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マーマンと海に降る雪  作者: ベスタ
2/12

1 クレイオーの死

※あらすじでも書きましたが、前作「氷海のマーマン」の続きとなっております。

前作で起こった事象が本編に関わってきますので前作を読むことを推奨しております。

ご了承ください。

 ハルカズムの支配者であるベコは、ナラエゴニヤの支配者であり最愛の姉であるクレイオーの帰りを待っていた。

 クレイオーは今までベコとの約束を一度たりとも破ったことはなかった。

 今度の戦争でも帰ってくることをベコは疑うことすらしなかったのだ。


 ベコが愛する姉の部屋で静かに過ごしていると、部屋に足音が近づいてくることがわかった。だが、それは姉の足音ではない。

 ベコの聞き慣れた足音でもあった。

 部屋に入る前からベコはその人物の名前を呼ぶ。


「どうしましたか。アングル」

「失礼いたします」


 アングルは気の利く魚人である。

 それもそのはず。ベコが姉以外に気を許している唯一の魚人だからである。

 アングルはハルカズム海域の1番魚人でもあるのだから。


 だが、入室した今日のアングルからはいつもの余裕を感じられなかった。

 むしろその表情からは焦りが表にわかりやすく出ているほどであったのだ。

 その表情に、ベコは何か異常事態が起きたのだとわかった。


「どうしました。ハルカズムで何かありましたか。

 それとも、お姉様のいないグルコースで暴動でも起こりましたか」


 そうなればクレイオーにとって危険な状態となってしまう。

 姉には告げていないが、不測の事態のためにベコはハルカズムからナラエゴニヤに移動してきていたのだから。


 急いで立ち上がったベコに、しかし、アングルは苦悩の表情を浮かべるだけで答えを示さない。

 能力の高いアングルである。

 ここまで言いづらそうにすることなどほとんんどないと言ってもいい。


「どうしました?」

「ベコ様。どうか、気を強く持ってお聞きください」


 よほどのことでない限りベコは重責じゅうせきに押しつぶされない精神力を持っていた。

 そうでなくては海域の1つを治めることなどできはしないからだ。

 静かにうなずくベコにアングルは少しだけ言葉を探した後、意を決して告げた。


「クレイオー様が、戦死されました」


 最初、アングルの言葉が耳に入ってきたベコは、その言葉の意味がわからなかった。

 まるで遠くで雷がなったように、意味として言葉が頭の中に入ってこようとしないのだ。

 呆然と立ち尽くすベコを前に、アングルも痛ましそうに目を瞑る。


 伝える前からアングルにもわかっていたことだった。

 だが、伝えなくてはいけない。

 ベコはハルカズムの支配者であり、これからここグルコースの街にタコス軍が迫っているのだから。

 ベコがハルカズムに避難しなければ、捕らえられたベコを楯にハルカズムもそのままタコスが支配することとなるだろう。


 アングルはハルカズムの1番魚人として、それを阻止せねばならなかった。



 少しして、ベコは動き出した。


「嘘、よね。そうに決まっているわ」


 それは現実を拒否する言葉であった。それとは逆にベコの悲しみの声音が、既にクレイオーの死をベコが認めたことをアングルに伝えていた。


 ベコは優秀である。

 体はたしかに弱いもののその分内政向きであり、頭の回転はクレイオーをしのぐほどである。

 そのベコがわからないはずがないのだ。

 だが、建前だけでもベコは、クレイオーの死を絶対に認めたくはなかったのだ。アングルにすがりつくベコは少しだけ痛々しい笑顔を浮かべる。


「お願い、アングル。嘘だと言ってちょうだい。そうしたら私はひどい嘘だったわねと言って、笑って許してあげるから。早く。お願い……」

「ベコ様。申し訳ありません」


 頭を深く下げるアングル。そして主人であるベコをまっすぐに見て伝えた。


「真実です」


 それは無情にもベコの心を切り裂いた。

 ベコの柔らかい心に冷たく鋭利な真実のナイフが、容赦なく突き立てられる。悲しみという名の血が心からあふれて止まらない。


「嘘よっ!!!」


 ベコのその叫びはもう、懇願であった。天を仰ぎ誰に向かうともなく叫ぶ。


