召喚から二十二日~おだまき蒸しの縁、ビスキュイの警告
また長文でだらだら書いています。
今回も活動報告におまけあり。
本編でも良いのでは、と言うくらいの長さのもの二つになります。
アミューズへ召喚されて二十二日が経過した。
約束の一月までは残す所、後九日となっている。
十日に一度休日を貰えたが、それ以外はひたすら訓練漬けの日々だった。にも関わらず、槍術スキルも耐性スキルも生えてきてはくれない。
私以外はちらほらと後天スキルが出現した人がいると言うのに。
ああ、私も後天スキルが出なかったわけではない。
ただ、武術スキルでも耐性スキルでもなかっただけだ。
『伽羅橋 歌乃 十六歳 女
MP:1047
攻撃力:163(142up!)
物理耐性:179(161up!)
俊敏性:189(166up!)
精度:125(109up!)
スキル攻撃力:127(103up!)
スキル耐性:169(155up!)
曲魂解放率:13%
再生中の曲魂:なし
スキル一覧
アミューズ言語(極) 異世界式MP3プレーヤーVer.1.30(update!) 聴覚強化Lv.3(2up!) 精神耐性Lv.4(1up!) 嘔吐反射Lv.5(5up!)』
流石に泣きたくなった。
閲覧したみんなの絶句の表情が胸に刺さった。サフィール王女も初日以上に口を大きく開けてくれた。
嘔吐反射って、何。
しかも先天スキルの聴覚強化よりも、先に生えていた精神耐性よりも、伸び率がいいってどういうこと。
「……負荷による嘔吐衝動とそれを反射的に抑制するスキルのようですね……ユニーク、です」
目をそらされながら説明されたが、これで私もユニークスキル持ちらしい。
これほど嬉しくないユニークスキルと言うのも早々ないだろう。
これだけ嘔吐反射が伸びたのは、多分私の特訓のせいだ。
いや別に、訓練を休まず行ったからではない。無茶をしようとすると、フェールさんやエメロード王女から止められるのでそんなことは出来ない。
少々曲魂取得で無茶をしただけだ。正確に言うと、吐いてぶっ倒れるぎりぎりまで曲魂を取得した。
二日目にコケてから五日ほど試行錯誤をした所、九曲までは体が軽くなるプラスの反応で終わるが、十曲で脳がついていかず動けなくなり、十一曲目で脳味噌がシェイクされたような気持ち悪さと目眩に襲われることが分かった。
十一曲目をなんとか夕食を噴き出さずに聞き終えた所、嘔吐反射とか言う誰得スキルが出現したのだ。
それから十曲を制限とし、サフィール王女と取得ポイント数を変えたりした結果、いくつかの仮定が浮かび上がった。
毎晩お姫様抱っこで運んでくれるフェールさんとお風呂を手伝ってくれる葵ちゃん達には本当に頭が上がらない。
それで仮定だが、一つは身体変化は取得ポイント数ではなく取得曲魂数で決まり、上限は九曲でそれ以上は負荷がかかること。
一つは体への負荷は一晩経てば治まること。日付が変わることで治るのではなく、ある程度の睡眠が必要だ。
最後に、ミュージックポイントは金だけでなく倒した魔物や武器も還元することが出来るということ。
倒した魔物が粒子になって自分に吸収される様は気分が悪かった。それが汚れたゴブリンやヘドロみたいなスライムだったから余計にだ。
ゴブリンは一匹で一ポイント、スライムは五匹課金しないと一ポイントにならなかった。
討伐報酬と変わらない価値だが、労力に見合っているようには思えない。まあ、一般人でも囲まれなければ狩れる程度の強さしかないからだろう。駆け出しの冒険者より少し強い程度のステータスしかない時期の私でも簡単に倒せたし。
魔物と言えど生き物を殺す不快感は当然あった。
十日に一度ある休日の前日に魔物の討伐訓練をあてがったのは、私達の心のケアの為だろう。休日の午前中が尾根先生と小森先生との三者面談で潰れたのもその為だと思う。
「気分は良くないですけど、慣れなきゃ仕方ないので」と、大人げなく答えたのは少々申し訳ないと思う。尾根先生や小森先生が悪いわけじゃないのに。
だけど先生達はどこか安心した顔をしていた。殺戮を楽しむ訳でも、戦いから目を背ける訳でもない私の態度は良い反応だったらしい。現実逃避は仕方ないにしても、どうやらゲーム感覚の馬鹿がいるようだ。
馬鹿が誰かは討伐訓練の様子から想像出来るので、考えないようにしたい。今も舌打ちが出そうだ。
討伐訓練もそうだが、魔物を倒した時のこともなるべく思い出したくなかった。
スライムはクラゲに刃物を刺すようだったからまだ良かったが、ゴブリンがかなりきつかった。肉に刃を突き刺す感覚、断末魔の悲鳴、生臭い血液の匂い、憎悪を灯した瞳が濁っていく様は何十体と倒したがまだ慣れない。
触覚、聴覚、嗅覚、視覚。五感のほとんどに訴えかける死は精神耐性を持っている私でも辛いものがある。
精神耐性がレベル三あった私でもそうなのだ。持っていない葵ちゃん達はもっと辛かっただろう。えずいたり、涙目になりながら震える手で魔物を殺していた。
それは中立派の面々や先生達も同様だった。
