第十話 悲惨
遂に追っ手から逃げ切れそうになくなってくる。
仕方なく迎撃態勢を整える。
砲も兵員も足りない圧倒的不利の状況だが仕方がない。
何か作戦はないか。
テントもない、青空の下の軍議の途上、プセヒパーテンが意見を募る。
レナーテが進言する。
「作戦を思いついたんだけど」
内容は――。
よし、それでいこう。
プセヒパーテンはゴーサインを出した。
アルバン。
彼は共和国軍と契約する帝国人傭兵団の中隊長である。
最下級貴族の地位に甘んじるを良しとせず、栄達のため傭兵の世界に身を投じた典型的な傭兵将校である。
そんな彼が今、やはり多数の色で盛装する自らの中隊を率いてプセヒパーテン傭兵団を追撃している。
敵はまあまあ手強いと言える。
だが勝てぬ相手でもない。
壊滅し敗走している最中なら恐るるに足らぬ相手と見えた。
アルバンは事態を楽観視しているわけだ。
狭い小道を通っている故、行軍隊形の脆弱な縦列のまま進んでいるが、敵の反撃がなさそうな以上、とりわけ問題な状態とも思えなかった。
と、そこに前方に放った斥候の騎兵から報告が入る。
聞けば、前方に馬車が道をふさぐように並べられているとのこと。
――なるほどな。
アルバンは敵の意図を読む。
ワゴンブルクだ。
つまり、馬車により作り上げる野戦築城というわけだ、何世代か前、目の不自由な傭兵隊長が作り上げたと言われる戦術。
確かに両側に森林が迫るこの地形なら有効だ。敵も馬鹿ではなかったか。彼は中隊全員に気を引き締めるよう通達した。
「なんだ、こけおどしではないか」
アルバンはそうつぶやく。
確かに道には報告通り馬車が行く手をふさぐように配置されていた。
しかしそれはどれもこれももぬけの殻だったのだ。
アルバンは肩透かしを食らったような気になるとともに少しホッとする。
これが本当にワゴンブルクなら後ろを行く砲が到着するまで脚止めを食うところだったからだ。
ではなぜ敵はそうしなかった?
一抹の疑問は浮かぶが、おそらく補給商隊が馬車を捨てて逃げ出した結果、こうなったと納得する。
その証拠に道のわきには多数の馬車が雑然と投棄されている。
敵の補給商隊はそうとう焦って逃げ出したらしい。
アルバンは大して気にも留めずに馬車の群れの中を通った。
どのくらいそのまま進んだだろう。
まだ投棄された馬車の群れは途切れない。
いくらなんでもおかしいのではないか?
これだけ大量の馬車が一度に投棄されるものか?
アルバンが不審に思ったその時である。
レナーテが合図の銃声を鳴らしたのは。
その瞬間、無人と思われていた馬車の中から多数の銃兵が顔を出し、あらん限りの弾を無防備にも一列に並んだまま行進しているアルバン隊に浴びせかけた。
パパパパパ!
鳴り響く破裂音に途端にパニックに陥る兵士達の列だった。
「よし! 次! 歩兵隊、かかれ!」
レナーテの声が響く。
アルバンは何が起こったかわからなかった。
そうか、最初にあった馬車が無人だったのは他の馬車も無人だとミスリードさせるためか。
そして敵が企図していたのは足止めではなく、十分に誘い込んでの一網打尽、包囲殲滅……。
気づいた時にはもう遅い。
レナーテの号令と共に小道の脇に伏せって隠れていた剣や槍、斧槍を装備した歩兵が一斉に襲い掛かる。
レナーテ自身も白兵戦用に短く切り詰めた槍を手に馬車から躍り出ると敵兵へと飛びかかった。
斧槍を構えたある敵兵に突きかかるも、第一撃は防がれる。
数舜、にらみ合う。
男がスイングを繰り出そうと斧槍を振りかぶったその刹那、下段に構えられたレナーテの短槍が雷のように跳ね上がり、男の脇の下を掠めた。
それは正確に腋窩動脈を切断し、男の袖にジワリと赤黒く広がる染みを作る。
たまらず膝をつく。
しおれた花のように彼女の腰の高さにまで項垂れた頭に渾身のスイングが振るわれる。
グシャッと顎が砕け、首がねじ曲がって男は昏倒した。
そこここでそんな戦いが繰り広げられた。
やがて敵の傭兵達が逃げ出し始め、戦いの雄叫びが止んでいく。
おおむね今回の小競り合いはプセヒパーテン軍の勝利のようだった。
