五の段 ぜにま修行編
◆◇◆◇◆
山。森に林。
青々とした枝葉が木々に生い茂る。
静かな木陰の下に、ぜにまの姿があった。
直立不動、山の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、そして吐き出す。
体は自然と一体となり、聞こえるのは木々のざわめきだけ。
するとぜにまの前に一枚の葉がヒラヒラヒラと落ちてくる。
瞬時にぜにまは刀を引き抜く。
――キィンッ
抜きつけ瞬電。
ぜにま居合抜刀。
落葉は中央の葉脈に沿ってハラリ、縦真っ二つに切れる。
ゆっくりと抜いた刀を鞘に納めるぜにま。
ぜにまはOHーEDOスパイラルから馬に乗り、少し離れた山に修行に来ていた。姉、頼朝に復讐するため。その心は決まっていた。
「師よ……仇は討ちます」
思い返すは師との記憶。
以前、同じように修行した鞍馬山での思い出。
ーーーーーーーー
――キィンッ!
まだ武蔵が生きている時。
今より少し若きぜにま、鞍馬山でカエデを真っ二つに切る。
季節は秋。山は紅葉を終え、真っ赤に包まれる。
「なかなか様になったではないか」
茂みから現れるは大男。この男こそぜにまの師、武蔵。
その大きな両腕に栗をいくつも抱えている。
「先生! もしかして今日は栗ご飯でござるか? 拙者も手伝うでござる!」
「いや、いい。お前の食い意地なら山中の栗を拾いかねんからな。それよりもほら、もう一度居合をやってみよ」
「むっ、御意に」
ぜにまは武蔵に言われた通り居合の構え。腰の刀に手を添えて、左手で鯉口を切る。
目は少しだけ開け、全身からは力を抜き、自分の周囲に意識を集中する。
まるで空気が自分の肌のように感じられた時。
一枚のカエデがぜにまの前に落ちてくる。
すぐ様、右手で抜刀。
――ぱんっ!
鳴るは武蔵が手を叩く音。
ぜにまの意識を逸らす妨害なり。
――キンッ
しかし見事ぜにま、邪魔立てにも負けず、カエデの葉っぱを真っ二つ。
「やったでござる! アイターッ!」
ぜにまが居合の成功に喜んだ瞬間、頭にぽこんっと栗が当たる。これは武蔵が投げた栗であった。ぜにま不意を突かれ。
「ハハハッ。ワシが投げる栗には気づけなかったか」
「むうっ……師よ、それは少し卑怯ではないか?」
「すまぬすまぬ。だがなさくら」
武蔵は自分が投げた落ちている栗を拾うと、ぜにまの両目の前に突き出す。
磨かれたように光沢のある茶色い栗である。
「人の心はいとも簡単に不安になる。どんな達人も、火を目の前に突き出せばその心は恐れるというもの」
ぜにまは意味が分からず首を傾げる。
「その栗は美味しそうでござるが?」
「……ゴホン。心を制御するのは難しいということだ。実際一つ目のワシの拍手にお前の居合は心乱されなかったが、終わった後の栗には気づけなかった。そうだろう?」
「確かに、成功したことで喜び安心していたでござる」
「心が揺れれば剣筋は乱れる。力の無い非力なお前にとって、居合の精度こそ命。乱れは死を意味する」
武蔵は目の前で栗を一ひねり、その殻が潰れて中身が出る。
「それではどうやって心を制御するのでござるか?」
「それはだな、体から心を制御するのだ」
「体から?」
「うむ。だが本当の答えとは、己で見出すしかない」
武蔵はぜにまに剥いた栗の中身を手渡す。
「毎朝同じ時刻に修行を開始する。きっかり百の居合。これからは心を納める修行とする!」
「……はっ。よろしくお願い致します!」
ぜにまは深々と頭を下げる。
次の日からぜにまの本格的修行が始まった。
まずは日々の生活。
睡眠から規則正しく行う。毎朝決まった時間に寝て起き、食べる。そしてぜにまは刀を持って、武蔵はいくつもの小石が入った袋を手に取って、二人して山に入る。
――ヒュンッ!
