第六話 少年ラツェルは自分の属する傭兵団が略奪をするのを許せない
ラツェルはその光景を前に呆然と立ち尽くしていた。
あらん限りの暴虐の後を。
燃え盛る家々、倒れ伏す人々、泣き叫ぶ幼子の声。
それはまさに地獄だった。
幼き日の彼が味わった地獄に違いなかった。
一体この村に何が起こったのか。
ではプセヒパーテン傭兵団が共和国に入った時に時間の針を戻そう。
「近郊の村々を襲い続ければおのずと敵兵団は陣地から出てこざるを得まい。さすれば平野での会戦に応じてくれる。敵はそれほど優位にあるわけではないからな。戦略的イニシアチブはこちらにある」
敵国内に入ってから最初の夜の軍議、プセヒパーテンは落ち着き払った様子でそう言うとテーブルの上に地図を投げ出した。
レナーテ、ヨス、残りの中隊長が、ひらりと彼らの手元に地図が舞い落ちるのを眺める。
全員、その戦略に賛成だった。
文句のあろうはずもない。
まさか城に籠る敵相手に正面から攻勢をかけるわけにもいかないからだ。
今回大型攻城砲を扱う兵科は雇っていない。
小型騎兵砲があるのみ。
とても城攻めなどできない以上、敵を野戦に引き込むしかなかった。
そこで城の周りの農村を焼き討ちし、政治的揺さぶりをかけることで敵軍をあぶり出すわけだ。
それは帝国軍のとる戦略全体とも適合するものであった。
帝国の雇うほかの傭兵団、お抱えの騎士団も他のルートで共和国に入ってはそれと同じことをしていた。
「つまりやることは略奪ってわけだ。いいねえ、命を賭ける前からお祭り騒ぎができるってのは」
ヨスが興奮もあらわに言ってのける。
顎を覆う無精髭を撫でながら物色するように地図にある村々を一つ一つ順に眺める。
彼の脳内ではすでに略奪品の金勘定が始まっているらしい。
「金品の略奪は会戦に勝った後だ。奪うのは糧秣のみにしろ」
プセヒパーテンが血気逸る部下たちを諫める。
そんな中レナーテは憮然とした表情でぼーっと地図を見ていた。
何度も何度も繰り返されてきたことだ。
無防備な村々を襲い、モノも命も奪っていく。
なにかおかしなことがあるか? それが傭兵、それが戦争というものだ。
レナーテは今まで抵抗感は感じつつも盲目的にその慣習に従ってきた。
しかし、どうだろう。
ラツェルは宣言通りにきっと、いや確実に略奪行為には参加しないんだろうな。
そう思うレナーテだった。
共和国に入って最初の村に到達したのは閲兵式から一か月後のことであった。
長大な列となる補給商隊を引っ張っての行軍はどうしても速度がおろそかになる。
これもまたこの時代の軍隊の特徴だ。
その村は地平線にプセヒパーテン軍が見えるや否や物見台の警鐘をかき鳴らした。
女子供はパニックとなり逃げ惑う。
男たちは農具を手に戦闘準備を完了させる。
しかしもちろん、六千の傭兵たちに敵うはずもないのだ。
銃隊が出るまでもなく、哀れな農民兵は槍で突き殺され、根絶やしにされた。
女達は教会に駆け込み震えるばかりだった。
先鋒が抵抗する住人達をあらかた殺しつくした後、将校団を周りに伴いながらプセヒパーテンが村に入る。
「よし、お楽しみの時間だぞ、飢えた狼ども! 存分に腹を満たすがよい! 家を焼け! 食料を奪え!」
農民、村民、町人……領内のそれら人間たちはすべてそこの領主の所有物とみなされる。
つまり彼らを殺すことは敵国領主の財産を目減りさせるという合理的作戦行動なのだ。
そして略奪。補給という観点からも略奪は重要だ。
幾ら補給商隊があると言っても、運べる食料には限界がある。
持続的な補給システムが存在しない以上、兵隊の食べ物は現地調達が当たり前だからだ。
血と悲鳴の乱痴気騒ぎが始まる。
そこここで民家が物色されていく。
村の外に逃げる場所も当てもないので、家屋に隠れていた人々が引きずり出され、無残に殺された。
村の教会に向かった連中は中に女という御宝が多数存在することを知ると狂喜した。
調理している最中に住人が逃げだした家屋の食料はテーブルにぶちまけられ、食器を使う習慣のない荒くれ男たちの腹に収まった。
兵士の内教養のある者たち、貴族すらもがこの状況を楽しんだ。
あらかためぼしいものが運び出されるか、何もないと判断された家屋には火が放たれた。
誰にも気づかれないよう隠れることに成功していた子供たちは蒸し焼きにされた。
そんな悪魔の宴が一日中催されたのだ。
「やっぱり、こうなるんだ」
遅れて村に到着したラツェルは散々嬲りつくされた破壊の後を見ることになる。
レナーテはラツェルに最大限配慮していた。
略奪そのものをラツェルが目にすることが無いよう、商隊の護衛の名目で隊列のはるか後方を歩くよう命じていたのだ。
ここに来るまでずっとハンナと和気あいあいと歓談していた少年は村が上げる黒煙が目に入る場所に差し掛かると途端に無口になり、いよいよ惨劇の現場に近づくと顔をゆがめた。
そうして実際にそこに足を踏み入れると、呆然と立ち尽くし、絶望をそのあどけない顔に浮かべた。
「仕方ないよ」
ハンナが慰めの言葉をかける。
彼女も男たちのこうした行為に感心する方ではなかった。
たとえそれで男たちが懐を潤わせ、自分の実入りがよくなるとしても。
しかしそんなハンナの言葉はラツェルの耳には届かなかった。
ただただ目の光景に自身のトラウマを重ね合わせていた。
「坊や! もう着いてたんだね」
レナーテが駆け寄ってくる。
しかし彼女はラツェルに対しどうしていいかわからない。
レナーテ自身はただ部下にそれを許しただけであっても、同じ血に手を染めていることには変わりないのだから。
ラツェルが最も嫌うことをしでかしてしまったことは確かだった。
仕方がないことではあったのだが。
こうしなければ傭兵団は飢えるか、飢える前に暴動が起きる。
「レナーテさん、あなたもこういうことをする人だったんですね、人を殺して、家を焼いて、食べるものを盗むなんて! やはり傭兵ってのはそうやって生きることしかできないんですね!」
ズキリ、とレナーテの胸が痛み、端正な顔立ちに憂いの色が浮かぶ。
そう、そうなのだ。
遠征中の兵の食事はほぼ全てが元は略奪品だ。
そこに一抹の疑問は感じていたのだが、傭兵なら当然だとも思っていた。
今はどうだろう。
レナーテは自分でも自分がどう感じているのかがわからなくなっていた。
なぜか? 目の前にいる少年のせいではなかったか?
