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第八話 少年ラツェルは暴力と宴の狭間にあって傭兵の世界に馴染み始める

「よくやったねえ、よく生きてたねえ」


 敵軍が敗走した直後の、敵味方の死体がゴロゴロと転がる野辺で、レナーテはラツェルを熱く抱擁する。


「苦しいよ、レナーテさん。それに恥ずかしいし」

「あんたはここまでしなくてもよかったのに。あんたは必死に生き残ることばかり考えていてよかったのに」


 レナーテは心から愛おしいものを抱きしめるように少年を熱く抱擁する。

 少年の胸には美女の甘い芳香がいっぱいに満ちた。

 顔にかかった金色の髪の感触がこそばゆい。

 兵士たちがにやにやしながら二人を眺める。

 彼らは彼らで忙しい。

 転がった死体から装備や売れそうな衣服を剥ぎ取っているのである。

 生きていた時の敵味方は関係なく。傭兵の戦場での流儀だった。


「見事だったぞ小僧」


 ベルンハルトが近寄ってきた。

 あらかた返り血を被り、カラフルだった衣装はどす黒い色に化けてしまっている。

 少年は美しき女傭兵の腕に抱かれたまま、顔だけを彼の方へ向ける。


「いや、もう小僧とは呼べんな、ラツェル。お前は戦場で輝く男だったようだな。傭兵の世界に染まってしまったわけだ」


 そう言われて初めてラツェルは自分のしたことを思い返す。

 ヤマアラシの棘の様に槍を無数に生やした敵陣に自ら突っ込んだのだ。

 敵の足に剣を突き立てるあの生々しい感覚はよく覚えている。

 どうしてあんなことができたんだろう。

 自分でも不思議だ。

 まるで何か別の存在に乗っ取られたような、そんな感覚だった。

 しかしその感覚がどこから湧いてきたのか、本当は知っているような気もしたのだ。


「わかるぞ、ラツェル。自分のしたことが信じられんのだろう? だがそれはそういうものなのだ。じき慣れる。重要なのは慣れるまで死なないことだな。今日の戦いは見事だったが、以降、あのような蛮勇は慎むことだ。いいな?」


 ベルンハルトは言いたいことをすべて言い終えると自分の大剣のみならず、拾った長槍や斧槍を肩に担いでのっしのっしと本陣の方へ向かっていった。

 死体漁りは大体が完了し、兵士たちは帰途に就く。それでもラツェルとレナーテはしばらく抱き合っていたのだった。


 敵軍が陣取っていた都市に着いた。城壁のない、守備隊がいなければ守りようのない小規模な都市だ。

 もはやそれはプセヒパーテン軍にとっておいしい餌に他ならなかった。

 残酷で手ひどい略奪が待っているのだ。

 略奪――それこそ軍隊周辺の経済の中心だった。

 略奪とは戦争という労働の対価として戦利品を受け取るという至極まっとうな経済活動と見なされる。

 経済が未発達なこの時代、富を増やす最も手っ取り早く合法な手段は戦時略奪だったのである。

 降伏した都市や契約する主君の「所有物」への掠奪は許されなかったが、抵抗した村や都市はそれを手に入れる主君に対し「犯罪」をしたとみなされ軍が略奪によってそれを処罰した。

