Demureな私はSk8er Boi 1
天子と美奈子を乗せたバンは国道を走り続け市街地へと入ると、そのまま駅前へとやって来た。
もう少し早い時間だと車がもっと混んでいただろう、と天子は話す。
天子は脇道に折れた先にあるコインパーキングに車を停めた。
車を降りた二人は、揃って大きく身体を伸ばす。
さほど長い時間車に乗っていたわけでは無かったが、妙な疲労感が体に残っている。
伸びをした姿勢のまま、美奈子は横目で天子を見た。
天子が大きく背中を反ると押し出されるように胸が一層強く協調され、胸に引っ張られたブラウスの裾から白く細い腹が見えている。
美奈子は、伸ばした体を前傾させ天子の胸をまじまじと見た。
これなら、例え胸ポケットで爆発が起きていても大丈夫だったのではないか?
天子はそんな美奈子の視線を怪訝そうに受け止め、自分の胸の辺りを見た。
「煙草の灰でも付いてんのかい?」
天子はブラウスの胸の辺りを軽く払うと再び大きく伸びをして、自身の胸と天子の胸を見比べている美奈子の方を向いた。
「今日やることは新人研修も兼ねた得意先回りだ、っても月曜日のこの時間だからシャッター降ろしている所が多いだろうけど」
天子の指差す先には居酒屋やスナックが看板を下げる雑居ビルが立ち並び、その間に出来た谷間の道の様に小道が続いている。
天子はその谷間へと足を進めて行き、美奈子はその後ろから子犬の様に慌ててついてゆく。
繁華街、と天子は言ったがいわゆる大都会の繁華街を等分にブロック分けしてその1ブロックだけと比べてもまだ慎ましい印象を受ける。
単純に道幅が狭いからそのような印象を受けるのか?とも思ったが、やはり昨日まで首都にいた人間からすれば繁華街と言うにはどこか一歩物足りない。
道の妙な汚さや店の立ち並びの雑多さなどから、なんとなく繁華街のような感じがしないでもないが。
現在時刻は朝の9時を少し回った処、天子の言うとおり立ち並ぶ店々は貝の様にシャッターを降しており、通りは祭りの後の様にがらんどうとしていて人通りも少ない。
だからこそ、余計にこの周辺が慎ましい印象を受けるのだろう。
「昨日まで首都でお上りさんしていたアンタとっちゃあ、繁華街って聞いても少し物足りないかも知れないね」
美奈子の思っている事を汲み取ったかのように天子は言葉を発した。
とは言われたものの、美奈子自身首都にいて繁華街に出かけた事などザラには無い。
寧ろ、下手に賑やかでやかましいよりはこのくらいに寂れた雰囲気の方が良い。
「余り賑やかなのは得意じゃないですし、このくらいの雰囲気の方が良いです」
美奈子の言葉に天子は苦笑する。
「アンタ、慎ましきを好むのは日本人の美徳だけどね、こういうとこでそれを言っちゃうのは感心できないよ」
美奈子は咄嗟に口を押さえ、辺りを見渡した。
失言である。
仮にもここは歓楽街、そんなところは立ち枯れ寂れてはここに店を構えている人達からすれば商売上がったりである。
幸いにも今は人通りが少なく、誰かに発言を聞かれ睨まれている様子は無かった。
朝の9時過ぎであれば世の中の人々は仕事か学校で各々の業務をこなしている時間である。
歓楽街である無しに関わらず、どこへ行っても人は少ないのだろう。
そこで美奈子はあることを思い出し、口を押えたまま固まってしまった。
混乱と焦りで、バケツの水をかぶったような冷や汗をかき目の焦点が定まらない。
もともと白い肌の顔に不健康な蒼みが加わって行く。
「あの……前の職場になんの連絡も入れてません」
先週の金曜日まで美奈子がいた会社の事である。
昨日は日曜日、退職の手続きどころか、その意思表示を上司に連絡すらしていない。
未だ美奈子は、前の会社に籍を置いている状態である。
普通の社会人であれば退職手続きといものは何よりも優先される事だろうし、退職の云々に関わらず欠勤する場合はまず真っ先に会社へ連絡を入れる物だ。
しかし、社会人としての優先順位すら大荒れする出来事が続け様に起こった為、すっかり忘れていた。
「アンタの携帯見てみなよ」
茫然自失の美奈子を傍らで眺めていた天子は別段心配する様子も無い。
美奈子は携帯を取り出すと、片目を薄っすらと徐々に開けながら恐る恐る画面を覗く。
携帯は現在時刻とロック画面を映し出しており、それ以外には何も情報を映し出していない。
