263.未だ知らぬ世界
視る。
光を拒むその黒い穴を、さらに穿つように深く――視る。
表層的には、水の底に黒い穴が開いているだけにしか見えないが――やはり。
その本質はリーフェの術と同じものだ。
――即ち。
光を通さず、また一切反射することが無い。そんな空間上の不連続面。
目の前に在るのはそういう代物だ。
『いつまでも眺めてても仕方ないでしょ? 早く行きましょうよ』
外野がうるさいが、そんな言葉に耳を貸している暇は無い。
俺は相棒に一つ頷くと、続けてその黒い穴より湧き出す水に視線を移す。
先程も見た通り、その水が濃厚な『力』を含んだ水であることは間違いないが――ここで注視すべきは、その湧き出る速度だ。
湧き出る速度が分かれば、黒い穴を潜った先の水深も予測できる。
無論。水を穴の高さまで抜き去ることができれば、その噴出する高さで予測できるのだが――湧きだす水自体が邪魔をするので仕方がない。
深く息を吸い、意識を湧き出す水に集中する。
水の一滴一滴。その動きを追うイメージで、水の流れを視る。
黒い穴から現れ、そして上昇し――
『――面倒ね』
細分化された視界の中で、何か大きなものが流れを逆流した。
『――は?』
何が起こったか。
一瞬理解できず、思わず間抜けな声を出してしまったが――
「サギリっ!?」
ユニィの声で、即座に状況を理解した。
――あいつ。一体何やってんだ?
「あの。おふたりともすみません。でも。早く後を追わないと――」
ユニィが口早に謝罪の言葉を口にする。
人族の感情の機微に疎い俺にも分かるほどに慌てているようだ。
だが――サギリが短気なのは昔からだ。ユニィから謝罪を受ける理由はない。
それに――だな。俺は口を開く。
『向こうの水深は1mもねぇんだから大丈夫だろ』
「そうですよ。落ち着いて下さいユニィさん。サギリさんが頭まで飛び込むことができたんです。少なくとも、体高から水深を差し引いただけの空間が、あちら側にあるのは間違いないでしょう」
俺の言葉を相棒が補足する。
それを聞いたユニィも、多少落ち着いたように見えた。
「ですが――急いだ方が良いのは確かですね。マルクさん!」
相棒の呼び掛けに、辺りを警戒していた冒険者の青年がこちらに顔を向けた。
少し離れた位置だが、そのままの距離で相棒が叫ぶ。
「私達はこのまま、この門の向こうに向かいます! 貴方達はこのまま下山して下さい!」
相棒の言葉に、青年が頷きを返した。
本来ならば、俺達が下山するまで同行する必要があるんだろうが――俺達が向こうに行ってしまえば、いつ戻れるかもわからない。
この事については、既に合意済みだ。
『じゃ。俺が先に行くからな』
そうと決まれば――俺ももう待ちきれない。
「あ。待って――」
何かを言い掛けたユニィを置いて、俺も黒い穴に飛び込んだ。
――――瞬間。
体の感覚がおかしくなる。
脳が異常を訴える。
その間も足先は水面を抜けまた水面に落ち、頭は水面を抜けることなく水の中で――息苦しさが増す。
『何やってんのよ』
時間にして数秒だろう。その言葉に――ようやく俺は、自分の体勢を理解した。
『そうか――上下が逆なんだな』
その原因に気付いてしまえば、嘘のように感覚が正常に戻る。
体勢を立て直し、周りを見回す余裕も出てくる。
今居る場所は――広い湖の様な場所だ。
薄明りの中、遠くに岸部が見える他は、何も見当たらない。
今居る場所の水深は、予測の通り80cm程度と歩ける深さだが――どこまでその深さかは分からない。
慎重に進む必要があるだろう。
すぐそばに立つ、呆れ顔のサギリを視界に入れないように――そのまま空を見上げる。
見上げた空には。
中天に輝く光とその向こう側。星空を二分する灰白色の帯が輝き。
帯の両端は、空の果てでせり上がった大地と繋がっている。
――これが、お前の見た景色なんだな。リーフェ。
思わず笑みが込み上げた。
本エピソードはここまで。
次話から第7エピソードです。




