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第十一話 女傭兵レナーテは虐殺を見て自ら己の運命を決める

「おやおや随分やつれたじゃねえか、一体どうしたっていうんだ」


 ヨスの出迎え。

 最初に出迎えるのがこの男とはな。

 レナーテはため息をつく。

 集合予定地点には大半の中隊がすでに集結していた。

 もうここは国境の帝国側であるから安全である。

 レナーテ中隊の数多の兵士は気が抜けてその場にどっさりと腰を下ろしてしまう。

 体力的な限界をとうに越え、気力だけで行進してきたのだ。

 無理もなかった。


「見りゃわかるじゃんか。兵糧が尽きたのさ。脱落者も大勢出た……ちょっとあんたら、食べ物があったらわけてくれない?」

「それは無理だな」


 プセヒパーテンであった。

 いつも通り馬を降りることなくレナーテに返答する。

 なぜか、と問い返す。


「我々の糧秣もとうに尽きておるからだ。そこで作戦行動に移る。乗るだろう? いや乗るしかないはずだ」

「何の話?」


 レナーテは困惑する。

 糧秣がないのに何を言っているのだ。

 作戦行動? 再度共和国に入るとでも?


「なに、ただの補給作戦だよ。来たまえ。ちょうどいい村を見つけたのだ」



「傭兵隊長様、御願いです。どうかお許しください。このままでは冬を越すための蓄えがなくなってしまいます」

「黙れ。お前たちの土地に侵入する敵軍を追い払うのが余の仕事なのだぞ。このくらいの協力は当然だ」


 この村の村長が縋りつくように馬上のプセヒパーテンに哀願する。

 しかし酷薄公は一顧だにしない。

 兵たちはこの帝国の村での略奪を喜々として行っている。

 ルッツを筆頭に荒くれたちは遠慮なく食事を奪い、家の中のものを運び出す。

 レナーテは空いた腹を抱えながらただその様を見つめるばかりだ。

 これが仕方ないことなのはわかる。

 兵達にろくに食事も略奪品も与えられなかったのはレナーテたち将校の落ち度だ。

 しかし、何か、感情で受け入れられないものがあった。

 すべて我々の都合じゃないか。

 ふと隣を見るとラツェルが血が出そうなほど唇をかみしめているのに気づく。

 ああ、耐えているんだなあ。

 それを見るレナーテの心にも感じるものがあった。

 なんだっけ。御父様に言われたのは。

 どうしてここで父のことを思い出すのか。

 自分でもさっぱりわからない。


 住民の悲鳴に彩られた祭りは続く。

 兵たちはどうにか餓死を免れるだけの食料を得られそうであった。

 金品も略奪しているから、除隊期間食うに困らずにいられるかもしれない。

 もっとも、すぐに蕩尽して結局は犯罪に手を染めるようになるんだろうが。


「大丈夫ですかな? レナーテ殿。さ、これを食べなされ」


 心ここにあらずといった風であったレナーテにベルンハルトがパンを手渡す。

 どうせこれも盗品じゃないか。

 レナーテはラツェルの思考に似てきたようだ。

 しかし生きるためだ。もそもそとした味のない固いそれを胃に収める。

 ラツェルも同じだった。

 ベルンハルトから食べ物を受け取ると魂の抜けたような表情でむしゃぶりつく。

 二人でただただ兵士たちの狂喜する様を見つめ続けた。

 兵士たちの腹と物欲と性欲が満ちればもう事態は収束する。

 いつものように……だが今回に限ってはそれは間違いだった。

 


