Rock Around The Clock 1
薄明かりに照らされたバー「LYCORIS」の雰囲気は、静寂な夜の緊張に包まれている。
慣れていない人間であれば緊張に包まれた空気を吸うだけで酔いの回りそうな
店内で、益田は一人待ちぼうけていた。
バーテンは手持ち無沙汰にカウンターに座る客に対して、なんら気の利いた事を言うでもなく、グラスを磨いている。
ここへ来て30分ばかり経つが、一向に注文を入れない客に対してはそれも当然か。
手の平に滲んだ汗を甲で払うように拭っていると、バーのドアが開く音がしたのでそちらに視線をやる。
入店してきた人影を確認した益田は、その人影に黙って手を上げた。
「わりぃ、遅れちまって」
久瀬天子は、益田の姿を見つけると申し訳なさそうな照れ笑いを浮かべながらそそくさとカウンターに近寄り、益田の隣へと腰かけた。
「美奈子ってこないだ紹介したろ?あの子の運転がまぁトロくってね、あれじゃ兎どころか昼寝こいた亀にだって負けちまうよ」
天子の言い訳を聞き流すように益田は黙って頷いていた。
天子の方はそんな益田の様子を見る事も無く、バーテンに対して注文を入れようと手を上げている。
「あら?アンタ、まだなんも頼んでないのかい?」
「ん?あぁ」
「別に先に始めといても良かったのに、私、生で」
天子が手を上げてオーダーを入れると、バーテンは初めてカウンターの方へと顔を向けた。
バーテンは了承の意を示す会釈をした後、サーバーからグラスへビールを注ぐ。
「バーでビールを頼む奴、初めて見たな」
出されたグラスを見て満悦そうに舌を舐める天子を見て、益田は小さくつぶやいた。
それを逃さず聞いていた天子は、しかめ面を益田へ向ける。
「人の注文にケチ付けるくらいだから、アンタはさぞご高尚なモンを頼むんだろうね?」
「いや、今日は俺はパスだ、この後店に戻るしな」
天子は視線に益田を捉えたまま、ジョッキの中身を喉に流し込む。
口からジョッキを離した天子は、酔った蟒蛇の様に唸ると改めて益田を見た。
「まどろっこしい手を使って人を呼び出しといて大した根性してるよ、アンタ」
そう言いうと天子は着ているジャケットから封筒を一部取り出した。
それは益田が月曜に天子に渡した封筒であった。
「私への小遣いの他に殴り書きのメモが一つ、内容は今日の日付と今の時間だけ書いてあってそれで終わり」
あの時、封筒の中身を見た際、天子はメモの存在に気が付いた。
しかし、あの場では努めて平素を装っていた。
伝達手段など幾らでもあるこのご時世、益田がわざわざこの様なアナログな方法を取った意味について考えた時、メモのことについて口を出すのは厳禁だと判断したためである。
天子が封筒を手で弄びながら、言葉を続けた。
「あんたはラブレターなんざ書いたことないだろうから教えといてやるけどね、せめて場所くらいはセッティングして書いといてくれよ、おかげでこっちが場所を考えるハメになったじゃないか」
天子は封筒を指ではじいて益田に渡すと、ジョッキに残っていたビールを一気に飲み干した。
「こちらが下手に場所を指定するのは危険だと思ったんだよ、お前の他に誰がメモを見るかも分からなかったしな」
そこで、益田も着ているジャケットから紙を一枚取り出した。
それは青い文字で書かれている、三昧綴りの複写伝票の一枚だった。
「それに、クリーニングの伝票に大事な待ち合わせ場所を書いて知らせるのもどうかと思うぞ」
天子は益田が取り出した伝票を手に取ると笑った。
「コレは傑作だったろ!?託したメールマンが少しばかし頼りない感じだったからちゃんと届くか不安だったけど」
美奈子が小百合に託けたジャケット、益田は小百合から受け取った後にジャケットを改めた。
天子からの返事があるとすれば今日の昼過ぎが最後、メモの意図が天子へ伝わっていたかが気がかりだった
そんな時にジャケットの返却があったわけである、それが天子からのアクションと益田は踏んでいた。