 悲鳴をバックミュージックに兵士と民が交錯する残酷な儀式が始まる。

 行軍途上、村々がされたように略奪が行われるのだ。

 しかし此度のそれは数段徹底的だ。勝利の後の略奪ほど激しいものはない。

 金品の略奪が許可されたので、あらゆる金目のものがかき集められる。

 それは中隊ごとに分配が行われるのだ。

 個人個人の獲得物の取り合いはカオスな状況を生んでしまうという理由があるから、そこだけは秩序立っていた。

 しかし他のすべてが脈絡なく、暴力的で、破壊的で、凄惨を極めた。

 これにはこの時代特有の自力救済の考え方が関係している。

 つまり自分の権利は自分で守るということだ。

 そのことが破壊と何の関係があるのか。

 それはこうだ。戦闘で自分たちが負った損害は敵に同じだけの破壊行為を行うことによってはじめて清算されるという感覚があるのだ。

 これが傭兵たちが戦闘の後に焼き討ちや破壊を行うことの精神的バックボーンだった。

 民家の家具がハンマーでいたずらに打ち壊される。

 100年の歴史を誇る建物が焼かれ崩れ落ちる。

 街の誇りである石像が無残にも砕かれる。

 それらはすべて勝利者にとっての正当な権利だったのだ。

 なにせ敵国住民は敵の君主の財産であるから、これへの攻撃は軍事的にも合理性を認められていた。

 一見無秩序に見える破壊行為も理由があるのだ。

 戦後の領民統治のことなど全く考えない、純粋なる暴虐。

 だからこそ傭兵たちの通った後には草木も生えぬと言われるのだ。


「今度のは前のよりずっとひどいですね」

「そうだね」


 ラツェルとレナーテ。

 彼らは狂気のフェスティバルには決して加わらず、遠巻きにその様を眺めていた。

 レナーテはもともとこのような騒ぎに加わるタイプではなく、部下たちを好きにさせておく手合いだったが、こんな気分で彼らの乱暴狼藉を眺めるのは初めてだった。

 そしてそれは間違いなくこの哀れな戦災孤児からの影響であった。


「よお、レナーテ。お前も勝利の後の祭りを楽しめばいいのによ。ほら、この街の財産たんまりいただけたぜ! 俺の隊の連中も大満足だとよ!」


 ヨスがゲオルグと共に寄ってきた。ラツェルは力なくそちらを見る。

 こいつは嫌いだ。

 ラツェルは心中でつぶやく。

 このいけすかない伊達男はきっと何も考えていないのだろう。

 この兵団のなかでもとりわけ好きになれなかった。

 レナーテは鼻で笑ってヨスに言う。


「ふうん、今回の戦いでただ一隊だけ敗走した中隊の指揮官が随分元気そうじゃん」

「バカ! それを言うなよ」


 ヨスは帽子を傾けて顔を隠す。

 この人でも恥を知っているのか、とラツェルは思った。

 総崩れとなったヨス中隊だったが、彼がこうしてここでぴんぴんしていられるのは持ち前の要領のよさ故だった。

 すなわち、死んだふりをしていたのだ。

 ラツェルのように一時敵の目を欺くためではなく、部下が敗走し始めてからずっと。


「レナーテ、そうやってボーっとしてるんだったら手伝ってよ。あんたの中隊の戦利品だけでも数量管理して欲しいんだけど」


 ゲオルグは辺りを走り回って略奪品の量を書き止める仕事に忙殺されていた。 

 なにせ小規模とは言えそれなりの都市だったから、書記官たちだけでは手が回らなかった。

 記入に使う書類すら足りずに陣太鼓にまで書き込みをする始末だった。

 これを怠ると分配に不公平が出て兵たちの不満の原因になる。


「ああ、悪いね。今手伝うよ。坊や……いや、ラツェル。辛いと思うけど、しっかり見ておきな。これが現実なんだ。止めようがない現実。残念ながらね」


