1941年のクリスマス
クリスマスも近いので、こんなお話を
青年は西海岸に沈む夕陽を見ていた。十二月の衰えた夕映えだ。
足元では潮風に浜辺の砂が流され、不規則な模様を描きだしている。
十二月の浜辺には、青年しかいない。
他にあるものと言えば、潮風に弄ばれる砂と、それに磨かれる乾燥しきった流木だけである。
青年はコートの襟を立てた。潮風にさからうようにして、背中を丸める。そしてコートのポケットから紙巻の煙草を一本。口にくわえて、マッチを擦る。最初の一本は煙草に炎が移る前に消えた。二本目は丁寧に両手で風よけをつくって、それから煙草に炎を移す。
一度、二度。
橙色の火口を輝かせて、励ますように煙草を吹かす。だが煙を肺へ送り込んだ途端、青年はむせ返ってしまった。
「ミック! こんなところにいたのね?」
背後から声がかかった。ミックと呼ばれた青年が振り返る。
手編みのニットにコートを羽織った娘がいた。潮風に弄ばれるブロンドを片手で押さえ、慈母の微笑みを投げかける。
しかしミックは、プイと太平洋に顔を向けてしまった。
「心配したのよ、ミック。暗くなるのに帰って来ないんだから」
「………サンディ、僕のことなら放っておいてくれよ」
ミックは煙草をくわえた。
「ダメよ? そんな体に悪いもの」
サンディはミックの口から煙草を奪う。そばに立つと、彼女の方が背が高いのがわかる。そして豊満で健康的な肉体と、ミックの線の細さが際立った。
奪った煙草を砂浜に捨てる。
「どうしたの、ミック? 御機嫌ななめね」
サンディは背後から、コートの中へミックを包み込む。二人の頬は触れ合うほどに接近していた。
不快をあらわすことなく、ミックは言う。
「………ビルのことを覚えてるかい、サンディ」
「ビル・ウォルコットね? ハイスクールでフットボールの花形選手だった、人気者の彼ね?」
「………そう、僕の親友だったビル・ウォルコット」
「そうね、太陽みたいに明るくて、溌剌としていたわね」
ビル・ウォルコットはフットボールの花形プレイヤーだっただけではない。レスリングでも地区のチャンピオンで、牡牛のようにブ厚い胸板と魔法瓶のように太い腕の持ち主だった。
まさにミスター・カリフォルニア。西海岸の太陽が生み出した、潮風の息子のような若者だった。
「僕は最初、君はビルのことを好きなんだって思ってた」
「無理もないわ。ハイスクール最後のキャンプを覚えてる?」
「僕も同じことを考えてた」
「あのキャンプにビルを誘ったのは、私なんだから」
あのキャンプから、もう一年五ヶ月。ミックがサンディと交際を始めたのも同じ頃。
「まさか君がビルを誘ったのが、僕を引きずり出すためだったとはね」
「お友達の誘いなら、勉強ばかりの貴方も、バカンスを楽しむ気になると思ったの。………迷惑だった?」
ミックは横に首を振る。
「だけど信じられなかったよ。君のように魅力的な女の子の本命が、冴えない眼鏡の僕だったなんて」
「仕方ないわよ、ミック。私の目には世界中の誰よりも、素敵な王子さまに見えたんだから」
「ビルのことを好きだったのは、別の娘だっけ?」
「そう、マールよ。あの娘ったら、『サンディが誘ってくれたらビルは絶対に来てくれるから、お願いビルを誘って!』なんて………。だけどそのお陰で、私は貴方と結ばれた」
思い出の夏だったね。
青年は呟く。
そうね、素敵な夏だったわ。
娘は夢見るように答えた。
ミックを抱き締めていたサンディの腕が、力無く垂れ下がる。
ミックは海に足を踏み出して、距離を置いた。
振り向くとサンディの髪が、潮風に乱れている。
ポケットをまさぐる。
煙草とマッチを取り出した。
火口を励ますように、煙草に火を移す。
「………嘘………」
ようやくサンディは、口を開いた。
ミックは煙にむせ返る。
「嘘なんかじゃないよ」
むせながら、ミックはようやく答えた。