しかし、ジャケットのポケットなど隅々探ってみたがそれらしいメモ書きなどは見当たらず、諦めかけていたその時、ふとジャケットの上にかかっていたビニールカバー、そこに貼られていた伝票の文字が目に入った。
三昧綴りの手書きの複写伝票は、異様に丁寧で整った文字が書かれている。
益田はその筆跡に見覚えがあった。
伝票の宛名には、「Bar LYCORIS」と明記されていた。
「あんただって見落としかけたくらいだろ?下手にどこかに隠すよか多少大胆なくらいが良かったりするんだよ」
天子は笑いながら二杯目のビールに口を付けたが、どこか煮え切らない益田の視線を受け、ジョッキから口を離した。
「それよか、アンタがそこまで神経質になって私をここへ呼んだ理由を早く話しなよ」
「“アクレイギア”のおっさんの話はこの間したよな」
天子に急かされ、益田は重く口を開き始めた。
「ウチを抜けて向こうに移った子が小百合さんに泣き付いて来た、俺もその話を最初に小百合さんから聞いた時はアフターや同伴のノルマについての泣き言でも言いに来たんだろうと思っていたんだ、お前、俺に言ったよな?出て行った子にまで気を使うなって、正直に言うが俺だって最初はそのつもりだったさ、けれども問題は俺一人の手でどうこうできる範囲を超えていたんだ」
益田は一呼吸置き、周りを伺う素振りをした。
バーテンは相変わらずグラスを磨いており、こちらを気にする様子は無い。
益田の様子を見かねた天子は「ここは大丈夫だよ」と益田を落ち着かせた。
そして、意を決したのか益田は再び口を開いた。
「イセミヤにクスリが出回っている、そしてトウホンの“アクレイギア”、おそらく出処はあそこからだ」
言い切った益田の額にはうっすらと汗がにじみ出ていた。
益田の視線を受けた天子は、視線を切り小さく舌打ちをした。
「とんだラブレターを貰ったみたいだね、私ゃ」と天子は頭を掻く。
「月曜のアンタの口ぶり、その裏を取ると、トウホンの”アクレイギア”のオーナーが最近羽振りが良い、けどそれには裏があってどうやらクスリを捌いているらしいと、元々アンタの店に在籍していた子はどうやらそれに一枚噛まされていた、アンタがあんときに言ってた常連ってのはおそらく警察関係者で、詫びにってのはその事情聴取ってあたりか、ついでにそこで私がえらい目にあった事も聞いたって事かい」
「クスリ捌いてんならスイスのお高いのも納得だ」と言うと、天子は煙草を取りだし忌々しそうに火を付けた。
「私の方もなんとなく心当たりがあったんだ、蓬莱軒の井上の大将いるだろ?あんたと別れた後に色々あったんだが、アンタの話がホントならありゃ”アクレイギア”とグルだ、多分自分でも使ってて、なおかつ人にも捌いてんだろ、あそこはイセミヤ界隈の水商売の人間が仕事終わりによく立寄るからね、アンタとこで出回っているのも多分そこからだ」
天子が言葉を言い切った後、少しの沈黙が二人の間に流れる。
バーの雰囲気は、天子と益田の重い空気に当てられより一層の緊張を孕む。
外の喧騒と隔絶された中での会話は、どこか現実味を帯びていない様にすら感じられた。
「それで、私に何をしろって?」
先に沈黙を破ったのは天子だった。
「言っておくが、それについて私になんかしろってもどうしょうもないよ?アンタ自身がこないだも言ってたろ?”アクレイギア”のオーナーについてだ、市議だ警察関係者だのに顔が効くって、そしてアンタとこにも来たんだろ警察が?それが意味するところはつまり警察の内ゲバに付き合わされている様なもんだ」
天子は言葉を続ける。
「”アクレイギア”の側についている警察関係者、これが片田舎で燻ってる県警の課長が自分の懐を温めたいだけなら問題は無いさ、むしろそんな不祥事なんて県警が内々に握りつぶすに決まってる、アンタのとこにわざわざ出向く要件なんて無い、だけどね、もし県警が動けない様な相手が絡んでいたとしたら?例えば、そうだね」
「公安あたりとか」
だいぶ話が飛躍しているな、と天子は内心で笑っていた。
私は、ほんとに益田に対して言い訳をしているのか?
