少女漫画な日常
ノープロット、見切り発車なので投稿が遅くて申し訳ありません。
モラハラやイジメ描写が入りますのでご注意ください。
百合が遠い。
存在を消したい人間はいますか?
もしそう問われたならば、私、伽羅橋歌乃は間を置かずに「聖川光明」と答える。
憎悪なんて生やさしい言葉では説明出来ないほどの怨み。
好きの嫌いは無関心なんて訳知り顔で言う人がいるが、私は違うと思う。
好きの嫌いは消滅。
奴と関わってしまった過去ごと消し去りたい。そんな、祈りにも似た気持ちを抱いたことはあるだろうか。
私は、ある。
というか、いつも願っている。
今朝も、校門で待ち構える奴に心の中で懇願するのだ。
どうか私の前から消えてくれないだろうか、と。
「おはよう、うた」
取り巻きを引き連れた奴はその顔の良さを存分に理解している爽やかな笑顔で私に話しかける。少女漫画の王子様が抜け出してきたようなそのルックスに、登校途中の他のクラスや学年の生徒が視線を奪われる。
そしてその笑顔を向けられている私を見て、皆一様に顔をしかめた。視線は物語っていた。つりあわないと。
「おはようございます、聖川くん」
私は奴を見上げる。発育不良の体に死んだ魚の目。おまけに返した挨拶は固く低い。
誰からも良い印象を与えないなんてこと、自分が一番良く分かっている。
でもこれが限界なのだ。
今もこみ上げる吐き気を我慢しているのだから、表情が死ぬのは致しかたないことなのだ。
だが、奴と奴の取り巻きはそんなことを理解してくれるわけもない。
「あなたねぇ! いつもいつもその態度はなんなの! コウがこれだけあなたを気にかけていると言うのにっ!」
どんっと肩を小突かれ、私はよろける。私を怒鳴り突き飛ばした茶十島さんはつり上がった瞳を更に急角度へ変えて睨みつけてくる。般若そっくりになってしまって、折角の美人が台無しだ。
「そうですよ、本来ならあなたのような下賤な人は光明さんにお相手などして貰える立場じゃないんですよ?」
奴のハーレム二号、鷹田さんが汚らわしいものを見る目で私を見てくる。
おかしいな、私はお相手なんて一言も頼んじゃいないし、ちゃんと挨拶は返したはずなんだが。
もちろん彼女達は理解なんてしてくれない。奴が自分達以外の相手をすること、それも自分達より全てにおいて下回っている人間の相手をすることが許せないのだから。
私達のやり取りを遠巻きに眺める生徒達に私の味方はいない。ルックスも才能もトップのアイドル集団に口を出す豪気もあるはずなく、むしろ関わりを持っている私へ嫉妬の目を向けてくる始末だ。
羨ましいなら変わってやるよ、今すぐに。
私はこの環境のせいでハゲを作ったことがあるんだぞ。
「まあまあ。やめてくれ、二人とも。僕は良いんだよ。久しぶりに一緒のクラスになれたのが嬉しくて声をかけているだけなんだから」
奴は少し寂しそうに笑う。おぞましいそれに騙された奴の取り巻きは、「コウ(光明さん)ったらなんて健気なの」とますます惚れ直しているようだ。
こいつらは私が奴から逃れる為に隣県の中学に通ったことも、奴がそこまで追いかけ、あまつさえ女子生徒を騙くらかして私の進学希望した高校を調べたことも知らないのだ。知ってもこいつらは同じ態度を取れるのだろうか。
「でもさ、幼なじみとして僕は心配なんだよ。昔は『こうちゃん』って呼んでくれたのに、急によそよそしくなってさ。
うたは昔から僕がいなけりゃ友達一人作れなかったろ? そんなに頑なな態度でいたら、いつかうたの周りには誰もいなくなっちゃうよ。
うたは僕がいないとなんにも出来ないんだからさ」
『こうちゃん』はお前が言わせたんだろう。友達も、お前がヒエラルキーを作り上げて私を排除したんだろうが。
