7 仇討ちの始まり
タコス軍はテルのいない状態でハルカズム海域を進軍していた。
ほとんどのものがクレイオー軍と戦闘をしたままの状態である。戦闘による疲弊、損耗は隠しようもない。
その上タコス軍のほとんどはカララト海域からタロス海域を超えてクレイオー軍と戦闘をしたのである。戦闘後もナラエゴニヤ海域を超えてハルカズム海域に侵攻している。
そもそもの行軍距離が長距離となっているのである。
1ヶ月近くをかけて移動してきたとはいえ、やはり疲れるものは疲れる。
また、タロスの少し寒い場所で体を慣らしていたとはいえ、極寒のナラエゴニヤ海域で体調を崩した魚人たちも多い。ナラエゴニヤから出て海水温が元に戻ったとはいえ、一度崩れた体調が戻るには時間がかかるのである。
機械ではないのだから。
恵まれていることといえばハルカズムの交通事情だ。
岩肌を浅く削り取ったような道となっているため、道に迷わないで済むし行軍しやすい。
サイガンドも岩場であるが、あちらは切り立った岩がごつんごつんと並んでいるので街道以外はほとんど登山に近いものがある。
だが、ハルカズムは基本的に横長の岩でほとんど構成されている。そのため、タコス軍の行軍しやすさに拍車をかけるのだった。
だが、そんな行軍しやすいハルカズム海域で、タコス軍の足は鈍い。
「流石に動きが鈍いものが多いですね」
一二三は先頭を進むティガ軍の持つ幾つかの小さな明かりを頼りに全体の移動速度を見ていた。
それはいくつかの光が形をなし、先方にゆらゆらと頼りなく揺れている明かりであった。テルの発明したプランクトンランプである。
なぜ、そんなに遠方のランプの灯りが見えるのか。それはハルカズム海域が真っ暗だからである。常に夜のような海域で明かりのささない海底では今が昼なのか夜なのかすらわからない。
夜目が利く魚人であれば問題なく進めるのであるが、軍の中心を担っているイワシ魚人などは夜目が利かない。
彼らが安全を確保しながら進行するのに、とても時間がかかるのだった。
ハルカズムから宣戦布告が届き、これを機会に一気にハルカズムを攻め滅ぼそうとしたタコスの考えは、残念ながら甘い考えであると言わざるをえなかった。
「これは、色々計算外だったな」
タコスの金色の瞳が、夜の闇の中のようなくらい海底を見通す。
タコスは暗いところでも見えるのだ。
そのため、暗い海域だということが頭から抜けていたとも言える。
また、テルの抜けたこともこの事態を招いた遠因であった。
テルが抜けたため、混乱していた軍をまとめることに役立った『命令』であったが、「上からの命令にひとまず従うべき」という考えはそれぞれの魚人から考える力を奪い、誰もタコスの命令に異を唱えなかったのだ。
最近ようやく調子が戻ってきた一二三が危険を訴える。
「このままではベコ軍のやりたい放題となるでしょう。
相手はこの暗闇になれた魚人たちで構成されており、この遅い行軍速度では相手は前からでも後ろからでも好きな角度から襲いかかれるでしょう。
広い海域なのがせめてもの救いで数の有利がききますが、暗くて戦えないものがいる状態ではせっかくの広さも有効に活用できないでしょう。逆に同士討ちの危険性もあります」
「今更言われてもな」
タコスは肩をすくませる。普段であれば戦闘に出かける前にわかることであった。だが、今回の戦争では藤子を向かわせることもしなかったし、苦内に偵察をしてもらうこともできなかった。
そのこともあり、情報の面でも負けているのであった。
「勝っているのは数だけ、か」
それだけは確実であった。そしてそれだけがタコス軍が有利に戦える鍵であったのだ。
タコスはため息をつきながら、ベコ軍と出会う日を今か今かと確認しながら進むしかなかった。
ベコは思ったよりもゆっくり街道をナラエゴニヤ方面へ進んでいた。
食料は少なく、装備も足りていないのにもかかわらず、だ。
それは移動しながら補給を受けているからであった。
移動車に乗っていたベコは街道の様子を見ながら側に控えていたアングルに尋ねる。
「アングル。我が軍の状況はどうか」
「はい、食料はあと10日は持ちますし、武器はほとんどのものに行き渡りました」
「よろしい」
「一部の魚人がお手伝いしたいと参加を希望していますが」
「組み入れてやれ」
「はっ」
ハルカズムの首都オリザを出た時よりも、ベコ軍は充実していた。
その秘密は行軍しているときに受けている補給である。ベコ軍が進む街道の脇には食料を積んだ荷車が用意されていた。また、道端に携帯してきたヒート板で白パルを焼き上げている魚人もいる。
小さい村や町で鍛え上げた武器や、鎧、そしてその在庫を持ってきているものたちもいた。
彼らにベコ軍の特設交換部隊が対応する。
そして、相場の2倍でそれらの品を買っていくのであった。
では、どうしてこんなにも民たちの協力が得られるのか。
