第十五話 役者たちの運命は岩山の合間の村に収束し始める
早速レナーテは動いた。
決起は春が予定されていたから、冬の間に訓練を終えねばならない。
それと共に村も要塞化する。
幸い、岩山に囲まれたこの地は攻めにくく、守りやすかった。
「本当にここまで敵軍が攻めてくるとお考えで?」
「決起を考えるならばあらゆる可能性を考慮すべきです。ここは攻めにくい土地と言えど、残念ながら決して安全とは言えない。備えるべきです。大切なものを守りたいのなら」
アルレルフはじっと考え込む。
決起をするということがどういうことかいまいち想像が足りていなかったのだ。
いま改めてそのリスクを勘案している。
やがて、覚悟は決まったようだった。
「いいでしょう、我々の覚悟は足りてなかった。ここだけは安全だとばかり思っていた。そうではないんでしょうなあ。決起をする限りにおいては」
岩山の上から村全体を見下ろす。
構築すべき陣地の様子と布陣を想像する。
それによって訓練しなければならない内容も決定する。
まず堀を作り、柵で騎馬の進入を阻む。
村人には火縄銃を持たせるのがいいだろう。
当てはあるらしかった。
各地で決起に呼応する村々がため込んでいるらしい。
問題はそれをどう円滑に連絡するかだった。
「実は私は傭兵だったのです」
レナーテは驚いてアルレルフの方を向く。
「私も傭兵として数多の民に苦しみをもたらしてきました。そのことに足を一本失ってようやくわかったのです。愚かな事でしょう。そうしなければわからなかっただなんて。あなたとはそこが違う。今でも自分の罪を思い起こします。だからこの村を作ることにしたのです。罪を浄化するために」
じっとその話を聞くレナーテだった。
道理で決闘で白黒つけようなんて発想を持つはずだ。
そしてこの人も苦しんで生き抜いてきたのか、と認識を新たにした。
準備を進めるうち、レナーテは街へ降り、除隊傭兵のネットワークを用いることを思いつく。
用心棒としてのレナーテ達に懲らしめられたように、除隊兵士たちはほとんど犯罪集団と言ってよかった。
それ故に高度な暗号を用いている。
それを利用できればと思ったのだ。
見知った顔に出会えることを願ってレナーテはラツェルとともに山を下りた。
「ようやくレナーテさんのやりたいことに巡り合えましたね」
道すがら、ラツェルが言う。
レナーテは頷きながら応える。
「そうだね、これからは私にしかできない、これしかないってやり方で過去を清算しなきゃいけない。だってそうだろう? 騎士は民を守る義務を負うもの。だとすれば農民の革命軍に加わるのが正義じゃんさ。さしずめ今回のは私が騎士になるための最初の試練と言ったところかな」
「すっかり騎士に戻るおつもりなんですね。ではさしずめ僕はその従者だ」
「そうだね」
レナーテは笑って答える。
気分はもう正義の味方だ。
傭兵だったころの気持ちは封印してしまった。
レナーテの若い心は自分を光の中にいると信じて疑わなかった。
やがて町に着く。
目的の人物は酒場にいそうだった。
何件も当たって、ようやく見つけた相手をレナーテは知っていた。
「やあ、ヨス。まさかこんなところでまた会うとは思わなかったよ」
酒場のとあるテーブルでならず者どもとカード賭博に精を出していたヨスはこちらを振り向くと驚愕と言った表情を浮かべる。
「レナーテ!? どうしてここに!?」
「そりゃこっちのセリフだよ。プセヒパーテンのところはやめたの?」
「バカ! その名を言うな! 俺が奴の配下にいたってことはもうあまり知られたくねえんだ! しかしお前がここまで執念深いとは思わなかったぜ。殺さないでやったろ!? 今更恨むなよ!」
聞くところによるとプセヒパーテンの悪名は想像以上にひどいものになっているらしい。
ヨスもいい加減嫌気がさして兵団を辞めて次の仕事を探している最中だったという。
――いい仕事があるんだ、とレナーテは持ちかける。
自分への復讐をしに来たのではないと理解すると落ち着いたようで、抜け目ない目つきに変わる。
レナーテは計画を説明する。
各拠点間の連絡要員に除隊傭兵のネットワークを利用するという計画を。
