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マーマンと海に降る雪  作者: ベスタ
4/12

3 命のろうそくを燃やして

 ハルカズムの支配者ベコは、首都オリザにて居城の廊下を歩きながら報告を聞いていた。


「我が軍の食料はほとんどがナラエゴニヤへと輸送してしまい、現状で進軍した場合10日もすれば蔵が完全にカラになってしまいます」

「装備が足りません。槍があと800本ほど。鎧の支給が1200着」


 部下たちが早足で歩くベコについて歩き、報告書の粘土板を見ながら現状を報告する。

 少しの時間すらも惜しいとばかりに歩いていたベコは、それに回答をしながらも歩みを止めることはなかった。


「ハルカズム海域で戦うのだから食料に関してはそれだけあれば十分です。敵はこちらに攻め込む好機を逃さないはず。それでもダメならオリザの住人に食料増産の指示を出しなさい。

 装備に関しては各町々に装備を届けさせます。現状はその数でいい。最悪オリザの武器屋に装備を提供させなさい。資金は相場の2倍を出します」

「「了解しました」」


 部下たちは素早くベコの歩いていた道をそれて離れていく。ベコに指示されたことを実行しにいくのだろう。

 ベコはアングルのみを従えて、そのまま長い廊下を歩き正面の大きな扉を開く。


 ギィィィィ……


 扉の開く音とともに扉の奥に控えていた裕福そうな何人かの男たちが立ち上がった。

 この広間はオリザ城の来客をもてなす応接室である。実は外から盗聴などされないように防音設備も整っているのだが、今はそんな機能を使う必要もなかった。


「お待たせいたしました。では、これから軍資金について話し合いましょう」


 上座に移動するとベコが着席する。その着席に合わせて男たちも着席をした。

 ベコは時間が惜しいとばかりに挨拶などを省き、直接本題に入っていった。


 一部のものは自分の目を疑っているようだ。

 なにせベコは今、かつてからは信じられないくらいテキパキと動き回っているのだ。元々病弱であったベコがどうしてこうも変われるのかと驚くのも無理はない。


「私はこれだけの資金が出せます」

「私はこれ程」

「私はこれくらいですかな」


 それぞれの男たちが差し出す粘土板をさっと目を通すベコ。

 彼らはハルカズムの名士達である。大商人であるとか、先祖の活躍により貴族のような暮らしをしているもの達などだ。


 これから戦争を始めようとしているベコは、彼らから資金援助を得ようというのであった。

 資料を見終わったベコはその名士達の差し出した粘土板に数字を書き加えると突き返した。


「せめてこれくらいでお願いいたします」

「なっ!?」

「こ、これは…」


 そこには各名士達が出せるギリギリの金額が提示されていた。しかし、彼らにも生活がある。その要求を受けていては頭の中身を疑われてしまう。


「これはのめませんな」


 椅子にゆったりとすわった1人の男が堂々と反発した。大商人のヤーコックである。ハルカズムで宿を経営しており、財を成したものである。

 高圧的な交渉には毅然きぜんと反対ができる男であった。

 しかし、ヤーコックの反対を冷静に見てとったベコは立ち上がると、宣言する。


「では、援助していただかなくとも結構。早々にお引き取り願います」


 その言葉に今度はヤーコックの方が慌てる番であった。高圧的な態度に高圧的に返事をして、そこからお互いの譲歩を引き出すのが商人の知恵である。

 だが、それをいきなり交渉決裂である。焦るのも無理はなかった。


「事前通達で私は十分の報酬を約束しています。借りた金額の倍を戦後に返却するという破格の条件を。それがのめないのであれば私から提示できるものはありません。お引き取り願います」


 ベコの毅然とした態度に周りの男達も押され気味であった。かろうじてヤーコックが椅子から立ち上がり反論した。


「しかしこんな金額を提出しろと言われても我々が生活できない」

「なにか勘違いしているようですね」


 ヤーコックの言葉を断じるとベコは告げる。


「私はあなた方の経済状態を税から逆算できます。だからこそ、ギリギリ生活できるレベルを見極めています。さらにあなた方の提案した金銭では戦争をするのにあまりにも足りない。