「皆殺しだ。わが軍がこの地で略奪したとばれては具合が悪いからな。共和国の傭兵団が領内に侵入しコトを引き起こした、ということになってもらおう」


 略奪が済み、暗い夜が到来したころ、プセヒパーテンが宣言する。

 絶句した。この男はどこまで冷酷なのだろう。

 何も知らない住人全員が村の広場に集められていく。


「ま、待て、待ってよ。いくらなんでもそれはないでしょう? どうしてそこまでして略奪した事実を隠すの?」


 レナーテは突如沸き起こった正義感に突き動かされ、プセヒパーテンに反対する。

 しかし彼女の雇い主たる傭兵隊長は当然と言った面持ちで答える。


「今回の契約では皇帝陛下直々に帝国領内での略奪を厳に戒めていたのだ。それにやむなく違反した以上、証拠を消すほかない」


 レナーテは歯ぎしりする。確かにその約定のせいでレナーテたちは窮地に陥っている。

 ことがばれれば契約違反だ。違約金が請求されるだろう。

 そうなればプセヒパーテンは破産し、再起不能になるかもしれない。

 一人で吠えてもどうにもならない状況だった。

 葛藤を感じるレナーテを尻目に虐殺が始まる。

 村の真ん中に集められた村人達は始め、何をされるのか本当にわからなかったらしい。

 傭兵達が彼らを輪のように囲み、逃げられなくする。

 数では圧倒的に兵士の方が多い。

 例え抵抗しようがどうしようもない。

 しかしそもそも村人には抵抗する機会すら与えられなかった。

 彼らを囲んだ傭兵達がその槍を一斉に倒し、村人に向ける。

 彼らはようやく自分たちに降りかかる運命を悟ったようで、悲鳴を上げながら中心へ中心へとおしくらまんじゅうの様に固まっていく。

 内部では圧死者すら出る始末だった。

 槍の突端が外側にいる人間に到達する……ブスリ。ドス。ザク。

 槍の穂先を払うこともできずただ串刺しになっていく村人。

 悲鳴は夜の村に木霊するが夜が深まるとともにだんだんと消えていく。

 ――あらかた「処理」が済んでしまうと、プセヒパーテンは村内にあるありったけの油をもって死体を焼けと命ずる。

 その炎は十数キロ離れた場所からも確認できた。

 一連の地獄をつぶさに見たレナーテは自身に起こったある変化を自覚する。

 怒りと恐怖に震えるラツェルの手を握りながらその感覚ばかりが頭を駆け巡るのだった。


 レナーテは幼少時、間違いなく傭兵などではなかった。

 彼女が過ごした時間は没落期ではあったが、純然たる貴族、騎士の家系であった。

 それもとびきり伝統にうるさい家柄だ。

 レナーテは父からいろいろと薫陶を受けたものだ。

 女なのに妙な話。嫡男に恵まれなかったお家の事情もあったのだろう。

 彼女の父はどこか取り付かれたようなところがあって、不必要に理想的な騎士象を追い求めるところがあった。

 曰く、弱き者の盾となれ、主君には忠実に、礼儀正しくあれ、施しを忘れるな……など。

 それは貴族社会にあってもなお理想的に過ぎるきらいがあった。

 それもそうだ。

 そんな騎士など二百年前の全盛期でさえ実在しない、理念上の存在だとされていたのだから。

 父はそれでもそれを追い求めていた。

 レナーテ、剣の稽古を怠ってはいけないよ、だとか、レナーテ、それは騎士のすることかな、だとか。

 うんざりであった。

 だからこそ父が死に、家が没落したときには解放感すら感じたものだ。

 しかし夢に見る父の面影は優しげで懐かしく思えた。

 美しき女傭兵は陣幕の中、自分の暗いテントで目を覚ます。

 そうだ。あの略奪と虐殺の後倒れるように眠っていたのだ。

 顔を濡らす涙を拭う。ぼーっと今見た夢を思い返す。

 幼い頃の、父と過ごした頃の夢。

 なぜこんな夢を見たのだろう。

 今からでも騎士のようにふるまえと? 

 今更なんだというんだ。

 ここまで傭兵に染まってしまった自分に何ができると? 