甘い言葉と爽やかな上っ面でいっそ清々しいくらい私を貶してくる。
だが、謎のカリスマ性でもって周囲の人間は奴を「人を気遣えて苦言を呈せる人」、言わせた私を「彼にそこまで言わせるだめな奴」へと認識していく。
こうして嫌われ歌乃は出来上がっていく。180秒で完成する料理よりも簡単にだ。
「……もう教室へ行きたいので通して貰って良いですか」
私の目の前を塞ぐ奴らから目をそらし私は足を動かす。すぐに図体ばかりがでかい赤べこに邪魔される。
「お前マジで人間として終わってるな。光明の気遣いに何もないワケ? 女の子ってみんな可愛いと思ってたけど、お前だけはナイわー」
「何がお前をそこまで意固地にするか知らないが、少しは聖川の気持ちも考えてやったらどうなんだ? まさかそこまで考えられないほど人間を止めているわけじゃないよな」
「えー、そこまで人間終わってんじゃなーい? だってもう終わってる顔してるじゃーん」
奴の人間性に惚れたとか言うホモ二人とハーレム三号がうるさい。もう名前も出したくないほどめんどくさい。
良いから教室へ行かせてくれよ。ホームルーム始まるだろ。
「うた、どうせ同じ教室なんだしさ。一緒に行こう。ね?」
ぞわり、と。肌が粟立った。右肩に奴の手が触れている。耳元に囁かれた粘着質な声。
硬直した私の髪を一房摘み、奴はそれに指を絡ませた。
「……お前は僕の幼なじみなんだから、いい加減強情張るのも終わりにしなよ……」
私にしか聞こえない、小さな声。ハーレム共の嫉妬の悲鳴が遠くに聞こえる。
胃の中の朝食がせり上がる。
……やば、これ、吐き、そ……。
「歌乃ちゃん、おはよう」
遠のきかけた意識を戻してくれたのは、少しだけ息の弾んだ親友の声。
血が引いて冷たくなった手を、走って熱くなった彼女の手のひらが温めてくれる。
「……ああ、葵ちゃん。おはよう……」
冷や汗で濡れた手に力を込め葵ちゃんの手を握る。動揺で泳ぐ目に彼女は笑いかける。慈しみ溢れるそれに、ほっと肩の力が抜ける。
さりげなく奴が触った部分を除菌するように髪と肩を撫でられる。ふにゃふにゃと自分の顔が緩むのが分かった。
「今日も歌乃ちゃんは可愛いわね」
「え? 葵ちゃんの方が可愛いよ?」
「その話ちょっと待ったー!」
ギャースカうるさい、奴と取り巻き共を無視して誉め合う私達へ割って入る声。全力ダッシュで駆ける声の主は、その勢いのまま思い切り私へ抱きついた。
「おっと」
「歌乃ちゃん、危ないっ」
自分より大きな相手を支えられずよろける私をすかさず葵ちゃんが助けてくれた。奇しくもサンドイッチの具と化す私。葵ちゃんと一緒にパンになった治石遼は、そんなことはお構いなしとばかりに私を頬ずりしている。
「葵とばっかラブラブはずるいわよ! 私も歌ちゃんとイチャイチャしたい! 歌ちゃんは今日も全力で可愛い! マジ天使! 大好き!」
「ああ、おはよう。遼もいつも可愛いよ、ありがとね」
「やった、今日も両思いだね! 嬉しいっ」
「遼、危ないから飛びつくなって何度も言っているでしょう……しかも歌乃ちゃんは別に好きとは一言も言ってないわよ」
「えっ、歌ちゃん嫌い? 私、嫌い?」
「ううん、好きだよ」
「やっぱり両思いじゃーん! 愛し合ってる私達ぃ!」
朝からハイテンションの遼に若干ついていけない私と葵ちゃんは顔を見合わせて苦笑した。奴と取り巻きもこの空気の変化についていけてないみたいだ。ぽかんとした顔が最高に間抜けで面白い。
遼は奴に触れられた髪を念入りに頬ずりする。元気づけるようにぽんぽんと叩かれる背中に、気を使わせてしまったなと思う。