「ほーう。農民反乱の手伝いかあ。なかなかいい話じゃないの。だがリスクもでかいよなあ。領主様と完全に敵対することになる。反乱に加わったなんてバレたら俺のキャリアにも傷が……」
「報酬は十分以上な量だ。五十ゴルテンは用意できる。どうだい? やるだろう」
ヨスは本気で試案しているようだ。
帽子を取って頭をボリボリ掻いたり、無精ひげの生えた顎を撫でたりしている。
考えるべきことはたくさんある。
計画の実現性、リスク、報酬の妥当性……。
結論が出たようだ。
「いいだろう。しかし前金で全部もらうぜ。準備にいろいろかかるんでね」
「ふざけるな。もらってすぐドロンに決まってるじゃん」
「そんなことしねえよ、じゃ、半分。半分だけでもいただかねえと何もできやしねえ」
「……十五ゴルテン。あとは成功報酬」
「二十」
「十七だ。これ以上は前金では出せないよ」
交渉は成立したようだった。数日後に金の授受をする約束を取りつけるとヨスは街に消えていった。
「あいつ、約束を守るでしょうか」
「守らなければ守らなかったで他にも人員を用意するさ」
しかし結局、ヨス以上の適任は見つからなかった。
頼りなさを感じながらも、彼の人脈に頼ることとなった。
深まっていた冬も、段々と寒さが和らいでくる。
春までに決行だ。
どうなることやら。
レナーテは絶望的な農民反乱が成功することを祈るのだった。
少し話をさかのぼることになる。
ある日、プセヒパーテンが契約を取り付けてきた。
すでに前回の遠征は終了し、兵士たちを解散。
中途での敗走故に大した稼ぎにはならなかった。
しかし今回の依頼はぼろそうだ。
農民反乱の予防。
ザンクトゥアリームという村の制圧。
領主からの依頼であった。
「どうにも気乗りしませんね、農民相手にガチで戦うってのは」
今回の依頼を説明する軍議の最中、ヨスが言った。
こうして方針に反対するなど彼にしては珍しい。
どういう風の吹き回しだろうか。
もはや耐えられなくなっていたのだ。
プセヒパーテン軍についてまわる悪評に。
やがて時が来れば貴族に戻って傭兵時代の英雄譚を武器にのし上がろうとする彼にとって不必要な悪評の増大は好ましからざる事態であった。
「ほう。意外だな。いつも略奪で殺しまくっている相手のことを気にかけているとは」
「わしもヨス殿に賛同ですな。わしは農民出身じゃ。農民から奪いはするが、農民の反乱鎮圧という仕事にはお上に誘導されての下層民のつぶし合いという印象がある」
レナーテの抜けた穴は一時的にベルンハルトが特別に雇用され埋めていた。
農民出身の唯一の将校となる。
レナーテの失踪は彼女が勝手に消えたという説明がなされていたが、ベルンハルトは少しも信じていなかった。
だが例え殺されていようとも兵団の意思に逆らう気持ちはわかなかった。
この時までは。
結局、他の将校たちも今回の遠征に難色は示すものの、明確に反対の意を唱えたのはベルンハルトだけだった。
ヨスも反対意見を述べる例外であったが、ベルンハルトがこのように申し出なければ周りに流されていただろう。
「わしらは農民に生まれ、農民に生かされとるんです。筋は通します」
その一言でもって、ベルンハルトは兵団を去った。
ベルンハルトは農民出身、戦争のある時期をすべて戦争に捧げ、そして除隊期間のほとんどを民に助けられて過ごした。
傭兵は民から略奪もするが民に助けられもするのである。
宿屋の亭主、小屋を貸してくれる農民……。
それは復讐を恐れたがゆえの半ば強制された支援だったかもしれないが、それでもベルンハルトのような傭兵は恩義に感じるものなのだ。
そうした兵士の中にはストライキを決め込むものやそもそも募兵自体に応じなかったものが少数ではあったが出現した。
彼らの中には農民反乱の方に加わったものもいたほどだ。
であるから逆に兵団の募兵に応じる者たちは農民たちを殺戮することを厭うていない者ばかりということになる。
ルッツがその代表だ。
彼らはこの反乱鎮圧を大したリスクのないおいしい仕事と見ていた。
ここに、欠員を抱えつつもザンクトゥアリームを攻略する軍は整った。
総勢六千。
村にしては大きいが、女子供含め千足らずの人口しか抱えないザンクトゥアリームを襲うには十分過ぎる数だ。
