ。
門番に来訪を告げると、2人はすぐに中に通された。
広いエントランスから続く長い廊下の突き当たりのドアを開けたら、中にはチャールズとその妻、双子の娘たちがソファに座っていた。
「アリス。待っていたのよ。貴女、全然来ないのですもの。」
先に声を出したのは姉娘のミランダだ。
「そうよ。新しいアクセサリーを作って欲しいのよ。王都で流行ってるような素敵な物をね。」
続いて妹のベリンダが言う。
「娘たちよ、落ち着きなさい。アリスは今来たところなのだ。」
父親に嗜められて、はしゃいでいた双子の娘たちはおとなしくなる。2人は16歳で父親譲りの淡い金髪に緑の目、母親譲りの整った顔立ちをしている。
アリスはブルーを従えて、綺麗なお辞儀をした。
「奥様、ミランダ様、ベリンダ様、お久しぶりでございます。今日は村長様にお願い事があって参りました。
こちらはお嬢様方に作りました、革製のブレスレットでございます。
お納めくださいませ。」
娘たちは大層喜んで受け取った後に、ブルーに気が付き、貴方は誰?という目でブルーを見た。
アリスはブルーに促してフードを外させ、ブルーは軽く一礼した。
ミランダとベリンダの目がまん丸になった。
「お、お、王子様!」と同時に叫んだ。
「彼は王子様ではなくてブルーと言います。」
「ミランダ、ベリンダ、この人は王子様ではありませんよ。お前たちはお下がりなさい。お父様とアリスは大事な話しがあります。
さてアリス、お前はこの3ヶ月ほど顔も出さずに何をしていたのです?
あの小屋に住まわせてる恩を忘れたのかしら?」
村長夫人のアマンダだ。アマンダの言葉には棘があったが、アリスを見る目は優しい。
「奥様。申し訳ございません。決してご恩を忘れたわけではございません。ほろほろ鳥の世話とか、森の中へ食べ物を取りに行ったり、バザールで売る物を作っておりました。
これからはバザールの折に必ず寄るようにいたします。」
アリスは悪びれた様子もなくにっこり笑って言った。
アマンダはそういう人なのである。心配の気持ちを小言に変換してしまうので、嫌味の多い怖い奥様だと思われがちだが、その実、思いやりがあり優しい女性であることをアリスは良く知っていた。
「お母さまったらアリスが来るのが待ちきれなくて、窓からずっと眺めていたのよ。本当は嬉しいくせにね。」
「ミランダ姉様、あの男の人は『眠れる森』に出てくる王子様にそっくりだわ!わたし、本から飛び出して来たのかしらって驚いたわ。」
娘2人は応接間を去り難い様子だったが、すぐにアマンダに連れられて退出した。
*
チャールズの妻アマンダは前領主の娘だ。
その才覚に惚れ込んだ前辺境伯の命令で、チャールズと結婚した。その際に平民では都合が悪いという事で、チャールズが婿入りする形を取り、ボールドウィン辺境伯家の分家のボールトン男爵を継いだ。
現在の領主レオナルド・ボールドウィンはアマンダの年の離れた弟で、年齢は25才になる。ちなみにアマンダは35才、チャールズは40才である。
義理の弟になるとはいえ、相手は領主であり伯爵でもあるので、チャールズは常に領主の意向に従っていた。
チャールズの娘2人は領主とは叔父と姪の関係になるが、年齢は8つ程しか離れていなかったため、「レオナルドお兄様」と呼んで慕っていた。
妻と娘が部屋を出るとチャールズはすっと雰囲気を変え、アリスに問いただした。
「それで、この男はどういう経緯でアリスと一緒にいるのだ?」
*
アリスはブルーを見つけ助けた日から、今までのことを説明した。
その間、ブルーはフードは外したものの口を利かず、
うつむき加減に2人の会話を聞いていた。
「アリスは何を望んでいる?この男が役に立つと言うのなら、村外れの小屋をひとつ、ブルーに貸してやってもいいぞ。アリスの手伝いをして過ごしても良いし、仕事を求めているなら、我が家で何か仕事を見繕うが。」
チャールズはアリスとの関係を探っていた。
3年前に助けた娘は、どう見ても貴族の娘だったので、捨て置くわけにはいかなかった。
しかし何か事情があり、それをひた隠しにしているアリスに、無理に聞き出すことはなかった。
自分の子ども2人と歳が近い若い娘を傷つけるようなことはしたくなかった。
「チャールズ様。ブルーをご覧になって何かおわかりになりませんか?