 レナーテは浮かんだ考えを振り払うかのように長い金髪をわしゃわしゃと掻き乱す。

 ――しかし、あの子だ。

 レナーテは考え至る。 

 ラツェルが現れてから自分のすべてが変わった。

 あの少年は問いかけだった。

 レナーテが生きてきた十年間の傭兵生活への。

 目をつぶってきたモノすべてへの。

 騎士の誇りに矛盾する行為への。

 とりわけ今回の遠征ではひどいものを見すぎた。

 レナーテは臥台から立ち上がると形見の剣を取り上げる。

 もし自分が本当に父を嫌っているのならこんなものを後生大事に持ち歩き続けるだろうか。

 鞘から抜き取り高く掲げる。

 天幕の隙間から差し込む月の光に銀色の鋼が清い反射光を湛える。

 スッと剣を下ろして臥台に腰かける。

 鏡のようなそれをくるくると翻してみる。

 映るのは陰鬱な自分の顔ばかり。

 それが映っては消え、映っては消え……一瞬、父の顔が映った気がした。

 そうだ。

 なぜ嫌う理由があるのだろう。

 本当は誇りに思っていたはずだ。

 父のことを。

 騎士としての自分を。

 レナーテはとある決意を固めると立ち上がり、剣で暗闇を切り裂いた。

 もう過ちは繰り返さない。

 略奪? 虐殺? 

 もうそんなのはうんざりだ。

 ラツェルのつらそうな顔が目に浮かぶ。

 これ以上あの少年のような人間を増やしてはいけない。

 レナーテは自分の手の届く範囲でできることをしようと決めたのだった。


 次の日の朝、野営地の片隅で娼婦と話していたヨスを見つけると相談を持ち掛ける。

 案があるがどう思うか、と。

 詳細を話したレナーテはヨスの困惑にぶち当たる。


「突然どうしたんだよ。バカか? そんなこと言いだして。給料の遅配を何とかすりゃ略奪が止まるか?」

「前例がないわけじゃない。仕組みを整えて略奪をしなくなった傭兵団は存在する」

「糞みたいな高い報酬の代わりにな。だからこそ俺らにお鉢が回ってくるわけだ。高い金を払う代わりに略奪でなんとかしてくださいってな」


 予想通りの反応。だがレナーテは折れない。


「私が隊長を説得する。うちの傭兵団はかなり稼げてる。本来給料が滞るような事態は起きないはずなんだ。現にここ数回の遠征で一度も給料遅配は起きてないじゃん。これはほかと比べてもまれなことだよ」


 ヨスは鼻で笑う。


「だから略奪の禁止を提案すると。ま、進言はタダだ。やってみりゃいいさ」


 レナーテは期待していなかったヨスの協力が得られなくてもへこたれたりはしないのだった。



「だめだ」


 件の隊長は取り付く島もなかった。

 彼のテントの中、机の前でレナーテは歯噛みする思いだった。

 プセヒパーテンは眉根を上げて彼女の顔を見上げる。

 椅子から立ち上がってゆっくり近づくと今度は眉根を下げて見下ろす。


「略奪の禁止などと、一体何を言っているんだね? レナーテ中隊長。略奪で下を流れていく物品を補給商隊を通して上が管理し、上がりを吸う。それこそが我々上層部が潤う方法ではないのか?」


 唖然とした。これがこの酷薄公の本心だとは。自らの私腹を肥やすためなら略奪を奨励するのか。いや、わかっていた。傭兵隊長とは、傭兵とはそういうものだ。


「じゃあ兵たちを通して民から収奪するために略奪を奨励してるの?」

「もちろんだ。今のシステムこそ収益を最大化できるのだ。略奪も馬鹿にはならない収入だぞ? さあ、その禁止などと無駄な考えを巡らせてないで軍略でもひねり出したらどうだ。君には大いに期待しているぞ」


 レナーテは決意する。

 何のため? 兵士のため? ラツェルのため? 