補給商隊の馬車を使って待ち伏せするレナーテの作戦は大成功と言えた。
アルバンは堪らず部隊を散開させて馬で逃げ出す。
ラツェルの火縄銃がそれを捉える。
パーンという発砲音と共に彼は落馬し果てた。
いい腕だ、とベルンハルト。
ラツェルは今しがたの殺しに思うところはあった。
すなわち、言いしれぬ高揚感。
自分の運命を狂わせた憎き存在、傭兵への蜂の一刺しのような一撃。
ささやかな復讐……。
夜になりレナーテに抱きしめられながら、そのことを話そうか逡巡する。
しかし、言えなかった。
それにしてもこうして毎夜毎夜と癒しの時間を設けてもらうようになってどれくらい経つだろう。
初めて戦場に立った日以来、ラツェルはレナーテにとって本当に大切な存在に変わっていっているようだった。
ラツェルもまた、それまで以上にレナーテに惹き付けられつつある。
「今日も生き残れたね」
女傭兵が少年をその腕に抱きしめながら呟くその言葉はもはや儀式めいた性格を帯びている。
毎夜確認するように同じセンテンスが紡がれる。
「ラツェル……あんたは絶対私が守るからね」
「レナーテさんはそんなに僕のことに責任を感じているんですか?」
今日は敢えてそこに踏み込んでみるラツェルだった。
レナーテは驚いたように顔を上げる。
そのはずだ。
自分は戦争嫌いの少年をわざわざ戦場に連れ込んだことに瑕疵があると感じている。
だから全力で守るのだ、と。
その認識は嘘ではないはずだった。
しかしそれ以上の何かがあるように思えてならなかった。
「そうだねえ……」
レナーテは考え込んだ後、偽りのない言葉を吐き出す。
「あんたを守ってるとその、大切な何かを思い出せるような気がするんだ。まだそれが何かもよくわからないけれど……」
ラツェルはわかるようなわからないような感覚を得るままに、女の香りの中まどろんでいくのだった。
苦しい状況はそのまま半月も続く。
迂回して迂回しての帰還の旅路は遅々として進まない。
脱走者や脱落者が相次いだ。
また凍えるような朝が来る。
敵の追撃や周り込みに怯える時間だ。
「丘の影から敵騎兵! 突撃してきます!」
発見が遅れた。
またか、いや今回はさらに不味い、とレナーテは思った。
行軍中、馬車も含めて一本の縦列。
そこに直角に突っ込んでくる重装騎兵。
レナーテ中隊はその柔らかな腹を晒していたのだ。
今から陣形を建て直さんとしても間に合いそうになかった。
これは大損害が出る、確信する。
それでもベストを尽くさねば……。
レナーテは馬を降りると長槍を手に叫ぶ。
ラツェルには馬車から撃っているよう言いつける。
「槍陣組め! 逃げれば狩られるぞ!」
浮足立って逃げ出すものも出ていた。
しかしそれこそ自殺行為だ。
生き残るには槍が陣形を組んで突撃を受け止めるしかない。
馬がもういななきの聞こえる距離にまで迫っている。
ドドドド、という大地を踏み鳴らす音が津波のように迫ってきていた。
「レナーテさん! もう無理です! 乗ってください!」
その通りだった、間に合わない。
レナーテは待てども隣に列を成さない部下たちに見切りをつけ、ラツェルの乗る馬車に駆けこむ。
間一髪、レナーテがただ一人槍を構えていた場所を敵騎兵が掠めた。
ただ一本の槍では食い止め切れない勢いで。
苦悶の叫びがあちこちで上がる。
一方的に蹂躙されているのだ。
レナーテは部下を制御できなかった自分の無力さを憾む。
どのくらいの時間が経っただろう。
外の音が止むとレナーテは馬車から顔を出した。
死屍累々……味方の兵士の遺体があちこちに倒れ伏していた。
ある者は頭部がねじくれ、ある者は手足が何本かない。
地面には赤い水たまりがいくつも広がり、人間の血の匂いが漂っていた。
中には息のある者もいて、うめき声を上げている。
介錯をしている時間はない。
次も襲撃があるはずだ。
レナーテは迅速に動く。
もう陣形などありはしない。
馬車を捨てて森へ逃げるしかないのだ。
レナーテは馬を駆るとその旨を中隊全員に下命する。
次々に列を成す馬車群から離れ、均された道を外れて森へと逃げ込んでいく兵士たち。
総崩れ。