「お姉様は私と約束したのよ!? ここに帰ってくるって!! お姉様は決して約束を破らないわ!!それ以上お姉様を侮辱するならアングルといえども許さないわよ!!!」


 ベコは立ち上がると猛然とアングルにつかみかかる。そのベコの細腕をあっさりと掴み、アングルは言い聞かせるようにゆっくりと現実を説明した。


「このっ! このぉっ!!」

「クレイオー様は昨日、平原にて相対したタコス軍に有利に動いておりました。しかし、その戦いが半ばまで来た時、急に空から冷気が降り注いだそうです。

 一部の老人たちがいう『死のつらら』なるもので、クレイオー様は戦死なされました」


 振りほどこうと暴れるベコの手をしっかりと掴み、アングルは1番魚人の責務を果たす。それでもベコは暴れまわる。最愛の姉がなくなったと聞いて、どうして冷静でいられようか。


「ポーラはどうしました!?」

「ポーラはクレイオー様の救出に向かいましたが、共に戦死されました」


 クレイオーの所にベコはよく来ている。

 それについて来ているアングルもよくクレイオーの元にきていた。

 そしてクレイオーの元には、彼女の1番魚人であるポーラもいたのである。もはや家族のようなポーラすらも失った。それはベコの許容限界を超えていた。

 快活に笑うクレイオーにつきしたがい、しっかりとサポートしてくれていたポーラ。あの光景はもう戻ってこない。


「こちらにタコス軍が迫っています。はやくハルカズムに戻りませんと………」

「いやよっ!!!!」


 連れて行こうとするアングルの手を全力で振り解くベコ。


 パシン


 その時ベコの手が跳ね上がってしまい、アングルの顔を強く叩いてしまった。

 ハッと息を飲むベコ。

 その様子を見て、アングルはベコがこの状況でも誰かを思いやれる優しい主君であることを誇りに思った。


 ベコがアングルの頬を恐る恐る触る。


「アングル。頬に、血が」


 ベコの手が当たる時、爪で少し切れたのだろう。アングルの頬に筋となって血がにじみ出していた。

 アングルは自分の頬を触っているベコの手をガシッと掴む。

 その力強さにびくっと怯えるベコであったが、アングルは伝えるべきことを再び伝えた。


「私はクレイオー様にベコ様のことを頼まれています」

「あ、ああ」

「私が聞いたクレイオー様の最後の頼みです。できる限り叶えてあげたい」

「ああ、ああああ……」


 言葉にならない言葉を漏らしながらうなだれるベコ。アングルはこのベコを強いと思った。


 今でこそ、アングルの体を支えとしてなんとか立っている状態だ。だが、くずおれて座りこんでもおかしくない状態でそれでも自分の足で立っているのだ。

 体こそ虚弱であるベコだが、心は誰よりも強いのだと。


 やがてベコは顔を上げた。

 そこには甘えるだけの妹であるベコではなく、ハルカズムの支配者ベコがいた。


「……アングル。脱出の準備をしなさい」

「もう既に」

「そう、では出発します。場所はハルカズム海域の首都オリザに、途中の村々によりながら向かいます。あと、伝令を先行させなさい」

「なんと伝えましょうか」

「残ったものたちで戦争の準備をせよ、と」


 ベコはしっかりとアングルを見つめていった。


「これはお姉様のかたき討ちです」

「わかりました」


 どのみち、タコス軍とハルカズム軍は戦うことになる。タコス軍の最終目標はマカレトロなのだから。どうしても通り道となるハルカズムを攻略しなければならない。

 避けて通れないのであれば自分から能動的にチャンスを作っていく。


 タコス軍はクレイオー軍と戦って減ったとはいえ、1万の兵が残っている。

 それに比べてハルカズムの兵士はどれだけ集めても5千が限界であろう。そして最悪、戦力差すらもタコス軍は把握していることだろう。

 だが、今はタコス軍はクレイオー軍と戦闘して疲弊している。


 今こそが攻める最大の好機でもあった。


 アングルは思ったよりも冷静なベコに安心していた。

 今のベコであればハルカズムを任せても大丈夫であろうと。


 廊下を歩きながらベコは誰にも聞こえないように小さく呟いた。


「おねえちゃん。見守っていてね…」


 それは幼い時、ベコがクレイオーを呼ぶときの言葉であった。

 ベコは優しい面影にきつい眼差しをたたえながら、ナラエゴニヤの首都であるグルコースを脱出していくのであった。

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