彼は黄金の髪に青い目をしています。身につけている衣装も金色の布が使われていて、明らかに高貴な家柄の、もしかすると高貴な血筋のお方ではないかと思うのです。」
チャールズは言われて改めてブルーをじっくり観察した。ブルーは目を晒すことなく向き合った。
「怪我をしていた時の状況から、ブルーの生死を確認するために賊が再び訪れる可能性があります。
わたしの小さな小屋では、ブルーに危険が及んでも隠すことも出来ませんし、助けも呼べません。
ご領主様ならブルーの本当の名前も、出自もご存知かもしれません。ですのでご領主様へのお目通りをお願いしたいのです。
できれば今日から、ブルーの身柄を預かっていただければと思っています。」
アリスは頭を床につくくらいに下げて、チャールズに懇願した。
「待ってくれ。アリスは俺が誰かに襲われて、今も狙われているかもしれないから、あの小屋には置いておけないと?
しかし、俺だけどこかへ移動しても、残っているアリスが襲われる可能性だってあるんじゃないか。
そんな状況で君をひとり残すことはできないじゃないか。」
ずっと黙っていたブルーが声を上げた。
「確かにそうだ。ブルー、君は一切の記憶を思い出せないのか?頭を怪我していた理由もわからぬと?」
「……はい。気がつけばアリスの家のベッドでした。
何も覚えていないし、自分が何者なのかもわかりません。
しかし、俺がいることでアリスに危険が及ぶのだとしたら、この村を出てゆくより他はないと思っています。」
チャールズは頷いた。
「君の外見はどうやら見知らぬ敵を招く結果になりそうだ。君はこの国の高貴な血筋の方にとてもよく似ている、、と思う。
王家の、誰かの血が混じっている可能性を否定しきれない。
もし仮に君がはそのような立場だったとすると、無碍に追い出すことは出来ない。」
チャールズは慎重に言葉を重ねた。
「これは領主様に仰がねばならない。
不本意かもしれんが、ブルー、君は領主様の屋敷に連れて行く。
今まで襲撃はなかったとしても、今日バザールに姿を見せたことでなんらかの反応があるかもしれない。
つまりは危険だ、ってことだ。」
「申し訳ありません。わたしは家に帰らねばなりません。
飼っている鳥たちの世話があるし、作りかけの籠や、頼まれている皮細工もあります。」
アリスは困り顔で説明したが。
「家か………。ちょうど良い機会だ。あの小屋を引き払って、うちに越してくるというのはどうだろう?
うちなら、アリスを守ることが出来る。
動物たちもみな連れて来たら世話が出来るだろう?
うん、それがいい。今日からアリスはうちで暮らす、決定だ。ブルー、君もな。
領主様へは落ち着いてから連絡しよう。」
チャールズはそう言うと、使用人を呼んで、アリスの小屋から身の回りのものや貴重品、飼育しているほろほろ鳥たちを連れてくるようにと指示した。
「娘たちはアリスが来るのを楽しみに待っていたので喜ぶだろう。
さて、領主様にお伺いを立てるから、少し時間をくれ。今日はゆっくりしなさい。」
事の成り行きにアリスは戸惑いを隠せなかったが、
ブルーの安全を確保するためには仕方ないか、と諦めた。
ブルーはブルーで、自分がいる事でアリスに迷惑をかけるのみならず、危機が迫るかも知れないと考えて、チャールズの提案が最善だと考えるようになった。
結局、アリスの粗末な小屋には大して荷物もなかったので、全ての物が荷馬車に積まれて、チャーリーの屋敷に運ばれて来た。
その中には、ホロホロと鳴く鳥ももちろん加わっていたので、翌朝から、ホロホロー、ホロホロホローと鳴く声で、館の人間は目を覚ますことになった。
読んでいただいてありがとうございます!