預言者の秘密と愛を乞う者
ひっそりと静まり返った暗闇の中にアリスは佇んでいた。どうにも心がざわついて眠れそうにない。
とうに捨てたはずの名前だったが、過去までは捨てることが出来なかったようだ。
「アリスのままでいたかった。」
*
アリスが生まれた時につけられた名前はアストリアという。
二百年ほど前にエルグリンドに現れた預言者の名前と同じで、エルグリンドではありふれた名前のひとつだ。預言者と同じ名前を付けるとその娘は幸せになる、という言い伝えがあるのだ。
アストリアの両親はごく普通の人間で、父は小さな商店を営み、母はその手伝いをしていた。
父は頼り甲斐がありたくましく、優しく儚げな母は子供心にも美しい人だった。娘のアストリアは母に似て、珍しい銀色の髪に青緑の瞳をもっていた。
しかし幸せな生活はある時一変した。
店先に現れた騎士達の手で、アストリアは王城へと連れて行かれたのである。
人目につかぬよう奥深い場所に閉じ込められて姫と呼ばれ、大勢の侍女に傅かれたが、自由は無くなった。
父と母に会いたいと泣けば、侍女達が困った顔をして宥めた。そして姫を泣かせたという罪で、その時そばに控えていた侍女は鞭打ちの罰を与えられた。
何も知らないアストリアは毎日泣いていたが、毎朝変わる侍女たちが怯えた顔をしていることに気が付いた。
そして、どうして毎日周りの人が変わるの?と、恐る恐る尋ねてみた。
その結果、自分が泣くと世話をする者が罰せられると知ったアストリアは、その日から泣くのをやめた。
いや、泣くことだけではなく、感情を面に出すことを自らの意思で止めた。
笑いも泣きもしない人形のような『預言者の娘』、それがアストリアだった。
アストリアは、何故自分が城へ連れて行かれここで暮らすことになったのか、聞かされてはいなかったが、理由は推測することができた。
あの時が分岐点だったのだろうと思う。
一年ほど前に、不慮の事故で父親が大怪我を負った。
父が死ぬかもしれないと錯乱したアストリアが、お父さん死なないで!と叫んだ瞬間に彼女の体から淡い光が発して、その光を浴びた父の怪我が一瞬にして治ってしまったのだ。
運の悪いことに、その場には近所の人々が心配して駆けつけてくれていたので、大勢の人間に目撃されて、結果的にその噂が城に伝わることになった。
それまでも小さな不思議はあったものの、アストリアの力の覚醒にまでは至ることがなかった。母親がアストリアの感情を大きな刺激を与えないように心配りをしていた上に、慎重に隠し通していたからだ。
アストリアの母親もまた稀有な能力を持っていたが、娘を出産するとその能力を失ってしまった。
どうやらこの、『預言者』や『聖女』と呼ばれている力は、子どもを産むことで失い、その力は生まれた娘にのみ継承される力なのではないか?母親はそう考えた。
連綿と続く預言者の系譜は、女系によってのみ細々と継承されていった。
しかし表だって、世の中に顕れたのはアストリアを含めて数名のみだ。それほど慎重に隠されてきた。
彼女たちは、過去ヴェルランドに顕れた聖女に対する仕打ちを決して忘れない。それは母から娘に伝え続けられてきた。
能力を使えば利用され続けた挙句、ボロ雑巾のように捨てられるのだ、と。
エルグリンドの王城に連れてこられたのは十歳の時、それから眠りの森に現れる十五歳までをアストリアはそこで過ごした。
その間も、入れ替わり立ち替わりやってくる王族や権力者たちが、アストリアに力の解放を願ったが、彼女は人形のようにただ虚に生きているのみだった。
ある時、意に沿わないアストリアに苛立ったエルグリンドの王太子が、アストリアに激しい暴力を振るった。アストリアは自分の力で傷を癒すことも出来たはずだが、自らの意志でその能力を封印してしまった。
