バザールとアリスの過去
翌朝、アリスはいつものように火を起こしてお湯をわかし、朝食の用意をした。もちろんブルーも手伝う。
ブルーは庭のほろほろ鳥の巣から卵を2個取ってくると、目玉焼きにした。アリスはパンの用意をして、森で取った果実を切って並べた。
「しっかり食べてくださいね。村まで2時間ほど歩きますので。」
ブルーは頷いた。
本当は村長などには会いたくはないが、バザールへ行くのにアリスひとりで行かせたくない。一晩悩んで結論を出した。
そもそも、アリスの善意に頼り切りなのだ。アリスが出て行けと言うのなら、それは受け入れなければならないと、ブルーは覚悟した。
そんな葛藤を知らないアリスは、バザールで売る品々を手際よく纏めて準備をしていた。
荷物を背負った2人は村の中心に向かって出発した。
*
アリスの住む村外れ、『眠りの森』の入り口あたりから、村の中心部までは歩いて2時間ほどの距離だ。
二人は黙々と歩いてバザールの開かれている村の広場にたどり着いた。
アリスは目的の人物を見つけて駆け寄る。
「村長様。ご無沙汰しております。」
アリスがボロボロになってこの村へやってきた時に、何も持たなかった娘に、村外れの小屋に住まわせてくれたのは村長のチャールズだった。
「アリス。ひと月ぶりだな。ツルで編んだ籠が好評だ。また納めて欲しい。
それと、アリスは装飾品は作れるかな?最近、娘たちから、街で流行っているような耳飾りや髪飾りが有ればよいのに、と言われててな。手先の器用なアリスなら作れんじゃないかと言うんだよ。
作ってくれるなら材料を用意するし、売上の半額をアリスに渡そう。
おや、連れがいるのかい?珍しいな。」
チャールズはフードを被ったブルーを訝しげに見た。
「はい。この人のことで村長様にご相談があるのです。
お時間をいただけますでしょうか?」
チャールズは、フードをすっぽりと被ってアリスの後ろに立っている背の高い男を凝視していた。
「アリスが連れてきた人間なら大丈夫だろう。それでは先に用事を済ませなさい。それから家に来れば良い。」
アリスは深々とお辞儀をすると、ブルーを連れて、バザールの中にある買取所へと向かった。
二人の後ろ姿をチャールズは眺めていたが、アリスにいい男でも出来たのか?薄汚れてボロ布のようだったアリスにな、と感慨深く思うのだった。
アリスとブルーは、持参した籠や毛皮のベスト、皮を細長く切って縒ったもので編み込んだ腕輪などを、買取人に渡しに行った。
買取人は村長の家の使用人で、アリスとは顔見知りだ。
若い少女がひとりで暮らしていることを心配して、決して買い叩くことをせず、たまには食べ物や小遣いをくれて、アリスを小さな子ども扱いする心優しい中年の男だった。
「ガルフさん、こんにちは。買取をお願いします。」
ガルフはアリスの持ち込んだ品を検分し、満足げに頷いて、アリスの掌に、銀貨と銅貨をパラパラと置いた。
「いつもながら良い出来だな。これは領都へ持ってっても高く売れそうだ。
そういや、今日は連れがいるんだね。そいつは誰なんだい?」
「この人は怪我をしてたので、治るまでうちで預かっていたのです。
怪我も癒えたし、うちでは手狭なので、村長様のところで雇ってもらえないかしらと思ってるのです。」
「おっと、そうなのかい。それじゃあ今日は最後の晩餐てとこか。おじさんがご馳走してやろう。これで何か食べておいで。
広場にはたくさんの食べ物の店が出てるぞ。」
ガルフはそう言うと、銅貨を数枚、追加で乗せてくれた。
「ガルフさん、ありがとう!お昼ご飯のこと忘れていました。わたしは食べなくても平気だけど、ブルーさんには必要ですもの。」
「おや、あんた、ブルーと言うのかい。
なあ、アリスや。フードに隠れてどんな顔か、どんな人間かわからないが、、こいつは大丈夫なのかい?
