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第十七話 その後

 さて、立場は完全に逆転した形になったわけだ。

 いまや傭兵軍は先ほどまで村人たちが集められていたように村の中央に集められていた。

 六千人という規模であるから刈った麦穂の様に押し詰めても広場からあふれんばかりであった。

 レナーテは周りから促されるままに村長の屋敷のバルコニーに出て、勝利を宣言する役を引き受ける。

 前に出て手摺りに手をかけると、農民軍と捕虜となった傭兵たちの視線が一気に集中する。

 ヨス、ベルンハルト、アルレルフ、ラツェルが後ろに控える。

 高貴なる女騎士はプレッシャーを微塵も感じさせない澄んだ声で群衆に語りかける。


「既に戦いは終わった! これで領主たちも民草の意を汲むことであろう。たとえ再びこれ以上の規模で苦難が遅い来ようとも、我々は確かにそれを打ち払う力があることを証明したのだ」


 この村の住人やそうでない農民兵たちも静かにレナーテの話に聞き入っている。

 さて、と、レナーテは本題に入る。


「問題はこの者たちをどうするか、だ。無論いたずらに殺してしまうことはできないが――」


 そこで初めて反応があった。

 曰く、ふざけるな、と。

 困惑するレナーテだった。

 そのような反応が返ってくるとは思わなかった。

 曰く、お前も元傭兵だから肩を持つのだろう!

 曰く、俺たちがどれだけ辛酸をなめさせられてきたか!

 ……後から来た農民反乱軍ともともとの村人、合わせて万人分の不満の声が村に満ち満ちた。

 やがてそれは殺せ! 殺せ! という声に収束していく。


「なんだこれは……」


 レナーテはただ戸惑うばかりだ。

 このような事態になるとは思っていなかった。

 レナーテの中では民はもっと穏やかで、優しく、素朴であった。

 正義の光の源泉であったのだから当然だ。

 ラツェルが彼女のそばまで来て言う。


「みんなの気持ち、わかります」

「なんだって!?」


 レナーテは意外な言葉に心底から驚愕する。


「みんな運命そのものへの怒りがあるんです。僕が敵陣の中で猛ったときに感じたような、純粋な怒りの感情が。世の中の理不尽にどうしようもなく首根っこを押さえられた時の悔しさを噴出させてるんです」