アストリアは、王太子の暴力で頭を打ち、表面的には昏睡状態に陥った。目覚めぬまま息を引き取るその前に、アストリアは最後の力を使い、エルグリンドから去ることにした。
どうせ死ぬのなら誰も知らないところで朽ち果てたい、と願ったのだった。
そして、意識を取り戻したのは、辺境にある森の中だった。
「まだ生きてる。」
ボロボロになってはいても生きている。アストリアは気力を振り絞って、光の差しこむ森の出口に向かって這いながら進んだ。
ようやく出口に辿り着いて、気を失い倒れていたところを、チャールズ・ボルトンに助けられ、アストリアを捨てアリスになったのだ。
*
「わたしもブルーも、森に飛ばされ、森に助けられたわ。
わたしが貴方を助けた事も偶然ではないのかもしれない。
見て見ぬふりだって出来たし、気付かないうちに、貴方は命を落としていたかもしれない。」
「その通りだ。
俺は死ぬところだった、むしろ死にたいと思っていた。
生きることに何の意味も見いだせなかった。
閉じ込められていた離れの館に火が上がったのは、誰かが俺の死を望んだからだ。
それでもいいと思ったんだ。」
「貴方のお母様は、形見の石にありったけの魔力を込めて、貴方を守ろうとしたわ。
そして生き延びた時に、過去に縛られることのないように、貴方が記憶を失うという複雑な呪も施した。」
アリスの言葉にブルーは頷いた。
「母上が望むのなら、俺は生き続けねばならない。
アリス、助けてくれてありがとう。」
「さあ、部屋へ戻りましょう。風邪をひいてしまいます。」
*
翌日、アリス、ブライアンは、朝食後にレオナルドの執務室へ呼ばれた。
「明日、王都へ向かう。
王都でまず、宰相補佐のミドルトン公爵に会う。ミドルトン公爵には、アリスの後見を頼んでいる。
そしてアリスを正式にブライアン殿下の婚約者とする。
殿下の王城復帰の後ろ盾にミドルトン公爵家と、わがボールドウィン辺境伯家があることで、ユディトー側もむやみに手出しは出来ないだろう。
そしてウィンストン公爵家のバルバラ嬢には望み通りオースティン王太子の婚約者候補となっていただこうかと。
ブライアン殿下を焼き殺そうとしたウィンストン家にも、意趣返しはしたいからな。沈む船に一緒に乗ってもらおうか。」
「しかし、レオナルド殿の計画はそう上手く行くものだろうか?」
ブライアンの疑問は尤もである。
自分は第一王子とは言え、何の力も持たない。
「それゆえのアリスでしょう?」
「アリスの存在が明らかになれば、王妃側も手に入れようと動くだろう。
エルグリンドも然りだ。
アリスに危険が及ぶことは避けたい。」
「殿下が一番よくご存知のはずだろう?アリスの能力を。」
「だとしてもだ。
わたしには何の力もない。ただ、王族に生まれ、王の1番目の子どもである、というだけの存在だ。特別な優秀さもなければ、人を惹きつけるカリスマ性も無い。
貴殿は、そんなわたしがヴェルランドの頂に立てると思っているのか?」
「殿下はご自分の器量をまだよくわかってらっしゃぬようだな。
わたしや、我が父が、貴方に味方するのです。さらに言えば父の後ろにはエドマンド王がいる。
これはなかなかどうして強力な武器になるかと。
ああそういえば、父が貴方方にお目通りを願っている。」
「前辺境伯殿が?」
レオナルドが合図をすると、奥の扉から白髪頭ながら堂々たる風格の人物が現れた。
彼は跪くと、騎士の礼を取った。
「ブライアン第一王子に申し上げる。
我は、そこなるレオナルド・ボールドウィン辺境伯の父で、アンソニー・ボールドウィンと申す者。
殿下の父君、エドマンド陛下とは旧知の仲にて、殿下がお生まれになった時に、実は王城でお目にかかっております。」
「アンソニー殿。楽にしてほしい。お会いしたのが赤子の頃となると、さすがに記憶にはなくてすまない。
レオナルド殿にはひとかたならぬ世話になっている。感謝申し上げる。」
「その娘が、森からやってきた娘だな。そなた、名は?」