大人のプライドだろうか、先生達は顔を青くするだけで淡々と作業していた。
寺生くんは魂器の数珠を握り締め、小さく念仏を唱えていた。美智さんや薔子さんはしゃくり上げながらゴブリンにとどめを刺していた。
大磯さんも泣いていたけど、途中からは「マジありえねーし!」とキレながら魔法を乱発して騎士団の人に止められていた。
異世界に憧れの強かっただろう緒田内くんと山井くんはそれぞれに「やっぱり三次元はクソゲーでござる」「こんなの、俺の望んだ異世界じゃねーぞ」と呟いていた。残りの中立派の五人だって似たようなリアクションだ。
いや、もう中立派なんて他人行儀な呼び方は必要ないかもしれない。異世界九日目にして私達十五人の気持ちは一つになっていた。
レベルとステータスの上昇を喜び、楽しそうにスキルの試し打ちをする、完全にゲーム感覚の聖川光明達とは埋められない大きな溝が出来てしまっていたのだ。
「ほら、うた。これあげるから、もうちょっと頑張ろう?」
そう言って気色悪い笑みを浮かべながら奴が殺したゴブリンをこちらへ恵んできた時に、良く吐かなかったものだと自分で自分を褒めたい。
震える声で何とか搾り出した礼に、奴が満足そうに笑みを浮かべたのを思い出すだけで嘔吐反射のレベルが上がりそうになる。「おぞましい」と蔑まれながら奴の取り巻きやシンパも私の前へ死体を積み上げてくれた。
死体に罪はないので全部ポイント変換したら私の呼び名が「屍喰らい」になった。ハゲワシのような見た目の魔物らしいが、もうハゲてないので真剣に止めて欲しい。
私のステータスアップの方法は、三日目にはみんなへ周知された。サフィール王女の個人資産と言えど、理由なく一人に少なくない金額が流れるのはまずいと先生達に言われたからだ。
私だけでなく、サフィール王女への心証も悪くなると言われクラスメートに説明することになった。
もちろん「庶民だから金に汚いステータスになった」だの、「浅ましい性格がステータスにも現れている」だのとありがたいお言葉をちょうだいした。
「金さえ払えばステータスアップの為に何でもする」と言う噂が騎士団や侍従達に流れた時は、つい昔の癖で手が髪に伸びた。
小森先生が止めてくれなかったら、見た目もハゲワシになる所だった。
確証はないが、噂を流布したのは奴にそそのかされた取り巻きやシンパ達だと思う。噂を終息させたのが奴だったのだが、非常にマッチポンプくさかったのだ。
「僕が守ってあげるからね?」と囁かれて鳥肌が止まらなかった。「歌ちゃんを守るのはアンタじゃなくて私だから」と遼が言ってくれたお陰で鳥肌はすぐ治まったけど。
そんな紆余曲折があり、しなくていい苦労をした中、ステータスはやっと葵ちゃん達に追いついたかと思いきやそんなことは全くなかった。
野外訓練でゴブリン討伐をしたクラスメートはレベルが十になった頃には、百前後のステータスが二百三十前後になっていたのだ。
レベルが一つ上がるごとに各ステータスが一割近く上がるらしい。二回行われた野外訓練でレベルが十五を超えたみんなとはまた大きく離されてしまった。
ゴブリンを五匹程度狩った所で各ステータスを十以上上げたみんなを見た私は、きっと酷い顔をしていたと思う。
私がステータスを五ポイント上げる労力で、他の人達は合計で六十ポイント近く上げられる。
私が脳のシェイクに耐えながら十一曲目を聞いて手に入れた百四十ポイントは、彼らにとってはたった二レベル、ゴブリン相手に無双して上げるだけで簡単に覆せる量だった。
汚物を見るような目で見下されながら死んだ魔物を下げ渡される私は、誰に聞かずともみじめだった。
それでも私は寝る前に十一曲目を聞くことを止めなかった。
心のこもらない礼を言って、施された魔物をポイントへ変えていった。
小森先生に止められなければ十二曲目に手を出していたかもしれない。
毎晩毎晩、嘔吐感と戦い呻く私を見続ける小森先生を思うと申し訳なさしかなく、「それ以上は見ていられません」と泣かれてしまっては手を出せなかった。
私のお願いを聞いて誰にも言わないでいてくれる小森先生には何度謝罪したか分からない。
休日は他の人のように城下へ行ったりはしないで、宮廷楽士とか言う人に曲を聞かせる。
「死体喰らい」へ目をかけるサフィール王女の立場が悪くならないようにだ。
敬うべきと厳命されている召喚者だけれど、今まで見たことがないステータスアップ方法を持つ私は、お城の人に奇異の目で見られるようになっていた。
死体をポイントに変えることも余計遠巻きにされる原因だった。
おまけに私は召喚者の中でも派手な奴らに目の敵にされている。
表面上は愛想のいい奴を邪険に扱うのも不信感に変わっているようだ。
王族やアシエ副団長などには普通に接して貰えているのが救いだろうか。
いや、だからこそ対立なんて起こらないように休日返上で媚びを売っているんだけど。人間ジュークボックスがどれほどのアピールになるかは知らない。
私の状況は辛いんだろうか?