 レナーテにはなんのことだかわからなかった。

 バルコニーの下、眼下を埋め尽くす群衆はみな憎しみや怒りもあらわに傭兵たちの死を叫んでいる。

 そのエネルギーたるやレナーテ一人ではとても抑えられそうにないものだ。

 とっさにアルレルフを見る。

 彼もこの状況には思うところあるはずだ。

 しかし仕方ない、と顔色でもってレナーテに応えると屋敷の奥に消えてしまった。

 どうしていいかわからず狼狽する彼女だった。

 ヨスが声をかける。


「こんなもんだって。ま、仕方ねえんじゃねえの? 傭兵なんざ恨まれてなんぼだよ。こうなるのは予測できてただろ? 俺らが殺される側じゃなくてよかったって思わねえと」


 レナーテは予測などできていなかった。

 民も正義を選択すると、青い若すぎる信念を持っていたわけだ。

 後ろからベルンハルトが歩み出てきて彼女の肩に手を置く。

 振り返るレナーテ。


「民の気持ちはどうやっても収まらんのです。血を見ない限りは」


 ――まさか。

 レナーテはもう一度民の顔を見直す。

 誰も彼も悪魔に取りつかれたような形相をしている。

 その通りなのかもしれない。

 そう思うと彼女の世界観は足元からガラガラと崩れ始める。

 民の正体を見よ、そんな声が天から降ってくるような心地がした。


 そして血の饗宴が始まった。

 気の逸った一部の住人が武器を取り上げて傭兵達を刺殺し始めたのだ。


「ま、待て!?」


 レナーテは叫ぶも誰一人として彼女を見上げるものすらいない。

 それはまさにサバトの有様だった。

 民が振るう棒きれがある傭兵の頭をつぶし、血飛沫が上がる。

 民が繰り出す槍の突きがある傭兵の腹を突き破ってはらわたを飛び出させる。

 辺りには野獣の様な声とぐちゃぐちゃと肉を耕す聞くに堪えない音が満ち満ちていた。

 そして民たちは狂ったような顔つきでそんな音楽に酔いしれるのだ。

 物言わぬ肉片になっていく中にはルッツもいた。

 レナーテはあっ、と自分でも解釈できない声を上げる。

 ただ見知った顔が目に入ったからか。

 戦場で彼が死ぬところを見ても上げないはずの声だった。

 自分を放逐し、殺そうとした人間であってもこの最後はなんだかあまりにも……。


 バルコニーから降りていくレナーテ。

 何をしに行くというのだろう。

 背後でベルンハルトが何か叫んでいるが聞こえない。

 ラツェルが駆け寄ってきて服の裾をぎゅっと握ってくれる。

 その存在だけがこの冷たい世界で温かかった。

 レナーテは自分の剣の柄を握る。

 熱を持っているはずもない、冷たい正義。

 広場まで降りた彼女はそれを引き抜くと叫んだ。


「民よ! 正義の名のもとに命ずる! 虐殺を止めよ!」


 その声は濁流の中に注し入れられる清澄な一滴の様にいとも簡単に群衆の中に溶け込んで聞こえなくなる。

 レナーテは馬をさがす。

 そしてその上にまたがると再度同じことを叫ぶ。

 ラツェルもそこに乗ってくれた。

 一緒に馬の上から正義を叫ぶ。

 正義の剣を振りかざして濁流に抗う。


 ふと、レナーテは殺されていく傭兵たちの中に黒い甲冑の姿を見止める。


「どうだ!! これがこの時代の本質だ!!」


 ……聞こえるはずもない言葉が聞こえた気がした。

 その男は村人の振るうこん棒の下に死体と化して倒れ伏し、見えなくなった。

 しかし今度の声ははっきり聞こえた。


「レナーテ! 助けて!」

「ゲオルグ!?」


 それは確かにゲオルグの声だった。

 殺到する群衆の中からはっきりと聞こえた。

 レナーテは血の饗宴の輪の外からなんとか彼の姿を探す。

 馬上から探せばすぐに居場所がわかった。

 果たしてそこには確かに彼の姿があった。

 襲い来る民の群れに傭兵たちは恐慌を起こして逃げ惑い、彼ら自身の人の壁に追い詰められる中、ゲオルグは腰を抜かしたのか地面に尻をついて震えている。

 今まさにひとりの農民が鍬を振り上げて彼を突き殺そうとしていた。

 ゲオルグはレナーテのいる方に向けて一杯に手を伸ばして何か叫ぼうとしている。

 しかしそれは永遠に発声されることなく……。


「やめろ!」


 その一言は間に合わなかった。

 いや間に合っていたとして何の意味があっただろう。

 鍬を彼の顔面に突き刺した男はこちらに一瞥もくれていないのに?

