6 弱肉強食
テルは震えながら、自分の中の語りかける声と争っていた。
近づいては消えていく死者の顔。
その全てがテルに問うていた。
『なぜ殺した』
「俺はいつも命がけだった! だから戦うことに悔いはない! やらなきゃ俺が殺されていた!!」
幻影がかつての敵の姿を形作る。
それはカララトの支配者であったコノワタであった。
コノワタの口が動き、いつもの言葉を誰かが言っている。
『なぜ殺した』
少なくともコノワタはカララト海域をうまく治めていた。タコスの目指す世界征服を実行に移すためには避けて通れない場所であったというだけで。
つまり、コノワタは完全にテル達のわがままで死んだことになる。
コノワタにも野心はあっただろう。だが、それはタコスほどのものではない。
せいぜいがカララト海域で優雅に暮らして、年老いた後はマカレトロで静かに暮らす程度の野心であった。
ダゴンを殺して成り代わろうというタコスの方がはた迷惑で凶悪な野心とも言える。
部下の管理に甘いところがあったのは確かだが、決して殺される程の失態を犯したわけではなかった。
コノワタは強かった。
テル1人ではとても勝てなかっただろう。結果的にティガが仕留めることとなったが、敵を殺すためには集団で攻撃するしか方法がなかった。
『なぜ殺した』
目の前にビゼンの顔が浮かぶ。
ビゼンはタロス海域の支配者であった。
残虐な手段を多く用いて攻め込んでくる恐ろしい相手であったが、タロス海域の当時の状況を考えれば仕方のないことだったのかもしれない。
タコス軍が支配してからは海域を超えて援助が送られた。今でこそ普通の海域と同じような食料や資源を確保できるが、ビゼン1人では海域を超えた援助を得られるはずもない。
少なくともタロス海域を本気でどうにかしようとしていたのは疑いようもなかった。
きちんと話し合えば殺す必要はなかったのかもしれない。
だが、ビゼンを殺したのは味方を守るために必要なことだった。
テルではとてもではないが、ビゼンと交渉して説得できるほどの能力は持ち合わせていなかったからだ。
『なぜ殺した』
クレイオーの顔が浮かぶ。
クレイオーはナラエゴニヤの支配者だった。
領民達を守るために1年以上前から準備をしてきた。先を見る目もあり、いい支配者でもあったのだろう。
クレイオーが統治していた時代のグルコースをテルは知っている。
あれは能力がある統治者でなければ、あの寒い地方ではとてもではないが発展しなかっただろう。
あまりにも多い軍団を前にタコス軍では真正面から太刀打ちはできなかった。
勝つためになりふり構っていられないタコス軍はがむしゃらに勝利を求めていた。
『死のつらら』は必要な措置であったのだ。
そう思うテルの目の前でクレイオーの顔が凍りつく。その変貌にテルは驚きと恐怖にビクッとしたが、顔は何も言わずそのまま次の人物へと変わっていった。
テルが魚人になったきっかけとなったダイアだって、対立の原因はテルの家族を食べたことが理由である。
だが、魚人の主食は魚。
魚からジンカして生まれる魚人であろうと、魚人となった時点で魚は食べ物くらいにしか見えなくなる。ダイアの行動自体は魚人として何らおかしいことではなかった。
カララトの1番魚人であるボンジモだって忠実に主人へ仕えていただけだ。戦争で出会わなければ死んでいく必要だってなかっただろう。
ナラエゴニヤの1番魚人であるポーラは、明らかに『死のつらら』が降った後に駆けつけた様子があった。死のつららに触れたものは瞬時に凍結してしまう。
それが、ポーラだけは動いた形跡があったのだ。つまり、主人であるクレイオーの危機に、主人の元へと命がけで向かったのだろう。
死んでいいような人物ではなかった。
次々と現れては消えていく多くの魚人達。
今まで戦ってきたどの魚人達にも何かしらの思いがあって、それぞれの思いを胸に戦ってきたのであった。
それを、テル達は自分の思いだけで周りの思いを消し続けてきたのだ。
そのことを思い消えてしまいそうなテルの心は、それでもあの敵は自分より強かった、殺さなければ殺されていた、勝つためには仕方なかったと叫び続けていた。
叫んで叫んで叫んで。
否定を繰り返した後に、目の前にアカネの顔が再び浮かんだ。
『なぜ殺した』
テルは何もいえなくなった。
だって、アカネはテルよりも弱い一般人だったから。
だって、アカネはテルと戦いをしなかったから。
だって、アカネの死は戦況に変化を与えるものではなかったから。
だから、テルはアカネを殺す理由がなかったから。
テルはようやく気づいた。今まで死者に向かって言い続けていたのは言い訳だったのだと。
敵が強かったから?殺していい。
味方を守るためなら?殺していい。