「おいおい、遼。朝からうるせーぞぉ? 静かにしろやぁ」
「鉄也黙れ、ハウス」
「お前、ほんっと伽羅橋以外に厳しいなぁ、おいぃ!」
遼は自分の鞄を持って貰っているにも関わらず、鉄也くんを冷たく手で追い払った。語尾を伸ばす特徴的な話し方の真壁鉄也くんはいつものこと、と呆れた顔でため息を吐き、私へ「よっ」と挨拶をする。
「おはよう、鉄也くん」
「おはよぉさん、伽羅橋ぃ。早く教室行かねーと、そろそろ巌ちゃんとエンカウントしちまうぞぉ?」
「なぬ、それはまずい! 歌ちゃん、葵ちゃん、ついでに鉄也! 早く行くよー!」
生徒指導の先生の名前に怯えた遼に思い切り手を引かれて、私は教室へ向けて駆け出した。
奴と取り巻き共は当然置き去り、私の吐き気は葵ちゃんと遼のお陰で大分楽になっている。
昇降口で「ありがとう」と言うと、三人は気にするなと笑ってくれた。
「いーの、いーの。私だってあいつら嫌いだし。あのぽかんとした顔、最高に笑えたわー」
「彼のせいで私達が引き離されたんだからね。やっとまた同じ学校になれたと思ったら、彼まで来るなんて……本当に、邪魔しかしない人だわ」
「んん? まぁ、気にすんねぃ。うちの中学まで押し掛けたやばさを知ってんのは俺達だけだしなぁ。ストーカーから女の子を守るのは男の義務さぁ」
遼、葵ちゃん、鉄也くんと順に出された言葉に涙が出そうになる。学校の中で、明確な私の味方は彼らだけだ。自ら飛び込んで来てくれた彼ら以外、他人をわざわざ台風の目に巻き込む気にはなれなかった。
「今日、一時間目何だっけ」
「あれじゃない? ミニ子先生の現文」
「宿題出てたわよね。遼、やってきた?」
「ばっちし!」
「って、俺の写しただけだろうがよぉ」
向かうのは界世高校の三階にある二年特別選抜クラス、通称Sクラスだ。このクラスの生徒は、毎年有名な大学へ進学する者が多いので、近隣の県からも入学希望者が多い。
「あれ、ミニ子先生もう来てんじゃん」
遼の言葉に視線を葵ちゃんから前へ向ける。スーツに着られていると言った感じの、私とそう背の変わらない女性が時計を見ながら教室の前に立っていた。
「おはようございます、小森先生」
「あ、伽羅橋さん。おはようございます」
赤いフレームの眼鏡越しに、小森美璃子先生は微笑んだ。小さな背も相まって、私達と同い年にしか見えないのにこれで二十七だと言うのだから驚きだ。
彼女は背の小ささとロリ顔から、「みりこ」と言う名前をモジって「ミニ子ちゃん」と呼ばれていた。少し天然の入った言動もあって生徒達にマスコット扱いされている。
「おはようございます、小森先生。ホームルーム前にどうされたんですか?」
「二雁さんもおはようございます。ちょっと美化委員の子に連絡事項があったので。もう連絡は済んだんですが、職員室に戻るのも二度手間なのでここで待ってようかと」
「なるほどー。どうせなら教室で待ってれば? オネママなら大丈夫だよ」
「いえ、そういうわけには」
「いーから、いーから」
遼が背中を押し、小森先生は教室に舞い戻る。少しまごついてから先生は教壇の隅に立った。
私が入ると会話のあった教室が一瞬ぴたりと静寂に満たされる。
男子十八名、女子十四名。計三十二名のこの教室の中に味方は三人、敵は十九人だ。残りの九人は我関せずと中立にいた。
窓際の一番奥へ向かう私をひそひそ声が出迎える。もちろん好意的なものなど一つもない。
「あいつまた朝から光明くんに酷い態度取ってたよね」「あの光明くんに気にかけて貰えてよくあんな態度取れるわよね」「ほんとあり得ないわー」
