十二の段 さくら咲く、姉への想い
「松洛様……! あれは一体!?」
客席にいたの善草寺の住職松洛と巫女服メガネ姿のお鐘。二人もぜにまの戦いを見ていた。
しかし頼朝の様子がおかしくなった瞬間、松洛の手に握っていた数珠の糸が切れ、珠が地面にパラパラと零れ落ちていった。
「なんと不吉な……間違いない、あの者が潜んでいた正体!」
二人がKABUKI勝負で感じていたという妖しい気配。前回ぜにまに話したその正体が、頼朝の変身した姿のものだと確信する。
その姿、人ならざるものなり。
「ひぇぇ〜!」「なんでいありゃあ!?」「気持ち悪りぃ!」「バケモンだ! 逃げろ〜!」
会場騒然。観客たちは大パニック。
頼朝の恐ろしき姿に悲鳴をあげ、ドタバタと裸足で急いで逃げる。
異形の姿になった頼朝は両手を開く。その手からは恐ろしくも美しい白い糸が千の筋となり、放物線を描いて放たれる。
そのままネバネバとした蜘蛛糸は客席全てを覆い、逃げようと団子になった観客をも絡めとるではないか。
「ぎゃああああ!」「お助けー!」
頼朝は肩を鳴らすようにバキボキバキと、背中から巨大な何かを伸ばしていく。それは先が研いだ刃物のように鋭く尖った蜘蛛の足だ。びっしりと細かい毛が生えている。
「非常事態発生! 非常事態発生! 皆さま、今すぐこの会場から避難してください! スタッフの指示通りに……ウッ、ウワァーー!」
避難を誘導するMCギダユウ、観客たちと同じく頼朝の出した蜘蛛糸で顔全体が糸だらけ。お得意の大声も出せなくなってしまう。
「これは一体……!?」
ぜにまは上から降ってくる頼朝の糸を、刀でなぎ払う。
急な事態に理解が追い付かない。しかし焦りだけが増す。
(さくらや……)
するとぜにまの耳元にぜにまの本名を呼ぶ誰かの声が。一体誰か。
ぜにまは舞台を見回すが出所を見つけられない。
「誰だ? 誰が拙者に話しておる?」
(さくらや……私はあなたの姉、並木もみじです)
「まさか!?」
信じられない。ぜにまは頼朝を見る。
だが頼朝はあいも変わらず笑いながら糸を出し続けていた。
(私の声は……友切丸からあなたの膝丸を通して心に伝えています……)
源氏の兄弟刀、友切丸と膝丸。
ぜにまは舞台に投げ捨てられた友切丸を見つける。友切丸の刃は振動し、ぜにまの膝丸を共振させているではないか。
てれぱしーというやつか。
友切丸を手に取り、長巻に向かって話しかけるぜにま。
「真の姉上であられるというのか?」
(……はい。今、私の魂は肉体を離れ、あなたに直接話しかけているのです)
「ああっ、そんなまさか……」
聞き覚えのある優しき声。
間違いない。遠い記憶の中でそれだけはしっかり覚えている。ぜにまの懐かしき姉、並木もみじの声であった。
ぜにまは友切丸の柄の部分を持ち、強く抱く。今度こそ本当の姉妹の再会であった。
(源九郎、今は時間がありません。私の身体は今、『土蜘蛛』と呼ばれる妖に支配されているのです)
「土蜘蛛……?」
(……幼き日、姉が都に着いた時、父・義朝の体はすでに土蜘蛛が取り憑いておりました。土蜘蛛は遥か昔、子孫も残せず殺された、まつろわぬ民の魂たちなのです)
ぜにまは異形となった頼朝を見る。次から次へと手から糸を放ち、会場を襲う。
その恐ろしき姿こそ土蜘蛛の本性。
(まつろわぬ民の魂たちは土蜘蛛となり、代々源氏の者に取り憑きました。宿主となってその身体を奪う。無下に殺された自分達が、次は支配する側になるために。そして父が亡くなった日、土蜘蛛は姉の体に寄生したのです)
「なんと……!?」
「シャーーーーーーーッ!」
土蜘蛛は、両手を空に掲げると更に大量の糸が全方位発射。KABUKI座ドーム全体に蜘蛛の巣を張る。
叫びながら逃げる観客たちも次々に糸に捕われて静かになる。息も出来ず繭のようになってしまうのだ。
「ぜにま姐さんっ!」「主さんっ! 先にわっちらは観客を誘導するでありんす!」
てててとゑいかはそれぞれ人形や傘を取り出し、福内姉妹を糸から守りながらぜにまに呼びかける。
「うむっ……! そっちは頼むでござる! 拙者は……!」
何も恐れる必要はない。元凶はただ一つ。目の前の異物を切ればいい。
ぜにまは長巻を握りこみ、土蜘蛛を睨みつける。
「姉上、どうすれば土蜘蛛とやらを姉上の身体から引き離せるのですか?」
(土蜘蛛は……その宿主の首を切らねば永遠にその身体に取り憑きます。さくらや……どうか姉の首を切り落としてください)
「そんなっ!?」
もみじの魂から、衝撃の事実を告げられるぜにま。予想だにしない答え。
「そんな事をしたら、姉上の肉体が死んでしまうではないですか!?」
(他の方法はありません。さくら、どうかお願い……姉さんを切って……)
「拙者には出来ぬ!」
ぜにまはその事実を受け止めきれず舞台にうなだれる。
震えるその手で舞台を思いっきり叩く。
そんなことが出来るはずがない。
「やっと出会えた、たった一人の姉上だというのに!」
「シャーーーーーッ!」
土蜘蛛は変わらず糸を吐き、会場をどんどん糸で埋め尽くしていく。
客席には逃げ遅れた者の悲鳴、泣き叫ぶ赤子、それを助けようとする者たちもまとめて糸の餌食。白く巻かれて動けなくなっていく。
「やめてー! きゃー!」
妹お波の悲鳴。
上から降ってくる糸を、てててが傘ではたき落とす。
「皆、糸に触らないでおくんなし! この糸は生気を奪う! なにか代わりのなるもので防ぐでありんす!」
「急いでみんな外に行くでごぜゐます!」
うなだれたぜにまに会場の姿が目に映る。
頼朝の蜘蛛糸は雪の如く客席に降り注ぎ、会場を覆い尽くす。まさに地獄絵図と化していた。
「くっ!」
しかし土蜘蛛は愛すべき姉の身体を切らねば止まることはない。自分で決めなければならないのか。ぜにまは目を瞑る。
そんなぜにまに、もみじは子供をあやすような優しい声でぜにまの心に話しかける。
(……さくらや、お願い立って。姉さんは何時何時の刻もさくらを愛しておりました。この世では幸せになれなかったけれど、あなたに会えて、お話ができたこと、とっても幸せ。だから……ね? 頼朝がさくらを殺さぬうちに、あなたの姉でいるうちに。たった一つのお願い。さくら、ね?)