 いや、自分のためか。

 父の形見の剣の柄をぎゅっと握りしめた。


 朝飯の時間が終わった後、レナーテは全軍を招集した集会を提義した。

 雪の降る朝だった。果たして、それは受け入れられる。何事かと集まる兵士たち。


「今日集まってもらったのは他でもない。給料と略奪に関して皆の意見を聞きたい」


 ざわざわとどよめきが起こる。

 陣幕内に作られた壇上にいるのはレナーテ、ヨス、プセヒパーテン、ゲオルグ、そして幾人かのほかの中隊長。

 みなレナーテが壇上で前に出て演説しているのを一歩下がって聞いている。

 降り積もる雪の中で集められた兵士たちは話があるなら早くしてくれという心持で、あまり真剣に話を聞いていなかったが、給料という言葉に反応して急に身が入る。

 まさか遅配の話じゃないだろうな……。

 確かに遠征を途中で切り上げた以上、そうなる可能性は大いにある。

 だがそれとは別の話なのであった。


「今日は略奪を禁止した場合の影響についてよく考えたいと思う」


 兵士たちの間にどよめきが起こる。ルッツが立ち上がって叫ぶ。


「略奪を禁止? バカな! 禁止されようがされまいが俺たちは戦利品をいただくぜ! 儲けるためだ!」


 がはは、と皆が笑って賛同する。集まる兵士たちの集団の外、広場の隅で黙っていたラツェルが口を開く。


「ベルンハルトさん、どう思います?」

「そうさのう。かつて略奪を禁止した傭兵軍はあると聞いておる。しかしそういう場合はほんの少しの給料の滞りで兵たちが反乱やストライキを起こしたものじゃ。確実に軍を動かしたいなら略奪という報酬は絶対条件じゃな。飢えることすらあり得るのじゃから。それになにより略奪の禁止には――」


 公正さが必要だ、と言おうとして口をつぐむ。それは自らの傭兵隊長を批判する言動になりかねなかったからだ。


「そうですか……」

「まあ、レナーテ殿の誠実さは確かじゃからな。もしあの人の言うとおりにできるならわしは略奪をやめてもいいぞ」


 ラツェルの顔がぱっと明るくなった。レナーテの演説はまだ続く。


「今はまだ夢想の段階だと人は言うだろう。だがそうではない。もし給料が今よりも上がるとしたらどうする? すでに傭兵団には十分な資金がある」


 兵士たちの騒ぎ方のトーンが変わる。

 まずい、とプセヒパーテンはヨスに目配せをする。

 兵団の台所事情に明るいゲオルグも渋い顔をする。

 ヨスは一歩前に出てレナーテの後ろに……。


「具体的には今、倍給兵士のみならず兵士全員に八ゴルテン配っても」


 そこで話は途切れた。 

 ヨスが後ろからレナーテの口をふさいだからだ。

 暴れる彼女だったが力ではヨスに敵わない。

 そのまま壇上から降ろされる。

 プセヒパーテンが後を引き継ぐ。


「いやはやお騒がせしたな、諸君。悪かった。一人の中隊長のわがままだ。無論、余はお前たちの略奪を禁止したりしない。これからも存分に稼いでくれ」


 兵たちの騒ぎは収まらない。先ほどレナーテが言いかけたことが気になるからだ。プセヒパーテンは一旦集会を解散したが、手を打たねばならなかった。

 

 レナーテは拘束された。将校用のテントの中に密かに。

 柱に縄で縛られて身動きが取れなくなったままどれくらいの時間が経っただろう。

 時刻はすでに夜になっていた。

 ヨスがテントに入ってくる。


「まさかあんなこと言い始めるたぁな。いいじゃねえか、兵士の給料なんて。あいつらが略奪する分俺らの給料がいいんじゃねえか」


 レナーテは苦々しげにこの無精髭の男を睨みつける。


「まさかこういう真似をされるとも思ってなかったよ。私をどうする気? 魔女裁判にでもかける?」


 ヨスはゆっくり首を横に振る。


「まあそうはならないように旦那も取り計らってくれる。多分な。だがもうこの兵団にはいられないだろうよ。覚悟しとけよ」


 そう言うとテントから出て行った。

 残されたレナーテは一人思う。

 自分がしたことは間違っていたのだろうかと。

 兵士たちの共感も得られない愚昧な提案をし、立場をなくしている。

 愚かにもほどがある。ヨスはああいっていたが、自分の命の保証もなかった。

 もう一度レナーテは問いかける。自分は間違っていたのか?