 あなたなら止められるんじゃないのか? ラツェルは思う。

 しかしそれは身近な大人の力を過大評価する子供の思い込みに過ぎない。

 実際は誰も、システムという大きな力を受け入れたくないと思っても、消極的肯定か顔を背けて見ないふりをするかの二択しかないのだ。


 ラツェルは街の広場の片隅に来ると腰を下ろして欣喜雀躍と言った様子であちこちを行きかう兵士たちの姿を憮然として眺める。

 わが世の春がきたとでもいうように彼らはとてもギラギラした目をしていて、蓄えた髭の影からも黄色い歯が見えるくらいにやりとした笑みを浮かべていた。

 ふと、少年はある家の戸口に目を留める。

 そこには見覚えのある真っ赤なひだだらけの衣服を着た男がいた。

 ルッツだ。

 何かまた悪さをしようとしているに違いない。

 直感的にそう思ったラツェルは喧嘩剣カッツバルゲルを握りしめると民家に入っていくルッツの後を追った。

 果たして、そこには目を覆う惨状があった。

 家の主人と思しき男は殺されており、部屋の中はひどく荒らされていた。

 奥の部屋からは婦人の叫び声が聞こえてくる。

 ラツェルは途端に吐き気を催し、玄関に吐瀉物をまき散らす。

 同じであったのだ。

 あの時と。

 自分が孤児になったあの日の出来事と、細部までそっくりの状況だった。

 あの日、自分は振り向くことなく逃げ出した。

 それを清算するのは今日この時しかなかった。

 忍び足で家屋の奥まで入り込む。

 柱の影から覗いたそこには、今まさに衣服を剥ぎ取られかけている女性の姿が……。

 ラツェルは血液が沸騰するような感覚を覚え、声を上げようとする、が、何者かにより口をふさがれ家屋の外に連れ出される。

 指甲付きの皮のグローブで息がつまりそうになる。広場まで連れ出された後、ようやく解放される。ヨスだった。


「お前、あそこで何しようとしてたんだ? 最初から見てたぞ。覗きってわけじゃないよな?」


 ラツェルは答えようとしない。

 今にも走り出してルッツの行為を止めたかったが、ヨスがそれをさせてくれそうにないのは明らかだった。

 面倒くさそうに頭をぼりぼり掻きむしって、諭すようにラツェルに話しかける。


「お前みたいのがたまにいるんだよなあ。正義感か? いや違う、トラウマだな。親兄弟が今起こってるこんな状況でひどい目に遭ったんだろ。違うか?」


 ヨスはばっと手を広げると広場の喧騒を見渡す。

 彼のスカーフがヒラリとはためいた。

 そこここで罪なき人々の悲鳴や哀願の声が聞こえる。

 そしてそれをかき消す怒号も。

 幅広の帽子を直しつつ再度少年の方に向き直る。

 仕草はどれをとっても芝居がかっていてそのことが彼の性格を如実に示していた。


「そんなに略奪が嫌なら何で後方でじっとしていない? こんな所へわざわざ現場を見に来てどうしようっていうんだ。知ってるぞ、わざと顔を近づけてみることで心の傷を癒そうって魂胆なんだ。ご婦人を暴行する団員を背中から刺せばそれが実現するとでも? そうなったら困るのはお前を引き入れたレナーテだぞ? ちゃんとそこまで考えたか?」


 考えが及ばなかった。

 それが事実だ。

 ヨスは正しい。

 ラツェルはただうなだれるしかなかった。

 ヨスはそれまでのうんざりと言った様子とは打って変わって優しい顔つきになって言う。


「まあ、子供には早い話だったよな。受け止められなくても仕方ない。当たり前のことだ。さ、オジサンと一緒にこんなうるさいところからはおさらばしましょうね。押し倒しても泣き叫ばない女のいるところへ行こう」

 

