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音の獄 -終楽章ー  作者: 天恢 文緒
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1 クナディン

初投稿です。

作者は音楽に関して素人ですので、間違った記述が多いと思います。そのへんを酌量していただけると有り難いです。気に障った表現などあったらごめんなさい。

 カフェテリアとは名ばかりで、がたがたした机と椅子が無造作においてあるだけの学院付属の食堂は、夕方に近い今の時間帯、コーヒーしか置いていない。

それでも、安さにつられてか、何人かの学生達がカップを手に机を囲んでいた。自分達の横の椅子にそれぞれの手持ちの楽器を大切そうに置いてあるところが音楽学院特有だが、時間を忘れて議論に夢中になっているその光景は、他のどの大学のカフェでも見られるものだ。


「ヒデミ! 英生、うかない顔してどうした」


 一人、楽譜を見ながらぽつんと座っていた黒い髪の青年のそばに、コーヒーを片手に大柄な男が座り込む。英生と呼ばれた青年は、楽譜から目をあげ、横に座り込んだ大きな男に笑いかけた。


「やあ、クナ。授業はどうしたんだい」


 ふふん、と品悪く鼻をならし、クナディンは椅子に深くかけ直す。


「ありゃ、だめだ。つまらん」


 英生は苦笑しながらクナディンが無造作に置いたカップをよけるように、テーブルの上の楽譜をまとめはじめる。


「またかい? 君にあっちゃ、シーバース先生もかたなしだな」

「シーバースの授業じゃないよ。 あいつはまだマシだ。 今、あいつは優雅に自作を演奏旅行中さ。

だから代講がきてるんだが…。こいつはだめさ。作曲ってもんを分かってないんだ。てんでなってない」

「君にかかっちゃ、たとえチャイコフスキーだろうと、どんな有名な作曲家だろうと、そうなるんじゃないのかな」


 苦笑しながらバインダーに楽譜をしまう英生の顔色は、からかうような言葉に似合わず冴えない。クナディンは英生に向き直り、最初の質問に戻った。


「どうした。顔色悪いぜ、英生」


 英生はバインダーに目を落としたまま、ふぅっとため息をついた。


「かもね。よく眠れないからかな…」


 クナディンは改めて友人の横顔を見つめた。漆黒のくせのない髪が青白い額にかかり、血の気のない顔色を際立たせる。痩せた肩を包む、白いシャツもひどく大きめに見えてしまう。たしかに東洋人として割り引いて考えても、もとから体格のいい男ではなかったが、こんなに痩せてたよりなくなかったはずだ。


「そんなに辛いのか? あのコンサートの企画」


 一瞬、答えに窮したように息をとめ、英生はゆっくり息を吐いた。


「そんな事もない。けど…」


 伏せられてしまう視線が、言葉とは反対の事を訴える。クナディンはわざとサバサバと言い放った。


「いやなら止めとけよ。いくらおまえがミルティン先生の秘蔵っ子だからって、あいつのいいなりになることなんてないさ」


 ミルティンという名前がさっと回りの学生達の視線を集める。その教授は有望な少数しか教えない事で有名なのだ。


「秘蔵っ子なんてこと、ないよ」


 大きな声で回りの注意をひいてしまった事に、困ったように話を遮ろうとする相手にかまわず、クナディンは続ける。


「そりゃ、今をときめく天才ハーベイの相手役に自分の弟子が選ばれたのは自慢だろうけどさ、だからって聞き入れてやる義理はないさ。おまえ、またソロコンサートの企画もあるんだろ? そっちを優先させてもらってもいいはずだよ」

「ソロの企画なんてほとんど何も決まってない。だからないのと同じだよ。本当に」


 ぼっと赤くなって下を向いてしまっている英生の、なんとも情けない顔を見ながらクナディンはため息をついた。

 考えてみれば、英生が日本からこの学院に来て、すでにここで学ぶ事を許されていた自分と最初に出会ったのが五年前。その時から、この引っ込み思案は全然直っていない。


「おまえさぁ…。ほんとよく…」


 ソリストとしてやっていく気になったもんだ…という言葉をクナディンは飲み込んだ。

 目立ちたがりで誰よりもプライドが高く、競争相手を蹴落とす勢いがなければ、腐るほどいるソリストと渡り合えない。いくら実力があっても、精神的に強くなければ、並みいるライバル達にいずれつぶされてしまう。