再度全軍が騰勢を取り戻せることはあるのだろうか。
レナーテは暗い気分で他の将校を探す。
「レナーテ! やっと見つけた」
ヨスが馬に乗ってやってくる。
彼らしくない焦りに満ちた表情だ。
「旦那が命令を下した。中隊ごとに散開し個々に国境を目指すべし、とのことだ。国境を越えたところで合流しようだとさ」
なるほど。
それが合理的だ。
もはや軍隊として組織的戦闘を行える状態ではない以上、散り散りに逃げた方がいい。
レナーテは納得すると馬を探し、ラツェルとともに兵士たちを追って森の中へと急いだ。
「なんとかならないんですかねえ、中隊長殿」
ルッツが憎々し気に言う。
レナーテ中隊五百人のうち、森の中で再集結できたのは二百人程度だった。
ベルンハルト、ラツェル、ルッツ、それからゲオルグとハンナまでいる。
馬車が放棄されたので、どこへ行けばいいかもわからずレナーテたちの背中を追って走ってきたのだ。
そして糧秣を運ぶ荷車はたった一台。
糧秣……そう、食べる物こそが問題だった。
直線ルートから大きく外れてきてしまった故、ここから国境まではまだかなりの距離がある。
それなのに二百人を一台の荷車の物資で食わせる。
おそらくギリギリだった。
兵たちはあからさまに不満と不安の視線を女中隊長に向けた。
レナーテは意志を強く持って物怖じせずにその視線を受け止める。
みんなの精神的支柱である中隊長として、弱気なところを見せるわけにはいかない。
「黙れ。きちんと管理して分配すれば心配ない。これだけあればまあギリギリ帝国内に帰還するまでは持つだろう」
事実ではあった。
だがどうせ略奪すればよいと無秩序に消費することに慣れてきた彼らに節制などできるはずもない。
しかし心強い味方がいてくれて助かった。
ゲオルグが管理を担当すると申し出てくれたのだ。
彼の申し出を快く受け入れるレナーテ。
ベルンハルトも協力すると言ってくれた。
他の兵からの信用の厚い彼ならば安心だろう。
それでもルッツのような荒くれたちは気に入らないのか、不満げな表情を崩さなかった。
だが気持ちはわかる。
せっかくの遠征だというのに略奪品は放棄、這う這うの体で逃げ出すという最悪の結果なのだから。
もっともそれでイラつかれても仕方ない。
今は協力して状況を乗り切るべき時だった。
ラツェルは「みんなが仲よくしてくれればいいのだけど」と、ただただ中隊の行く末を心配するだけだった。
雪の降る峠道をただひたすら歩く。
兵士は歩くことが商売とは言え辛い道のりだ。
すでに何人かさらに脱落してしまった。
ラツェルとハンナは荷車を引くベルンハルトとゲオルグの後ろで、微力ながらそれを押していた。
「みんなピリピリしてるね」
ハンナが悲しそうに言う。
ラツェルも同意する。
あのルッツを中心に、ストレスが中隊内に渦を巻いているのだ。
最初のうちは小声であったレナーテへの非難の言葉も、だんだんと公然のものとなってきている。
もし今兵士集会が開かれたなら、中隊長の首のすげ替えすら議論されそうな雰囲気だ。
「なんだかよくない雰囲気ですね」
「ああ、なにか起こりそうだの。きっかけがあれば爆発しそうだわい」
ラツェルとベルンハルトは意見の一致を見る。
ゲオルグは体調が悪そうだ。
しきりに大学のためだったのに、とか、来るんじゃなかったかなあ、とかつぶやいている。
そんな中でもハンナは空元気でもってみんなを勇気づけようとしていた。
「そうだ! いいこと思いついちゃった!」
ハンナが突然大声を上げる。皆の注目が集まる。
「えへへ、今日の夜が楽しみだなあ、みんなきっと喜んでくれるよ」
ラツェル達はぽかんとしながらスカートを広げてキャッキャと踊るハンナを見つめるのだった。
レナーテとベルンハルトは夜の見回りから帰ってくると、どんちゃん騒ぎをしている兵士たちに気づく。
これまでずっと夜も意気消沈というありさまだったのに、どうしたというのだろう。
見るとあのルッツですら今日はゴキゲンだ。
保存食を両手に持って好きなだけぼおばっている。
どういうことだ? 食料がひとりでに増えたとでもいうのか?