 ヨスに背中を押されながらラツェルは巨大なる罪業の現場から去るのだった。ラツェルのヨスに対する評価が少し変わった。



 勝利の日の夜は大宴会。

 お決まりの行事だ。

 奪った物品を補給商隊に売りつけた金で飲めや歌えの大騒ぎ。

 おまけに任期一か月目の給金も一緒に支払われたのだから騒ぎ方もひとしおだ。

 この日ばかりはお高く留まるプセヒパーテンも無礼講で将校たちと酒を酌み交わす。

 ラツェルも四ゴルテンを手にしているからこの騒ぎに加わることもできたのだが、今の今まで一般市民を殺し、その財産を奪っていた人間たちと楽しく過ごせるはずもなかった。

 しかし酔っぱらったベルンハルトに捕まって、英雄だなんだと祭り上げられたのはこそばゆくも楽しい体験であった。

 彼らが騒ぎ疲れてしんみりした雰囲気になり始めたころ、ラツェルは輪を抜け出して自分に割り当てられているテントに向かう。

 その道すがら、ぼうっとうかぶ篝火の下に浮かぶ人影を見た。

 ハンナだった。

 その艶やかさにラツェルはドキッとする。

 実は今しがた客を取ったばかりなのだ。

 子供でも嗅ぎ取れるほどの媚態の残り香が女の身体を彩っていた。


「あ、ラッ君だ。こんばんわ。もうおねむなの?」


 ハンナは照れに身を硬直させているラツェルにゆっくり近づく。

 むっとした女の香りが漂ってくるのを感じた。

 秋も終わりに差し掛かっているというのにそのなめらかな肢体が汗にぬれているのがわかった。

 まだ息が上がっているのか深い呼吸音が聞こえてきた。


「いや、あの、僕は」


 ラツェルはしどろもどろになる。

 まだまだ女に触れる喜びも知らない子供である彼ではあったが、ハンナの男の本能に訴えかける上気した様子はそれでも彼の心を煽り立てた。


「聞いたよ? 今日はすごいがんばったんだってね。お姉さん、憧れちゃうな。ねえ、ラッ君……。もう興味ある? お安くしとくよ、それともただでいいかも。ね?」


 ラツェルは返答に窮してしまった。そこにレナーテがやってきた。彼女はラツェルを探していたのだった。


「ラツェル? ここにいたの。みんなが呼んでるよ、今日の小さな英雄はどうしたってね。珍しいことだよ? あいつらが誰かをほめたたえるなんて。あれ? ハンナ?」


 レナーテはハンナに目を向けると見る見る内に表情を強張らせる。


「ちょっと! この子に何しようっていうんだい!」

「えー? かまーないでしょ、大人の階段上るくらい」

「絶対ダメ! いくつだと思ってるの! まだ十二だっていうんだよ!」


 レナーテはすぐさまラツェルを抱き寄せてハンナから遠ざける。


「ケチ。そうやって独り占めするの良くないんだぁ」


 レナ―テはそれ以上ハンナを相手にせずにみなが集まっている篝火の方へラツェルの手を引きつつ向かった。



「この少年こそ我らが英雄と聞いたぞ! 特別報酬を与える。一ゴルテンだ!」


 驚いたことにプセヒパーテンがレナーテ中隊の陣幕に直々にラツェルを顕彰するためにやって来ていた。

 前列銃兵として捨て駒にするつもりだったのに調子のいいことだ。

 ラツェルは今日の分の給料と合わせて十分な大金を得たことになる。

 こうなってくると盗まれるのが怖い。隊内では盗みが横行していたのだ。


「よかったじゃないか。じゃ、これは私が預かるから。……そんな顔するんじゃないよ。とりゃしないから」

「わからんぞ。中隊長という生き物は横領着服が生業だ」


 どっと笑い声が起きる。

 そりゃお前だろう、とレナーテはプセヒパーテンに聞こえないように小さくひとりごちる。

 金を貯めること以外に興味がないのがこの傭兵団の隊長の悪癖だ。

 まあそれは一般的な傭兵隊長の在り方なのだが。

 それでもプセヒパーテンのやることを間近で目にしてきたレナーテには、彼が一線を逸脱して貪欲であるとしか思えなかった。

 死者を生者としてカウントして経費を請求したり、沿道の市場の食料をあらかじめ買い占めて兵たちに高く売りつけたり、その悪行は枚挙にいとまがない。

 プセヒパーテンのそういう面を知らない兵士たちは無邪気だ。

 いつもは雲の上である隊長のお出ましに興奮している。

 そしてラツェルを囲むと胴上げが始まった。

 レナーテはため息をつきつつもその光景を安楽な気持ちで見つめる。

 なんだ。

 結局ラツェルはなじめているではないか。

 しかしそれはつまり傭兵の世界に染まることでもある。

 孤児であるラツェルは、ゲオルグがかつて言ったように傭兵になる以外は乞食にでもなるしかないのだ。

 自らが憎む戦争に関わって生きていくのがいいのか、戦争を忌み嫌って極貧の生活に堕ちるのがいいのか、彼女にはわからなかった。

 しかし少なくともこの遠征が終わり任期が切れるまでは、戦争を憎みつつも戦争の中で生きる彼の生き方を全肯定しようと誓うのだった。

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