あんた、アリスに変な事をしちゃいないだろうな?」
ガルフは声を低めて、ブルーを脅かすように言った。
ブルーはフードを一瞬外し、
「頭を怪我して倒れていたところをアリスに助けてもらった。恩人に不埒な事をするほど、落ちぶれてはいないつもりだ。」と、低い声で答えた。
ガルフは一瞬垣間見たブルーの、黄金色の髪や、美しい顔立ちに驚いたが、すぐに我に返った。
そうか、そうかと頷いて、2人が立ち去るのを見送った。
(こりゃまた、大変なことになりそうだ。
あの方に早速報告せねばな、、)
ガルフはバザールに出している店にアリスの持ち込んだ商品を渡して値段を告げると、のろのろと荷物をまとめて帰り支度を始めた。
おや、ガルフさん、今日はもう帰るのかい?と声をかけられたが、
「いや、なに。仕掛けた餌に大物がかかったようでな、これから始末にいくのさ。」
バザールに集まる人々から見えない位置にくると、ガルフは顎を覆っていた髭をとり、丸めた背中をすっと伸ばすと、一目散に駆け出した。
*
ガルフから渡された代金で、小麦粉や調味料、お茶などを買ったアリスは、バザールの屋台で串焼きと甘い焼き菓子、果実水を買った。
ベンチに座っていたブルーは、買ったものを両手に持って小走りでやってくるアリスを眺めていた。
彼女は何歳なのだろう?なぜあんなところに1人で住んでいるのだろう?
肩のあたりで切られた髪は、柔らかい巻き毛でミルクティーのような色をしている。
瞳の色は青と緑が混ざったような美しい色で、食べ物の量が足りないのか痩せてはいるが、筋肉のついた健康的な身体つきをしている。そして笑顔が眩しい。
見たところ17.8歳だろうか。
いつからあの場所にひとりで住んでいるだろう?
家族はどうしたのだ?彼女を守り慈しむ家族は?
ひとりぼっちは寂しくないのか?
「家族?ひとりぼっち?誰が?」
何かが心に引っかかって、閉じられた記憶の隙間をこじ開けようとしていた。
何だ?この気持ちの悪さは………
頭が、、痛い。
「お待たせしました!どうしたの?どこか痛むの?」
アリスは、ブルーの様子に驚いて駆け寄った。
「大丈夫だ。」
ブルーはなんとか笑顔を返して、アリスの手から串と飲み物を受け取る。
「そう。それなら良いの。
ガルフさん言うところの、最後の晩餐ですからね。
これから村長様のところへ行くので、その前に腹ごしらえしてくださいね。」
アリスは心配そうにブルーを覗き込んでいたが、ホッとしたのか破顔した。
ブルーは、そんなアリスの笑顔に胸が高鳴った。
このひと月一緒に過ごして、怪我をして記憶のない自分に、できる限りの世話をしてくれたアリスには感謝しかない。
どこの誰とも知れない、しかも自分の名前すら思い出せない、ひたすら怪しいだけの人間に対してなぜこんなに親切にしてくれるのか?
ブルーは尋ねた。
「アリスは得体の知れないものが、怖くはないのか?
自分が言えた義理ではないが、怪しい人間を家に入れるなど、、、その、女の子の一人暮らしで、、、
何かあったらどうするんだ。」
「ブルーさん、心配してくれているんですね。ありがとう。
あの小屋に住んで3年になりますが、今まで誰も訪ねてくることはないし、他人に会うのは村のバザールの時だけ。
だから、少し寂しかったのかもしれませんね。
そうですね、迂闊だと言われればその通りですが、わたしだって一応助ける人は選びますよ。」
「3年。アリスの立ち居振る舞いから、ただの村の娘とは思えなかったが、その前はどこに?ご家族はいるのか?
いや、答えたくなければ別にいいんだ。
自分のこともわからないのに、アリスの事を気にかけるなんてな。」
ブルーは自嘲気味に笑って、焼いた肉の串にかぶりついた。
アリスはしばらく考えていたが、多少は自分の話をしても良いと判断したようで、
「両親は亡くなりました。
わたしは独りになってしまったので困り果てていたところ、先ほどの村長のチャーリー様に助けていただいて、村はずれの小屋に住ませてもらえる事になったんです。」
アリスは飲み物に口をつけ、しばらく景色を眺めていたが、ブルーがじっと見ているのに気がついた。
「あそこは森の入り口のすぐ側だから、食料を自力で調達できますし、服とか布は村長様のお嬢さまのお下がりをくださるので、助かっているのですよ。」
「君はいつから、1人で暮らしているのか?」
「15かしら。今18歳ですね。
もしかして、ブルーさん何か思い出せそう?」
ブルーは首をふった。
アリスは頷くと、遅くなってはいけないので、村長様の家へ向かいましょう、と立ち上がった。
「村長様には2人のお嬢様がいらっしゃるの。
ブルーさんを見たらきっと、大騒ぎになりそうよ。
だって貴方は王子様みたいな外見をしているから。」
ブルーは複雑な表情をした。
見も知らぬ村長の娘たちより、アリスから関心を寄せられることの方がどれだけ嬉しいことか、と思った。
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