五の段 ゑいかと父
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カラクリ大蜘蛛の真下。
子蜘蛛の相手をするぜにまたち。
ぜにまたちの活躍により子蜘蛛の数は確実に減っていた。
後ろでは歌舞伎人形の花火神輿を撃つ町人たち。
その中から一人の男が、前線で戦っている近松ゑいかに呼びかける。
「近松の嬢ちゃん! おめぇさんの姉ちゃんが来てるぞ!」
「ゐどり姉さんが……?」
見れば人形神輿の前。
町人たちが担ぐ台座の上で一人、人形操る銀髪の女性。
姉ゐどりの姿。
ゐどりが遣う人形は『和藤内』と呼ばれる男人形。
刀を振りかざす勇猛果敢な人形を、器用に操り演舞を見せる。
和藤内が両手を広げて見得すれば、それに合わせてドカンと一発、神輿花火が放たれる。
ゑいかは姉の元に急いで駆けつける。
「姉さん! 来てたのですか!? 私も一緒に!」
ゐどりは妹の姿を見れば、コクっと笑顔で頷いてみせる。
ゑいかとゐどり、姉妹は神輿台座の上で音頭を取りつつ、人形降りかざす。
姉妹で左右を分けて動かして見せる『和藤内』。迫力のある人形浄瑠璃。
二人の浄瑠璃に合わせて、花火がそれを盛り上げる。
迫りくる子蜘蛛を蹴散らせ、蹴散らせ。
「ゐどり姉さん……ここまで来てくれて感謝してるでごぜゐます」
ゑいかは病弱な姉が駆けつけてくれたことに、心から感謝していた。
いつだってそうだ。自分が苦しい時に姉はいつでも心配してくれる。
ゐどりはいつも通り妹の手を取り、その手の平に文字を書き始める。
『い』
『つ』
『も』
『ふ』
『た』
『り』
そこまでで十分だった。
「一緒でごぜゐます!」
以心伝心、頷くゐどり。
ゑいかの全身の細胞から、熱い勇気が湧き上がってくる。
ゑいかは前を向きなおし、人形使って町人たちに活を入れる。
「さアさア! 天才人形遣い! 近松姉妹の人形浄瑠璃はこれからだよ! 大蜘蛛なんて吹っ飛ばす、見事見事な人形劇! 気合い入れていくよー!」
「「「オー!」」」
EDOっ子たちの野太い声。
「た〜ま〜や〜!」
近松二人が音頭を取る。
――ドン! パラパラパラパラ!
「その調子でごぜゐます!」
「そこで何をしておるか、ゑいか!」
すると二人の神輿台座の下から何者かがゑいかを呼ぶ声。
声の主は、上品な黄色模様の着物を召したゑいかの義父、十代目近松門左衛門だった。
門左衛門もカラクリ蜘蛛から避難する途中であった。
眉間に皺を寄せ、威厳のある声で台座の上にいるゑいかに向かって叫ぶ。
「ゑいか! ここは危険だ。今すぐ私と共に来るのだ」
義父と目が合うゑいか。
しかし、ゑいかはすぐ大蜘蛛の方へ向き直す。
「門左衛門様……ゑいかは逃げません。どうか門左衛門様だけでお逃げください……!」
「なんだと!? 来ないというのか!?」
門左衛門は驚いた。
何故ならゑいかが自分の意見に反対する事など今まで無かったからだ。
「……はい。私は自分がするべき事をしたいのです。たとえ近松屋を……破門されたとしても!」
「なにぃ!?」
覚悟の決まったゑいかの言葉。
門左衛門は目を見開く。隣のゐどりが心配そうに見る中、ゑいかは続けて語る。
「門左衛門様に拾っていただいたこと、人形遣いの技術を教えていただいたこと、心から感謝しております。しかし私は……自分の才能を、誰かの役に立てたい。そのような自分になりたいのでごぜゐます。最後まで不出来な娘をお許しください」
「っ……!」
門左衛門は口を開けるが、言葉が出ない。
「私はここでカラクリ蜘蛛を皆と共に食い止めます。門左衛門様はどうかお逃げを」
門左衛門はがっくりとうなだれる。
しかしそのまま立ち尽くすかと思いきや、突然EDOっ子たちが担ぐ、二人の台座によじ登り始めるではないか。
「門左衛門様……!? 危ないでごぜゐます!」
門左衛門は不格好にも片足を振り上げながらも、ゑいか達の台座によじ登り、共に人形『和藤内』を持つ。
「……すまなかった……ゑいかよ。そしてゐどりさんも」
「えっ!?」
予想外の言葉。