相手をひたすらに強大にし、それに敵わぬ自身の身の程を必死に覆い隠している様に思えてくる。
まるで自分自身の目から遠ざける様に。
いや、実際に遠ざけたいのだ、なぜなら天子が胸に抱いている敵の姿。
美奈子がやって来た日からおぼろげに見えた敵の輪郭が、今夜明確にはっきりと浮かんで来たのだ。
そんな自分の中に沸き起こる不安や疑念、それを湧き出すかの様に天子は言葉をさらに続けた。
「公安が絡んでるってなると、”アクレイギア”とクスリを繋いだ接点が問題になってくる、公安が動くくらいだかねぇ、少なくとも西日本で横綱張れるところじゃないと計算が合わなくなってくる」
そこで天子は額の汗を拭うと、鼻で笑った。
益田が額に汗をかいていたのを見たときには、正直バカにしていたが人のことは言えないらしい。
天子は大きく吸う。
頭にある敵の姿を口に出すことに躊躇いを覚えた。
が、それでも口に出す必要性を感じた、益田にこれ以上この話に深入りさせないためにである。
「おそらくこの一件に絡んでんのは神戸サンノミヤ、西日本じゃ最大級の集会、動かせる魔法少女の数だけでも遊ばせとくだけの余裕があるところ、アンタ、神戸港のニュースは知ってるかい?」
天子は視線を益田に送った。
益田は黙って頭を傾げる。
今まで天子は独りよがりに喋り続けていたが、益田はそれを黙って聴いているらしかった。
「なんでも神戸の方じゃ警察がやる気見せてるみたいでね、神戸港に変わる密輸ルートを探していても不思議じゃない、それで山陰進出ってわけ、お隣の県にゃ栄港って国際船も出入りする大きな港がある、それに山陰は某半島からも距離が近いだろ?あそこの北の方じゃクスリは主要産業の一つって言うじゃないか、台湾・東南アジアから神戸港へのルートが使えない今、そちらに鞍替えって線は十分に考えられる」
「つまりだ」と、天子は益田を見て疲れた様な笑みを浮かべる。
「都会のでっかい組織とそれを追ってる国直属の公僕にウチが喧嘩を吹っかけるなんて、言ってみりゃ横綱と大関に相手にちびっ子相撲が相撲取ろうとするもんなのさ」
これで益田がここまで話して、益田がこの話に切り上げてくれることを願った。
話した事は憶測、なんの確証もない。
しかし、考えられない話では無い、いや、心の何処かでおそらくはそうだろうと言う確信ある。
だからこそ、この話はお仕舞いにしたかった。
天子と益田が考えるべきは、イセミヤ出回ったクスリについて、その問題の解決ではなく、今後の身の振り方である。
少なくとも天子はそう思っていた。
「どんなに小さかろうが、弱かろうが、まわし締めて関取気取ってんなら土俵に上がるのが筋ってもんだろう?」
声はカウンターの奥、従業員の控え室から聞こえて来た。
しゃがれた女性の声、それに続く小さな悲鳴の様に聞こえる金属の軋む音。
カウンターの奥から、老木の様ななにかが車椅子に乗って現れた。
車椅子に乗って現れたそれは、正確には人間だった。
時期は初夏を迎えるというのに分厚いセーターを幾重にも着込み、頭にはニットの帽子、膝の位置にはブランケットをかけている。
かろうじてその肉体が見える部分、例えば手は細く指は枯れ枝の様に頼りなく、顔はもはや凹凸すら皺に飲まれ樹木の皮を見ている様であった。
なにかをしゃべる時だけ樹木の皮に隙間が空き、そこが口だと判別でき、声の調子から老木の様な何かはおそらく老婆であることが伺える
「天子ちゃん、アンタが芋引く気持ちも分かるさ、しかしアンタは顔で飯食ってるんだろう?その顔に小便ひっかけられるような真似されても、汚れた面のまんまで飯が食えるなんて思っていないだろうね?」
老婆の声はしゃがれていた、しかしその見た目に反して明瞭であった。
バーに包まれた緊張を自分の色に染める様な威圧感がそこにはある
天子は老婆の姿を司会に入れると、益田を見て舌打ちをした。
「……局さんをここへ呼んだのはアンタかい?」
益田はわざとらしく首を傾げた。
