九の段 ぜにまの真実 『さくら』と『もみじ』
それはぜにまが師武蔵と出会う以前、遥か昔のこと。
「か〜ら〜す〜なぜなくの〜」
幼きぜにまが物心つき始めた頃の記憶。
夕焼けに包まれ、ぜにまと手を繋ぎ、歌をうたう大人びた少女の姿。
「からすは〜や〜まに〜」
「もみじ姉さま。そのおうたはどういうおうたなの?」
「あら、それではさくらにも歌詞を教えてあげましょう」
「うん!」
歌を教える少女。それはぜにまの姉。
名を『並木源三郎頼朝もみじ』といった。
そしてぜにま、もといその真の名。
『並木源九郎牛若さくら』といふ。
二人は高貴な血筋である源氏直系の子孫であった。
ぜにまは京の格式の高い屋敷で育てらた。
世話をしてくれたのお付きの乳母と姉もみじであった。
姉たちとの記憶は幼き日のものであり、ぜにまはほとんど覚えていない。しかし姉の美しい歌声と優しく握られた手のぬくもりだけはぜにまは忘れなかった。
その後、文が届く。それは二人の父からであった。内容は、二人のうち源氏を継ぐ事となったのは姉の並木もみじで決まったというもの。
これによりぜにまは、遠い親戚に当たる田舎の養父に育てられる事となる。
そして突然やってきた大好きな姉との別れ。
「さくらや、姉は京の都にいる父の手伝いをしに行きます」
「もみじ姉さまーっ! いやだーっ!」
乳母に抑えられる涙のぜにま。
「姉の代わりにこれを。この刀を持っていればきっとまたいつか、今日と同じ姉に会える日も来るでしょう」
姉がぜにまに置いていった刀こそ、源氏の宝刀『膝丸』であった。
そして姉と別れ、ぜにまは田舎の親戚の養子となり、数年を過ごすこととなる。
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ここは京の都から離れたとある野山。
太陽に照らされ、汗水流して泥にまみれる三人の姿。
百姓姿の里親と共に田植えを行っているのは成長したぜにまであった。
季節は春も過ぎ、日に日に日差しが強くなっていく夏。野山も春の緑から、夏の青さに近付いていた。
田植えも一休憩。
親子三人、木々の木陰で座り込む。
「ちゃんちゃんちゃん〜」
少し背が伸びた幼きぜにま。
何処から拾ってきたのやら、折れた藤の花を持ってきて、ヒラヒラ踊る真似をする。
「ありゃあ! こりゃベッピンさんな藤娘じゃ〜!」
ボロボロの着物にちょんまげ頭。痩せた体に、手ぬぐい百姓姿、養父の茂吉。
幼きぜにまの踊りに手を叩く。
「鮮やかだねぇ、疲れがふっとんじまうよ! さくらならOHーEDOでKABUKI役者になれるかもしれないねぇ〜!」
隣で笑うは養母お花。
ふくよかな女性で髪を後ろにまとめ、泥だらけの着物を着ている。
「わたし、KABUKI役者にはならないよ。わたしの夢はね、いつまでもお父さんとお母さんと一緒にいること! へへへ」
「そいつは嬉しいこと言ってくれるや!」
茂吉は歯の欠けた口で笑い、感動して鼻をすする。
「あたしら夫婦は幸せもんだねぇ、こんな出来た娘がいて。でもあたし達だっていつまでも一緒にいれるわけじゃないんだからさ。さくらはさくらの夢を見つければいいんだよ」
お花も優しそうに笑う。
「うーん、そうなの?」
「それが親心ってもんさ。さぁ、昼ごはん食べて午後からもう一踏ん張りだ!」
「……うん!」
幼きぜにまは養父母の愛情をしっかり受けて育った。
血は繋がってはいないが、小さい頃から面倒をみてくれた夫婦が、にまにとっては本当の両親と言っても過言では無かった。
それは茂吉とお花も同じだった。自分の人生を捧げ、ぜにまを自分の娘のように愛していた。
この平穏な日々がいつまでも続くとぜにまは心から信じていた。
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その日は突如として訪れる。
闇の空。静かな夜に三日月が輝く。
布団ですやすやと寝息を立てるぜにま。