 何の脈絡もなく突然貴族の理性に目覚めたようなものだ。

 ではもっと賢く立ち回るべきだったのか? 

 その間傭兵の悪辣非道な行いに目をつぶりながら? 

 今の自分には耐えられそうにない。

 結局、なにをするのが正しいのかなんて彼女にはわからなかった。

 レナーテはため息をつくと目を閉じて体力を温存しようとするのだった。



「奴は魔女だ! 何だかんだと言って我々をたぶらかそうとする魔女だ!」


 レナーテ攻撃の急先鋒は無論ルッツだ。

 個人的な恨みからレナーテの処刑すら視野に入れている。

 対するはベルンハルト。

 彼は事態を正確に把握していたわけではないが、自分がすべきことを決めていた。


「レナーテ殿にそういう意図があったとは思えん。ここは将校団の決定に任せるべきじゃ」


 ラツェルはおろおろするばかりだ。

 肝心のレナーテ本人がこの場にいないのも不自然だったが、まさか縛られているとはまだ夢にも思っていない。

 ルッツがベルンハルトの言葉を聞いて鼻で笑う。


「おいおい何のための集会なんだよ、爺さん。これこそおれらの共同決定権の行使の機会だぜ? お上のことなんか気にしてんじゃねえよ」


 正論だ。

 兵士たちは集会を開くことで民主的に兵団の意思決定に関われるのだから。

 こういった集会で自分達の権利を主張するわけだ。

 その権利を自ら制限しようとするベルンハルトの言葉は筋が通らない。

 共同決定権と利益固守は兵士たちに認められた当然の権利なのだ。


 ここでルッツという男の来歴を見て行こう。

 彼はやはり戦災孤児であった。

 生きるために市場の雑踏で財布や金品を盗んで暮らした。

 成人すると、ほかの流れ者と組んで泥棒を繰り返す。

 悪名が広まり危なくなってくると別の地方に移り、追いはぎをした。

 強盗も、殺人も、犯罪と呼ばれることは何でもした。

 そして兵士になった。そういう手合いはこの男のほかにもたくさんいたのだ。


 こういう男だ。

 兵士になる人間の中では珍しくないパターンだった。

 そんな男がレナーテの運命を決めようとしているのだ。

 しかしどうしてこうなったのだろうか。

 袖の下だ。

 プセヒパーテンがレナーテを追い出す工作をするようにルッツに金銭を渡したのだった。

 結果、過去のあることないこと含めて掘り出され、レナーテはその立場を危ぶめていた。

 彼女を擁護するのはベルンハルトら古参兵のみ、彼らはレナーテがラツェル程に小さいころからその姿を見守ってきたから。

 非難する派閥はルッツ筆頭の荒くれ者たちだ。

 彼らはルッツがそう言うから、というだけでレナーテを攻撃しているものも多かった。

 議論は感情論のまま推移した。プセヒパーテンが現れる。


「もう議論はよいではないか。余が見るにレナーテ中隊長を罷免しようとする派閥の方が優勢と見える」


 傭兵隊長が兵士集会に口を出すなど前例のないことであった。

 ベルンハルトは違和感を持つ。

 だがこの集会自体がレナーテの求心力を完全に失墜させようとするプセヒパーテンの工作だったとは彼は気づけない。

 しかしそれを知っていようが知るまいが誰にもどうしようもない。プセヒパーテンは叫ぶ。


「余はここに兵士集会の意図を汲み、決定を下す。すなわち、レナーテ中隊長の任を解くことである」


 歓声を上げるルッツたち。

 対してベルンハルトたちはがっくりとうなだれる。

 裁定は下ったのだ。ラツェルはレナーテのいそうな場所を探して走り回った。



「そうか。遂に追い出されるのか、私」


 ラツェルが喧嘩剣でレナーテの戒めの縄を切る間、彼女は事のあらましを聞いた。


「さっさと逃げた方がいいかもね。もしかしたらこの上で口封じということもあり得るかもしれない」

