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第五話 女傭兵レナーテは荒くれ者の傭兵ルッツを懲らしめる

 晩秋ともなれば朝は冷え込む。

 レナーテは自分の二の腕をさすると、水瓶から掬った水で顔を洗う。

 昨日は少々張り切り過ぎた。

 ラツェルの体力から言って、今日に響いていなければいいのだが。

 ちゃんと自分のテントまで帰り着けただろうか。

 無数に居並ぶ兵士用の簡易テントの方を見る。

 あのどれかの中で大人たちと一緒に寝息を立てているはずだ。

 起床の太鼓が鳴らされ、野営地はにわかに活気づき始める。

 レナーテは今日の行軍が滞りなく運ばれるよう祈るのであった。



「これがいいよぉ」


 ハンナが鈴をかき鳴らすようなかわいらしい声で叫ぶ。

昨日泣いていたり真剣に話したりしていた様子が嘘のようだ。


「レナちゃんもそう思うでしょ?ラッくんにぴったりだよ。ピエロさんみたいで可愛い」


 レナーテはラツェルとハンナと一緒に軍装――つまり派手派手な衣装のことだ――を補給商隊のテントの群れに買い求めに来ていた。

 少年の体格に見合うサイズを。

 男の子の衣装なんてわかんないしなあと困ったのでハンナに意見を求めたら、こうして一緒に買い物をすることになったのだ。

 ハンナは大喜びで補給商隊からラツェルの体格に見合う兵士の服を探してくる。

 驚くことに子供サイズも店頭に並んでいるのだ。

 傭兵団と生活を共にする巨大な商業サービス集団に、用意できぬものなどないのだった。

 恐るべき品揃えの良さと言えた。

 それは道化を思わせる、右が黄色で左が青の上着、襟からは放射状に三角の白い布が垂れている。

 ズボンは右太ももが大きく膨らんでおり、左足は全体が蛇腹になっていた。


「せっかく傭兵さんになったのにいつまでも貧しい巡礼者みたいな恰好じゃかわいそうだもんねぇ。まるで乞食だよ」


 と、ハンナ。

 レナーテは思う。

 この娘は思ったことをすぐに口にする傾向が強すぎる。

 実際それで彼女のお客とトラブルになったりするのだが、持ち前の天真爛漫さでカバーしていた。

 それにしても娼婦というものは誰しもばかに明るい。

 昨日ハンナ自身がラツェルに語ったように、この時代は身寄りのない女が選べるのは娼婦しかない(レナーテは特別だ)。

 そのせいで開き直ったように明るく振る舞っているのだろうか。

 しかしまあとにかく女に自由のない時代だ。

 もっとも男たちも、傭兵か強盗が主要就職先というひどさなのだが。


「これですか、なんかちょっと恥ずかしいような」

「そんなことないない。似合ってるよ、それ。やっとそれらしい格好になれるじゃん」

「私の服選び、いいでしょ」


 ハンナは満面の笑みで服のサイズが合うか確かめているラツェルを見つめている。

 これでラツェルも陣幕内で舐められずに済むだろう。

 子供であるという仕方ない部分を抜きにすれば。


「ありがとうございます、レナーテさん、ハンナさん」

「いいのいいの。坊やがこの世界に来ちゃったのは私のせいなんだし」

「そのおかげでかわいい傭兵さんに会えたんだから私それだけで幸せだよぉ、昨日は元気づけてくれてありがとね」


 昨日? レナーテは訝しむ。

 まさかハンナ、手を出したんじゃ……。

 そんな邪推をしている最中、レナーテの耳に普段とは違う響きの喧騒が届いた。

 踵を返して現場へ向かう彼女。

 着替えたばかりのラツェルも急いで後を追う。