「まぁ、そいう事だ」
天子は口を開けたままの美奈子と目が合うと小さく頷き、そのまま何事も無かった様に再び歩き始めた。
つまりはどういう事だろう、美奈子は先に行く天子の背中を見つめる。
何をどうしたのか分からないが、とりあえず前の会社について心配する必要は無いらしい。
本当に何をどうしたのだろうか。
「この辺りはイセミヤって言ってね、名前の由来はなんだったかな?確か松平某がその昔伊勢宮を何たらってよく覚えてねぇや、まぁそんなところだったんだけども明治の頃に遊郭が移されて、戦後はそのまま赤線地帯、赤線廃止後もその名残を引きずって今に至るって感じのとこだね」
天子は歩きながら、この辺りの地区について簡単に説明をする。
赤線地区というのは、第二次大戦後の約10年間程度の期間に存在した半ば政府公認の売春地域の事である。
春を鬻ぐ商売が盛んだった地域であれば、それがそのまま夜の商売が集まる歓楽街となったのも自然な事なのだろう。
「そんで、あれは遊郭時代の妓楼を改築したとこ、古くて希少ならそんなとこでも文化財になるみたいだよ」
天子の指差す先には、遊郭時代の名残である建物を改良した郷土料理屋があった。
天子は皮肉を口にしたが、文化財と言われるだけあり周囲の雑居ビルには無い奥ゆかしくも荘厳な佇まいをしており、美奈子には周囲の建物とは存在感において一歩先を言っている様にも思えた。
「ウチの事務所だって、100年もすりゃ立派な文化遺産になるさ」
天子はもう一度皮肉を重ね、建物から視線を切った。
その斜め向かい、瀟洒な黒い外観の建物の前に男性の後ろ姿を見つけると嬉しそうに小走りで駆け寄って行く。
男性は自動販売機の前で立ち止まっており、今まさにブラックの缶コーヒーを押す直前だった。
「私は甘いのしか飲めないんだよ」
天子は、割り込む様に微糖の缶コーヒーのボタンへと指をかけた。
男性は怪訝そうな目を天子に向けたが、コソ泥の正体を確認すると合点がいった表情を見せる。
「久瀬か……」
「そんな怒んなよ、コーヒーくらいで」
男性の様子を見て、天子は笑いながら小銭をいくつか渡す。
小銭を渡された男性は、鼻でため息を吐くと改めて天子へと向き直った
「珍しいな月曜のこんな時間に、集金か?」
「いやいや、ちょっと紹介したい子がいてさ」
天子は親指で後方の美奈子を指すと、そちらの方へ振り向いた。
そこには、目を丸くし頬を赤く高揚させた美奈子。
先程の蒼白とした様子とは打って変わった美奈子の様子に、天子はため息をついた。
「アンタは蒼くなったり紅くなったり忙しいね、風邪ひくんじゃないよ?」
美奈子の耳には、天子の言葉が届いている様子は無く、パクパクと口を開閉させている様子は皿のようになった目と高揚した頬が相まって金魚の様であった。
「彼女、どうしたの?」
男性は美奈子の様子を見て、天子に問いかけた。
すると、天子は悪戯っぽい嫌味な笑みを浮かべ男性を軽く小突く。
「あの子もアンタのせいで罪な風邪をこじらせたもんだ」
天子に小突かれた男性は困った様に頭を掻いた。
身長は百九十センチに迫る高さと、日本人離れした股下の長い足。
逆立てたベリーショートの髪型は清潔感溢れる一方で、丁寧に揃えられた顎髭は男性の色気を感じさせる。
今は白いワイシャツと黒いベストのボーイ服といった出で立ちだが、何を着せても雑誌の表紙を飾れそうな
スタイルと容姿を男性は備えていた。
同じく黒を基調とした格好の天子と並んだ様子は、それこそフレームに収めて飾れるような映え方をするが、美奈子には天子の姿が見えていない。
天子は美奈子の様子をからかうように笑いながら、美奈子の肩に手をやると男性を指さした。
「コイツはね、この辺界隈じゃ有名な女泣かせで、そのスケコマシな能力使ってキャバクラのオーナーしてる私の同級生、その名も夜の不チン艦こと山本四五六……」
「益田祥一です、ここのオーナーやってます」
益田と名乗った男性は美奈子に手を差し出し、目の前の黒い建物を指さした。
建物には”Club Oleander”と金色の筆記体で書かれた看板が掲げられている。
美奈子は差し出された手を目の前にして雷に打たれた避雷針の様に背筋を伸ばすと、益田の手を握り両手で握った。