プセヒパーテン軍は勝利、いや、ただの殺戮となることを確信していた。
しかし将校や親衛隊に脱走者や離反者が相次いでいることについて、これでいいのか、とヨスはプセヒパーテンに問う。
「よいに決まっておろう。潜在的危険分子が消え去ったわけだ。あのレナーテが消えてくれたようなものだ」
ヨスは面食らう。
旦那はいつもこうだ。
と心中ひとりごちる。
決して部下の心情など考慮しない。
ただ利潤のみを求めてどんな非道も平気で行う「酷薄公」。
なぜ彼はここまで自己中心的なのか。
ヨスはそのことを遠回しに訊ねてみる。
果たして、答えは返ってきた。
「金だよ、ヨス君」
プセヒパーテンはいつもと変わらない冷たい声で答える。
「一に金、二に金、三に金、だ。戦争をするにはとにかくそれが必要だ。知っているだろう? 輪が兵団の財務状況を。火の車なのだよ。諸侯からの借金、商人に頼んだ補償、そして兵士への給金。これらを何とかやりくりするためにはとにかく戦争を続けるしかない。たとえ農民が相手だろうとそれは変わらん。契約をし続けるしかないのだよ。どうしようもなくな。我々は走り続けるしかない。戦争のための戦争のために。これがこの世の、この時代のシステムだ。略奪が嫌だ? よくないことだ? 騎士道に反する? 甘いことを言う。経済を見たまえ。民から略奪された品はまた民に売られ、金が回っていく。あぶれた落ちこぼれ達は戦場に吸い取られ、命を有効活用していく。わかるかね? ヨス君。戦争こそ現代を活かす最高のシステムなのだよ。私はその巨大なる循環のなかの一部分を担っているにすぎない。我ら傭兵などこんなものではないかね? 金のにおいを嗅ぎつけ、あたりを荒らし回り、どれだけ食い詰めものを集められるかで政治的存在感をアピールする。余以上に傭兵らしい傭兵はおらんよ」
プセヒパーテンは典型的な傭兵隊長と言えよう。
利潤追求の権化のような男だ。
傭兵隊長とはそういう生き物だ。
そして農民反乱に加わらない大多数の兵士たちにとってもそれでよかったのだ。
金さえ稼がせてくれれば政治的な理由など何でもよい――。
そういう人間が大多数だった。
給料、戦利品、糧食。その三拍子をプセヒパーテン軍は他と比べる限りにおいてきちんと用意することができた。
だからこそ、その安定を捨て去ってまで農民軍に加わるものは全体から見ればそう多くないのだ。
ヨスにも金の話は理解できる。その通りだとも思う。
だが「火の車」という部分は信用できなかった。
この男は実際他の同規模の傭兵団の隊長とくらべても桁違いの利益を上げているではないか。
広がる悪評すら気にも留めずにただた金のことしか考えない。
評判を気にする限り、そんな男にはもはやついていけなかった。
それに加えてヨスはかねてからの懸念にぶち当たる。
もしかすると今回の農民反乱には実家の領地が加わるかもしれないのだ。
だとするなら彼らと間接的に敵対するなど愚の骨頂、里帰りしてからの統治に重大な影響を及ぼしかねない。
冒険心を求め、騎士の家を出奔して以来、傭兵の世界に長く身を置いてきたヨスであったが、これを機にベルンハルトのように兵団を後にする決意を固める。
ゲオルグも誘ったが他に職がないとの理由で断られた。
そしてヨスは兵団を辞めたあと、やることもなかったのであの町の酒場で飲んだくれていたというわけだ。
晩冬、最後の寒さ。傭兵団はいつもの派手な衣装の上にさらに上着を羽織って防寒着としていた。
六千人の傭兵たちは寒空の下でもみな一様ににやにやと薄気味悪い笑みを浮かべている。
これから村を襲うだけで給金が手に入る。略奪品と合わせればいつもよりはるかに実入りのいい遠征となるだろう。
誰もかれもがそう考えていた。
プセヒパーテン自身も事態を楽観視する。
農民反乱を未然に防ぐ。
それだけなら確かにおいしい仕事だった。
しかし終始そわそわとするゲオルグの様に一抹の不安を感じる者がいるのも事実なのだった。
抜けて行った部下たち、急峻な地形、農民側についたと噂される傭兵たち……。
だがほとんどの者は脳裡に鳴るそんな警鐘は無視して略奪のことだけを考えるのだった。