33.兎人族の少年
「……関わってはいけないとお伝えしましたよね? 俺がこちらに来るなと合図したことにも気付いてくださったと思っていたんですが?」
エリーザちゃんの馬車が去っていった直後、マティアスさんに物陰まで連行された私は、目立つ様にとあえて脱いでいたマントを羽織らされた。髪色はマティアスさんが精霊さんに頼み、再び金髪になっている。
そうして私の姿が元に戻った所で、マティアスさんのお説教タイムが始まった。私と話す時、マティアスさんはいつも「私」と言っていたのに、今は「俺」になっている辺りにマティアスさんの本気具合が伺える。
「す、すみません……」
私は体を小さくしてひたすら謝る。
黒髪黒目はこの世界では珍しく、その姿だと人間だと言うより精霊寄りに見られがちだということは竜騎士団の人達に会った時に気付いたことだった。私が精霊だと紹介されると、皆「やっぱり」って顔をしていたから。
この世界で精霊は恐れられている一面もあるみたいだったので、堂々と精霊らしさを出していけば、エリーザちゃんも引いてくれないかなという希望があった。相手は貴族と言えど若い女の子なので、未知の生物である精霊が出てきたら怯んでくれるかな、と。そのまま相手が逃げかえってくれば御の字だと思い、私は精霊さんに髪と目の色を戻してもらい、あの場に割って入ったのだ。
ちなみにあの鈴の声は、精霊さんの声だ。私達の腹話術は誰にも気付かれなかったようで何よりだ。
マティアスさんから怒られるのは承知の上での行動だったので、私はひたすら謝ることしか出来ない。関わるなと言われた直後のことだったしね……。私を心配して言ってくれたことなんだろうし、それを蔑ろにされればそりゃ怒るよね……。
あのままじゃ二人とも連れていかれそうだったし……などという言い訳はせず、ペコペコと頭を下げる私に、マティアスさんはやたら長く重い溜息を返す。
「……貴女が武装した見知らぬ男さえも助けてしまう、心優しい人だということを失念していました……。相手が子供となれば、貴女が手を差し出さない訳がありませんでしたね……」
マティアスさんの目に鋭い光が走る。
「アンドロシュ家の当主の弱みは握っているので、あのまま連行されたとしても場を収める事は出来ました。……そうなるとここに貴女を一人残してしまうことになりますが、貴女は竜騎士団の場所を知っていますよね?もし今後俺に何かあった場合、必ず竜騎士団に助けを求めるようにしてください。……今回は結果的に貴女が間に入ったことで、この場ですぐに事が解決したのは良かったですが。貴女は客人で、俺は貴女を守ると言いました。ですが、ご自身で問題ごとに首を突っ込まれてしまっては守れるものも守れない。……もっと自分のことを大切にしてあげてください。……貴女を大切に思っている人の心を守るためにも」
「……はい、すみませんでした」
「……分かっていただければ何よりです」
マティアスさんは仕方のない子供を見るような目で苦笑し、私が被っているフードを軽く撫でた。
マティアスさん、怒ったらメッチャ喋るんだね……。真顔で淡々と話すマティアスさん、怖い……。
私はなるべく彼を怒らせないようにしようと決意した。
さて、マティアスさんの怒りが収まった所で、私は少年を見る。
早急にあの場から立ち去ったマティアスさんが、腕に抱えたまま一緒に連れてきてしまったのだ。
少年は私とマティアスさんのやり取りをじっと見つめていただけで、これまで一言も口にしていない。
「君、怪我はなかった?」
目線を少年に合わせながら聞いてみると、少年はじっとこちらを見ながら、僅かに首を傾げる。そして自信なさげにゆっくりと一つ頷きを返した。
なんだか不安そうな反応に、もしかして私怯えられてる?と内心慌てるが、少年の背後に立つマティアスさんが小さな声で呟く。
「……恐らくこの少年、耳が聞こえていません。近づいてきた馬車から逃げなかったのは、周囲の音が聞こえていなかったからでしょう」
その言葉に驚き、咄嗟に少年の姿を確認する。
少年は丸くて白い尻尾を持つ獣人だ。マティアスさん曰く、尻尾の形から恐らく兎人族の子供だそうだ。頭には大き目のキャスケットを被っている。
兎人族は人族のように顔の横に耳はついておらず、頭頂部に大きくて長い耳があるのが一般的だ。しかし、少年のキャスケットには耳があるような膨らみはなく、当然人族のような耳も見当たらない。
「獣人の中には耳や尻尾の部位に魔力が集中している者がいるそうです。魔力は魔物にとってご馳走ですから……。魔物に襲われ、耳や尻尾を失った獣人は少なくありません。この少年もその被害者の一人なのでしょう」
魔物から被害を受けたと思われる少年を見る。
まだ十にも満たない、可愛い男の子だ。
こんなに小さな子がそんな恐ろしい目に遭ったのだということに憐憫の情を覚える。そして、人に容易く襲い掛かる魔物への恐怖も。
色んな感情が混ぜ合わさり、なんだか少し目頭が熱くなった。
こんなに小さな子供が魔物に襲われ耳を失ったのだとしたら、それはあまりにも悲しすぎる。
「アンドロシュ家の令嬢が怒鳴っていた時、彼は令嬢の口元を凝視していました。何を言っているか、口の動きで読み取ろうとしたのでしょう。……随分な早口だったので、彼女の主張は伝わらなかったようですが」
それはある意味不幸中の幸いである。エリーザちゃんは獣人を罵倒していたので、あの言葉を少年が理解出来なかったのなら、それで良い。