みじめさを感じたり吐き気くらいで死ぬわけじゃない。
ステータスアップに命のやり取りをしなくていい。
これはラッキーなんだろうか?
お金があれば強くなれる上に、出してくれる人がいる環境は。
他の人よりも楽な状況だから、お城の人達の少しずつ厳しくなる目に耐えなきゃいけないんだろうか?
他の召喚者と訓練が違うわけじゃない。サボってもいないし、やれることはやっているつもりなのに。
理解者がいないわけじゃない。
むしろ学校にいた頃よりも味方は増えている。
私は死にたくない。百合ちゃんの、家族の元へ帰りたい。
だけど、その為にお金が貰えれば何でも、なんて噂と同じことをするほど切羽詰まっているわけじゃない。
……やっぱり、そこまで辛い状況じゃ、ないのかな。
「いや、充分しんどい状況だろ?」
そう言ってくれたのは、葵ちゃん達だけじゃなかった。
「そうかな?」と、寺生くんの言葉に首を傾げる。
「そうに決まってっしょ? うたぴ、ニブいん?」と、大磯さんに爪をいじりながら呆れた声で言われてしまう。
その場にいる十四人の視線が首を傾げたままの私に刺さった。
二回目の休日、おやつ時になって遼に引っ張って連れて行かれたのは訓練場の端っこ。
美智さんの結界術スキルで隔離されたそこは、芝生のようになっていて公園を思い出させた。
そこには葵ちゃんや鉄也くんだけじゃなく、中立派のみんなが全員揃っていた。
「とりあえず、食え」とシートのような物に座って早々、旭川通くんに蓋の付いた湯呑みのような器を渡される。
蓋を開けて出てきたのは茶碗蒸しだった。まだ温かいそれは、ふわんとコンソメのような香りがした。
「食えっつってんだろ、冷めるだろうが」
旭川くんは眼力だけで人を射殺せそうな勢いでメンチを切ってくる。
一見怖いが、精神耐性のある私には効かない。そもそも殺気に近い視線など浴び慣れているから、旭川くんの視線に負の感情が含まれていないのはすぐに分かった。
自分で言ってて、少し悲しい。
「大体、伽羅橋は普段からほとんど食ってねぇだろ。ンなことでこれからやってけると思って、どぅわっ!?」
「どーんっ! あははー、トールくぅーん。女の子にそんな怖い顔しちゃダメだよーぅ。ほらー、笑って笑ってー? あのねー、伽羅橋ちゃん。トールくんこんなにツンケンしてるけどねー、ホントはすっごく伽羅橋ちゃんのこと心配してるんだよー? だから怯えてあげないでねー?」
「重ぇだろうがッ、黄緑乗るな!」
「えー? 聞こえなーい」
ガンをつけたままの旭川くんの背中に、同じ中学出身だったらしい明石黄緑くんが飛び乗る。
天才ショタにじゃれつかれるツンデレヤンキーを見て薔子さんが鼻息を荒くし始めた。
本当に非日常の非常事態は人の本質を剥き出しにするらしい。少しは仕舞っておいてください。
「でもよぉ、伽羅橋ぃ。旭川が心配してんのは本当だぜぇ? お前がどんどん食わなくなってんのに気付いて、食えそうなモンを俺らに聞いてきたんだからなぁ」
「そうよ、歌ちゃん。私がしっかり歌ちゃんの好み伝えたから口に合うわよ! ちゃんと味見もしたからね!