それは厳格な門左衛門から出た謝罪の言葉であり、ゑいかにとっては信じられない一言であった。
「私は……お前に多くの苦労をかけてしまった。私は知っている、お前が自分のことを天才と呼ぶのもこの近松の看板のため。しかしその裏では、人と同じように血と汗を流して努力し、その成功の数の裏で、何倍もの失敗と挫折があったことを。だが責任感の強いお前は、近松の名を汚さないようにと私にもそれを隠し、日々一生懸命練習に取り組んでいた。今ではお前の事を誰もが本当の天才と呼ぶ。それは一日で成したものではない」
「門左衛門様……」
心苦しく語る門左衛門。
ゑいかは初めて見た弱々しい義父の姿を、直視していいものなのか分からなくなり、同じように目を伏せる。
「捨子だったお前に才を見出し、姉と離れ離れになることを分かっていたにもかかわらず、私はお前を養子にした。近松門左衛門の一子相伝の名と技術、その伝統を続ける為……。しかし、それはお前の人生を狂わせてしまったのかもしれない。私は、人として間違った選択をしてしまった……」
「そんなこと、そんなことありません! 門左衛門様は私に多くの事を教えてくれました!」
「私が与えたのは技術だけ。むしろ愛する双子の姉妹を引き裂いてしまった。お前のあのKABUKIを見て、私は気づかされたのだ」
門左衛門はゑいかとぜにまとのKABUKI勝負を見ていた。『曾根崎心中』を模したあのKABUKIを。
「あのKABUKI勝負は……私の間違いでした。近松の看板に泥を塗ってしまった……」
「それは違う。お前の天下の徳政令は姉を思ってのことだろう。私に隠していたが、お前が貧民街にいるゐどりさんを助けようとしていたことは知っていた。お前のKABUKI……人形浄瑠璃を見た時、私は見たのだ。姉を想う美しい気持ちを。それは私が、今の今までずっと見て見ぬ振りをしていたものだった……」
「門左衛門様……」
門左衛門はゑいかを見る。その顔は伝統を守ることに必死だった男の顔では無くなっていた。
「私には才能が無かったようだ。いつも伝統に囚われ、少しでも変わることを恐れていた。人形浄瑠璃においてその技術よりも大事な、人の心を見ていなかったのだ。それが今ようやく分かっのだ。初めて、娘に反抗されたことでな」
「私……」
「すまなかったゑいか。もう許してもらえる事では無いかもしれないが、これからは姉妹二人一緒に居られるよう私も努力しよう。十代目近松門左衛門としてではなく、一人のお前の父として」
ゑいか胸から熱いものが込み上げるのを感じた。ただただ嬉しかった。
「お前は私の娘だ、それも、出来過ぎたな」
「……はい。父上」
ゑいかの頬には熱い涙が伝う。
姉のゐどりも妹をそっと抱きしめるのであった。
『ギャアオォォォーーーン!』
しかし三人の頭上では大蜘蛛が再び動きを始める。
「無粋なものもいたようだ。二人とも、我々の人形浄瑠璃を見せようではないか」
涙を拭いて、頷くゑいか。
「はい!」
三人は『和藤内』を操る。親子で首と右手、左手、脚を三人で分担して動かすのだ。
これこそ文楽における三人遣いと呼ばれる高度な技術。細やかな動きにより一人の人形に命を吹き込む。
和藤内は勇ましく走り、刀を奮う。
そこで門左衛門は脚を操っているゐどりの手捌きを目にする。
「ゑいか、ゐどりさんにはお前が人形浄瑠璃を教えたのか?」
「いえ、姉さんは私の文楽をたまに見に来ていただけですが……」
「そうか……」
ゐどりのその繊細で丁寧な足遣いを見て、門左衛門は微笑む。
「どうしましたか? 父上」
「いや。人の才とは、どこに眠っているのか天にも分からぬものだと思ってな。人形浄瑠璃の世界は奥が深い。さあ三人で力を合わせるぞ!」
「はいでごぜゐます!」
ゐどりも頷く。
近松親子、渾身の見得。
「「三位一体! 人形JOURURI! 『国姓爺合戦』!」」
――ドン! ドン! ドン!
『国姓爺合戦』……近松門左衛門作の人形浄瑠璃。歌舞伎化もされる。中国人を父に、日本人を母に持つ和藤内が主人公。のちに国性爺と呼ばれる。超人的活躍で明朝の復興に尽くす。実在の人物鄭成功(国姓爺)がモデルとなっている。