武蔵はぜにまの背後から、不意をつき小石を投げる。
「いやあーーーっ!」
ぜにまはそれを居合で撃ち落とす。その行為を何度も反復する。
時には二人、木々の間を走りながら石を投げ、それを居合で叩き切る。
寝ながらの居合、座りながらの居合、歩きながらの居合、泳ぎながらの居合、飛びながらの居合。
常に死角から不意打ちするかのように武蔵は小石を投げた。これはぜにまの心をかき乱すため。
また山の鳥や川の魚のように、木の上、川の水辺、崖から落下して、ありとあらゆる不安定な場所で居合を百回行う。
雨の日も、風の日も、夏の日差しや雪が降る日も。
環境とは一番人に影響するもの。
どんな悪天候でもぜにまが適応出来るように居合の修行は続いた。
――ピシッ
「くっ!」
はじめは小石がいくつもぜにまに当たり、体中に小さな傷をよく作っていた。
「大丈夫か?」
額から少し血が出るぜにま。
それを心配する武蔵。
「大丈夫です。武蔵先生、もっと速くお願いします!」
「うむ。無理はするなよ」
しかし段々とぜにまが打ち返せる小石の数は増えていきーー
――ヒュンッ!!
森の中、ぜにまを襲う百の小石。
「ぜああーーーっ!」
ぜにま、これ全てを居合で一筆書き。
流れるように打ち返し、続け様、背後から現れる武蔵の薙刀をも受ける。
――ガキィン!
「出来る様になったな! さくら!」
「はいっ!」
最終的にぜにまは百の小石を全て撃ち落とせるようになっていった。
みるみるうちに上達していったぜにま。季節は巡り。
ある日、ぜにまは日課の修行を終え、休憩がてら山の高い丘から田園を見下ろしていた。
そこに背後から武蔵が顔を出す。
「どうださくら。居合を行う心は?」
弟子の経過を心配しての一言。
「先生……。まだよく分かりません。今でも居合をする時、様々な思いが浮かんだりします。ただ修行を行う内に、それはそういうものなんだと思えるようになってきました。最近はむしろ修行が楽しいと感じるで候」
ぜにまは自分の掌を握る。少しずつだが百の居合を出来るようになった。目標を立て、日々前に進んでいる実感。それがぜにまの自信となっていった。
武蔵はそんなぜにまの姿を見て、微笑む。弟子の喜びが師としての何よりもの喜びである。
「それはよい。形の中から見出す心もある。今の自然な心を忘れないようにな」
「はい」
ぜにまも嬉しそうに笑う。
「ほら握り飯を作ってやったぞ。眺めも良いし今日はここで食おう」
「おおっ! 先生の特大おむすび! 拙者大好きでござる!」
武蔵はぜにまの隣に大きな臀部を落ち着けようとする。
「よっこらーー」
「武蔵先生、止まるでござる!」
「うん?」
ぜにまの静止。
見れば武蔵が座ろうとした地面に美しい青色の蝶がいた。
だが左側の羽がちぎれている。
「こんなところに蝶々が。羽が片方無いではないか」
蝶は地面に這いつくばり、その眼でじっと青空を見上げていた。小さな魂は一体何を夢見るか。
「さくら、お前はこの蝶を見て何を思う?」
武蔵はぜにまに問う。
「それは……羽がもがれた以上、いつかは他の虫や獣、鳥などに食べられてしまうでござる」
ぜにまは少し哀しそうに応える。自然は残酷だ。弱気ものに生きる居場所などない。
「そうだのう。だがーー」
武蔵は地面を指差す。
指の先、なんと青い蝶は前に進んでいる。その細い脚を少しずつ、少しずつ動かして。
「この蝶は、羽が千切れてもまだ生きることを諦めておらん。なんと美しい姿よのう」
武蔵はその大きな両手で土ごと小さな生き物をすくってやる。ヒラヒラと羽を動かす蝶。
「師よ、何とかこの蝶を助けることは出来ぬでござろうか? 例えば羽を新しく作ってやるなどして」
ぜにま提案。優しいぜにまは、もうほっとく事など出来なかった。
「確かにそれなら治せるかもしれん。二人で羽を作ってやろう」
「それが良いでござる! 良かったのう、蝶々殿よ」
ぜにまは愛しそうに蝶を眺める。
「よーしよし。ワシが治してやるからな」
武蔵も顔に似合わずくしゃっと笑う。
「……ふっ」
「……何を笑っておる」
吹き出すぜにま。
「いや、身体の大きな先生が小さな蝶を持つのが何だが……おかしく感じてしまい……」
「何が可笑しい! ワシだって情緒ぐらいある!」
「ふふふ……ごめんなさいでござる……ふふふふふっ!」
「笑うでない!」
ぜにまは笑った。
今は無き師との楽しい日々。安心に包まれていた日々。
養父母に育てられていた子供の時のように、ぜにまにとってかけがえのない宝物。
その思い出に頼朝の顔がよぎる。
『おーほっほっほっほ!』
師を亡き者にした姉の顔。憎き復讐の相手。決して許すことの出来ない外道。
ーーーーーーーー
ぜにまの全身に血が、熱い血が勢いよく巡る。
腰の刀を握る手に力が入るぜにま。
時は戻り現代。
ぜにまは過去の修行と同じように、木陰にて目を伏せ、落ちる葉を待つ。
一枚の青い葉がぜにまの前にヒラリと舞い落ちる。
ぜにま抜刀。
――ヒュッ!