あ、何だったら『あーん』ってしようか?」
「ほんと、番犬様は歪みねぇっす。期待を裏切らない感じ、あざっす!」
私が茶碗蒸しを見つめると鉄也くんが旭川くんのフォローを入れる。それに続く遼の言葉に何故か寺生くんがお礼を言った。
本当にみんな、少しは剥き出しの本性を隠そうよ。
「ん、美味しい」
食べた茶碗蒸しはコンソメだけじゃなくて鶏皮でも出汁を取ったみたいで、少しだけこてっとしていた。でも、パルテネ王国の食事とは比べるべくもないほど優しい口当たりだ。
具は少し鶏肉が入ってるくらい。あ、底にうどんっぽいのが入ってる。
茶碗蒸しじゃなくておだまき蒸しだ、これ。
少しずつ食べてると胃の辺りがじわっと温かくなってくる。
一口食べて感想を言った後は、食べ終わるまで何も言わずに食べ進めた。言葉を出したら泣いていたかもしれない。
それぐらい、おふくろの味過ぎた。そう言えば旭川くんは料理スキル持ちだったか。
おだまき蒸しと言うか、茶碗蒸しなのもずるい。ほとんど食事のとれない私に、何とか食べさせようと頑張ってくれた百合ちゃんの得意料理じゃないか。
ホームじゃなくて百合ちゃんシックになってしまう。シスコンの誉れは甘んじて受けよう。否定する材料がない。
「美味しかった、ありがとう」
底に残ったスープまで飲み干した私に、ヤンキーシェフの旭川くんは満足そうだ。
葵ちゃんからお茶を渡されたので一口飲む。訓練場の真ん中辺りで騎士団の人達が模擬戦をしている掛け声が聞こえる。
声の方を向いた私に、寺生くんは「ごちそうさま」と手を合わせてから親指を立てて説明してくれた。
「安心しろ。アシエのおっさんにはきちんと使用許可を取ってるから問題ない。
結界は勇者クンと愉快な仲間達対策ってとこ。ま、念の為だ」
「って言ってもアイツらが城下に行ってるのはミニ子ちゃんにバッチシ確認済みだからー。うたぴもあんしーん。
どっちかって言うと勇者ファンになってきたメイドさん対策? みたいな?」
スマホをいじりながら大磯さんが話す。
続けて「探知系スキルって便利だよねー。早くレナのスマホにもGPSつかないかなー」と話された言葉に、いつも大磯さんの隣にいる大上さんが自分の魂器を撫でながら頷いた。
大上洋子さんの魂器も中立派らしい濃さがある。
彼女の魂器はペットロボ。中型犬くらいの真っ白な子羊で、微かに聞こえる駆動音さえなければ本物のようだ。顔や耳、足はアクセントのように真っ黒な羊毛に覆われている。
顔は毛で全く見えないが、円らな瞳だったらいいなぁと思う。多分違うけど。
「大丈夫ですよぉ、伽羅橋さん。
あの子達がいつ戻って来ても良いようにあたしの『てぃーちゃん』も付けているから、安心くださいねぇ?」
「あ、うん。大上さん、ありがとう」
「うふふ、洋子で良いですよぅ。あたしも伽羅橋さんのこと、レナみたいに『うたぴ』って呼びますからぁ」
「……洋子さん、うたぴはちょっと」
大磯さんはキャラ的に許容出来るけど、洋子さんはちょっと。
とても同い年とは思えない大人のお姉さん感を出しているおっとり美人から「うたぴ」と言われるのは、かなりきつい。
大上さんも普段話すことが少ないから知らなかったけど、かなり不思議さんで、とても濃い。
「にしても、『ティンダロスの猟犬』に本当に尾行が出来んのか? 臭いでバレそうなモンだがなー」
「大丈夫ですよぅ、りりくん。姿さえ見せなければ『てぃーちゃん』もちゃんと尾行出来ますってぇ」
「りりくん言うなし。つか、あれホントは犬じゃねーよな?」
「……あんまり細かい男はSAN値直葬させますよぅ?」
「へぶんっ!?」
あ、洋子さんのスキルにネチネチとツッコミを入れてた寺生くんが昇天した。子羊でも股間にヘッドバットは会心の一撃らしい。
亀のようにうずくまる寺生くんは無視され、「『こーくん』は偉いですねぇ」と洋子さんは自分の魂器を褒める。
子羊は「めぇ」ではなく、犬のように「わんっ」と鳴いた。
洋子さんの魂器は『子羊の皮を被った七狼』と言い、普段は子羊型のペットロボットなのだが、一匹一匹に搭載されたユニークスキルを使用する時には狼の姿を取るらしい。
まだ三匹しか解放されていないらしくスキルも三つしか持っていないが、その全てがユニークスキルと言うチートっぷり。それが後四つもあると言うのだから羨ましい限りだ。
