214.ハーモニクス
――『ブレイク』。
その言葉を発した瞬間に。
全身から感じるのは冷たい感覚。
その失われた熱を。『力』を。
後脚に背中に、体幹に。集中させる――偏析させる。
脳裏にイメージするのは父竜のような、それを越えるような。
この体を大地に縛り付ける、重力という名のくびきから――この身体を引き剥がす程の、その筋力。
瞬きの間に、身体の隅々まで『力』が行き渡るのを感じながら、僕は。
体幹をバネのようにしならせ、力の限り後脚で地面を蹴った。
『ユニィっ!』
――僕には、戦闘の経験なんてほとんどない。
いつもは、せいぜい自分の身を守るので精いっぱい。
だから――こんな強大な魔物と渡り合えるなんて全く思ってないけれど。
一撃。
今、ユニィを守るためのその一撃だけなら。
近づく魔竜の前脚。
凶悪なまでに鋭利なその爪の間を、潜るように抜けて。
そのまま体を回して、魔竜の前脚を尻尾で叩き落とし――
――――ドッ。
――まるで。
大木の幹を叩いたかのような鈍い音がした。同時に尻尾に走る衝撃。
そして、肝心の魔竜の前脚は止まることなく。
――いや。まだだ。
僕は、そのまま尻尾を前脚の、肘の部分に強く巻き付けた。
そのまま。
術で何倍にも倍加された体重を。その全重量をかけて。
前脚の軌道を変える。その到達点をユニィ達の手前へと捻じ曲げる。
『これでっ!』
絡めとった右前脚に引きずられるように、魔竜がバランスを崩す。前方へと倒れていく。
その光景に。
極限とも言うべき緊張からの解放と、困難を成し遂げた安堵に。
僕は一瞬、気を緩めた。
緩めてしまった。
――――まだ、何も終わってなどいないのに。
目の前で起こっていることなのに。
まるで映画を見ているような、現実感のない光景。
体勢を崩した魔竜の左前脚が。
動かないユニィに。
庇おうと足掻くサギリに。
触れようとする位置まで迫っていた。
――ああ。やっぱり。
僕の中に諦めの気持ちが生まれる。
例え奇跡が起きたとしても。
運命がその歯車を入れ替えたとしても。
あの時。
既に失われていたはずのユニィの存在は、やはり失われる運命――だったのかもしれない。
――でも。
ユニィは。その伝わってくる感情は。
決して――諦めてなどいなかった。
ユニィの口が小さく動く。
何かの言葉を発したと感じた――瞬間。
世界の音が消えた。
周囲の存在が。アニキ達も、ソニアもサギリも魔人も。
ユニィと僕と――あと見知らぬ脚竜族以外の存在が。
困惑を覚えながらも僕は。
残ったユニィと脚竜族に目を凝らした。
瞳を銀色に輝かせたユニィ。
その周りにはいくつもの円環が見える。
その一つは僕と繋がっていて、そこに確かな絆を感じる。
一方の脚竜族は。
打ち込まれた楔が、絡み合った絆が。
身動きできないほどに全身を絡めとっている。
――ようやく、僕は気づいた。
これは――ユニィの術『リンケージ』がもたらした心象風景。
それがなぜ僕に見えるのかは分からないけど。
――ここで何を為せば良いのかは。
不思議と――理解していた。
まるで。そう。
ユニィと出会った時。何かに導かれたように。
先程。躊躇いもなくゲートを使ってこのホールに来たように。
それ以外も、挙げ始めるとキリがないけれど。
ただ――導かれるように。
『連結』
念じていた。
目の前の絆に。脚竜族に絡まるそれに。『魔性』の色濃い気配に向けて。
『調和』
念じていた。
僕の中で語りかける光に。そこに確かに眠るそれに。奇跡を纏う『祝福』の残滓に向けて。
本来交わることのない、二つの因子を二つの『力』を。
ユニィの術に乗せて。
正と負の力のベクトルを連結し、それらを調和させ。
そして――相殺して。
『魔性』の気配と共に。
絡み合った絆が、打ち込まれた楔が――消え去るのを感じた。
――『魔性』の気配が消え去るのと合わせたように。
この不思議な心象風景も、霞むように消えていく。
その後ろから現れた現実の光景では。
想像した通り、魔竜の体が徐々に縮み始めていて。
そのまま僕は。
絡めた尻尾に引かれるように――空中へと浮かび上がっていた。