 先程書いた金額はお互いの最大の譲歩の限界であると理解していただきたい」

「ぐっ…」


 流石のヤーコックでも言葉が出なかった。これは話し合いなどではなく一方的な通達だとようやく理解したのである。

 黙り込んだ面々の顔を見て、ベコはまとめる。


「異論はありませんね。結構。

 では後ほど係りの者を向かわせます。とどこおりなく処置を行うように」


 そういってたち去ろうとするベコにヤーコックはなんとか食らいついた。


「ま、待ってくれ。これから戦争をするんだ。金を貸して負けました死にましたじゃ俺らが飢え死にしてしまう。せめて保証をくれ」

「戦争に勝てばタコス軍は一気に瓦解がかいします。あとで豊かな土地で豊富な資金を使いいくらでもお金を稼げるでしょう。

 負けた時は、そうですね……」


 少し考えてベコは微笑む。


「マカレトロの大叔父様にも連絡をしておきます。それでお金を返していただけるでしょう」

「そ、それなら」


 ヤーコックはようやく安心した、という顔で書類にサインをして椅子に座り込んだ。

 ベコだけでなく支配者の言うマカレトロの大叔父とは、全ての海の支配者と言われるダゴンのことである。

 神話の生き証人の名前を出されて、ヤーコックも安心したのだろう。


「では私はこの後も忙しいので失礼いたします。どうぞごゆっくり」


 そう言ってベコは椅子から立ち上がり退室する。扉が閉まる直前、部屋の中からため息が聞こえた気がしたが誰のため息かなどと考えている暇はない。

 ベコのきつい態度が終わり、思わず気が緩んだだけなのだろう。

 再び歩き始めるベコについて歩いているアングルが言葉を発する。


「しかし、ベコ様も人が悪い」

「何がです?」


 そう言いながらベコは、アングルから食事を受けとりながら粘土板に目を通している。兵士の名簿であり誰がどういった経歴を抱えているかを確認しているのだ。

 そこまで細かい指示を本来ベコクラスが出す必要はないのだが、今回は敵よりも少数部隊である。

 勝てる要素があるかもしれないことは確認しておくに越したことはなかった。

 アングルがそんなベコに、さらに次々と粘土板を渡しながら話しかける。


「先ほどの交渉のことです。

 我らが負けてしまえばマカレトロまで目と鼻の先です。当然ダゴン様も戦争準備に取り掛かることでしょう。そんな忙しい時に隣の領主の借金を返せと言いに行く?

 とてもではないですが無理でしょう。下手をすればさらに金を取られるかもしれませんな」

「死んだ後のことなど私たちが気にすることではないわね」


 ベコは先程の名士達からダゴンの名前で金を借りたに過ぎない。圧倒的なダゴンの信用を利用しただけなのだ。

 そんな信用などですぐ使えるお金が手元に入ってくるのであれば、ベコは迷わずその手段を取るのだ。


「今回の戦争はスピードが命です。5000名の兵士でもお姉さまの軍と戦って、疲弊しきっているタコス軍であれば戦闘を優位に行うことができる」


 だからこそ多少の無茶を押してでもベコは準備を急いでいたのだった。

 それこそ立ち止まる時間すらも惜しんで。


 そんなベコの視界が揺らぎ、ふとベコ自身理解していないままに足元が揺らめく。


「ベコ様!」

「…大丈夫です」


 とっさにアングルが脇を支える。ぐったりしているベコはそれでも言葉に力が残っていた。

 ベコはなんとか立ち上がるとアングルに声をかける。


「自分の管理は自分で行います。確かに少し無理がきているようなので4時間ほど眠ります。時間が経った時、無理やりにでも起こしてください」

「承知しました」


 アングルはベコの部屋まで見送る。部屋の中に一人で入り扉を閉める瞬間、ベコはアングルに声をかけた。


「アングル。あなたも休んでいません。休養を取りなさい」

「いえ、私は「これは命令です」」


 ベコの重ねる言葉にアングルは言葉を引っ込めて頭を下げる。


「承知いたしました」

「お願いね」


 ベコが部屋に入るのを見送った後、アングルは通りがかった兵士に3時間したら起こすように伝えて、自分も仮眠を取ることとしたのだった。






 驚異的なスピードで軍勢を準備したベコ率いるハルカズム軍はオリザ城の前の広場に整列していた。

 広場に面した城のバルコニーへと向かうベコは鎧を着込む。

 そして、鎧の中で挟まっている長い髪を鎧から引っ張り出した。


 ベコの長くて艶やかな黒い髪が宙に舞う。

 少し癖のある髪ではあるが、姉が褒めてくれた髪である。ベコは切る気のない髪を束ねると、兵士が待っている広場からよく見える城のバルコニーへと出るのであった。




 バルコニーから見渡す兵士5000名。広場を埋め尽くす兵士達は十分多い数に見えるが、対するタコスは1万の兵士を抱えているのである。

 だが、ベコの用意できる最大の兵士が5000名であったのだ。ベコに悔いはなかった。


 広場に並んだ兵士たちが思い思いベコに視線を集中させる。

 その兵士たちの前に怯えることもなく立ち、ベコは声を張り上げた。


「皆よく集まってくれた。私はこれほどの勇士を集められたことを誇りに思う」


 ベコの綺麗な声が広間に響き渡っていった。それはがなりたてるような声音ではないのに、不思議と兵士たちの耳に届いていった。


「先のナラエゴニヤの戦いで、敵のタコス軍の卑劣なる手段によって、私は姉のクレイオーを失った。それは私にとって大きな損失であった。立ち直れないと思えるほどの損失だ」