そして、『子羊の皮を被った七狼』が魂器と言うことは洋子さんの本質も……
そこまで考えて洋子さんから視線を感じたので、思考を止めた。
それにしても。
「……なんか、変な感じ」
「歌乃ちゃん?」
小さく呟いた声が葵ちゃんに拾われる。名前を呼ぶ彼女の顔は、遼や鉄也くん以外の人間もいるのにとても穏やかだ。
それは遼や鉄也くんも同じ。私や葵ちゃん以外の人間と警戒心なく会話している。こんなの、中学で奴が現れる以前しか見たことない。
不思議な感じがする。何だか落ち着かない。
奴を知っている人間しかいないのに、誰も私を嫌な目で見てこない。
こんなの、今まで経験したことがなかった。
二十日分の彼らとの交流が思い起こされる。決して多くはない。けれど、学校にいた頃よりも確実に多い接触。
居心地は良かった。だけれど、油断したらすぐに手のひらを返される、と小学生の私が囁く。
気を抜くな、と。
奴からのモラハラを両親に信じて貰えなかったトラウマは大きい。今では和解もしたし、両親を好きではある。
けれど、今後彼らを信じることはきっと出来ない。
仏様だって残機は三人なのだ。小学生の私だったら一撃死でも仕方ないだろう。
「歌ちゃん?」
「伽羅橋ぃ?」
少し俯いてしまっていたようだ。遼に顔を覗かれる。
鉄也くんもいつもの間延びした声で名前を呼ぶ。
車座になった十五人。私に刺さる視線は当然十四対。
それに嫌な感情は含まれていない。私は気持ち深めに息を吸い、両隣の手を握る。
葵ちゃんの少しひんやりした手に、遼の温度高めの手。
身長は随分違うが、手だけは私もみんなと大差ない。
私は一度しっかりと指を絡めると、手を離した。
鉄也くんの手を握ることは出来ないけれど、高校入学前から支えてくれた三人との繋がりを再確認して、離す。
まだ伸ばすことは出来ないけれど、手を取る意志を示せるように。
両手を、開ける。
「私は思っていたより、辛い状況じゃないのかも」
ああ、少し日差しが眩しいな。
パルテネ王国の季節は、元の世界と余り変わらないのかもしれない。
夏に近い日差しは、真昼を越えたのに目に刺さった。
……なんて、少しかっこつけてみたけれど。
「いや、充分しんどい状況だろ?」
「そうかな?」
「そうに決まってっしょ? うたぴ、ニブいん?」
と、小坊主と黒ギャルだけでなくその場にいる全員に呆れたような視線を向けられた。
何だろう、解せない。
「そもそもお前にコナかけながらもハーレムを作り上げる『もげろ、くそ野郎!』から小中高と執着されてることがまずしんどいだろ」
「寺生、きしょっ。男の嫉妬とかマジウケるんですけど。
まあ、あの顔だけ男がクソなのは同意ー。うたぴがステータス見せた時にブルッてたの、キショ過ぎて笑えなかったしぃー。
あれ絶対ぼ」
「あらあらぁ、レナぁ? 女の子が何を言おうとしたのぉ?
そもそもねぇ、あの子達は学校にいた時から騒がしくてたまらなかったわぁ。読書の邪魔だったのよねぇ。
……本当に、いつシメようか迷っていたから実行しなくて良かったわぁ」
洋子さんの最後の台詞は物凄く低く小さい囁きだったけれど、聴覚強化を持つ私に聞こえない訳がない。
聴覚強化を持って初めて、このスキルを恨んだ。
ぽつぽつじわじわと奴らに対する不満や愚痴がみんなの口からこぼれる。
「ハーレム野郎滅すべし!」でも「茶十島達も醜い嫉妬できゃんきゃんと見苦しい。やはり女性は四十は越えないと駄目だな、円熟味が足りない」でも、愚痴は何でもいい。
ただ、彼らへ黒い感情を向けているのが自分だけじゃないことに心が軽くなる。
少数派はそうであるだけで、ストレスがかかった。
ちなみに、二番目の台詞は我がクラスの級長様から出たものだ。
賀利田くん、まさかの熟女好きとは。
時間はあっと言う間に過ぎ、四時になった。
またジュークボックス業に戻ろうと立ち上がると大磯さん、いや、レナさんから命が下る。
この場の全員、名前呼びでいこうとのことだ。
何だか青春っぽい。今のジャンルは異世界ファンタジーなのに。
特に問題なかったのでレナさんの指示に従うことにした。
……したの、だが。
「もっと! もっと汚物を見るような目で!
『何で、私が男の名前なんて言わなきゃ……おぞましい』
はい! この気持ち大事にして! 諦めんな! うたのんなら出来る、出来るって!