 今も周りでこちらにチラチラと視線を飛ばしつつひそひそとささやかれているのは、たぶんミルティンの一番ご執心の弟子の「いろいろ」な事だろう。あの目つきからすると、決して好意的なものばかりとは思えない。いちいちそんな事を気にしていたら胃袋にすぐ穴があいてしまう。


 音楽家間の嫉妬の感情のすさまじさは内輪でないとわからない。クナディン自身、シーバースの直弟子であることもあって今まで随分いやな思いをしてきている。が、それを糧に出来るようでないと、この世界で生きるのは難しい。


 クナディンは横の友人を見やった。こいつのピアノは確かに…素晴らしい。

 音楽界の長老を自他ともに認めるミルティンの奴は、その音色を一度聞いただけで惚れ込んだ。そしてその最愛の弟子を今まで嫉妬とか競争とかの俗っぽいしがらみから出来るだけ遠ざけて大切に育て上げた。


 だからこそ、英生の音色は彼そのものの清澄さと優しさ、子供っぽいまでの純粋さが保たれている。二ヶ月まえに開かれたデビューコンサートも小規模なものながら、ミルティンの肝いりで音楽界の重鎮たちが一同に会し、たかが新人のコンサートとは思えないものだった。その時の評価の高さは、ミルティンの愛弟子だから…という事を抜きにしても、たいしたものだったのだ。


 まあ、たしかに英生はすでに何年も前から、どのコンクールに出ても上位入賞出来るくらいの腕は持っている。しかしミルティンは英生をそうしたものに出そうとはしなかった。


 普通のピアニスト志望の若者なら自分の実力を試してみたくてしょうがないに違いない。なのに、英生はミルティンが自分をそうした機会から遠ざけているのを別に不満にも思っていないようだった。


 クナディンはもう一度友人に眼をやる。


 この学院ではたぶん一、ニを争う実力をもっている今でさえ、どこか居場所がないようなそんなおずおずとした様子をしている。


 そう、確かに他人と競い合うコンクールは英生には向かないかもしれない。


 そういう弟子の性格を知っていたからか、ミルティンは英生をコンクール上位入賞からデビューという、よくある形にもっていかずに、満を待して計画したコンサートデビューという形で世に送りだした。そのもくろみは見事成功し、それが今回の天才ハーベイとの共演につながったのだが…。


 が、しかしさすがのミルティンでさえ、永遠に愛弟子を自分の羽の下にかばっておけない。こうしてデビューを果たしてしまった英生は、これから自分一人で音楽界の嫌な部分に対していかなくてはならないのだ。


 今までのようにピアノさえ弾いていればそれでいい、という訳にはいかない。文字どおりミルティンに「秘蔵」されていた箱入り英生にはつらいことだろう。が、しかし、このへんで自立しないと、ミルティンはすでに墓場が近いじいさんだしな、クナディンはそう思って、今なお意気盛んな老ピアニストのピンクがかった血色のいい顔色を思い浮かべた。


 いや…あのじいさんなら、ここにいる今にもぶったおれそうな顔色の愛弟子より五十年は長生きするかもしれないな。クスクスっという笑いが思わずもれる。


「何?」


 いつものように「しっかりしろ」という小言を聞かされるとばかり思って小さくなっていたらしい英生は、クナディンが突然笑いだしたので明らかに戸惑っている。


 その表情は五年前最初に出会った時の、言葉も通じない寮のルームメイトに向けられた困惑顔と同じだった。クナディンはもう一度笑ってしまう。


 まったく、こいつは成長してるのかしてないのか。そして、年は同じでも自分より一回りも二回り小さくて、どこか子供っぽく見える友人の肩を抱き、あの時とまったく同じセリフをいった。


「飯、食いにいこうぜ。うまいとこ知ってるんだ」

よろしくお願いします。完結まで、続けて0時に投稿予定です。

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