「姉上……」
一粒の涙が、舞台に落ちる。
肉体を土蜘蛛に奪われた姉が、どのような気持ちで今まで生きてきたのか。ぜにまには計り知れない。答えは分かっていた。だけど選ぶことが出来なかった。
ぜにまは震える手を握りしめ、立ち上がる。その手を自分の胸に当てる。
「姉上、聞こえておりますか?」
(……はい)
「分かりました……。拙者が姉上を解放します」
(やってくれるのですね)
「はい。でも今度はいつまでも姉妹、二人一緒です。あなたをもう一人だけにはしません」
(さくら……)
ぜにま、涙を拭き、覚悟を決めたその表情。
「土蜘蛛よ! 拙者のこの命、くれてやる!」
「シャーーッ!」
ぜにまに気付く土蜘蛛。牙が生えた姿でも、その不気味な笑みは変わらない。
土蜘蛛、蜘蛛脚で高速接近、その俊足で近づいて、ぜにまの肩を勢いよく足で貫通。
蜘蛛足が赤く染め上げられる。
「ぐああっ……!」
ぜにまの肩からは鮮血が大量に溢れだし始める。しかしすかさず居合抜刀、蜘蛛足放つ。
「はああーーーっ!」
――キンッ!
しかし乾いた音がするのみ。
土蜘蛛の脚の硬さ尋常でなく、ぜにまの居合は弾かれる。
「シャーーッ!」
土蜘蛛、ぜにまの肩を脚で貫通したまま、そのおぞましい口を頬の先まで大きく開き、ぎらりと光る不気味な牙をちらつかせる。
牙の先からは液が垂れ。
「姐さん危ない!」「主さん!」
会場のゑいかたちの声がぜにまの耳に入る。
しかし絶対絶命というのに、ぜにまは目を閉じ、全身の力を抜く。
「願はくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」
ぜにま、西行法師の辞世の句を詠む。
「西行か……。穢らわしい人間め……望み通りお前も我が食ってやる……」
男とも女とも分からない声で話す土蜘蛛。
その大口で、ぜにまの頭を丸呑みにしようとする。
ぜにまは足を開いて腰を限界まで深く下げる。
呼吸を整え、居合の構え。
「ぜにま様っ……それは!」
ぜにまの構えを見てお舟が泣き叫ぶ。
それは師武蔵がぜにまに遺言として伝えた秘術の構え。しかしその代償。
「やめてーーーっ! ぜにま様ーーーっ!」
お舟だけが知っていたその秘術。
ぜにまの命を掛けて放つ、究極の居合。
断魔理の神通力を限界まで引き出し、脳をショートさせ心臓は暴走して、全身の力を解き放つ。
その人知を超えた音速の抜刀、尋常ならざるものとなり、此の世に切れぬものは無し。
しかし代償として、使用者の脳の回路は焼き焦げ、1秒を永遠に錯覚してしまう。
魂を悠久の牢獄に置き去りにして放つ究極の居合。
「シャーーッ!」
襲いかかる土蜘蛛の口。
ぜにま、見るは走馬灯。
沢山の人との出会いと別れ。逃れられない辛い記憶、自分の運命。
しかし春のように温かい記憶が蘇る。それは大切な人と過ごした時間。
(父上母上、武蔵先生、お舟、お波、ゑいか、ててて……)
みんなと過ごした楽しい時間をぜにまは忘れない。
そして今度こそ、姉と二人、幸せに暮らせる世の中で生きたい。
幼き頃のように二人手を繋ぎ、歌をうたいながら。
光り輝く全ての想い、たった1つの細腕に乗せ、全身全霊、刀の柄を握りしめる。
「この心に、桜咲く」
――最後に見えた光景は、白い火花と誰かの声
「三千世界・常桜」
(……最終幕へと続く)




