肥大する欲望
ウィンストン公爵家は大いなる喜びで満ち溢れていた。
娘のバルバラが、王太子の婚約者候補に選ばれたのである。
他にもバルツァー伯爵家のローザリアを始めとして何名かの令嬢の名前が上がっているが、一番高い爵位は間違いなくバルバラである。選ばれるのは当然自分だと信じているバルバラと父親のトーマスは、ドレスメーカーや宝飾店を呼びつけて、バルバラを飾り立てるための準備に余念がなかった。
中央から追い出されたとは言え、大貴族であることに変わりのないウィンストン家は、王族へ輿入れするだけの格式は充分に備えている。しかし、二代続けて同じ家から王太子妃を出すことに、反対の声が上がっているのも事実だ。
オースティン王太子とウィンストン家には血縁関係が無いことと、他の高位貴族に年頃の子女が見当たらないことから、窮余の策として頭数を揃えるために候補の打診があったと、周りの貴族たちは考えていた。
しかし、ウィンストン公爵側は、ユディトー侯がお認めになったのだと、そんな裏事情には全く頓着していなかった。
バルバラが王太子妃になれば、自分達を取り巻く状況が変わり、再びの表舞台への道が約束されたようなものだと、楽観的に考えているのである。
現在ウィンストン公爵家は当主トーマスとその妻、娘バルバラと使用人たちが住んでいる。嫡男のパーシヴァルは第三騎士団に所属しており、騎士団の寮で生活している。ブライアンより二歳年下の十九歳だ。
ブライアンを引き取った時、まだ子どもだったパーシヴァルは、成長するにつれ家族のブライアンに対する仕打ちに疑問を覚えて、家督は継がずに騎士になると言い残し、勝手に騎士団に入団してしまった。
パーシヴァルには彼なりの正義と矜持がある。
ブライアンと共に、亡き祖父に剣術を鍛えられたパーシヴァルにとっては、ブライアンは慕うべき兄のような存在なのだった。
さて。ウィンストン公爵は別邸の火災の後、長く仕えていた家臣にその責任を負わせて切り捨てた。そして、ユディトー侯爵から推薦された人間を新たに雇っている。
新しく雇った者たちは公爵の意を汲み取るのが上手く、いちいち命じる前に、王都で名高いデザイナーに連絡を取ったり、顧客を選ぶ事で有名な宝飾店を呼びつけたりと、その働きには目を見張るものがあった。
もっとも彼らは、本来の雇い主であるユディトー侯からの、煽てて一番高い店を斡旋し、財政が傾くまで有金を使わせるようにしろ、という命令を忠実に守っているだけである。
ウィンストン公爵の妻などは、生来の見栄っ張りに拍車がかかり、夜会で他の御婦人方を見下せるようにと、とにかく一番高い物を望むのでいいカモになっているのだが、本人は知らぬばかりであった。
母に似てプライドだけ異様に高い娘のバルバラも、念願の王太子妃候補になれた事で我が世の春とばかりに
高価な品を買い漁り、ゴテゴテと飾り付けることに余念がなかった。彼女の頭の中には、元婚約者のブライアン第一王子の事など微塵もない。
ブライアンは確かに見たことがないほど美しい男だったが、言葉数少なく気の利いたことのひとつも言わなかったし、ほとんど交流がなかったので、バルバラには何の思い入れも残っていない。
「同じ血を引いているのに、オースティン王太子殿下とは全然違うわ。」
バルバラの好みは、少女のように華奢で色白、中性的な優男だったので、ブライアンの整いすぎた端正な顔立ちは全く気に入らなかった。
「第一、自分より美しい男の側になんていたくもないわよ。」
バルバラは、ブライアンの顔を思い出しては憎々しく思った。