 あとには困惑するハンナが残されるばかりだった。


「ベルンハルト先生、状況は?」

「喧嘩ですじゃ。レナーテ殿」


 野営地のすぐそば、街道沿いのとある酒場でレナーテたちの傭兵団の兵士が暴れていた。

朝からこんなところにいるとは見上げたものだが、よくあることだった。

酒場の中にできた人だかりの中心で何やら男が息巻いている。


「野郎! どうすりゃこんな値段になるんだ!」

「適正なお値段です、傭兵の旦那、みなさんにこの値段でお出ししているんです」

「ふざけるな! 平時に一般客にこんな値段で出すはずがないだろうが!」


 普通、近くに軍隊が野営している時には近くの商店は店じまいするのが一般的だ。

 なにせ彼らの乱暴狼藉と言ったら目に余る。

 ただ食いやかっぱらいは日常茶飯事だ。

 そんな中でも命知らずというか阿漕な連中がいて、他が閉めているのに自分のところだけ店を開けておくのだ。

 そうして集まった兵士に正規の値段の倍はあろうかという代金を吹っ掛ける。

 赤い服の傭兵に締め上げられている店の主人はそういう手合いらしかった。

 だがそういう人間がいなければ兵士たちの腹を満たすことはできない。

 悪徳商売を取り締まり適正な値段で食事を提供させるのもレナーテたちの役目だったが、契約している君主の領内でのもめ事を抑止するのもまた義務だった。


「どうするんですか? レナーテさん」


 ラツェルがレナーテに訊く。


「もちろん、これも私の仕事の内さ」


 レナーテは興奮して店主の胸ぐらをつかんでいる兵士に近づいていくと、諭すように話しかける。


「なあお前、もうその辺にしときなよ。適正な値段で販売させることができなかったのは我々の落ち度だ。だけども乱暴はよせ、でないと……」

「女は引っ込んでろ!」


 男はあろうことか喧嘩剣カッツバルゲルを引き抜いてレナーテの方に向けたのだ。

 ラツェルはあまりの事態に声も出なかった。

 こうなればもはや事態は大ごとだ。

 ただの喧嘩ではない。

 大勢のギャラリーの前で兵士が中隊長に刃を向けたのだ。

 見逃せば沽券にかかわる案件だった。

 レナーテは男の向こう見ずさに呆れつつも臨戦態勢を整える。


「レナーテ中隊長殿。わかっておられますな?」


 後ろからベルンハルトの声がする。


「わかっています、先生」


 女だから、女のくせに、たかが女……そんなことで舐められていては中隊長は務まらないのだ。

 その兵士――名をルッツと言った。全身真っ赤なタイツ状の衣服に身を包んでいる。首から胴、腕、腿にかけてたるんだ贅肉のように布のひだが何重にも折り重なっている。股間部は黄色い膨らんだ前当てに飾られていて、そこだけが異彩を放っていた。そして短剣をいくつも腰に差していた――は収まりがつかず、店主を乱暴に突き飛ばすと改めてレナーテの方に向き直り、手にする剣の切っ先を向けて威嚇する。

 自分がどれだけ不味いことをしているか頭ではわかっていたが、ちっぽけなプライドを健気にも守ろうとしているのだ。

 さてレナーテは考える。

 この愚か者をどうしてくれようか。

 腰の中剣ハンド・アンド・ア・ハーフを抜いて切って捨てることもできた。

 いや、そうするのが当然の処置だろう。

 しかし彼女は敢えて自分も喧嘩剣カッツバルゲルを抜く。

 周りを囲んで固唾を飲む男たちからおおっ、という声が上がる。

 みな見たいのだ。

 若き女隊長がこの場をどう収めるのか、その実力を。


(男ってホント馬鹿だな)


