134.再び
『それじゃあ――いくよ?』
僕はバイスさんに向き合い、軽く声を掛けた。
『いつでも良いぞ』
バイスさんの後ろでは、怪しいお兄さんが頷くのが見える。
僕もひとつ頷きを返して目を瞑った。
――『ツリー』。
まずは進化樹を思い浮かべながら『ツリー』の術を起動する。
視線の先。瞼の向こう側に展開されていく進化樹。
いつもはこの進化樹を眺めているんだけど――今は。
深く息を吐き。そして吸う。
いつも眺めるのは進化樹の枝葉の先。
今回はそれとは逆に、進化樹の根本に集中する。
そこにあるのは――進化樹の起点『リトルラプトル』。
だけど今は。
起点を超えて、より深く――その根源へと意識を集中する。
そこは――昼なお暗い鬱蒼と茂った森の中のような。
光の差さない地面の下に潜り込んだかのような。
何も――何も見えない。
一瞬だけ生じた迷いを、歯を噛みしめることで堪えて――
そして。
父竜のその言葉を再び思い出す。
――『考えるんじゃ無い。そうだ、感じるんだ』
思考を解放し、感覚を開放する。
雑念は彼方へと消え、知覚は己が内面へとその対象をシフトする。
――『耳を澄ませばお前にも聞こえてくるだろう?』
視覚も触覚も――味覚も嗅覚も。そして、それらを超えた感覚も。
全ての感覚を使い、その声に耳を澄ます。
――『この内なる声が』
――視線の先に光が見える。
囁くような唄うような――微かなざわめきが聞こえる。
思考を解き放っている僕は――ただ感覚の命ずるままにその光へと近づき。
そのまま光に手を触れ――目を開く。
――僕は。
その声のままに、重ねるように声を出す。
『アイデンティファイ』
首筋に僅かに感じる冷たい感覚。
そして――
『お? それが新しい術か?』
視界に映る進化樹に確かな変化が生じていた。
これまではただ――クラス名がツリー状になって見えていただけだった。
だけど今は。
クラス名『エルダーラプトル』が淡く光り、その文字列とバイスさんの額との間が赤い光で結ばれている。
『それで――一体、何が分かったんだ?』
『――何も』
そう。他には変化は無かった。
期待していた進化先の情報も、進化のトリガーとなる進化因子も何も。
何も情報は増えていない。
――――うん。こうなる予感はしてたんだ。
僕はもう一度目を閉じた。
――――――
「いやぁ『進化樹』のスキルとか、まだそんなものを隠し持っていたなんて。本当に珍しいものを見せてもらったよ。――ああ、今からでも遅くはない。うちのユニオンに移る気は無いかい?」
『……』
お兄さんは空気も読まず、先程から怪しさを全力で振りまいている。
――そんな話は良いから、正直今は放っておいて欲しい。
『――まぁなんだ。これでも食べて元気出せよ』
バイスさんが僕の肩を叩きながら、目の前に皿を置く。
忘れもしない報酬のおやつだ。今日のおやつはかりんとうだったらしい。
先程までは待ちに待っていたそのおやつ。
だけど今は――
『ごめん。今は放っておいて欲しいんだ』
僕は首を横に振りながら、謝罪の言葉を口にする。
『そうか――でも、おやつは食べるんだな』
――当然でしょ?
おやつは別口。どんな状況でも、おいしく頂くのだ。
それに――今は糖分が必要だから。
『落ち込む必要はないぞ。そもそも最後のは、駄目で元々だったんだからな』
バイスさんが尚も僕に話しかけてくる。
いや。だから――
『だから、今考え事してるんだよ。頼むから放っておいてよ!』
気を取り直して、再び思考の海に沈み込む。
――新たに修得した術『アイデンティファイ』。
今の所は、目の前に居る脚竜族のクラス名が分かる――ただそれだけの術に見える。
この術が全く新しい術なのか、それとも記録に残っていない失われた術なのか。それは、実際のところは分からない。
ただ少なくとも――かつてマーロウと一緒に調べた過去の記録には、このような術は無かった。
だからこそ――この術の本当の効果はまだわからない。
クラス名を確認するだけなら、余程のレアクラスでない限りは見た目だけで判別できるのだ。
そこに、『力』を使ってまでクラス名を同定する意味はない。
だからきっと――他にも何らかの意味があるはずなのだ。
そう多分。
恐らく。
きっと。
――だったらいいな。
そう言えば――先程クラス名とバイスさんを結んでいた光。
その光は赤色だった。
――もしかしたら。
いや。今判断するにはデータが足りない。
他にも何竜かに術を使用して、データを取得する必要がある。
――よし。
僕は決意も新たに、前脚をおやつ皿の上に伸ばして――
『あれれ? もうないの?』
――おやつも無くなったし、難しいことはまた後で考えよっと。
本エピソードは次話まで。
私事都合により1話当たりの進行(文字数)が減ってましたが、少しづつ元に戻せそうです。