 彼女には目の前で起こる暴力を止める力など一切与えられていないのだ。

 レナーテは正義を叫ぶのをやめ、村の隅へ逃げ込む。

 これ以上この光景を目にしたくない。

 ラツェルがそばに来てくれた。

 今度は彼がレナーテを抱きしめる。

 空虚でぽっかりとしたレナーテの心に、少年だけが確かな存在として印象に残った。

 文字通りの死山血河が形作られるまで、虐殺は続いた。

 この一件で彼女が学べたことは、民は傭兵が略奪する時と同じように喜びの下に悪をなす、ということだった。


 血の夜が明け、朝が来る。

 日の光が狂気を祓うと、人々は自らがした凄惨な行為に吐き気を催し、まるで汚物を処理するかの様に死体を一か所に集め、埋めた。

頭を鈍器でつぶされたもの、槍でめった刺しにされたもの、手足を切り落とされたもの……。

 ぶつけられた憎悪の大きさを示す数千の死体を埋めるのにはまだ何日もかかりそうだ。

寒さが腐敗を遅らせるであろうことが救いだった。


「レナーテ殿、お疲れさまでした」


 疲労困憊しきった様子のレナーテにベルンハルトが声をかけ、羽織り物をかけてくれる。

ありがとう、と一言言って彼女はここではない世界に思いをはせる。

疲れて寝てしまったラツェルに膝枕をしながら、レナーテは白い陽光の射す方を向き、その光の来る彼方に理想のあることを夢みる。

 ――もうここに彼女の信念が目指すべきものはないからだ。

村人の死者は三百人を数えた。

およそ千人弱の村であるから壊滅的な被害と言える。

レナーテはラツェルが起きたのを確認すると彼を伴ってあてどもなくふらふらと明け方の村を歩く。

ふと、幾人かの村人たちが集まってアルレルフと何か言い争っているのを見かけた。

レナーテが通りかかると、彼らの村長に食ってかかっていた者たちが口々にこう言ってきた。


「貴様らが戦争を持ち込んだんだ!貴様らがいなければ誰も死ななかった!」

「ここは楽園だったのに、戦争で汚されてしまった!」


 そんな勝手な言葉が聞かれた。決起をすると言ったのはあいつらじゃないかとラツェルが思う。

しかしレナーテは何も言わない。

言わせるままだ。

アルレルフは居心地の悪そうな顔でレナーテに話しかける。


「すみませぬ、皆覚悟が足りなかったのです。しかし私は感謝しています。あなたの力添えがなければ村を守れなかった。どうかこれからも同じように我々民に力を貸してくださらんか。それが正義だとご存知の方なのでしょう?」


 ――力を貸す?

 そしてまたあの時の様に虐殺が起こるのを眺めていろというのか。

 絶対にごめんだ。

 それに正義、正義だと?

 あの惨劇を見せつけておいてなおその言葉を口にするのか。

 レナーテの心の中は嵐だった。

 どうにかこの気持ちを吐き出さねば収まらなかった。

 彼女は次の戦いのことを話す農民反乱軍の集団の中からベルンハルトを探し出すと訊ねる。


「先生、私がしたことは正義に適う行為でしたよね? 民を救うことこそが騎士の道だと思っておりました。しかし、わからなくなったのです。民の為す悪は、まるで大海原のうねりの様に圧倒的で、御しがたく……」


 ベルンハルトはそんな突拍子のない言葉にも真摯に答えた。


「正義……正義ですか。レナーテ殿。あなたの掲げる正義、それは騎士の道に沿って自らすべき行いを選び取ることですな。そしてその騎士の道とは民こそが最も尊いという理想を信じること……。それこそがあなたの信念だ。それはわかります。傭兵のお前に何がわかるのかとおっしゃるかもしれませんが……。しかし、そんな傭兵の目から見ても、確かにあなたは信念の通りに行動できたと思いますぞ。民が猛り狂い、理想から外れる行いをするのを止められなかったとしても。ところでわしにも民のため戦うという信念はあります。しかしわしはあなたのような理想など抱いてはおりません。民の正体を知っていたからです。略奪品の流れを見てみなされ。傭兵が民から奪った物品を買うのは誰です? 民でしょう? 傭兵のなり手を見てみなされ。我々が兵を募った時に集まるのは誰です? 民でしょう? 結局はこの戦争という、モノと人の巨大な循環は、昨夜見たような民の暴力的なエネルギーのガス抜きにすぎんのかもしれません。レナーテ殿が尊いと思っている民など凶暴なものなのです。現実を知ったでしょう? それでもわしは民を愛するのです。民のために戦うのです。例えそこに正義がなくとも。あなたにはその覚悟がなかった。理想を抱いてしまった。理想のない戦いに身を投じることができなかった。それだけです」


 レナーテは納得しかねるようだった。

 ――民に理想を見るか否か……。

 議論の余地のある言葉だ。

 正義……そう、それこそが問題なのだ。

 正義のない戦いなどもううんざりだ。

 騎士が戦場に要らなくなったというのは何も銃が、長槍が騎士を馬から落とせしめたからではない!