もっと心凍らせて! 雨上がりにふやけた湿布見つけちゃった時の残念な気持ち思い出して!
ほら、なった! サイコたんになったよ!
さあ、うたのんっ、サイコたんの再降臨お願いしまぁぁあああとぅいんくるっ!」
何だか急に発作を起こした理々安くんが、洋子さんの『こーくん』から二度目のゴールデンアタックを決められていた。
『こーくん』はオスの設定なのかな。ゴールデンアタック後の鳴き声が若干嫌そうだった。
それにしても、私はそんなに『暮井寺祭子』に似ているんだろうか。
あのキャラは元ネタなしって聞いたような気がするんだけど。
まあ、いいか。
* * * * *
休憩後、私は夜まで浮かれていたらしい。
「雰囲気が柔らかいですね」
「そうですか?」
サフィール王女から指摘されるまで気付かなかった。繋がっていない左手で頬に触れてみるが、口元が緩んでいる感じはしない。
「カラハシ様のお体の具合が気になっていたので、注意深く観察していたから分かったようです。
恐らく普通に接しているだけでは分からない変化だと思います」
「そうなんですか」
「はい」と王女様は真面目な顔で頷く。
召喚四日目にここで十一曲目を聞いてから、サフィール王女は私の体調を殊更気にするようになった。ありがたいより先に申し訳ない気持ちが出てしまう。
「良い休日を過ごせたみたいですね」
毎日顔を合わせる内に、王女様は目元だけではあるが表情を崩すようになってきた。
私の魂器に対して額を突き合わせて検討を繰り返し、時にフェールさんを巻き込んだりしながらあれこれと実験をしているからだろうか。
それとも、時折ランダムに起きる王族訪問イベントのせいだろうか。
目は口程に物を言うと聞くけれど、確かにサフィール王女の目は表情筋よりも雄弁に感情を語ってくれた。
ブーメランになるが、話す以外にも王女様は顔の筋肉に仕事をさせた方がいいと思う。
サフィール王女の瞳の蒼は、彼女が思うよりもたくさんの『蒼』を見せてくれた。
エメロード王女の時は少しだけ困ったような色、アレクサード王子が来た時はうんざりした色、まさかのアダマン王の登場ではどこか達観したような色。
そして病に臥せっているらしい正妃と、彼女に遠慮して表へ出てこない側妃を除く最後の王族が現れた時には、彼女の瞳はそれまで以上に大きな変化を見せた。
サフィール王女と同腹のルビス第二王子。
私よりも年下の彼がアレクサード王子に連れられて訪ねて来た時に、サフィール王女の瞳はとても複雑な色合いを見せていた。
王譲りなんだろうか、アレクサード王子やエメロード王女のような緩やかな癖のついた紅の髪。
普段は天真爛漫に輝いているのだろう大きく丸い紅瞳は、サフィール王女を伺うようにきょときょとと泳いでいた。
対するサフィール王女は全身を強張らせていた。
何かを耐えるように固くなる顔と体を隠し、だけど瞳には隠し切れない暗い熱をこもらせて。
ここが恋愛ゲームの世界だったら、絶対スチル付きのイベントになっていただろう場面。
それを私は見なかったことにして、普段使わない愛想をフル稼働させてルビス王子達へ対応した。
エメロード王女曰く、似ていると言う私と王女様。
私だったら絶対にこの件について触れて欲しくないと思ったので、ルビス王子達が帰った後、どことなく暗い雰囲気の彼女へ彼について触れはしなかった。
国の危機を背負わせてしまった無関係の人間に、自身のトラウマまで抱え込ませるような真似は私だったらしたくない。
サフィール王女は何も言わない。ただ王子達の退室で中断された音楽会を再開する時、すがるように重ねられた手にはいつもより力が入っていた。
私も少し冷たくなった彼女の手を握り返した。驚いて力が緩んだ隙に、長い美術品のような指へ私の不格好な指を絡めた。
小学生の時、まだ純粋で繊細だった私は奴が作り出した寄る辺ない孤独に傷つくだけの心を持っていた。
傷によって千々に切れかけた心を繋ぎ止めてくれたのは、同じように孤独を味わっていた葵ちゃんの温もりだった。
他人の体温は思った以上に、傷ついた心に染み渡る。
それは、心に寄り添うという知覚化出来ない行動を疑似的に認識させてくれるからだろうか。
サフィール王女は、絡まる指に少しだけ蒼を揺らす。
揺れが治まると、その瞳は普段よりほんの少し多く灯りを反射した。
この実弟来訪イベント以来、彼女の目元は頑なさが減った気がする。
すがるような強さがなくなった後も、私達の指は以前のように繋ぐだけには戻らなかった。