局と呼ばれた老婆は椅子を進めた。
車椅子の推進力の源は老婆の細い腕ではなく、白いワンピースを着た年の頃10歳ほどの少女が車椅子を推し進めている。
少女は局を天子の前まで運ぶと、それきり倉庫にしまってあるマネキンの様に焦点の合わない瞳を宙に投げ直立した。
「天子ちゃん、私はアンタがまだ親指加えてたころよりずっと前、ここいらが赤線地帯だった頃よりもずっと前、益田のボンの店がある場所もその近所までみんな遊郭小屋だった頃からここで商売してきたがね、外の連中にここいら好き勝手させることなんざ一度も無かった、アンタ、私が言いたいことがわかるかい?」
もはやその瞳がどこにあるかも定かでは無い表情で老婆は天子を見据える。
天子は、その見えない瞳に自身の内を覗かれた様に感じ、背筋に冷たいものを感じた。
イセミヤ一帯に遊郭小屋が建っていた時代、それは百年は遡ってもまだ釣りが来るであろう昔、もはや歴史上の時間となったときの話である。
その頃から商売をしてきたと言う局の言葉は洒落や比喩ではなく、おそらく本当のことであると天子は知っていた。
イセミヤが赤線地帯だった頃から、局はすでに老婆の格好でイセミヤ一帯を仕切っていたと天子は昔から聞いていた。
皆、口には出さないが、局はおそらく魔法少女の類であろうと言うのは暗黙かつ共通した周知の事実であった。
1世紀もの時を超えた超常の存在、局はいわばイセミヤの顔であり、その顔に泥を塗る事について、局は暗に天子へ問いかけていた。
「あとね益田のボンを責めるんじゃ無いよ、今日ここへきたのは私の勝手さ、アンタなら隠し事したいときはここへ来るだろうって思ってね、確かにここの中なら少なくともイセミヤ界隈の人間が何かやらかそうって気も起きないだろう」
「LYCORIS」は局がオーナーしている店である。
天子がこの店を選んだのも用心の為、少なくともこの店の中では何か突飛なことを起こす輩はいないだろうと踏んでのことであった。
それは、イセミヤという枠の外にいる強大な存在についてを除けばの話であるが。
「ついに婆さんまで籠絡する様になったかい、アンタは」
天子は恨めしそうに益田を見やると、不意に立ち上がった。
「どこ行くんだ?」
益田が天子を見上げて、問いかける。
「酔い冷ましに夜風当たって来るんだよ、ちょっとでも酔っ払って調子のいいこと言ってみろ、どこの言葉尻捕まえられるかわかったもんじゃない」
天子は言葉を吐き捨て、肩を怒らせながら踵を返す。
おもむろにタバコを取り出し口に加えようとしたときだった。
「……局さん、ちょっと教えてくれないかい?」
「なんだい?トイレなら入口のすぐ近くだよ」
「酔い冷ますったって別に吐きたいわけじゃねぇよ、つぅか、酔いなら今冷めた」
「じゃあ、なんだい」
「あのさ、この店は消防士が高圧洗浄機の自慢しに来たりするのかい?」
天子はバーのカウンターへ顔を戻すと、その反対入口の方へと指を指した。
その顔は何か笑えない冗談を見た様に引きつっている。
入口には、消防士が立っていた。
いや、正確には消防士の格好をした少女が立っていた。
首からは下は消防士が着る様な銀色の防火服、しかし首から上、頭にはヘルメットなどは被られておらず白く腰まである髪が露わになっており、彼女が本当に消防士であればそれは危険極まりない。
そして目元から下、鼻から口に至る顔半分をダクトとボンベのついたマスクで覆い隠しており、ダクトは彼女が背負うバックパックに繋がれている。
天子が高圧洗浄機と言ったのは、そのバックパックとその先に繋がる彼女が構えているトリガーが深夜の通販番組で見た高圧洗浄機に似ていたからであった。
局はため息をついて天子に言葉を投げかける。
「急いでカウンターの後ろに隠れな」
天子が駆け出した瞬間。
少女の長い白髪が、熱せられた鉄の様に朱く染まる。
少女の握っていたトリガーから紅蓮の熱が迸り、それまで薄明かりだった部屋は唸りを上げた炎の渦で痛いほどに照らされた。