レナーテは嫌な予感を感じつつベルンハルトと共に荷車の方まで行く。
そこには激昂するゲオルグとしょんぼりした様子のハンナがいた。
ラツェルが必死にゲオルグを抑えている。一体どうしたというんだ?
レナーテは二人から事情を聴く。
「だって、こうした方がみんな喜ぶって思って」
聞くだに驚いた。
ハンナの言っていたのはこれだったのだ。
先まで保存しておくはずだった食料を勝手に調理し、皆に配ってしまったというのだ。
尋常じゃない量を。
ゲオルグがもうどうにでもなれという表情で荷車を指さす。
顔から血の気が引く思いのするレナーテは荷車を検分する。
――ない。
確かにもうほとんど食料がない。
これでは国境まではとても持たないだろう。
こんなことになるんて。
「いやはやハードな状況ですな」
このような状況でも落ち着いていられるのはさすがベルンハルトと言ったところか。
レナーががっくりとうなだれ膝に手をあてがってなんとか立っているのとは対照的だ。
年の功の差が出る。
ゲオルグはもうぶちきれそうなほど焦燥している。
ラツェルはどうしたらいいのかオロオロしている。
レナ―テは絶望に包まれながらも呟くように言う。
「……どうしてこうなっちゃうかなあ。兵たちはこのことを?」
「何人かはおかしいと気づいているだろうけどまだ怪しまれてはいないようだよ。まだね」
目の間をしきりに揉んでいるレナーテの問いにゲオルグが投げやりに答える。
実際かなりきつい。
この状況はレナーテも経験がない。
どうすればいいのだろう。ベルンハルトの顔を見る。
彼もどうしたらいいのかわからないのか目を閉じて黙考している。
とにかく糧秣がもうほぼないことを兵たちに知られてはいけない。
それだけは確かだった。
暴動が起こってしまう。
その日は大喜びで久々に腹を満たすことができた兵たちを尻目に、レナーテたちはほんの少しの食事で暗い気持ちのまま一日を終えた。
「みんな不思議がってますぜ。なんで最近の食事は一日パンひとかけらなのかって」
食料を大量に消費してしまった日の夜から幾日か経った日の夕方、ルッツが兵士たちの代表としてレナーテと会合を持った。
荒くれ者の彼ではあったが同じような境遇の人間をまとめる才だけはあるのだった。
彼はすっかり下っ端の中心と言った風情だった。
「ああ、悪い。これから先何が起こるかわからないから。食料の配給はできるだけ抑えた方がいいと思って。我慢を強いるのは本当に悪いとは思っている」
毅然と回答するレナーテ。
兵士たちよりも食べていないというのに。
気丈なものだ。実際の食料の残りを知られるわけにはいかなかったからだ。
その時、二人に近づいてくるものがあった。
ハンナとラツェルだった。
少年はしきりに謝れば許してくれる、事情を正直に話そう、とハンナに話しかけている。
レナーテは猛烈に嫌な予感がしたが、止めるには一歩遅かった。
「ごめんなさい! 私が悪いんです! 私がたくさん食べ物使っちゃったから!」
「なに?」
地に伏せって必死に謝罪をするハンナを残し、ルッツは弾け飛んだように荷車まで走り寄ると、夢中で中の糧秣を調べる。
ない、ない、ほとんどない。
ゲオルグが必死で隠していたその事実は夜までに中隊全体に広まった。
レナーテは頭を抱えることになる。
「これより兵士集会を開く! それでいいな!」
異議なし!の声があたりにこだまする。
ルッツは荷車の上から満足そうに自分の号令で集まった兵士たちを見る。
止めようがなかった、とベルンハルト。
兵たちの不満のエネルギーは限界に達していた、ここで無届の集会禁止の服務規程を持ち出せば暴動が起こるかもしれなかった。
事ここに至ってしまってはなるようになるのを見守るしかない。
レナーテは隣で泣き崩れているハンナと罪悪感にうちひしがれているラツェルを見下ろし、やるせない気持ちに何とか耐える。
