89.視界の端に
――また来たな。
視界の端に紫色の光が見えたかと思うと、黒い穴が現れた。
毎度おなじみのリーフェのスキルだ。
俺はいつものように手近にあったもの――木製の栞をその穴に入れる。
すると紙片が落ちてきた。これまたいつもの事だ。
今度は何だ?
この前は『肉』と書いてあっただけだが――
『世界っておだんごだよね?』
――まぁ何だ。
いつもながら理解できない奴だ。
だが――世界についてはこの前話したばかりだろ?
俺は少し考えて――答えを綴る。
『ドーナツって言っただろ』
俺がその紙片を黒い穴に放り込むと、代わりに先程投げ入れた栞が落ちてくる。
俺はその栞を拾い上げながら、先日シュトルツで交わしたリーフェとの会話を思い出していた。
――奇術師の逸話に出てくる「聖環」というのは、世界を表す言葉ではないか。
それがあの町での調査で俺が立てた仮説だ。
あの町の祭りについて調べた結果――分かった事は少ない。
なにせ、そもそも祭られるはずの銀冠が存在していないのだ。
長い年月で再び失われたとも考えられるが――俺は銀冠とは何かの象徴ではないかと考えた。
奇術師の逸話には「世界」に関する記述が多く含まれる。
そして奇しくも、この世界の形は円環に例えられる。
もし。これらを結びつけるならば――
ああ。残念ながら、リーフェはこの辺りで寝てしまったんだったか。
――まぁ、その話はまた今度だ。
今の俺の調査対象は、脚竜族の行っている儀式にある。
奇術師の話については、こっちの調査が一区切り付くまでは保留だな。
俺は手元の文献に意識を切り替えた。
――――――
『えー! 何それ!?』
僕は思わず『暗黒』のコールさんに聞き返していた。
『しっ。声が大きいぞ』
僕達が港町から帰った翌日。
運送ギルド内には3つの話題が溢れていた。
1つ目は、北西の街道に10体を超える魔物が現れたという話題。
これについては僕達も鬚じいちゃんから事の顛末を聞いている。
あの後、港町から冒険者による討伐隊が向かって、10体以上のそこそこの強さの魔物を討伐。
2、3体は取り逃したものの、街道の安全は確保できた――らしい。
2つ目は――昨日から行方不明のポーターがいるという話題だ。
半人前だったようだけど――
護衛も付けずに早馬で向かった先が、あの港町だったらしい。
僕達には護衛が居たとはいえ、あのまま街道を進んでいたらどうなっていたか――
あまり想像はしたくない。
そして3つ目。
これが今コールさんから聞いた話だ。
驚きのあまりに声を上げてしまったけれど――
僕は噂の張本人をじっと見つめる。
見つめる。
見つめ――あ。気付かれたかも。
咄嗟に視線を逸らす。
しばらく視線を逸らしていると――扉の開く音と、それに続く猫お姉さんの声が聞こえた。
「マスター。頼まれていた書類の整理が終わ――どうしたんですか?」
「いや何。昨日からやけに視線を感じるんでな」
――もう大丈夫かな? と思って視界の端でそちらを見ると、まだ睨まれていた。
再び視線を逸らす。
「ああ。それですね」
表情は見えないけど、猫お姉さんの声は少し楽しそうだ。
一方で、それに対する声は何だか不満そうだ。
「ん? 何だ。知っているんなら教えて貰いたいんだがな」
「駄目ですよ。情報は自分で手に入れてください」
「全く――まぁどうせ大した話じゃないんだろうし、気にするのは止めだな」
その声と共に扉が閉まる音がした。
どうやら、つるつるおじさんは扉の奥に去っていったようだ。
そして――扉が完全に閉まるのを待っていたのか、一呼吸おいて『ククク』という笑い声が周囲から聞こえてきた。
どうやら、運良く「噂の現場」を目撃できた竜達らしい。
『あーあ。僕も見たかったなぁ。つるつるぴかぴかのところ』
そう。どうやら昨日の昼過ぎに、2~3分程つるつるおじさんの頭が光っていたらしい。
その光が見えたのは殆どが脚竜族だったらしく、その時はギルド内がキュロキュロと軽い騒ぎになったとか。
――その後、猫お姉さんの背中もしばらく光っていたらしいけど――僕達が帰る少し前にはその光も消えたそうだ。
結局のところ。
次の日以降も時々似たような話が有ったんだけど――僕達がその光景を目にすることはできなかった。
残念だ。
なんでいつもタイミングが悪いんだろう?
そして――この日以降、僕達は順調に依頼を達成していった。
もちろんそれほど難しい依頼じゃないし、危険度に応じて護衛も雇っている。
そう。日々小さな事件はあるけれど、それすらも日常の一幕で。
ずっとそんな日常が続くと思っていた。
――半年後。
視界の端に――その文字列を見るまでは。
『個体名「ステュクス」により進化枝が成長しました』
ということで、今回が物語の1つ目の転換点です。
次話からは3章最終エピソードとなります。