それはベコがあらかじめオリザからナラエゴニヤ方面の町という町に伝令兵を走らせていたからだ。しかも、ナラエゴニヤから逃げ出しながらである。
伝令はこういう内容であった。
『これからベコは軍勢を引き連れて迫るタコス軍との戦争を行う。ベコ軍の通る街道に食料、槍、鎧を持参し提供をしたものに、相場の2倍の料金で買い取ることを約束しよう』
金に目のくらんだ者たちはその多くが街道に物資を持っていった。
貧しい村などは滅多にない現金収入のチャンスに、村人総出で物資を持っていったのだった。とにかく売れそうな物であればなんでも持っていっていた。
結果として村が空になったところもあった。
お金の周りがいいところには人も集まる。
兵士となって勲功を稼ごうという町人などが出てもおかしくはなかった。
彼らの食料や武器もまた必要となる。
ベコが資金を必要以上に集めたのはこういった背景があったからである。
普通の軍備であれば、名士たちの提示した額の金銭でよかった。だが、確実を求めたベコは使えるものを全て使いタコス軍との差を埋めようとしていた。
いつのまにかベコ軍の軍勢は5500名を超えており、いつタコス軍とぶつかってもいい状況に整えられていたのであった。
タコス軍はようやくベコ軍と相対した。
ベコ軍はタコス軍の予想に反して正面から正々堂々と向かってきたのである。
ベコは移動車の上から堂々と声をかける。
「愚か者のタコスはいるか!」
「俺様に用か」
タコスは答えるように告げる。
タコス軍はいつもよりも多めにプランクトンランプを点けていた。こうでもしなければタコス軍は自分たちの位置さえわからないものがいるためである。
そのプランクトンランプに浮かんだ緑色に照らされたタコスは腕を組んでいる。
「お前はお姉様を卑劣な手段で殺し、あまつさえその兵士たちに降伏すら許さずに皆殺しにした。その許されざる行為に怒り、我々はお前と正々堂々と戦う!!!」
対するベコは自分の後ろに2つほどのプランクトンランプを置いているのみである。
それはタコス軍にベコの姿を印象付けるためでもあったし、これから戦う兵士たちを鼓舞するためであった。
「戦争であれば死者は当たり前だ!」
「だが、死なせすぎだ! 我が軍は最後の1人まで戦うとここに宣言しよう」
ベコ軍が正しいのだとアピールし、タコス軍は悪であること、ベコ軍は正義であることを兵士たちに刷り込んでいるのだ。
これでタコス軍の兵士は戦いづらいものが出るかもしれないし、ベコ軍はギリギリまで戦ってやろうと思うものもいるだろう。
タコスにとっては良くない状況である。
タコスはなんとしてもこの状況をひっくり返さなければいけないのだが。
「構わん!!」
「なに!?」
タコスは自信満々に答える。むしろ人の悪そうなニヤニヤ顔を作ってベコを挑発するのだった。
それに、ベコは驚いて答える。答えてしまう。
尋ねてしまってはタコスに答えることを許してしまうことになるのにだ。
「俺様は歯向かう奴は殺す。降伏する奴は生かす。先の大戦では降伏しないものが多かったので殺した、ただそれだけだ!」
タコスは自信に溢れた言葉で言い切った。
だが、それは詭弁である。
クレイオー軍の戦いで一体いつ死にそうになって降伏する時間があったというのだろう。
ほとんどのものは一瞬で『死のつらら』に殺されたというのに。
だが、あの戦闘の詳しい状況を知るものも、またタコス軍だけであった。
なにせクレイオー軍には生き残りはほとんどいなかったのだから。
ベコは反論を許してしまったことを悔しく思ったが、それを表には出さない。「間違っているかもしれない」という印象を兵士に与えるわけにはいかないからだ。
「かもしれない」それだけで心は動いてしまうのだから。
「どんなに言い繕っても我らが家族を殺したことは変わらない。あの世に行って彼らに詫びるがいい!!」
「詫びることはなにもない!」
お互いの言うことは平行線である。決して交わることはない。それでも言い合うのは自分の主張の正しさを兵士たちにすりこむことで、兵士たちがいかに戦いやすくなるかが変わるからだった。
そしていいところでお互いに舌戦を切り上げる。
「これ以上は話しても無意味だ」
「俺様もそう思う」
ベコは右手を掲げ振り下ろす。それに合わせてタコスも同じように右手を上げて下ろす。
「「突撃!!」」
「「「「「おおおおおおおおおお!!!!!!!!!」」」」」
兵士たちが雄叫びをあげる。それと同時にベコの後ろから照らしていたプランクトンランプが完全に消える。
ベコ軍は夜目が効くのだ。
あえてベコのいる正確な位置を教えてやる必要はない。
ベコ軍は暗闇の中に沈んだ。その暗闇から5500名の兵士が襲いかかってくる。
タコス軍はその敵兵を相手に戦うことになった。
テルの作ったプランクトンランプを掲げて。