「そこないやしい娼婦を見ろ! 奴のせいだ! 今俺たちがこれだけ飢えているのは!」
兵士たちの怨嗟の視線がハンナを射抜く。めそめそと泣くだけのハンナ。どうしてやることもできない。
「そこで提案がある、兄弟たちよ!」
ルッツが続ける。
「お前らはこの女をどうしたい!? それだけを聞こう! この集会の目的はそれだけだ!」
リンチ。
やはりそれが目的か。
レナーテは歯を食いしばりベルンハルトの方を見る。
仕方ない、といった風で腕を組んで黙っている。
レナーテの服の裾をぎゅっと握るラツェル。
何も言ってやることができない。
ゲオルグはどうにでもなれとでもいうようにそっぽを向いて座っている。
「魔女は死刑だ! 魔女は死刑だ! 魔女は死刑だ!」
気づけば集会の兵士たちの熱量は増し続け、こんなことを口々に唱和している。
ハンナがどういう目に合うかは明白だった。
レナーテは口を挟もうと一歩前に出るが、ベルンハルトに制止される。
「止められはしませんぞ、レナーテ殿。あの娘はそれだけのことをしたんです。隊の平和のためですぞ。仕方ないのです」
レナーテは悔しそうにうつむくばかりだった。やがて、集会に裁定が下る。
「議決! 議決! あの女を魔女の疑いで処刑する! 議決!」
むちゃくちゃな決定だったが、この時代にあってもすでに時代遅れになりつつあった魔女狩りは、傭兵たちの間ではいまだに現役だったのだ。
娼婦の取り合いや給仕の失態などの問題が魔女裁判という解決の仕方でおわることがままあった。
今回もその限りであったようだ。ルッツたちがハンナに迫る。
「ちょっと! 待ってください!」
ラツェルがそれを阻む。
ルッツら今にも襲い掛からんとする男達と哀れな娼婦の間に割って入る。
どけ、と言われてもどかない。レナーテも間に入る。
「あんたら、もっと違う解決方法はないの? そりゃハンナがしたことは許されることではないかもしれない、それでもさ……」
「レナーテ殿、集会での決定ですぞ、尊重せねば」
ベルンハルトが口を出す。
ベルンハルトは隊内秩序のためならレナーテを諫めることもいとわない人間だったが、上官に公然と反対意見を述べるとは珍しい。
それくらい、今回の事件は大ごとだったのだ。
なきじゃくるハンナの腕がルッツに掴まれる。
悲鳴があがる。
人間が本気で恐怖する声はそれだけで人をすくませるのに十分だ。
しかしそんな声を聴いてもルッツたちは一向にひるまずにハンナを男たちの輪の中に引っ張り込んでいく。
処刑と言うが結局リンチに過ぎない。よくあることだ。だが今回は美女が相手であるから殺される前にどうされるかは……。
「ハンナぁ! ハンナぁ!」
ラツェルが叫ぶ。
レナーテはこれ以上の抵抗をあきらめるとラツェルを抱きしめて馬車の影に逃げ込む。
とてもじゃないが子供に見せられるものじゃなかった。
ベルンハルトも帯同する。
ゲオルグはどこに隠し持っていたのか、酒を飲みながら何か叫んでいる。
どうせ呪いの言葉だろう。
服が引き裂かれる音がする。
悲鳴がいよいよ強まる。
それはまさに悪魔の所業だった。
「これも戦場の習いなんですか?」
「いや……」
ラツェルの問いかけ、返答に窮するベルンハルト。
レナーテだって答えられない。
「私も訊きたいですよ。これが本当に許されていいことだと?」
「彼女はそれだけのことをしたんです、レナーテ殿」
「止めることもできなかった。あの娘、本当は悪い娘なんかじゃなかったのに……」
「致し方ないのです」
レナーテはそれ以上の議論をあきらめる。
ただラツェルを抱きしめるだけだった。
ハンナがどうなったのか、翌朝になっても彼女は敢えて誰にも聞かなかった。
その後、中隊からは餓えによる落伍者が続出することになる。