祖父の部屋に飾られてある、叔母であるベルティーナの絵姿とブライアンはそっくりで、父トーマスも同じ血筋だとわかる美麗な顔立ちであるのに、自分は血筋の恩恵を受けることなく、母親に似ていることが悔しくてたまらなかった。髪の色だって、父や兄は見事な金髪なのに、バルバラは母親と同じ橙色だった。
バルバラの劣等感は、ブライアンの顔を見るたびに増幅されて憎しみへと変化していくことになる。
そして、バルバラの父トーマスもまた、ブライアンに対しては複雑な思いがあった。
ブライアンの母ベルティーヌはトーマスの実の姉。両親から溺愛されている姉の事がずっと疎ましかった。
何をやらせても優秀で褒められて愛される姉と比べ、勉強の成績は伸びず、剣の稽古をさぼって腰巾着の下位貴族の子息たちと遊び回っていると、父親からは厳しく叱責されるばかり。
父から見放されたと思ったトーマスは鬱屈とした青春時代を過ごすのだが、そんなトーマスに姉ベルティーナは、貴方は貴方のできることをやればいいのよ、とやさしかった。しかし、それがむしろトーマスの癇に障り、
ベルティーナに対する昏く濁った感情が沸々と育ってくるのだった。
父の前公爵が亡くなるまで、トーマスは苛立ちを隠し従順なふりをしてブライアンを受け入れてきたが、父が亡くなった途端に、ブライアンを見捨てることに決めた。 大嫌いな姉にそっくりな顔を見ているだけでムカつくのだ。
火事に巻き込まれて命を落とし、やっと厄介払いができたと思っていた甥が、実は生存しており辺境で保護されたという知らせを受けた時、余計な事をしてくれたものだ、トーマスは怒りを覚えた。
ところが思いがけずボールドウィン辺境伯の方から、自分がブライアン殿下を預ろうと申し出てくれた。
何の価値もない第一王子に汲みしても、メリットは無いはずなので、ボールドウィンの言葉の裏を探ったが、取り立てて怪しいところは見当たらない。ユディトー侯との連携を強めるために、いっそのこと完全に絶縁するべきかと思案していた時に、王家からの婚約者候補の打診である。
ウィンストン公爵家は、喜びに満ち溢れていたのである。
*
「婚約者候補のご令嬢方とのお茶会が次の休みに催されます。」
侍従から告げられたオースティンは、やれやれと、読んでいた本から顔を上げた。
「わかった。休みまでは日がある。それで母上は僕に何をしろと?」
「候補の皆様のお名前とお顔を、正しく覚えるようにとの事でございます。
王太子殿下はご興味のないことには全く労力をかけられませんので。」
「参ったな、ステファン、それは母上の言葉じゃなく、お前の考えだろう?わかっているよ。」
オースティンは、幼馴染でもある侍従に楽しそうに笑いかけた。
ステファンと呼ばれた青年もまた笑いながら
「そんな殿下に少しだけご説明しておきましょうか。
聞いたら二度と忘れぬ、令嬢方の見分け方などを。」
それからステファンが取り出したのは、各ご令嬢の絵姿だ。その絵姿を見せながら簡単な説明をする。
まずこちらが、バルバラ・ウィンストン公爵令嬢。
ブライアン第一王子の従姉妹にあたられますが、全く似てはおられませんね。王太子殿下に首ったけのご様子ですよ。
あ、殿下というより権力に、でしょうかね。
ついで、ローザリア・バルツァー伯爵令嬢。辺境の薔薇と呼ばれている方です。赤いドレスを好まれます。
ボールドウィン辺境伯の従姉妹になりますね。レオナルド・ボールドウィン閣下とは非常に親しいと聞きます。一度婚約の打診を断られた経緯がございます。理由は、さて?
そしてこの方は、、、、、、、
オースティンはステファンが見せる絵姿を、ぼんやりと眺め、説明も適当に聞き流していた。
(ブライアン兄上が辺境伯に保護されたと聞く。僕の婚約者候補に、そのブライアン兄上の従姉妹と、当事者の辺境伯の従姉妹が入ってるって、どのように解釈すれば良いのだろう?)
