74.連環
「これは――黒鼠病ですね」
「こくそびょう――ですか?」
リーフェを診察していた薬師さんの、耳慣れない言葉に思わず聞き返してしまう。
私達はアールさんの案内で、冒険者ギルド近くの診療所を訪れていた。
「ええ。鼠等の小動物に噛まれた時に感染することがある伝染病の一種です。ほら、尾に噛まれた跡があるでしょう?」
私はリーフェの尻尾を見た。
確かに腫れている。
手を伸ばそうとした私を薬師さんが止めた。
「触れないで下さい。唾液や血液に触ると感染するかもしれませんので」
伸ばした手を戻し、辛そうに呼吸するリーフェの顔を見る。
私は――今一番知りたい事を聞いた。
「治るんですか?」
「――自然治癒は難しいでしょう。胸痛と頭痛が初期症状ですが、既に歩行困難なほどに進行している。ここまで進行した場合には薬を処方するのですが――」
「治す薬があるんですか? それなら今すぐ。今すぐ使って下さい。お金は――何とかしますから」
思わず薬師さんの服を掴んでしまう。
だけど――薬師さんはばつが悪そうに目を反らした。
「薬の原料が――無いんです」
――え?
「体内の――病の原因を分解する薬で、流行り病全般に効く薬なのですが――先日王都で流行り病が発生して、原料も含めてそちらに全て――」
「薬が駄目なら術は――術は使えないんですか?」
薬が駄目でも術があるはず。
私は以前ロッソさんがリーフェに使った『クリア』の術を思い出していた。
あの術ならこの病も――
「――病を治す術を使える浄化スキルの持ち主は希少です。王都等の大都市まで行けばともかく、この辺りでは――」
薬師さんはそこで言葉を区切ると。
私の目を見ながら――言葉を続けた。
「今の容態では早ければ今夜――もっても明日の朝まででしょう。術者を手配するにしても、薬を手配するにしても、今からではもう――」
――そんな。そんなの。
「――別れの挨拶は今の内にお済ませ下さい」
『何言ってるの? そんな訳ないでしょ全く。ねぇリーフェ――』
昼間にも関わらず、私の視界は昏く染まる。
サギリさんの声が――遠く聞こえる。
気付けば私は一人。
ただ凪いだ――その世界に居た。
こんなにも悲しいはずなのに。
なぜか私の感情も――世界と同じく凪いでいる。
昏く静かな世界を見回せば。
リーフェとの思い出が――泡のように次々に浮かんでくる。
一緒にお買い物に行った事。
遺跡で助けてくれた事。
湿原で泥だらけになった事。
みんなでスキル検証した事。
カロンさんに笑顔で指導された事。
初めてお使いに行った日の事。
そして――初めてリーフェと出会った日の事。
あの日結んだ私達の絆は、私の勘違いから始まっていて――
――勘違い?
昏い世界に。
地平線から覗く暁光のように――一筋の光が左右に走る。私を中心に弧を描いていく。
浮かんでいた思い出達は――連なり繋がり円弧の一部と化し。
――閉じる円弧が、円環と成った瞬間。
円環を起点に色彩が拡がる。
私の世界に音が戻る。
今の幻影は――何?
――ううん。
それよりも――今は。
「ねぇサギリさん」
サギリさんがこちらを振り向く。
その目はこころなしか潤んでいる。
「私ね。流行り病の薬ならもう持ってるよ」
サギリさんの目が大きくなる。
息を呑むのが分かる。
「でも――今から取りに行っても間に合うかどうか分からないから――」
自分でも――今から、普通ではありえない事を提案しようとしている自覚はある。
だけど――不思議と迷いは無い。
「私と契約して欲しいんだ」
――――――
『本当に良いのね』
繰り返される問いに――揺らぐことなく頷く。
これから行うのは、私にとって二度目の友誼の儀。
――つまりは、契約の上書き。
サギリさんと結ぶ新たな絆で、リーフェとの絆を塗り替える行為。
それでも――それでリーフェを助けるのなら――迷いは無い。
私はサギリさんと向かい合う。
そう。あの日と同じように。
サギリさんは一つ息を吐いて――私と額を合わせた。
『――絆よ 原初の名の下に綾なせ リンクスルート』
あの日と同じ感覚。
目を開けていられない程の強い光に包まれ。
サギリさんの記憶が。強い想いが――私に流れ込んでくる。
『さあ。私の名を――』
あの日と同じく記憶を辿り。
私はその名前を呼ぶ。
「早霧」
口にした瞬間。
私の中で。根源とも呼ぶべき深い場所で。
絡まっていたはずのリーフェとの絆がほどかれ、サギリとの新たな絆が結ばれていくのを感じる。
その変化を感じた瞬間――私は泡のように浮かび上がったその言葉を口にしていた。
「『リンケージ』」
――私の中の何かが変革されていく。
感じていた二つの絆が。打ち込まれた二つの楔が。
形態を変え。有様を変え。
私という円環を基点に。互いに二つの円環となって連なり繋がっていく。
そして同時に――新たなる位階へと連結される。
溢れていた光が消えた時。
見えたサギリの後脚には。
――進化の証たる縞模様が刻まれていた。