滑らかで綺麗な指が絡んだ分だけ近付いた距離は、気分的に悪いものじゃなかったので彼女のしたいようにさせた。
『シスコン』の私としては『お姉ちゃん』のやりたいことは極力叶えてあげたいし。
「ウタノ様?」
「え、あ、はい。楽しく過ごせました」
綻ぶ目元を見て回想に沈んでしまった思考が、硬質的に戻った視線で慌てて浮上してくる。
取り繕うような返事にサフィール王女は気にした様子はなかった。また目元を緩め、繋がっていない右手を動かす。
その滑らかで白い指には、私が二口で食べられそうなくらいの大きさをした長方形の焼き菓子が摘まれている。
さらりと羨ましいくらい艶のある蒼い髪が揺れた。
「ウタノ様、召し上がりますか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
口を開ける。舌の先に、溶けて固まった砂糖がざらりと触れる。
歯を動かす。サクッと音を立てて、ビスケットのような菓子の固まりが口の中に転がり込んだ。
奥歯で潰すと、甘いハーブの香りとそれに遅れてバターの風味がやってくる。
くどくなくて美味しい。何故このくらいの濃さで食事も仕上げてくれないのか。
「美味しいです、サフィ様」
こくんと飲み込んでから感想を述べた。
「それは良かったです。作った者にも伝えておきますね」
サフィ様は別に目を綻ばせることもなく、いつもの硬質的な輝きを保ったまま私の口に残りのビスケットを入れる。
私の食の細さを誰かから聞いたようで、焼き菓子を手に取って「甘いものならば少しは食べて頂けるでしょうか」と尋ねられたある日。
その気遣いに「頂きます」と開いた口へ、そっと菓子を押し付けられてそこそこ経つが、未だに私の左手はビスケットを触ったことがない。
成り行きで私に食べさせるのがサフィ様の仕事になってしまっているが、良いのだろうか。
兄弟仲が壊滅的とは思えなかったけれど、エメロード王女ともルビス王子ともこんなやり取り出来そうに見えなかったし、たまには姉振りたいんだろうか。
サフィ様。と、変化した呼び名は、エミー様襲撃イベントのせいだ。
午後の訓練でコーチをしてくれるエミー様とは、早い段階で「ウタノ様」「エミー様」と呼び合うようになっていた。
そして異世界の曲を聞きに来た時に、サフィ様も呼び方を変えたらどうかとほんわかした笑顔でエミー様が勧めたのだ。
サフィ様も「短い方が効率的ですね」と言って「ウタノ様」と呼ぶようになった。「カラハシ」と一文字しか違わないのに。
その流れで私も「サフィ様」と呼ぶようになった。「サフィール王女様」って呼び難かったからちょうど良かった。
「エメロード王女から聞きました。彼女とアガット神官が話せるよう訓練で便宜をはかって頂けていると。
許嫁と言えど余り会う機会も作れないとのことでとても感謝していました。
こちらの一方的な願いでお辛い状況に立たせていると言うのに気遣いをして頂けて、私も感謝しております」
もう一枚ビスケットを餌付けされ、紅茶っぽいお茶でなくなった口の水分を補うと唐突にお礼を言われる。
私としても自分に利があってやったことだったので、緩く首を振って答えた。
「いえ、感謝なんて。耐性スキルを取得するのに回数が必要と聞いたので、スキル攻撃力の低い山井くんに手伝って貰った方が効率が良いんです。
エミー様は一発の攻撃力が高いので、すぐ腕輪の魂石も力をなくしてしまって。
ソウルポイントの充填も回数が少ない方がより練習出来ますから」
私の説明に、サフィ様は目を半分伏せて「そうですか」と答えた。長い睫が灯りで影を作る。
なんとなく「分かってますよ。そういうことにしておきますね」と言われているような気がした。
基本的に正直者だから、言わないことは多いが口に出す言葉は本心が多いんだけどな。
むず痒いような空気を変えたくて、私は初めて左手に菓子を持たせた。
「ウタノ様?」
「サフィ様も、食べてみませんか」
お菓子だってきっと、こんな美人に食べられた方が嬉しいんじゃないだろうか。
私は閉じられてしまった唇に菓子を差し出す。
少し薄めの唇は紅に近い桜色。エミー様より濃い色をしたそこは、アレク様やアダマン王に似ている。
「そうですね……頂きましょうか」
最後の一音を放った後も開いたままの口へ菓子を入れる。
ビスケットのようなそれは、微かに唇を擦り蒼とは正反対の深い紅の舌を隠してその身を砕かれた。
二口で消えた焼き菓子の残滓は唇に付いてしまった砂糖だけで、それは灯りに一瞬煌めくがすぐにサフィ様の右手に隠されてしまう。
「……なるほど」