「アリスと申します。」
父上、アリスは預言者殿です、失礼のないように、、とレオナルドに軽く諌められたアンソニーは、ニヤリと笑った。
「なるほど。」
アンソニーはただ、アリスと直接対面することがなかったので、出立前に顔を見にきただけだ、邪魔をしたといって部屋を出た。
(エドマンドの息子が王家を変えるのだ。そのために我々は動く。エルグリンド、スカタルランドとの均衡はいつ崩れるかもわからん脆い状況の下で、王妃と不義の息子を廃してこの国に秩序を取り戻しヴェルランド中興を果たせるか、、この目で確認するまでは死ねぬな。)
アンソニーは満足げに微笑んだ。
*
王城にある王妃の私室。
物憂げな顔で手紙を読むイルミナ王妃の姿があった。
「ユディトー侯爵をお呼びして。」王妃は手紙を畳むと、侍女に命じた。ユーディスは今の時間は外務大臣室にいるはず。
「面倒だわ。ブライアンが生きて戻ってくるなんてね。」
考えに耽っていると、侍女が戻ってきて、ユディトー侯爵様は面会中で、終わり次第来られるそうですと告げた。
「エトワール王女殿下が、妃陛下にお目通りを願っていらっしゃってますがいかがいたしましょう?」
侍女に案内されて王妃の私室へやってきたエトワールは、開口一番に言った。
「お母様、ブライアンお兄様がこちらへ戻ってこられるって本当ですか?」
イルミナは貼り付けた笑顔の表情を変える事なく、逆に問い返した。
「まあ、そんな話をどこから聞いてきたのかしら?わたくしの可愛い姫は。」
「本当ですの?わたくし、一番上のお兄様に最後にお会いしたのは4つくらいの時で、お顔もはっきりと覚えていないの。」
「そうね、ブライアンはわたくし達と暮らすのを嫌がって、出ていったのですものね。覚えていなくて当然だわ。」
「お母様、お友達のミーシャから言われたのです。
一番上のお兄様は、お母様に疎まれて外に出されたって。
捨てられたのだって。ねえ、お母様、本当なのですか?」
イルミナは少しだけ眉を動かすと、
「まあ、そんな根も葉もない言葉を信じてるわけではないでしょうね。
誰ですって?ミーシャ?そんな名前のご令嬢はいたかしら?
いけないことね、エトワールにそんな嘘をつくなんて。」
「お母様、ミーシャは貴族ではないのよ。先日、イワン様とお会いした時に一緒にいたの。
イワン様のお友達だから、わたくしもお友達になっていただいたのよ。」
「そう、イワン殿下のお友達、ね。」
イルミナの目が昏くなった。
(スカタルランドの第二王子が連れてきた平民の女、、娼婦かもしれないわね。エトワールにちょっかいを出すなんて何を考えているのやら。あの男も使えないわね。目に余るようなら始末しなくては。)
「お母様、、あの、何か気に触ることをしてしまいました?
ごめんなさい。」
エトワールは愛らしい面を曇らせて、悲しげな表情になった。
「エトワールに嘘を吹き込むようなお友達は要らないわ。
母様からイワン殿下に注意しておきます。エトワールは気にしないように。
そろそろユディトー侯爵がいらっしゃるから、貴女はお部屋に戻りなさい。」
「まあ!叔父様がいらっしゃるのなら、わたくしもご挨拶したいわ。」
無邪気に喜ぶ娘の姿に、イルミナは苛立った。
「駄目よ。母様は大切なお話があるのよ。自分の分を弁えなさい。」
ゾッとするほど冷たい目で、実の母親に見つめられたエトワールは、わかりました、と素直に部屋を退出した。
母がそのような目をする時は、従わねばならない。教育不行き届きだと、自分の世話係や教育係が処罰されることを、エトワールは経験から学んでいた。
お母様はわたくしを愛していない、お兄様のことは愛しているけれど、、、エトワールは胸に残る小さな痛みに、顔を顰めた。
お読みいただきありがとうございます。
詰め込みすぎて長くなってしまいました。
エトワール王女が不憫です。




