139.僕は英雄にはなれない
「準備は出来た?」
『もちろん!』
『問題ないわよ』
ユニィの問いかけに、僕とサギリが答える。
「おやつも大丈夫?」
『もちろん!』
『そんなの必要ないわよ』
僕が限界近くまでいっぱいに膨らんだおやつ袋を見せる横で、サギリのあきれたような声が聞こえる。
――むむっ。
そんなこと言ってるけど、後で欲しいとか言っても分けて上げないぞ。
サギリを横目で睨んでいると、ユニィから声が掛かった。
「ねぇ――リーフェ。ご両親の事は本当に良いの? 何なら、西都には私とサギリだけで――」
『大丈夫だよ!』
僕はユニィの言葉を急いで打ち消す。
ユニィは――つのラプトルの恐ろしさを知らないから、そんな事を言えるんだよ。
まるで視線だけで竜を殺せそうなその目。
その目の下では、真竜族に噛みつかれるのかと錯覚させられる大きさで口が開かれ。
そして――開かれたその口からは、呪詛のごとく頭に響く呪言が発せられて。
ああ。想像するだけで――呪われたかのように体に震えが走る。
僕は震えだそうとする体を何とか抑えながら続けた。
『大丈夫。父竜の友達の天使お兄さんとバイスさんが居るから。それに、他にも昔の知り合いがいるみたいだし――僕が居なくても大丈夫だよ』
「でも――」
『そんな事より早く出発しようよ。なぁ、サギリもそう思うだろ?』
食い下がろうとするユニィを遮って、サギリに話を振る。
サギリは相変わらずの面倒そうな顔で、軽く頷くと答えた。
『そうね。こんなリーフェの事なんて放っておいて、早く行きましょ?』
サギリの言葉に、ユニィも何とか諦めてくれたようだ。
少し不満そうな感情が流れてきたけど――こればっかりは勘弁して欲しい。
僕は強大な真竜族に戦いを挑む叙事詩の英雄などではない。そんなものにはなれはしない。
どこにでもいる普通の。ごくごく普通の脚竜族なのだ。
うん。
それにしても――さっきのサギリの言葉。
何だか引っ掛かる表現だったけど――まぁ良いか。
――――――
「それじゃあ行ってきます」
「ユニィ。あなたそそっかしいんだから気を付けるのよ。リーフェ君もサギリさんもこの子の事お願いね」
「お母さん! 私もう子供じゃないんだから、そういうのは止めてよ!」
何やら向こうで、ユニィとアリアさんが言い争う声が聞こえる。
「キュロちゃんもサギリさんも――おねぇちゃんをよろしくお願いします」
聖殿から駆け付けたソニアが僕達に頭を下げる。その後ろには銀騎士のお姉さんが控えている。
――何だかソニアが、しばらく見ない間に大人びたように感じる。
だけど――
『何でサギリは名前呼びなのに、僕はいまだにキュロちゃんなの?』
思わず不満が口から零れてしまう。
当然――
「キュロロ、キュラレロルロロロ――って、任せとけってことかな? ありがとー」
ソニアには通じないんだけど。
まぁ、こんな笑顔で言われたらそれ以上の文句は言えないけどね。
僕は仕方なく頷きを返す。
それを見て、ソニアは僕達の横に立つ銀鎧のお兄さんにも声を掛けた。
「ロランさんもおねぇちゃんの事、よろしくお願いします」
「かしこまりました。ソニア様」
銀鎧のお兄さんがソニアに頭を下げている。
今回の西都行きには聖殿から護衛がくると聞いていたので、てっきり銀騎士のお姉さんが一緒に行くんだと思っていたんだけど――違う人だった。
でも、その顔と銀鎧には見覚えがある。
この人は確か――そうだ。家選びの時に、僕達を案内してくれた人だ。
あの時は確か――サギリとの陣取り合戦に集中してたから、どんな人かはあんまりよく覚えてなかったんだけど。
改めてお兄さんを見ると、背が高くてがっしりとした体格で、黒髪の生真面目そうな顔をしたお兄さんだった。
これなら、もし仮に魔物が出てきても大丈夫そうだね。
「リーフェ。サギリ。行くよ」
ユニィの掛け声と共に後脚に力を込める。
キキ――という軽い音を立てて、少しだけ立派な竜車の車輪が回り始めた。
今回は聖殿からの依頼ということで、『黎明』の保有している中でも一番良い竜車を借りてきている。
座席や幌の部分がしっかりとした造りになっていて、重量はいつもの荷車よりも少し重たいはずなんだけど――引いてみた感じでは、逆に軽く感じられた。
これなら、いつもよりも速度が出せそうだ。西都にも早く着いてしまうかもしれない。
「おねぇちゃーん! いってらっしゃーい!」
ソニアの声を背に。僕達は西都への一歩を踏み出した。