サフィ様は何か納得していた。味の感想はないのだろうか。
「これは独り言なのですが」
二枚目を食べさせようと皿へ手を伸ばした所で、お茶で喉を潤したサフィ様が声を出す。
「はい?」
「ウタノ様はお人好しの傾向があるように思われます。
偽悪的、と言う程のものではないようですが、ご自分を利己的で冷徹な人間と思っておられるようなのに行動の発端はほとんど他人の為です。
ヤオイ様の件しかり、エメロード王女の件しかり。挙げればまだまだあるでしょうね」
「……それはサフィ様もじゃないでしょうか?」
王族の方達やアシエさん親子が私を特に気にかけてくれるのは、サフィ様が私を気にしてくれているからだ。
彼らと会話すれば分かる。二言目にはサフィ様の名前が出るのだ。
サフィ様は彼らに愛され、大事にされている。
あのくだらない噂だって、消火しようと骨を折ってくれたことを知っている。
成り上がりチート防止の為とは言え、個人への特別扱いなど批判されるようなこともやらせてしまっている。それにしたって、彼女に大した利益はないと思う。
私の行動はやりたいことをやっているだけ。お人好しはサフィ様の方だ。
そう思って問いかけたが、サフィ様は私の言葉に答えず、話を続けた。
「他人に投げられた石をあなたが受ける必要はないのです。
他人は腕を動かして石を防ぐことも、避けることも、場合によっては投げ返すことも出来るのですから。
たとえ石が当たったとて、それは動けなかった者の責任でしょう。
あなたがわざわざ、痛みを代わる必要もないはずですよ」
私を見据えるサフィ様の瞳は感情の読めない宝石のような輝きを持ち、絡まる指は血が通っているのか確認したくなるくらい冷たい。
私はそらすことなく見つめ返し、離すことなく握る手に力を込める。
「暴論ですね。
行動の理由なんてその時、その時によって変わるでしょう? 何も毎回毎回身代わりを買って出るほど私はドMじゃないです。
投げる相手に腹を立てれば私が投げ返すかもしれないし、投げられる相手が気に食わなければ率先して石を投げるかもしれない。
私はやりたいようにやるだけです。心のままに動けない方が、ストレスだ」
十曲目が終わったので手を離す。
目をフェールさんに向けると何も言わずに抱き上げてくれた。仕える王族へ不敬な態度を取ったと言うのに、丁寧なお姫様抱っこをしてくれてありがたい限りだ。
「それでは今日は……あ。すみません、もう一つ」
座るサフィ様を見下ろす形になってしまう。特に気にした風もなく、「何でしょうか」とサフィ様はいつもの声色で返してくれた。
「『石が当たったとてそれは動けなかった者の責任』と仰ってましたけど、それは例外もあると思うんですよ。
誰かに縛られて動けないのかもしれない。逃げることを知らないのかもしれない。逃げることを考えられないほど石を投げ続けられてるのかもしれない。
……悪いことをしたわけでもないのに、少し人と違うだけで『石を投げられるべき人間だ』と周りも本人も思っているのかもしれない」
無意識に噛み締めた奥歯が、口の中でいやに大きく響く。
「……反吐が出る。
私は絶対に、そんなの認めない。
絶対に、そんなこと恕さない」
吐き捨てた私を静かに見つめるサフィ様の目が、不意にそれる。
「アルスニック・ドリュール」
サフィ様は人の名前らしきものを呟き、それから小さく息を吐いて、ひどく子供じみた声を出した。
「忠告は、素直に聞いて頂きたかったです」
どことなくすねた声には返さず、「おやすみなさい」と私は部屋を後にした。
それから二日経ち、変わらない日々に引き締め直した警戒が緩みそうになる。
葵ちゃん達だけじゃない、理々安くん達を交えた生活は。
正直に言おう、今まで生きてきた中で一番楽しかった。
異世界と言う異質な環境で行われる普通の高校生らしい日常は、幼い私の警告の声を徐々に小さくしていった。
忘れていたんだ。あんなに小さい私は気を抜くなと言ってくれていたのに。
今まで見たこともない数の手を差し出されて、私は浮かれきっていたんだ。
何故、今まで味方を増やさなかったのか。
それを思い出した時、既にあの男は行動を始めていた。
お読み頂きありがとうございました。
活動報告のおまけの内容は以下の二つになります。
「部屋で十一曲目を聞く歌乃を見守る美璃子(美璃子視点)」
「音楽会に菓子が出るようになった事情と、『三つ目の点』について(フェール視点)」
読まなくても本編に支障は出ないと思いますが、本編未登場キャラもがっつり出ているので、読んだら次回がより楽しめるかもしれません。