「私、加藤美奈子といいます!加藤は加えるに藤、加藤清正のかとうです!美奈子は美しい奈良の子でみなこ、奈良出身じゃなくて九州の出身ですけど……って自分で美しいなんて初対面の人に私何言ってんだろ!?」
両手で固く益田の手を握った美奈子は壊れたラジカセの様に一人でかしましく延々を喋り続けている。
最初は美奈子の様子を笑っていた天子も、一向に益田から手を離さない美奈子にたまらなくなって抑えに入る。
「へいへいそこまで、やっぱりアンタは慎ましい大和撫子でいてくれた方が良いわ」
天子は雁字搦めになった糸をほどくように、益田の手から美奈子を剥がすとそのまま肩を押さえて益田から引き離した。
益田は普段から女性の扱いに慣れているのか余裕を見せ平然としているが、美奈子の方は顔がバターとはちみつよりも甘く蕩けている。
美奈子の表情を見て、出来るだけ早いくこの場を離れようと天子は益田に謝辞を告げ退散しようとした。
「久瀬、少し待っててくれ」
そういうと、益田は自分の店の中へと入って行く。
一刻も早くここから立ち去ろうとした天子は面を食らい、そのまま手持ち無沙汰そうに煙草を取りだし火をつけた。
「私の約束の地はここだった、神様ありがとうございます」
目が炯々爛々としている美奈子の様子を冷めた目で見る天子。
元々、男に貢いだのが原因でここにやって来た美奈子である、惚れっぽい性格なのだろう。
益田に合わせたらどんなリアクションをするかと半分面白がっていたが、これは少々やり過ぎたと反省する。
「言っとくけどアンタは魔法少女なんだから男と今夜はブギーバックなんて考えてんじゃないよ」
「なんですか、それ?」
そんな話をしていると、益田は再び店の外へと出てきた。
手には、薄いベージュのジャケットと。封筒が一つ握られていた。
「その子のカーディガン血が付いているみたいだから、これ男物だけど」
そう言ってジャケットの方を美奈子へと渡す。
そんなことをしたら、と天子が制止するより先に美奈子の腕が伸びジャケットを手にした。
天子が美奈子の方を見るのを不安げに躊躇っていると、益田は封筒の方を天子に手渡した。
天子は封筒を受け取り中身を確認すると、表情を変える。
「子供の小遣いにしたら、こりゃ少々多すぎるね」
天子の刺すような視線を目の前にしても、益田は表情を変えずに話始めた。
「トウホンの“アクレイギア”のオーナーだけど、どうもうちの子達に適当な条件吹っかけて引き抜き掛けているみたいなんだ」
益田の言葉を聞いて、天子は目を細めた。
「アンタの店はどんだけ舐められてんだ、嬢の引き抜きなんて夜の仕事じゃタブー中のタブーだろ?私に泣きつく前にアンタが示しつけないでどうする」
天子は渡された封筒を顔の横で何度か振ると、益田の胸に叩きつけた。
益田は困った様に顎を掻く。
「そう言われるとこっちも立つ瀬が無いんだが、言ってみれば向うは老舗こっちは新参、向うの常連の中には市議や警察関係者その他のお偉方もいるんだ、オーナーの顔の広さも手伝って下手な事すれば睨まれる危険もあるんだよ」
益田の言葉に、天子はこめかみを押さえ、深いため息をついた。
益田の話はまだ続く。
「嬢が出ていくのは俺の努力不足としても、どうも同伴やアフターにキツいノルマを設けているみたいで、引き抜かれた子がそれに耐え切れなくなって泣き付いてくることが度々あるんだ、それで何とかしたいと思って……」
天子の表情は心臓にダニでも張っているかのように苦々しくイラついた表情をしており、話を聞き終わると舌を鳴らした。
「アンタとこを自分から出て行った奴らだろ?ほっときゃいいじゃないか、アンタはホント甘ちゃんだね、美奈子を見てみなよアンタの甘ちゃんが移っちまって、はちみつみたいに蕩けた顔に……」
「何とかしてあげましょう!」
美奈子は、天子と益田の間に割って入ると、益田を見ながら天子へ話しかける。
先程益田から渡されたジャケットを既に羽織っており、それまで着ていたカーディガンは地面に落ちていた。
その顔は何か希望だとか決意だとかそういった前向きな意志に満ち溢れている。
「へいへい美奈子、やる気があるのは良いんだが安請け合いは良くない、下がって話聞いてな」
天子は、美奈子を再び後ろへ追いやろうと肩へ手を掛けた。
が、今度の美奈子はそう簡単には引き下がらず、土俵際の力士の様に天子に対抗する。