そこにお花がぜにまの肩を揺すって起こす。
「さくらや、起きなさい」
彼女の顔はいつもの優しい顔ではなかった。真剣は声と表情にぜにまも何かを察する。
「どうしたの? お母さん」
「しっ。静かに……。母さんに黙ってついてきて」
お花は起きたばかりのぜにまの手を強引に引っ張り、寒空の下、外の納屋に連れて行く。
暗くじめじめした納屋には米俵がいくつも詰まれており、茂吉が中で待っていた。
「あんた、連れてきたよ」
「こっちだこっち」
茂吉は横に大量に詰んである米俵を一つ触る。
「いつかはこんな日が来るんじゃないかと思ってたんだ……。作っておいて良かった」
茂吉は米俵の編んだ部分を蓋のようにパカっと開く。
その中は空洞となっており、太い木枠で中を支えていた。
「お花。早くさくらをこの中へ」
「あいよ。さくら、この中にだま〜って静かに隠れるのよ」
「えっなんで? お母さんお父さん」
幼いぜにまは状況が理解できなかった。
お花はかがんでぜにまの肩に手を置き、その目をじっと見る。
「さくら、よくお聞き。あなたは命を狙われてるの。だから静かにここで隠れているのよ。どんなことがあっても絶対に叫んじゃダメ」
――ビリッ
するとお花は自分の着ていた着物の袖を破り、それをぜにまの口に縛る。
「黙って、目も閉じて、じっとして。耳も塞いでなさい。後はこの刀を離さずに持っとくの……」
「お花、さくらの準備は出来たか!?」
納屋の外を警戒する茂吉。
「ええっ!」
「ふんふんふー!|(おとーさん、おかーさん!)」
ぜにまはお花に『膝丸』を持たせられ、米俵の中に横向きに入れられる。
「お願い、静かにしていてね」
お花は米俵の蓋を閉め、中は真っ暗となる。
ぜにまは何がなんだか分からず、ただ恐ろしかった。なぜ自分がこんなことになっているのかさっぱり分からない。疑問はどんどん恐怖に変わる。
震えて膝丸を抱えることしか出来ない。
――パカラッ! パカラッ!
そこに聞こえてくるは複数の馬の駆け音。
「住民たちよー! 表に出てこい! 源頼朝様の使いのものだ!」
外からは男の野太い声。
松明の炎で周囲を照らし、馬から降りてくるのは直垂姿の男の侍たち。
納屋の戸で構えるは茂吉とお花。
「お前たち、ここの百姓だな! ここで預かっている源氏の子を出せ」
「お侍様、おら達はそんなの知らねぇ。只の百姓だ。きっと人違いでごぜいます」
「ええい! くだらん嘘をつけ! ここに源氏の嫡流がいる事は分かっておる」
「そんなもんいませんよ! 本当だぁ!」
茂吉は侍を納屋に近づけないように、その服にすがりつく。
「百姓の分際で口の聞き方も知らぬかっ! 邪魔だ、どけぇ!」
――ザシュ!
侍は茂吉の胸を一瞬にして刀で一斬り。
その顔が返り血にまみれる。
「うぐぉあ……」
茂吉の口からは大量の血泡が溢れる。
「あんたぁ!」
お花は血まみれになった茂吉を抱え、泣きながら叫ぶ。
「女! 源氏の子はどこにいる! 言わねばお前も同じように斬るぞ!」
「あんたぁ! あんたぁ!」
――ザシュゥーッ!
横一文字。
間髪入れず、侍、お花の首を切る。
吹き出る赤い血。
一瞬にしてあたりは血溜まり。
凄惨な光景。
米俵に隠れたぜにまには何が起こったか分からない。
しかし幼いぜにまに聞こえたのは姉『頼朝』の名前と、両親の断末魔。
ぜにまは自分の最悪の想像が現実では無いことを祈りながら耳を塞ぐことしか出来なかった。
全身は震えはじめ汗は止まらず、目からは涙。口は血が出るほどまで噛みしめ、詰められた布は真っ赤に染まる。
「探せーっ! 何処かにまだ隠れているぞーっ! 蟻の子一匹だって逃がしてはならない! 生きている者は全て殺す! 探し尽くせーっ!」
野山に火をつけ、刀を振りかざし、侍たちは辺りを探すのだった。
全てを失った日。絶望の記憶。
その日からぜにまの人生はどん底に叩き落とさ、武蔵と出会うその日まで獣のように成り果てたのであった。