無我夢中であれば?殺していい。
そういっているのと同じであったのだ。
殺しを正当化しているテルには、だからアカネの死を受け入れることができなかったのだ。
もうテルには戦うこともできそうになかった。
戦い続けるには、もうテルの心はくしゃくしゃになってしまっているからだ。
幻視のアカネが口を開くたびにあの声が聞こえる。
『なぜ殺した』
『なぜ殺した』
『なぜ殺した』
その言葉、それはテル自身の声であった。
自分の心からも問われている。『なぜ殺した』と。そんなことに気づかず言い訳ばかりを並べ立てて、表面を取り繕って。
「…バカみたいじゃないか」
うなだれていたテルが、ふと顔を上げる。
そこには嫌でもアカネの墓石が目に入った。だが、実際に目に入っていたのだろうか。
初めてテルはアカネの墓をまっすぐに見たような気がした。
無力で無抵抗なアカネを殺して、自分を正当化して、一体何をしたかったのだろうか。
テルがそんな風に思っていた時に、記憶の片隅からアカネの声が聞こえた。
『私も戦っていますから』
それはいつのことだっただろうか。
ナラエゴニヤの街の中だったと思う。アカネに兵士たちが怖くないかと聞いた時、アカネが怖くないといったのだった。自分も戦っているのだから、と。
テルは、自分がまた間違っていることに気づいた。
アカネも戦っていたのだ。決して無抵抗ではなく、彼女は彼女なりのやり方で。
この世界は非情である。
油断をすれば強いものに食べられる弱肉強食の世界である。
その世界の中でみんながみんな、それぞれの戦いの中で必死に戦っているのだ。
戦いに負ければ時には死んでしまうだろう。だが、戦わないよりはまだ全然マシなはずである。
少なくとも戦っていないものなど、この世界には誰もいないのだから。
大将は軍を率いて相手に負けないように指揮している。
兵士は目の前の敵と戦うだろう。
鍛冶屋はより良いものを作るために目の前の武器と格闘している。
料理人はいかに美味しい料理を作るか過去の自分と争っている。
宿屋は疲れて帰ってきたものを受け入れるため、準備に奮闘しているだろう。
それぞれが生きるために戦っているのだ。手を休めることなく、今日よりも明日を、明日よりも明後日を生きるために。
それは、果たして現実の日本と何が違うのだろうか。
眠っていたのはテルだけだ。
テルだけが世界は優しいものだと目を背け続けていただけに過ぎない。
いい加減に目を覚まさないと、これ以上に大事なものを失ってしまう。
『…ジンカしてどうしたいんだ?』
かつてのタコスの言葉が思い出される。ジンカをしたいといったときに、タコスはその理由をテルに尋ねたのだった。続いてテルはタコスとの会話を思い出していた。
『ジンカして強くなって周りのやつに殺されたくないんだ』
『ジンカしても強い奴はいる。殺そうと思えば魚でも魚人でも変わらないと思うが』
『それでも一方的に食べられる状態からは抜け出せる。それに、絶対に許せない奴がいるから。そいつは倒さないといけない』
『ふぅん…怒り、ねえ』
『悪いか?』
『いや、いいんじゃないか? 何かに怒れる程に大切な何かを持てたってことだからな』
そう、タコスはジンカしても争いは終わらないと言っていたじゃないか。その時に出した稚拙とも言える答えに、タコスは応えてくれた。
今ならタコスが言いたかったことが分かる気がする。
『ようやく吹っ切れたみたいね』
記憶の中から他の声も聞こえる。それは遠い遠い記憶。テルがまだ弱々しいイワシだった時の記憶だ。
この頃は兄たちの死をようやく乗り越えたばかりだった。そして、全て自分の力でどうにかできると信じて疑わなかったときでもあった。
イワ美姉さんの懐かしい声を思い出してテルは視界がゆがんでいくのがわかった。
『吹っ切れたというか、目標ができたんだ。次は守れるくらいに強くなるって』
テルは自分の言葉を笑ってしまう。
だが懐かしい思い出がこの頃わかっていた心を、今のテルが忘れてしまっていた心を、思い出させた。
テルは守りたかったのだ。守れずに悲しんだのだ。奪ったものに怒ったのだ。
イワシだった時とは違うが、本質は同じ戦いをテルは未だに続けていたのだ。
『弱肉強食』
自分のしたいことをするために、テルは戦うのだ。
戦わなければ食べられる。食べられたらしたいことすらできない。守ることだってできなくなる。
時には守ることができなくなるだろう。守れなかったことを悲しむこともあるだろう。奪われたことに怒ることもあるだろう。
「だが、もう迷わない」
テルはランプを持ち上げる。守るべきものたちの場所へ向かうために。
テルは槍を背負う。仲間たちのために戦うために。
いつのまにか空から降っていた雪はやんでいた。