勢いよく刀は引き抜かれ、葉を斬ろうとする。
(ハッ!)
ぜにまの目は見開く。
葉と刃の間に、一匹の白い蝶々がヒラヒラと通りかかるではないか。
――キィンッ!
抜きざま。
葉は二つに切れる。
二枚の白き羽、ゆっくりと動く。
白い蝶々はぜにまの抜いた刀の切っ先に、静かにとまっていた。
そんな蝶をぜにまは優しく眺める。体に記憶された師との修行の日々。
「ぜにま様っ……!」
蝶は誰かの声にビックリして飛んでいく。
ぜにまが見れば、馬に乗りやってきたのは、笠を被ったお舟であった。二つの大きな竹かごが馬から吊るされている。
「お舟!? どうやってここに?」
「道中、道行く人に聞きました」
お舟は馬から降りようとするが不慣れであった。ぜにまは急いで手を貸しに行き、助けてやる。
馬の前で二人、手に手を取る。お舟の柔手は風に当たっていたせいか冷たい。ぜにまは温めてやる。
「それは大変だったでござろう。水茶屋は大丈夫でござるか?」
「父とお波が私の代わりに、送り出してくれました。そんなことよりぜにま様……私分かりました」
「むっ」
笠の下から覗くお舟の真剣な目。
「ぜにま様はKABUKI勝負のこと、私の責任ではないっておっしゃってたけど、そんなことない。あれから一人で考えたの。私はぜにま様の本当の気持ちなんて、何にも考えてなかったんだって。ぜにま様がご自身の大切な人を失って、誰よりも苦しんでいたのに……私はただ自分の事ばかり。勝手に夢を見て憧れてただけ。だから今度は決めたの。あなたが戦うって一度決めたのなら、私はあなたを信じて傍で支えたい。ぜにま様を死なせないように、私も戦う。だからこれを」
お舟は馬に吊るされた竹かごを開く。中には竹の皮で包んだおむすびが大量に入ってあった。それはお舟の手作りおむすび。
「これは……!」
「きっと修行にはお食事がたくさん必要だと思ったから持ってきました。それと着替えに薬箱など、必要そうなものを」
「お舟……」
ぜにまには言葉が出なかった。今から姉に復讐に行こうとうする自分にさえ、お舟は自分を考え行動してくれた。芯の強いお舟の気持ち。しかとぜにまは受け取っていた。
「私にはこれぐらいしか出来ませんから」
「いや、拙者はいつだってお舟に助けられてきた。だから、お舟には全て話そうと思う」
ぜにはは虎の巻物を懐から出す。それは師武蔵の遺言書の箱に隠されていたもの。
「ここに来たのはこの巻物に書かれているある技を練習する為」
「ある技……?」
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ぜにまは滝の前にお舟を連れて行く。
滝は轟音を立てて真っ白い水を天空から下に落としていた。
ぜにまは白滝の前に立つ。
「武蔵先生が、遺言とともに残してくれた巻物。そこに天狗の秘術が書かれていた。神通力を最大限に引き出して放つ、名すらまだ無い『究極の居合』」
「そんな……そんなもの使ったら、ぜにまさんはどうなってしまうの?」
お舟は滝の外から心配そうに呼びかける。
「おそらく使用すれば命は無い。それほどの代償を払っての秘技でござる。だが、師が命を賭して伝えてくれた。拙者は意味があってのことだと思う」
――ゴロッ
ぜにまたちが話していると、滝の上から黒々とした大きな岩が剥がれ、ぜにまの前に落ちてくる。
「ぜにま様、危ないっ!」
――ガンッ!
ぜにまは岩を居合で切る。いや切るというよりは、叩きつけたものだ。
刀の刃は欠け、岩をただ弾いただけ。
「姉との決勝戦までには使えるようにしたい。拙者はこの岩をも切るつもりでござる」
究極の居合、その居合にかかれば切れないものは無いという。
「……分かりました。その力を使いこなすまでやりましょう。でも私が手伝うのはぜにま様を死なすためでも、誰かを殺すためでもありません。あなたの命を守るため」
お舟は両手を胸に合わせて強く握る。自分の信じた道、振り返らずに一直線に行くしかない
「お舟、感謝する……」
ぜにまは滝の水に濡れながら刀を鞘に納め、またもや上から降ってくる岩を切るのであった。
「いやあーーーっ!」