 騎士の道という正義が根こそぎ戦場からなくなってしまったからではないか?

 自分は正義がないというただそれだけのことで諦めてしまう意志薄弱な、もしくは正義に片思いの恋をしただけの青い人間だったのかもしれない。


 それにしてもこれまで目にしてきたどこにも正義に適う戦などなかった。

 一つも! 戦場にそれがないのなら民の中にこそあるのかと思ったら! ああ! 何だというのだろう。

 あれが民の本質だというのか?

 ただ怒りに任せて殺しを働く獣性が?

 ラツェルの言葉を思い出す。

 彼の中にもそういう怒りの感情があるのだと。

 それに対し何と言ったっけ?

 「その気持ちはきっと明日を生きる力になってくれるよ」か。

 そうか、そうなのか。

 それこそが人間の本質なのだな?

 そんなあさましい感情が民を、傭兵達を明日へと突き動かしているのだな?


 レナーテは言葉にならない叫びを心の中で血を吐くように叫び上げると、自分を沈黙に支配されるがままにする。

 もう少し彼女に元気があればベルンハルトと沢山のことを議論し、語り合ったのだろうが、しかし今の彼女には語るべき言葉も、聞くべき話もなかった。

 痛む左肩を抱えながら、とぼとぼと村の外へと向かう。

 付き従うのはラツェルのみ。

 どう見ても村から去ろうとしている彼女の様子を見てヨスが慌ててやってくる。


「行くあてがないなら俺たちとともに農民のために戦わないか? 気持ちのいいもんだぜ? 正義のための戦いってのは。まだまだ解放の時は遠いしよぉ、はは! でも今回の話はおいしかったぜ」


 こいつは本当に要領がいいというか……なんにでも適応してしまうんだな。

 レナーテはある意味でこの男を尊敬する。

 あの光景を見た後でも民の正義を語れるとは。

 きっとこいつは何も考えずに恰好のいい方に付くのだろう。

 そして金払いが悪くなればまた他の陣営に。

 極めて傭兵らしい価値観の持ち主なのだ、こいつは。

 レナーテはようやくこの男の本質に気づいたわけだ。


「もういい。もうこりごりさ。戦いは」


 ラツェルもそれを追認する。しかしヨスはそれを認めない。


「そんなこと言って! どうせ俺らはここでしか生きられないんだ! お前ら二人がどこへ行くにせよ、そこが戦場であることだけは確実だ。なぜならお前らはもう、戦争を売り物にしないと生きられないんだからな!」


 ――そうかもしれない。

 レナーテは心中同意するのであった。

 憮然とした表情でそれをたった一人受け止める彼女にラツェルは言葉をかける。


「レナーテさんは頑張りましたよ。僕だけは知ってますから。ずっと見ていましたから」

「ありがとう。あんただけが味方なのかもね。私の信念なんかとは違ってさ」


 形見の剣を抜き、陽光にかざす。剣は清らかなままだったが、曇っていた。


「そう、こんな信念なんか、何でもない」


 レナーテは岩山の一角まで歩み出ると、剣を思い切り岩に打ち当てて折ろうとする。

 慌てて飛び出たラツェルはすんでのところでそれを押しとどめる。そして振り返るレナーテに対しこう言うのだ。


「例え世界の誰も正義を持っていなくても、あなただけは自分の正義を胸に抱いていてください」


 レナーテはじっとその高貴なる少年の瞳を見つめると剣を再び鞘に納めた。

 そして何処かへと旅をしなければならなくなった彼女は、小さな従者を伴って南へと消えるのだった。


 続く。

ここで一旦更新中断します。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

来年中に続きを更新したいと思っています。

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