「おい、オースティン、聞いてるか?」心ここに在らずな幼馴染を心配したステファンは、周りに誰もいないので敢えて無礼講に声をかけた。
「この度無事が確認されたブライアン第一王子に、新たな婚約者をという話も出ている。
相手はなんでも、宰相補佐のクリストファー・ミドルトン公爵の養女だということだ。出自は不明。
まあ、どこの馬の骨か知らんが、ミドルトン公も厄介な縁を結ぶ気になったものだな。」
「ほお、兄上にね。それは目出度いじゃないか。
兄上は幸せになる権利があると、僕は思ってるよ。」
(王太子の地位を僕が奪い取ってしまったのだから。)
オースティンはふと、鏡に映る自分の姿に目をやった。
(ああ、魔道具の力が弱くなってきている。)
鏡に映っているのは、金髪が褪せて地の茶色が見えそうになってきている自分の髪。
「ステファン、魔道具の用意を。」
幼馴染の青年は心得たとばかりに準備のために部屋を出た。
ステファンが、王家伝来の艶やかな金髪ではないことは、極々内輪の人間しか知らない極秘事項であり、定期的にメンテナンスをしなければ、髪の色も瞳の色も、生まれもった色に戻ってしまう。
妹のエトワールは見事な金髪に青い目をしていて、一目で王族とわかるのに。
ステファンは、絵姿を片づけると、本の続きを手に取った。婚約者が誰になるかは母上のお気持ち次第だ、と考えないことにした。
*
話は数日前に戻る。
王都へやってきたレオナルド一行は、ボールドウィン家のタウンハウスへと向かい、旅の疲れを解くために小休止した後、宰相補佐クリストファー・ミドルトン公爵邸へと向かった。
馬車を飛ばして三日、ゆっくりしたいところだがそうもいかない。
邸内に案内されたレオナルド、ブライアン、エドワード、アリスは周りを固める護衛騎士たちとともに、ミドルトン公爵との面会を果たした。
ミドルトンはブライアンを一目見て、ベルティーナ妃にあまりにもよく似た、その輝くばかりの美しさに目を丸くした。
「ブライアン第一王子殿下にご挨拶申し上げます。
わたしは、クリストファー・ミドルトン、宰相補佐の任にあたっております。殿下にお目通り叶い光栄至極でございます。」
「ミドルトン殿。此度は我らのために時間を作ってもらったこと、感謝する。
そなたにはアリス嬢との縁についても尽力を願いたい。」
「その事ですが、殿下、まずはその令嬢を見極めてから、と考えております。
さて、アリスと申したな。ボールドウィン辺境伯から話は聞いている。
彼が、君を養女にしてくれと言ってきかないのだが、君は自分にそれだけの価値があると思っているのかね?
つまり、ヴェルランド王国の四大公爵家の養女となる資格とでもいおうか。わたしは有能な人間しか求めていないのでね。」
ミドルトンは、ブライアンが一瞬不機嫌な表情になるのを横目で捉えたが、視線はまっすぐにアリスを射抜いた。
アリスはミドルトンの好奇心に満ちた視線を受け止めると、微笑みながら答えた。
「ミドルトン公爵様、わたしに価値があるかどうかを決めるのはわたしではなく、公爵様でございます。
公爵様がその価値ありも判断されましたら、わたくしは養女となる心積りは出来ております。」
「ほう、決めるのはわたしであると?
では価値なしと判断した場合はどうするのだ?」
「森へ帰ります。」
「ミドルトン公爵、アリスが帰るなら、わたしも一緒だ。」
アリスの返答を聞いたブライアンは即答した。
お読みいただきありがとうございます。
また詰め込んでしまいましたが、長くなったのでミドルトンとの面談は次回に持ち越しです。