42.今日僕は――伝説の目撃者となる
――僕は伝説を目撃した。
――――――
「ちゃんと付いてくるんだよ」
南門を出たところで、酒好きお姉さんが声を掛けてきた。
――と同時に、お姉さんの瞳が薄っすらと青く染まる。
「『纏』」
お姉さんの瞳の青が薄れゆき――空気の流れが変わる。
そよ風を感じた直後には強風となり。
お姉さんを中心に空気が渦巻く。
この術には――見覚えがある!
『ユニィ! 早く僕の背中に乗って!』
昔一度だけ、子竜達にノルアじいちゃんが見せてくれた術。
『空術は得意じゃないんじゃが』と言っていたけど――
「行くよ」
そう呟くと、お姉さんは駆け出した。
瞬間、強風が僕達を襲う。
「きゃっ」
『わっ』
僕は思わず一瞬だけ目を閉じる。
――そう。一瞬だけ。でもその間に。
『ユニィ。僕達も行くよ!』
「うん!」
僕達はお姉さんを全力で追いかけ始める。
僕たちが目を閉じてから駆け出す一瞬の間に、お姉さんは50m以上先を走っていた。
しかも――
――マズい。サギリよりも速い。
正直、僕も足の速さには自信のある方だけど、山とか林みたいに起伏や障害物のある場所の方が得意だ。
悔しいけど、平地での速さ――最高速度はサギリの方が圧倒的に速い。
そして――今のお姉さんは、そんなサギリよりもさらに速い。
60m――70m――
1秒ごと――否。1歩ごとにその背中が遠ざかる。
80m――90m――
その背中だけを見つめて走る。
早く疾く――後脚の先の先。爪の先端にまで神経を通わせるような気持ちで。
95m――100m――
集中する。お姉さんの背中に。
周りの景色が霞む。色彩を失う。
105m―—110m―—
僕の世界にはお姉さんの背中と僕だけが――
――否。
背中から世界に割り込む感情の渦。
それを感じた瞬間。
――世界に色彩が戻る。
「リーフェスト」
ユニィの声は現実のものか。記憶の中のものか。
僕にはもう判別できない。
ただ。
――体が。足が軽い。
先程まで小さくなるばかりだったお姉さんの背中が――一定の大きさで留まる。
僕は――いや、僕達は――
お姉さんの背中を追いかける。
――――――
人の判断力は簡単に低下する。
――やってしまった。
私は後悔していた。
新人候補を見つけて、ついつい良い所を見せようと個人依頼を受けた。
酔った勢いも否定できないが――そこまではまぁ良かった。
とっておきの空術を使った。
これも――何とか許容範囲だ。
でもね――
「ちゃんと付いてくるんだよ」と言いながら全力で走るのは――ダメだ。
こんな速度で走っておいて「付いてこい」とか、新人イジメのようなものだ。
そして何より――
こんなことを考えながらも、何故か全く足が止まらない。
軽く自己嫌悪に陥る。
――一度町まで迎えに戻ろうか。
止まらない足をそのままに。
引き込まれるように後ろを振り返る。
――人の判断力は簡単に低下する。
――見なければ良かったかも。
足が止まらなかった理由を悟る。
そこには、鬼気迫る形相で走る子竜と――ちょっと泣きそうな少女がいた。
止まってあげたいけど何だか怖くて止まれない。
私は葛藤に苛まれる。
その場所にたどり着く――その時まで。
――――――
「あんた達――ちゃんと付いてこれたみたいだね」
お姉さんが僕達に声を掛ける。
その顔には――疲れどころか何の感情も見えない。
――素直に凄いと思う。流石大人のポーターだ。
走っている時も、背中が大きく見えていた。
一方の僕達は――高揚感で落ち着きのない僕と、目に涙を浮かべたユニィ。
――はっきり言ってまだまだ。
背中で語る日は遠い――
街道の切れ目。
僕達は今、大きな湖の前に立っている。
空術お姉さんによると、通常はこの場所には水はなく、この先にも道が続いているそうだ。
まさか――と思ったけど、遠くを見るとそこここに水上に出た石畳が覗いている。どうやら本当のことらしい。
『ここからどうするんだろう』
「え? この前みたいに『ポケット』で水を抜かないの?」
『うーん。あそこを見てよユニィ。河から水が絶え間無く流れ込んでる。頑張れば通れるぐらいには水抜きできるかもしれないけど、どのぐらい時間が掛かるか――』
僕はそこで言葉を区切り、お姉さんの方を見る。
『それにね。空術お姉さんがここをどうやって渡るのか――興味あるしね』
僕達が見ていることに気付いたのか、お姉さんが近付いてきた。
「どう? 話に聞くのと実物を見るのでは大違いでしょう?」
僕は首を縦に振る。
隣を見ると、ユニィも首を縦に振っていた。
僕達の反応を見て、お姉さんの顔に笑顔が浮かぶ。
「それじゃあここで待ってて貰おうかな?」
『えー!』
伝わらないと分かってるけど、思わず声に出してしまった。
――でも、雰囲気だけは伝わったみたい。
「ははっ。付いてこれるんなら付いてきてもいいけど――多分無理だから」
そう言うと、お姉さんの周りに風が渦巻く。
そして――
「行くよ!」
お姉さんが湖に向けて走り始める。
――え?
――まさか――それって――
お姉さんの足が水面に掛かる。踏みしめる。蹴り上げる。
1歩――2歩――3歩――
素早い足運びのはずなのに――まるで時間の流れが変わったかのように、僕の目にはその一つ一つの動作がゆっくりはっきりと見える。
――ああ。
まさか、こんなところで見ることができるなんて。
僕は興奮して叫んだ。
『凄いよユニィ! 伝説の! 伝説の水面走りだよ!』
※第2話参照