「坊や、よく聞きな。これは……」
「これは兵士の習いじゃ」
レナーテとラツェルが振り向いた先にいたのはベルンハルトだった。
奪った糧秣がたんと入った袋を泥棒の様に担いでいる。
「坊主。そんな顔をしてどうした? そんなに驚きだったのか? この程度の戦場の習いが。承知の上でここへ来たのではないのか? 甘ったれるなよ坊主。みんな、大なり小なり戦火に焼け出される形で国のあぶれ者になり、行くところをなくし、傭兵になるのだ。この罪なき民を燃やす炎の中で我々は生まれたのだ。今回の略奪で逃げ出した人間たちはきっとこの国でも傭兵となるのだろう。それが自然というもの。ほら見ろ。お前とてそうして傭兵になったではないか」
ラツェルはこの古参兵に殴り掛からんばかりだった。
レナーテは少年のそういうオーラを感じていつでも止められるように身構える。
ハンナにも剣呑な雰囲気が伝ってオロオロするばかりだ。
「みんなそうなのだ。わしもそうだった。最初はそりゃあ運命と戦争を憎んださ。だがそんなことを言っていても始まらない。我々に許される生き方はこれのみなのだ。わかるな? 坊主」
ラツェルは唇をぎゅっと噛んで感情を抑え込む。
例え略奪でひどい思いをしていようが略奪をするような悪漢になれ、それが運命だ。
この世界で長く生きてきた人間がそう言っているのだ。
一種の重みがあった。
受け入れることはできないが、無視できない言葉。
目を伏せてベルンハルトが去るまで沈黙を貫くのだった。
「お、君が話題のラツェル君かい? 子供の傭兵ってのはいなくはないけど珍しいからねえ。他の隊でも噂になってるぜ」
ヨスが来た。
馬に引かせた荷車には食べ物の山だ。
きっとこの村の冬のたくわえは全滅だろう。
ラツェルは言葉も通じない異国の村人の行く末を思いやった。
「あなたのような人がいるからみんな苦しむんです!」
ラツェルはぶつける相手のいなかった感情のぶつけ先を見つけたのだった。
「ほおほお、なるほどね。俺は悪の大ボスってか? バカなこと言うな。そこの女傭兵だって自分の部隊に好き放題やらせてるんだ。そうだろう? レナーテ」
レナーテはヨスの言葉に答える代わりにしゃがんでラツェルと目線の高さを合わせると、その小さな肩に手を置いてまっすぐその目を見つめ、こう言い聞かせる。
「いいかい? 坊や。さっきベルンハルト先生が言った通りこれは戦場の習いなんだよ。これがなきゃ軍隊は成立しない。仕方のないことなんだ。私だってこの行為の一端を担ってるんだ」
「本当に、本当にそう思ってるんですか?」
レナーテは答えられない。
本当はそうじゃないのかもしれない。
彼女の心の中の何かがうずいた。
ラツェルは彼女の手を振り払うとどこかへ行ってしまう。
レナーテは後を、追えなかった。
ラツェルはハンナのところに向かう。
彼女こそラツェルにとっては略奪に関与しない「清い」存在だったのだ。
外の喧騒を尻目に馬車に引きこもって他の娼婦と歓談していたハンナは、ラツェルが暗い顔をしてやってきたのを見ると黙ってその輪の中に入れ、元気づけようと楽しい話を聞かせてやったのだった。
それからは村や街を襲うがまま進軍を続けた。
田畑を食いつくさんとしている間は作戦行動は容易なのだ。
根拠地からの補給線など考慮しなくていいのだから。
この時代の軍隊は略奪によって「自活」するのだ。
胃袋の命じるままにあっちへふらふらこっちへふらふら。
目的地に着くまで余分に数週間を要することもざらだ。
目的を持った戦略的行動など望むべくもない。
だからこその今回の作戦なのだ。
飢えた狼として敵国を遊弋し、むさぼり、敵軍中央に揺さぶりをかける。
プセヒパーテン軍はその戦略にそって共和国内を荒らし続ける。
あちらこちら訪れては守備隊という名の収奪管理集団を置き、敵地を進み続けたのだ。
そんなことを一週間以上続けた結果、ついに耐えられなくなった共和国側の傭兵団が都市を出て、プセヒパーテン軍と雌雄を決しようと進軍し始める。決戦の時は刻一刻と近づいてくるのだった。