「また何かに巻き込まれたら大変ですし、出来れば家まで送ってあげたいんですが……」
「そうですね。……しかし、どうやってそれを彼に伝えたら良いものか」
「えぇっと……。お家まで送るから、場所を教えてくれる?」
「あ、あの……ごめん、なさい……わ、わからない、です……」
少年が口の動きを読み取れるようにゆっくりと話してみると、少年は蚊の鳴くような声で答えた。どうやらあまり読話が得意ではないらしい。
残念ながらこの世界に手話はないらしく、耳が聞こえない人とのやり取りは、ボディランゲージか読話か筆談の三択らしいが主流らしい。……手話が存在していたとしても私は分からないので、使いこなせる気がしないのだけど。
口の動きで意思を汲み取ってもらうのは難しそうだし、ボディランゲージで「家まで送る」と言うことを伝えるのは至難の業だ。
そうなると消去法で筆談になるんだけど……
「……読めない可能性が高いですが、確認してみましょう」
私達はちょうど近くあった雑貨店に入った。マティアスさんはそこで紙と羽ペンを購入し、すぐに店を出る。
日本には普通紙や上質紙、再生紙など色々種類があるが、マティアスさんが購入した紙は、触った感触が全然違った。硬くて表面がつるつるしていて何だか書きにくそうだが、この世界ではこれが一般的な紙らしい。昔見たことのある羊皮紙に似ている気がしたが、素材は魔物の皮を使っているらしいので当たらずと雖も遠からずといったところか。
ちなみに価格は日本基準で考えると少々割高だが、高額というほどでもない。一般市民でも普通に購入できる価格だそうだ。
マティアスさんは購入した羽ペンで「文字は読めるか?」と紙に記す。
「ご、ごめんなさい。字、わからない……」
マティアスさんが書いた文字の内容は分からずとも、何か文字を書いたことは理解したのだろう。少年は申し訳なさそうに首を振った。
この世界で学校に通うのは貴族や一部の裕福な商人などくらいで、一般人の、ましてや子供となると文字が読めないのは普通のことらしい。
中には家族が教えて小さい頃から読み書き出来る子もいるらしいが、その辺りは家や両親の教育方針によってそれぞれ異なるとのこと。
耳が聞こえない少年にとって筆談は重要なコミュニケーションツールのはず。それなのに文字が分からないままだということは、両親も文字が読めないのか、あるいは耳を失ったのが最近の話なのか。読話に慣れていないことを踏まえると、後者の可能性が濃厚だろうか。
字が分からないことに心底申し訳なさそうな顔をする少年を見ているとなんとかしてあげたいという気待ちが湧き上がってくるが、さてどうしたら良いものか……
「……あ。字が分からなくても絵なら分かるかな?」
「絵……ですか?」
不思議そうにするマティアスさんから紙とペンを受け取り、壁を机にしてイラストを描いてみる。
一つ目は、私とマティアスさんと少年が三人で歩いている絵。
そこから矢印を引っ張り、その先には家の前で笑っている私達を描く。少年の家の形は分からないので、完全に想像上のものだけど……これで伝わるだろうか。
使い慣れない紙とペンに少々苦戦しながらなんとか二つのイラストを描き終えた私は、少年にそれを見せてみる。
「……わぁ、スゴイ! これ、ぼくたち⁉︎」
イラストを見た瞬間、少年は先程までと打って変わって大きな声で歓声を上げた。
「……本当だ。素晴らしいですね、あの僅かな時間でこんな……」
一応絵本作家ではあるので、絵には少々自信があるのです!
とはいえ、少年のみならずマティアスさんまでキラキラした目で見てくるものだから、ちょっと恥ずかしい。私は仕切りなおすようにコホンと咳き込み、改めて少年にイラストを見せる。
「え? あ、もしかして、ぼくを家まで連れて行ってくれる……ってこと?」
「あ、よかった! 伝わった! うんうん、そうだよ」
嬉しくて何度も頷いて見せると、少年も嬉しそうに笑う。しかし、あっと何かに気付いたような表情を見せ、少し俯く。
「で、でも、お母さんが知らない人についてっちゃダメって……」
……た、確かに! 少年からすれば私達は見知らぬ大人なんだし、ホイホイついて行っちゃダメだわ。お母さんの言い付けを守るこの子は大変良い子である。
「マティアスさん、この子にマティアスさんが竜騎士だってこと伝えても大丈夫ですか?」
「えぇ、特に問題ありませんが……」
マティアスさんから許可を貰ったので、私はまたイラストを描く。簡易的だが鎧を纏ったマティアスさんのイラストだ。竜騎士だと伝えるために、鎧に竜騎士団のマークと、側にデフォルメされたドラゴンの姿を描いておいた。ドラゴンのモデルは勿論ヴァイスハイトだ。ドラゴンのイラストは何度も描いたことがあるので、自信あり!
「……お兄ちゃん、竜騎士なの?」
少年は私が描いた絵とマティアスさんを何度も交互に見る。
マティアスさんが頷くと、少年の顔が一層明るいものになった。
「ぼくのお兄ちゃんも竜騎士なんだよ!」
「そうなのか?……名前は?」
「レオ!」
会話の文脈と、「名前は?」と聞かれたことだけは分かったらしい少年が元気よく答える。レオって、まさか竜騎士団の本部で会ったオレンジ髪の?
「レオ?……まさか、レオ・ファクナーのことか?」
「ぼく、テオ・ファクナー!」
少年はテオ君と言うらしい。挙手しながら名乗ったテオ君の頭を撫でながら、私はマティアスさんを見る。
「マティアスさん、もしかして……」
「どうやらレオの弟みたいですね……」
……世間って狭いものですねぇ。