ビルが死んだ。
そう告げたのだ。
「あのヘラクレスみたいな彼が? ごめんなさい、ミック。貴方が悪い冗談を言ってるとしか、思えないわ」
「冗談なんかじゃないよ。今朝ハワイから、ビルの家に遺品が届いたんだ」
「ハワイ? 嘘よ、彼の勤務地はカリフォルニアだったじゃない」
「転属願いさ。離島勤務なら、手当がつくからね」
なんで、そんなところに。
サンディは砂浜にひざを着いた。
「サンディ、落ち着いて聞いてほしい。ビルの奴、僕たちにクリスマスプレゼントを贈るために、離島勤務を選んだんだ。しかも日曜日だってのに、当直手当欲しさに船に残って………」
「………………………………」
「そこへ日本軍の騙し討ちだ! 奴らは突然現れて、宣戦布告も無しに爆弾を落として回ったんだ!」
燃え盛る不滅の戦艦。
地獄のように立ち上る煙。
そして、尊き犠牲。
「だけどミックは冷静だったらしい。日本軍の飛行機を敵と見るや、すぐさま対空砲へ飛びついた。敵機! 敵機! 命令なんか待てるか! 撃て! 撃て撃て撃てっ!」
青年を励ましていた娘は、すっかりうなだれている。なにもかも失った脱け殻にも見えた。
見かねたように、痩せっぽっちの青年は告白する。
「だからサンディ、僕は今日海軍に行ったんだ。………ビルの敵討ちをするためにね」
「………偉いわ、ミック。それでこそ、自慢の恋人よ」
「だけどね………身長が足りなくて、ハネられたよ………」
口を押さえるサンディ。
ミックは自嘲気味の笑いを浮かべる。
「………情けないよね。親友の敵討ちだって勇んで出掛けたら、チビだからダメだなんて」
「そんなことは無いわ、ミック。貴方の行動は勇敢なものよ」
いつの間にか立ち上がったサンディは、両手を広げて訴える。
「だからね、サンディ。海軍を出た僕はその足で、陸軍に行ったんだ」
「そうよミック! 西海岸の男は、そういうものだと思うわ!」
コートの前を広げて、今度は正面から抱き締めようとするサンディ。両腕を羽根のように広げて、恋人を抱き締めようとした。
それは失意の恋人を励ます、必死の努力である。
「………嘘」
カリフォルニアの娘は、失意の海に落ちたかのように、瞳の光を消した。
小柄な恋人は言った。
「結核が見つかったんだ」
眼鏡でチビの恋人は、すっかり短くなった煙草をくゆらし、そしてまたむせた。
「大丈夫、しっかりして」
そう言いながら、サンディは煙草を奪って投げ捨てる。
「………僕は、ダメな男だ」
「そんなことはないわ、ミック」
「親友の敵討ちすらできない、ダメな男なんだよ」
「泣かないで、ミック。貴方には素晴らしい頭脳があるじゃない」
「男として、こんな屈辱は無いよ」
「神さまが命じたのよ! きっとそうだわ、貴方はこの戦争で死ぬべきじゃない! 生きて、生きて生きて生き抜いて、平和な世界を取り戻した時に、貴方の本当の価値が発揮されるのよ!」
背の高い乙女は、恋人を暖かいコートの中に包み込む。
お願いミック
死なないで
切実な祈りを込めて、髪に、頬に、唇にキスの雨を降らせる。
「唇は………」
ミックが拒もうとすると、サンディは首を横に振った。
「約束するわ、ミック。私は貴方より先に死んだりしない。貴方が戦争以外の手段で、日本人に抱腹するまで死んだりはしない。だからね、ミック………」
伝染病など気にせず、サンディはふたたび唇を重ねる。
「だからね、ミック。今日は家に帰って、暖かいスープを飲みましょう? お母さまが腕に寄りをかけたターキーも、貴方を待っているわ」
太陽はすっかり、太平洋に沈んでいた。
永久に変わらぬ風は、砂浜を弄んでいる。
波が打ち寄せてかき消す、二人の足跡。
まだ赤い夕映えに、一番星がひとりぼっち。
だがしかし、やはり風と波は変わらない。
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