4 放浪
誰もいない平野をテルは一人歩いていた。
どこに向かって進んでいるのかすらもわからない。そもそもテルは自分がどこに向かって進んでいきたいのかさえ決めていないのだから。
ただ、誰もいないところへ行きたかった。
立ち止まると後ろから死んでいったもの達が捕まえに来てしまうのではないかと、そんな考えだけが体をつき動かしていた。
そんな思いに押されて歩き続けていたテルは、ようやくここがナラエゴニヤ海域ではないことに気づく。
上を見てももう空をおおう氷は無くなっている。
体を襲う寒さもほとんどなくなっていた。むしろ歩き続けで暑くなってきていたので、テルは分厚い上着を脱ぐとそこら辺へ投げ捨てた。
寒くない地方にいるのならば防寒着などいらない。
ナラエゴニヤに今更帰れるわけもない。
テルは人殺しの恐怖からだけではなく、仲間達からも逃げ出したのだから。
真っ暗な辺りを見回した。
今が夜というわけでもないのだろう。だが、辺りはほとんど見渡せないくらいに暗くなっていた。
テルは背負っていたおおきなリュックからランプを取り出す。
テルが開発したプランクトンランプだ。これで大分マシになる。
テルはその明かりを頼りに、一人で暗闇の平野を歩いていくのだった。
ときおりナラエゴニヤから流れてきたのだろうか、冷たい海流がテルの横をすり抜けていく。
その冷たさについ首を縮めるテル。
上着を捨てたのは早まったかなと思いながら、そんな海流達とまた歩き出すのであった。
その日も歩いていたテルは空から雪が降っているのに気づく。
「……雪」
真っ暗な空から白い粒が降って来ている。
それはどこからきて、どこへいくのか。
テルは手を伸ばしてその雪のひとひらを手に取る。するとその雪はテルの手の平で弾んではらりと崩れた。
地上の雪を知っているテルはそれが雪であるはずがないことを知っている。
冷たくもない、積もりもしない。
でもどこかもの悲しくなるのは、やはり雪なのだろうと思った。
プランクトンランプの淡い緑の光がちらちらと降る雪を照らして、テルを不思議な心にさせた。
それは確かなもの悲しさと一緒に、テルの傷ついた心を少しだけ癒してくれるのだった。
雨などが降らない海の中で雪が降りしきる中、テルはふと目の前に1つの村があるのに気づいた。
賑わってはいないが決して寂れきっているとも言えない村のようだが、残念ながら村人達はどこかに出払ってしまっているのだろう。
ひとっこひとりいないというのも珍しいのだが、テルとしては関係なかった。
テルは未だに多くの魚人を殺した悲しみと後悔に揺れていたのだ。
今でも簡単に思い出せる景色。
鮮明に目に焼き付いた凍り付いた魚人達の、決して動くことのない顔、顔、顔。
残った冷気でわかるほど、生き残ったものなど誰一人いないであろう、凍った粒子できらめく海。
その度にテルの心に誰かの声が響くのだ。
(なぜ殺した)
その度にテルの心は悲鳴をあげるのだ。
「殺したくて殺したんじゃない!」
誰かの声をかき消すように、大きな声で独り言を叫ぶテル。
だが、決してその誰かの声が止むことはない。
それは誰の声なのだろうか。テルにはわからない。そんな声に押されるようにその目の前の村を通り過ぎようと思った。
誰もいないのはテルにとって都合が良かった。
悲しみに包まれている今は誰とも会いたくはないと思っていたから。
村が終わりに差し掛かる。
もう少しで完全に通り抜けられると思ったテルは安堵した。なぜ安堵したのかもわからないがホッとしたのは確かだった。
そんなテルの視線が、村はずれから漏れている明かりを見つける。
普段であれば決して気づけない弱々しい明かりであっただろう。
だが、ここはハルカズム。
常闇の海域である。
少しの明かりでも、『明かり』というだけでテルは気になって見に行った。
誰とも会いたくなどなかったはずなのに、テルはその明かりに引っ張られるように近づいて行ったのだった。
テルが明かりに惹かれて着いた場所は墓場だった。
誰の墓ともわからない墓石を通り抜けて明かりの方へと近づいていく。
どうも明かりの発生源は墓場の中でも1番奥のようだ。
止まない雪の降る中、ふらふらとした足取りでテルは墓石の林を通り抜けていく。
そしてたどり着いた。
テルが見たのは土が盛られただけの簡単な墓であった。
少し昔の日本であれば「どまんじゅう」というやつである。地面に埋めて、そこに盛り土をしただけの簡単な墓のことだ。
そこにサンゴの棒がつき立てられており、棒の枝分かれした部分にプランクトンランプが掛けられていた。
テルが引きつけられたのはこのプランクトンランプの明かりだったのだろう。
ランプは海流の緩やかな流れに、右に左にゆっくりと揺れていた。
誰の墓かはわからない。
だけど、それはつい先程、誰かが作り上げた墓なのだということがわかった。
プランクトンランプは今やほとんどの海域で普及している。
だが、そんなに安いものでもないのだ。お参りに来たとしても墓に置きっ放しにしておくほどのものでないのは確かだろう。
その誰かが帰ってくることにようやく考えが至り、テルはその墓から離れようとした。
いまは誰とも会いたい気分ではなかったのだ。
だが、それは少し遅かったようだ。
「誰だ?」
その誰かは今、帰ってきたようだった。