「私がこれからやる仕事って、つまりこうやって困った人達の話を聞いてそれを解決って……」
「なんでそんな池波正太郎の小説みたいなことしなきゃならないんだ!?いいかい、アンタをここに連れてきたのはみかじめ……もとい警備料の集金先を覚えさせる為だよ、色ボケかまして余計な事言ってるとその口に……」
「それじゃあ、警備料分は働いてもらわないと」
益田の声に、美奈子と天子は揃ってその方向へと目をやる。
一人は嬉々溢れる眼差しで、一人は愕然とした目つきで。
益田は平然とした様子で、主に天子の視線を受ける。
「こういう時の為に、俺はお前の言うところの高い警備料を払っているんだろ?」
天子は歯ぎしりを起こすほどに食いしばり悔しさを顔に滲ませたが、やがて観念したかのように表情から力を抜いた。
「出来る事はやらせて貰うけどね、私だって今は目立って動ける状況じゃないんだよ」
「昨晩の事か」
天子は封筒を受け取った時の様に鋭い視線を向けた。
「……アンタ、随分と良い耳を持ってるみたいだね」
「今朝、うちの子が昨晩常連相手にやらかしたから、朝一番でその常連の元へその子と一緒に頭下げて来た、その出先で」
「何が向うはお偉方の常連が〜だ、アンタだって太い客を持ってるみたいじゃないか」
鋭い視線を恨めし気な物へと変え、天子は美奈子の腕を掴むとその場から立ち去ろうとする。
「久瀬、それと一つ」
そこで、益田が天子を呼び止めた。
鬱陶しそうに振り向く天子に向かって、益田は自分の左腕手首見せるとそこを叩く。
「“アクレイギア”のおっさん、こないだ時計を新調したらしい、スイスのお高いとこのだ」
「へぇ、それは良い事を聞いた」
天子は何か考えるように頷く。
その様子を見て、益田は負い目のある表情を見せた。
「悪いな無理言って、実はこの話小百合さんが持って来た話だから俺も嫌とは言えなくて」
「……結局あの人絡みって事か、まぁそっちはそっちで精々がんばれ」
後ろ手に手を振りながらその場から立ち去る天子。
美奈子は散歩から帰りたがらない犬の様に見送る益田へ振り向いては足を止め、その度に天子に引きずられてゆく。
「……一朝一夕じゃやっぱり人は変わらないか」
「はい?」
「いや、アンタはやっぱりいい性格してるなって思っただけさ」
美奈子は益田から離れた後も、私は仕事にやりがいを見つけた、ここへ来て魔法少女になったのは運命だった、と前を歩く天子ですら聞いていない事を一人で喋っていた。
昨日、あれだけの覚悟を天子に見せていてこれである。
いや、図太い性格だとは思っていたのだ、環境に早くも慣れて地が出てきたのかも知れない。
「勝手にのぼせるのは良いけど、アンタは魔法少女なんだから変な期待するんじゃ無いよ?」
天子の忠告を美奈子は澄ました顔をして受け流す。
やれやれと手のひらを上に向けるポーズは、もはや挑発されているとしか思えない。
気安くなる分には別になんとも思わないが、コイツに過去も現在もそして未来も同情する余地は無いな、天子は無視して先を進んだ。
「次はどこに行くんですか⁉︎?問題のキャバクラですか⁉︎」
「アホ、行くなら益田の奴に話を持ってきた小百合さんからも話聞いてからだ」
そこで、美奈子は小さく首を傾げた。
「小百合さん、ってさっきも話に出てきてましたよね」
美奈子の問いかけに、天子は「あぁ」と何かを思い出したかの様に立ち止まると宙を見た。
そして、悪い笑顔を浮かべ美奈子の方を見る。
「小百合さんってのはね、益田んとこでキャバ嬢している人だよ、私らの3つ上だったかな、益田はその人に頭があがなんないわけ」
「益田さんの頭が上がらない!?」
美奈子は餌に行き良いよく飛びつく魚の様に天子へ近寄る。
その様子を見て、天子は機嫌良さそうに鼻を鳴らす。
「なんせ、益田の野郎がキャバクラ始めた理由の一つだからね」
そういうと、天子は声を出して笑いながら再び歩き出した。
「あの……それってつまり……」
美奈子は、子鹿の様に足をふらつかせながらも天子へ着いていこうとする。
天子へ向かって伸ばされる手は、支えに縋る様に弱々しいものだった。
しかしまだ、天子は答えを言っていない、全ての答えを聞くまでは倒れる事は許されない。
「皆まで言うのは野暮ってもんだろ」
その直後、天子の背後で昨夜聞いた様な誰かが倒れる音がした。