「そんな!」


 ラツェルは驚いて声を上げる。

 唇に指を当ててしーっと音を出すレナーテ。

 縄が解けると立ち上がって一杯に伸びをする。


「とにかく、手ごろな馬を奪って逃げなきゃね。ラツェル、解いてくれてありがとう。それじゃ、元気でね」


 そういうとレナーテはラツェルの額にキスをする。ラツェルは堪らなくなって泣きそうになる。


「そんな顔するなよ。あんたは強い子じゃんさ? 一人で敵陣を掻き乱せるような」

「僕も行きます!」


 意外ではなかった。

 そう言うと思っていた。

 レナーテにとって意外だったのは自分が抱いた感情だ。

 嬉しさ……なに甘ったれた感情を抱いているんだ。

 レナーテはそれを振り払う。


「来ちゃだめだ。ラツェル……あんたはもう立派な傭兵じゃんさ。あと一か月、責任をもって任期満了まで世話ができなかったのは本当に申し訳ないよ。でもあんたならもう大丈夫だよ」

「僕はこのまま傭兵になんかなりたくないんです」

「そうか。うん。そうなんだろうね。あんたは傭兵を、戦場を心底嫌ってるもんね。でもさ、じゃあこれまで大人しく傭兵のまねごとしてきたのは何でだっていうんだい?」


 ラツェルは一瞬言いよどむと、本心を吐き出した。


「あなたと、一緒にいたかった」


 レナーテは一瞬あっけにとられてしまった。

 そんなセリフを言われたことなどついぞなかったから。

 子供らしい直截な愛の告白だった。

 暗いテントの中、二人は見つめ合う。

 しかしとにかく、そんなことを言っている場合ではない。


「おやおや、レナーテ中隊長。いや、元中隊長か。御急ぎかね?」


 プセヒパーテンだった。

 後ろにバツが悪そうな顔をしたヨスと、にやにや笑いをその髭面に浮かべたルッツを引き連れて。

 ルッツは喧嘩剣カッツバルゲルを握りしめている。

 どうやら、悪い予感は当たったようだった。


「本当に惜しいよ。レナーテ中隊長。君のような優秀な人間をこんなことで失うなんてね」


 ヨスは何も言わなかった。

 さすがに悪いことをしていると感じているのだろう。

 さて、レナーテには逃げ場がなかった。

 これで縛られたままでいたら絶望的だっただろうが、間一髪、ラツェルが間に合ったわけだ。

 どうするか…? レナーテの剣は幸い傍にあった。

 そちらに目をやった瞬間、ルッツが飛びかかる。

 レナーテはカウンターで彼の腹に蹴りを入れ、剣の方に転がる。

 悪態を吐きながら起き上がるルッツにラツェルが飛びかかり、彼に喧嘩剣カッツバルゲルを突き立てんとする。

 しかしルッツも刃を振りかざし、お互い得物を突きつけ合ったままにらみ合う二人。

 ルッツが仕掛ける。

 ラツェルは体を躱すが、狙いはラツェル自身ではなく彼の持つ武器だった。

 キーン! という金音を立ててはじけ飛ぶラツェルの剣。

 ルッツが笑う。


「ククク、これでもうおまえは怖くねえ。おまえはただの丸腰のガキだ!」

「ラツェル! 離れるんだ!」


 レナーテが叫ぶ。


「ヨス! そのガキを斬れ!」


 プセヒパーテンに指示を受けるヨスだったが、動かなかった。

 レナーテが剣を振るう。

 テントの幕が破れ、突破口が開いた。

 そこから躍り出るレナーテとラツェル。

 逃がすな! そう叫ぶプセヒパーテンの声を尻目に陣幕内に繋いであった馬に二人そろって乗ると、近郊の町をめざし、走り去った。

 後にはラツェルの取り落としたものとレナーテが置き去りにしたもの、二本の喧嘩剣カッツバルゲルが残されるのみだった。

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