「聖川も健気だよなー、あんなに冷たくされても笑顔でいるんだぜ?」「っつか、二雁や治石レベルならまだ分かるけど伽羅橋程度があの態度って」「俺ならないわー、それに聖川の周りって茶十島や鷹田だけじゃなくて現役モデルの園藤までいるんだぜ?」「うわ、伽羅橋なんて足下どころかマントルまで落ちるわ」
暴れそうになる遼を目で止める。もうこの程度の陰口は慣れた。いちいち気にしていたら胃に穴が空いてしまう。
遼が八つ当たりに鉄也くんを殴るのを横目に、ふと教壇を見ると唇を噛んだ小森先生が太めの眉をつり上げていた。まずいと思った私は先生が口を開く前に声をかける。
「小森先生、質問があるんですがよろしいですか」
「え? あ、はい……」
ホームルーム七分前。担任の尾根先生は五分前にならないとやってこない。
ちょこちょことした足取りでやってきた先生にノートを見せる。板書の写しの隅に一言走り書きをした。余計なことは言わないでください、と。
「伽羅橋さん?」
表情の出やすい先生は傷ついた顔をした。私は適当な質問をしながら、ノートに書き込んでいく。やぶをつついて蛇を出したくはないんです、と。
「……分かりました」
それだけ言って先生は質問に答えてくれた。苦いものを飲み込んだような顔で、先生は私のノートに綺麗な字を紡いだ。
私の為に、すみません。と、書かれたノートを私はすぐに閉じた。
「いいえ、ありがとうございます」
「他に聞きたいことは?」
「もう大丈夫です」
悔しそうな顔で先生は教壇の隅に戻る。ほぼ同時に教室がざわつく。
このクラスの王様が登場したのだ。
「みんな、おはよう」
奴の挨拶にシンパ共が口々に挨拶する。私の入室との百八十度違う態度に乾いた笑いが出そうだ。
「あ、うた……」
奴が私の名を呼ぶ。私を見つめる奴へ、小森先生が声をかけた。
「ひ、聖川くん。そろそろ尾根先生が来られますので着席してください」
「……はい、そうですね。小森先生」
一瞬だけ、奴の顔が苛立ちで歪む。奴はすぐに笑顔へ戻ると自分の席に着いた。一番前の廊下側。私と真反対の場所だ。
「……ふぅ」
机に肘を置き、私はため息を外へ逃がす。相変わらず前途多難な一日の始まりに、ため息は止まらず幸せは減っていくばかり。
葵ちゃんに遼、鉄也くんがいてくれたお陰で一年生は何とか過ごすことが出来た。二年生も六月が始まろうとしている。折り返しにはまだ遠いが、奴との高校生活も二年を切った。きっと乗り切れる。
「さぁ、私の可愛い生徒達ー。ホームルームを始めるわよー……って、小森先生じゃない。どうしたのよ」
「あ、実はですね……」
スーツをびしりと着込んだオネエ言葉の担任教師(三十二歳、既婚者)の声が遠くに聞こえる。鼓膜にべたりと張り付いた陰口が脳にじわじわと染み込んでいく。こういう時には好きな曲を聞いて気を紛らわすのが一番なんだが。生憎この学校はMP3プレーヤーの持ち込みは禁じられている。
ああ、百色神楽のアルバムが聞きたい。こんな時は黒雷王の熱唱でスカッとするか? いや、紅水女帝のエロボイスに癒されるって言うのも……あ、そういえばそろそろ新しいアルバムの発売日じゃないか? そろそろ密林でポチッておかないと。
突如、ぼーっとする私の視界に白光が入り込んだ。
「え?」
ざわめく教室。白光の出所とざわめきの原因は床だった。円とその内部に図形を描くような不思議な光を見て、私は嫌な予感がした。
「おいおい……少女漫画の次はライトノベルって……」
普通ではあり得ない発光に、歪んでいく視界。この現象はきっとライトノベルでは使い古されてなお愛される題材。
異世界、転移。
「……うわぁぁあああ!」
こうして私は少女漫画のような日常から、ライトノベルの非日常へと舞台を移すことになったのだった。
お読み頂きありがとうございました。