「だが、タコス軍はそれだけに止まらず、今度は我々のハルカズムを、そして最後には偉大なるダゴン様ですら殺そうと、その牙を向いて侵攻をしてくるのだ」


 言葉を区切り角度を変えて兵士全員に届くように声を響かせるベコ。

 ベコは大きく手を横に降る。兵士たちに見えるように大きな動作で、少し大げさでも構わなかった。

 ベコの動作に心を奪われたように見入る兵士たち。


「それは決して許せることではない。だから我々はタコス軍と戦うために立ち上がらなければいけない」


 ベコはそこで少しだけトーンを落とす。


「この中には友を失ったもの、家族を失ったものも多くいるだろう」


 それは事実である。クレイオーが編成した軍はハルカズムから食料、武器、そして兵士も供給されていたのだから。先の戦争ではハルカズムからも多くの兵士が死んでいったのだ。

 それは今残っているもの達の親兄弟、そして友人だったもの達であろう。


「そんなことをした奴らを皆は許せるだろうか。私は許せない。だからこそ私はここで、失意に一度は折れた心を奮い立たせ、自らの足で敵の前に立つことを決意したのである」


 手を振り上げるベコ。その姿には今までのひ弱なお姫様のようなイメージは完全に消えていた。着ている鎧もそのイメージに一役かっていることだろう。

 ベコはなおも強い口調で続ける。

 兵士たちの顔に、興奮がみなぎりつつあるのがわかった。


「我々は苦しい立場に立たされているだろう。だが、そんなことは物の数ではない。なぜなら我々には、多くの仲間達の魂がついていてくれるのだから!」


 両手を広げるベコ。常に薄暗いハルカズム海域の空から、チラチラと白いものが降り始める。


 ベコの特殊能力の『雪降らし』である。

 ベコの降らした雪は多くの魚達を育み、多くの魚は多くの魚人となり、多くの食料となる。

 暗闇であるハルカズムが実は食糧生産ではトップクラスであるのだが、その理由がこの雪降らしであった。


 兵士たちの顔に希望が満ちあふれ始める。

 それを見て手応えを感じたベコは、空に掲げた手のひらを強く握りしめる。


「そして、多くの魂が安らげるように、愚かなタコス軍に正義の鉄槌を下してやるのだ!」


 その掲げた右手の握りこぶしをバルコニーの手すりに強く叩きつける。それと同時にベコは声の限り強く叫んだ。


「我々の、手によって!!!!!」

「「「「「おおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!」」」」」


 ベコの声が広場に響く。その声に応えた兵士の叫びが、さらに仲間の叫びをよぶ。

 広場に集まった5000名の兵士たちが槍を自分の鎧に打ち付けて物音を立てて鼓舞した。

 彼らは仲間の弔い合戦に向かうのだ。

 絶対に許せない思いを胸に。


 ガンガンガンガンガン!!!!


 鎧と槍を打ち鳴らす音で広場が埋まる。あちらこちらでベコを讃える声が上がる。

 ベコはにこやかに左手をあげてその声に応えると手を振り下ろす。


「出陣!!!」


 ベコが水平に突き出した手に従って、兵士たちは整然とハルカズムを出発していく。

 にっくきかたきを目指して。




「お疲れ様でございました」


 アングルはバルコニーから中に戻ったベコの体を支える。ベコは室内に戻った途端、またもやふらついたのだ。

 それでもベコはアングルに尋ねた。


「……兵士たちは元気に向かっていった?」


 そのベコの声はひどくかすれていた。元々大声を出すような性格ではないのだ。しかし、自分の喉が枯れてでも兵士を鼓舞することが、劣勢であるベコの軍には必要だった。

 兵士たちが一瞬たりとも自分の戦いに疑問を持たないように。

 自分たちが正しいことをしているのだと思い込めるように。


「はい。ベコ様は立派に務めを果たされました。しばし、移動車でお休みくださいませ」

「ええ、そうさせてもらうわ」


 糸が切れたように眠りについたベコをかかえて、アングルは移動車へとベコを連れていった。


 移動車とは人力の馬車のようなものである。

 天井はついていないが、車輪が4つついた2人乗りの車であり、高貴なものが移動時に乗ることがある乗り物である。

 普通の支配者や魚人は滅多に使わないものであるが、ベコは体が虚弱なため頻繁に使われるのであった。


 アングルは移動車にベコを乗せると、医者を移動車に同行させた。

 ベコの手の治療のためである。


 ベコはパフォーマンスのためにバルコニーの手すりに拳を叩きつけた。その時に手を痛めていたのだ。

 だから右手を叩きつけて、兵士に応える時は左手を振っている。兵士たちに気取られないように、激痛が走っていても表情を1つも変えずに。


 そんなベコの姿を見ながらアングルは軍全体の流れを見直していた。

 予定通りに行けばベコ軍の準備はタコス軍との戦闘開始前に整う予定であったからだ。


 頑張りすぎの主人を前にアングルもまた、この戦いに全てをかける覚悟で挑むのだった。

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