 油断なく目をやりつつぼんやりと思うレナーテだった。

 この愚かな男は見栄のために刃を収めることができないのだ。

 自分のように立場からの要求にこたえるためではなく、ただ後に引いて笑われるのが怖いから前に行く、致命的な誤りと分かっていても。

 こいつはビビっているに違いない……彼女はそう断定する。お互い得物を向け合ったまま膠着状態が長いからだ。

 普通ならもう向かってきてもいいはずなのに。

 刃渡り五十センチの鋭い剣を構えたルッツは微動だにせずただ冷や汗を流すばかりだ。

 レナーテは構えるでもなく腰を落としていた。

 不意に剣を顔の高さまで掲げる。

 ルッツはやはり反応した。

 届くか届かないかの遠間で大振りが繰り出される。

 腰が引け、自分の間合いにすら接近できない人間の典型的な行動である。

 こういう手合いの扱いはこうだ。

 まず相手に合わせこちらも大振りで威嚇し戦闘意思のあることを印象付け、さらに恐怖を煽る。

 こちらが振れば相手も振り、相手が振ればこちらも振り……怠惰なリズムが生まれる。

 業を煮やした相手が大きく上体を傾げて突きを繰り出し、無理にリーチを広げようとした瞬間がチャンスだ。

 こちらの剣で相手の剣をはたき落とし、インサイドに入り込む。

 同時に左手で彼の右腕を制する。

 あとは生じた数瞬の隙をモノにするだけだ。

 至近距離に踏み込んだこちらには圧倒的有利がある。

 とっさにこちらの剣をつかもうと差し出された左手をかいくぐる。

 このまま切りつけて硬直させたのち、切っ先を急所に滑り込ませるのが常道だが、殺すつもりはなかった。

 肩口と足に一撃ずつ、動脈に傷をつけないよう気をつけながら数センチの刺し傷を作り戦意をくじく。

 刺したらすかさずバックステップで距離をとる。

 倒れこむ相手。

 どうやらうまくいったようだ。

 致命傷を負わせずに無力化できたと見える。

 ギャラリーから拍手喝采が沸き起こる。

 やはり中隊長はすごい、さすがと彼女を讃える声を尻目に、医者(補給商隊はもちろん医者を抱えている)を呼ぶように言い残してその場を去った。

 こんなことは日常茶飯事だ。

 喧嘩や無断の略奪の処理くらいできなくては中隊長失格。

 酒場から出ていくレナーテにベルンハルトが寄ってきてささやく。


「生かすのならば刃物を使ったのは減点対象ですな。あの者、きっとあなたを恨んでおりますぞ」

「逆恨みじゃないですか」

「逆恨みでも積もればまずいことになります、これは忠告です。あなたの教師として……レナーテ殿」


 レナーテは肩をすくめて知らぬふりを決め込む。

 ベルンハルトは隊内の和が乱れることを極度に嫌う。

 この兵団を何十年も見てきた経験が彼にここへの愛着を抱かせているのだ。

 実際、プセヒパーテンの下での傭兵生活こそが彼のすべてなのだった。

 戦争のない除隊期間を除けば彼は人生のほぼすべての期間をこの兵団の専属として過ごした。

 若き日のプセヒパーテンと共に馬を繰り出し敵陣に突撃し、新兵の良き範としてあり続け、右も左も知らなかったレナーテに戦場の流儀と剣術を教え込んだ。

 レナーテにとってベルンハルトは家族が離散して以降の父代わりのような存在だった。

 次に彼女に駆け寄ってきたのはラツエルだった。買ったばかりの傭兵流の派手な服装は既に彼にすっかりなじみ、小さいながらも一人前の兵士に見えた。


「あのルッツとかいう男、傷にうめきながらも叫んでましたよ? あいつ、いつか殺すって」


 ラツェルの報告を聞いたレナーテはがっくり肩を落とす。

 ほとほと見下げる。

 自業自得だというのにそんなことを言っているなんて。

 まあ仕方ない。

 いつものことだ。

 女に大勢の前で恥をかかせられたという心持ちなのだろう。

 慈悲をかけてやって殺さなかったというのに面倒なことだ。

 補給商隊の窯で焼かれた山のようなパンが兵や将校や商隊の皆の胃袋に収まった後、陣幕やテント群が畳まれ、出発の準備が整う。


「さて、もうすぐ国境だ。気を引き締めな。銃は持ったね? はぐれないでね、行くよ!」


 レナーテは一抹の不安を覚えつつも、ラツェルをはじめとする兵団や商隊の皆と共に行程をこなしていくのだった。

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