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◆1-3

 話が本題に入ったことを感じはっと息を飲む。ビザールはソファに背中をのっすり預け、あくまで軽く――しかしどこか遠い目で話を続けた。

「闘争神ディアランから初め、暴虐神アラム、病神シブカ、死女神ラヴィラの神紋で生から死を表す円を描き、中心に銀月女神リチアの神紋を描くことにより、霊質の蒐集と昇華をする。これは遥か昔に、神殿より伝わった手法です。死したものの魂を迷わぬよう集め、天に流れる忘却の河へと返す。嘗て神殿が隆盛を誇り人々の生活を支えていた頃は、何処ででも行われていた儀式だったようです。我が父が行ったのはそれのアレンジメントですな。中心の神紋を崩壊神に変え、集めたものを全て消失させることを可能にした。悪くない案だったとは思われます、おかげで吾輩もこの通り立派に役目を果たし――リュリュー殿?」

 はしたない、と解っていても、リュクレールはぎゅうと夫の傍に寄り添うことしか出来なかった。丸い腕に自分の細腕を絡ませ、そっと肩口に頬を寄せる。そうせずにはいられなかったのだ、自分よりも随分年上である筈の夫が――笑顔のままなのに、まるで、心細さから泣いている子供のように見えてしまった。己の命を父親に、勝手に天秤にかけられたことなど、笑えるわけがないだろうに。

 リュクレールにとって、父とは恐ろしく悍ましい存在ではあったけれど、同時に親子としての情などは、互いに存在していなかったように思う。自分から見れば力で押さえつけてくる相手、向こうにとっては遊び道具のようにしか見られていなかっただろう。

 だが、ビザールの父親は。恐らく本気で子の未来を案じた結果、邪神の紋を息子に刻み、命の危機を与えて発現させた。祓魔の家系を守り、誇りを掲げることが出来るようにと。

 リュクレールとて貴族の自覚はある、家を守ることが美談と尊ばれる感覚も理解している。それでも、それでも――愛する夫に課せられた重荷と、癒えていないであろう傷が、遣る瀬無かった。

 ビザールは肉に埋もれた小さい目をぱちぱち瞬かせ、ちよっと困ったように笑い――リュクレールを拒まなかった。自分からもほんの少し顔を傾けて寄り添いながら、口調をそのままに続ける。

「ただ……そうですな。崩壊神の力というものは、他の神々と一線を画しているのです。全ての主神であるイヴヌスの半身であり、世界全てを壊す役割を担うもの。人も、動植物も、大地も海も、空も大気も、言葉やルールですら、消滅させてしまえるだけの力があるとされております。それ故に、世界が飽和し発展を忘れるまでは、始原神に封じられているにも関わらず、……常に出口を見つけて這い出そうとしている。神の力の象徴である神紋は、当然その標となるのです」

「っでは、男爵様のお体を、使って――」

 出された恐ろしい結論にリュクレールが身を起こそうとすると、そっと銀髪を撫でられて止められた。

「大丈夫ですよ、リュリュー殿。吾輩のこの豊満なる腹は、かの崩壊神をも受け止める為に存在しているのですから! そしてだからこそ吾輩は、シアン・ドウ・シャッス家の主として認められているのです――どうか、ご心配なく」

 目を合わせられて告げられた労いは、やんわりとした拒絶であると、理解できてしまった。例え危険な力であろうと、恐らく己の命が亡くなるまで彼はそれを手放すつもりがないだろうと。それが嫌で、子供のように喚き叫んでしまいたかったけれど、出来なかった。

 家名を継ぎ、家を守り、役目を果たすこと。貴族としてのその誇りを知っているから、彼からそれを取り上げることなど出来なかった。彼の妻であればこそ。

「……しかし、黒いドレスの貴婦人とは、また出来過ぎな相手ですな」

「え?」

 ぼそりと呟いた夫の声に驚いて顔を上げると、ビザールは珍しく笑顔ではなく、丸い顎をむにりと指で押し上げて思案している。続きを訴えるように顔を寄せると、嬉しそうに腹を揺らしながら応えてくれた。

「先刻申し上げた、崩壊神の子、三柱。彼ら彼女らは、一般的な教義において伝えられる崩壊神の妻、全ての魔の母とも呼ばれる魔女王ヴァラティープから生まれたとされております。しかし、三柱は彼女を母とは認めず、父である崩壊神が娶ったもうひとりの妻を母として傾倒していたそうです。この二人目の妻について、文献は殆ど残っておりません。我がシアン・ドゥ・シャッスの書庫を探しても、残っている記述は僅かだけ」

 顔を僅かに仰のかせ、ビザールは恐らく記憶しているのであろう文言を諳んじる。かの書庫に詰め込まれた文献の内容を全て暗記しているというのは、全くもって誇張ではないらしい。

「『それは嘗て人間であったが、崩壊神により全ての理を壊されたもの。人でも魔でも、竜でも神でもなく、男でも女でもなく、生者でも死者でもなくなったもの。故にただひとりで永遠に彷徨い続ける、忘れられしもの。その姿はアルードがイヴヌスより奪った、黒き神の紐で覆われている』。……神の紐というのは神話の彼方此方に記述があります。布であり水であり、武器にも鎧にも姿を変える黒い紐であると。それは未だ現存が確認されておらず、アルードの二の妻が纏っているとされ――いつの間にか、伝説のように呼ばれるようになったのです。崩壊神の妻、神の紐を纏い、世界を彷徨い続ける黒き貴婦人、と」

「……!」

 結ばれたビザールの言葉に、リュクレールは目を瞬かせるしかない。俄かには信じがたいが、あの謎の貴婦人が、神話の体現者だとでも言うのだろうか。強張ったリュクレールの背がゆっくりと柔い掌で撫でられ、ビザールは相変わらずのんびりと語った。

「無論、お伽噺の類です。昔から世界のあらゆる場所で目撃されたとの逸話はありますが、どれも信憑性は全くないもの。喪に服している婦人の姿を、勝手にそうだと叫ぶ者がいただけなのでしょう、大概は。ただ、そんな女性が崩壊神について言及してくるというのは、中々に興味深いものですからな。……ああ、却って気に病ませてしまいましたかな? どうぞお許しください、我が愛しの妻殿」

「いいえ……いいえ。大変勉強になりました、有難うございます、男爵様」

 夫は笑って流してくれたが、リュクレールの中で、その信じがたい情報を一笑に伏すことは出来そうになかった。それほどまでに、かの貴婦人は印象的であったし、言われた言葉が本当の忠告であったことに信憑性が出てしまう。

 じわりとインクの染みのように浮かんできた不安を堪える為、天井を仰ぐ。もしまたかの貴婦人に逢うことが出来たら、聴きたいことが沢山ある。勿論、何の当てもないけれど。

 夫の温もりを感じながら思案に耽るリュクレールは、今まさにこの王都、地の底にかの貴婦人が訪れていることに、未だ気付かなかった。


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