かみがちる
遅くなりました。
今日完成し、投稿しようと思ったら、パソコンがネットに繋がらなくなりました。
何とか四苦八苦しながらスマホで投稿です。
後日パソコンが直ったら手直しを入れるかもしれません。
それと、今回もおまけを入れる予定でしたが、間が空きに空いているので投稿を優先致しました。
一応、あとがきに予定だけ書いておきます。
「さよなら」
金の刃が、首を通り過ぎる。
痛みも温度もないのが、不思議を通り越して不気味だった。
「歌ちゃん!? ……いやぁあああ!」
「歌乃ちゃん!? そんな……」
遼や葵ちゃんの声がどこか遠くに聞こえる。
大丈夫だと、口を開きかけた私の肩を装飾過多な剣を捨てた聖川光明が掴む。
「うたっ! ごめん! こんな……まさか腕輪の力をすり抜けるなんて! 痛みはないかい!?」
痛みも何もない。だから、触るな。
そう言おうとした私は、ふと違和感に気付く。
頭が、軽い?
私は遼と葵ちゃんに引き剥がされる奴を無視し、後ろを振り向く。
少し遠い位置で心配そうに顔を歪める薔子さんやレナが目に入る。
だけど私の目的はもっと近く。私のすぐ背後。
踵が触れそうな位置に、それは落ちていた。
訓練で邪魔にならないようにと、毎朝、三つ編みにしていた後ろ髪。
それが、散らばることなく地面に落ちていた。日の光に晒されたそれは、キラキラと栗色を主張させている。
私はしゃがんで、それに触れる。細くてサラサラとした柔らかな髪。
栗色のそれをぎゅっと握ると、自分の一部でなくなったことを示すようにひんやりとした冷たさを感じた。
自慢だった。死んだ魚の目をした発育不良のチビである私の唯一の。
髪を誉められるのは、素直に喜べた。
それが、私の一部でなくなってしまった。
――……お揃い、だったのに。
「あれ?」
そこで気付く。握ったままの髪を見る。
これが、自慢? 私は何でこれを大事にしていたんだろう。
だって、これは。
「ああ、やっと、あいつが消えた。
うたの中に、僕が戻ったね」
この世で最もおぞましい声が、喧噪を縫って私へ届く。
振り向いた先には、遼と葵ちゃんに詰め寄られる栗色の髪の男。
視線がかち合うと、少女漫画のヒーローのように整った顔のそいつは、作り上げた辛そうな顔へ一瞬だけ喜色を浮かべた。
奴の栗色の髪を睨みつける。
何故、私は後生大事に、切り離された髪を持っているのだろうか。
だって、これは。
「おかえり、うた」
あいつと唯一同じ色をした、最も嫌いな部分だったじゃないか。
* * * * *
「今日が節目だ。お前達、約一ヶ月、よく頑張ったな」
今日の始まりは、アシエ副団長のこんな一言だった。
異世界に召喚されて二十八日が経った。明日一日休みを取ると、翌日にはアダマン王と約束した一ヶ月後だ。
午前の武具訓練は二十日目辺りから対魔族を意識した組み手が行われていた。
組み手はほぼ総当たりで行われていた。ただ、奴や取り巻きと私が当たらないのはアシエ副団長の配慮だと思う。
「望まない訓練を押しつけられたにも関わらずよくついてきてくれた。それを俺はパルテネ王国を守る一人としてとても嬉しく思う。明後日の王との謁見でお前達が戦いを選ぶかどうかは分からない。
だが、ここで武器を手に取り戦う術を身につけたことは、非戦闘職と言えど決して無駄にはならないはずだ。
戦いに身を置かない者も今後とも鍛錬は怠らないように。この世界はお前達の世界と違って、死は隣人だ」
そこまで話すと、黙って聞く私達へアシエ副団長はふっと笑みを向ける。
「だが怯える必要はない。死が隣人である前に隣を見回してみるがいい。
同じ立場の友がいる。同じように死に立ち向かう仲間がいる。
それを忘れなければ、死はお前達の元から姿を隠すだろう」
アシエ副団長の話が終わる。
私達は誰ともなく声を揃え「ありがとうございます」と言って頭を下げた。
アシエ副団長は揃った礼に少し面食らい、照れくさそうに笑って、手を叩いた。
「さ、おっさんのくどい話はこれで終わりだ。そろそろ今日の訓練を始めるぞ。
今日の組み合わせだが……」
「アシエ副団長、少しよろしいですか」
組み合わせを発表しようとしたアシエ副団長を奴が遮る。
いつもと変わらない奴の笑みの裏に何を見たのか、アシエ副団長は極僅かに目元をひくつかせた。
「何かな、ヒジリカワ殿」
「はい、組み合わせについてなんですが……一昨日から一度組んだ相手と組み手をしていますよね」
言っていいものか、とためらうように奴は眉を下げてアシエ副団長に尋ねる。
今度は副団長も表情を崩すことはなかった。少しだけ間を空けておもむろに口を開く。
「俺の判断で力量を見て決めているのだが。不満だったか?」
「いえ、ご判断は適切だったと思います。ですが、どうせならもっと様々な戦闘経験を詰みたいと思っています」
「具体的にはどうしたいと言うんだ」
あくまでにこやかな奴に対し、アシエ副団長は見たこともないほど無表情だ。こんな顔をするとフェールさんと親子なのがよく分かる。
「チーム戦をしたことがないので、二つに分けて戦うのはどうかと考えました。一対一だけでなく多対多を学ぶのも必要じゃないですか」
それはおかしくない提案だった。
実戦では、試合のように一対一で戦う場面だけじゃないだろう。
対戦相手としては知っている相手が、自分と協力した時にどのような行動を起こすかも知っていて損はない。
皮肉なことにさっきの副団長から贈られた言葉が、奴の主張を強固なものにしていた。
「……悪くない提案だ。先生方はいかがかな」
一度目を閉じ、言葉を噛み砕くようにゆっくり目を開いてアシエ副団長は答え、先生二人に意見を求める。
先生達も首を縦に振った。反論は誰からも出なかった。
「では組分けを始めよう」
アシエ副団長の号令に、奴はにんまりとした笑みを作った。
チーム分けは当然のように、奴や取り巻き達で一チーム、私達含め残りの面々で一チームの十七対十七で分けられた。
接近戦、遠距離戦共にオールマイティに対応出来そうな対戦チームと比べ、こちらはピーキーな能力を持つ人が多い。
おまけにお荷物がいる。属性スキルがなく遠距離攻撃が出せず、武器スキルもないので接近戦でも活躍を望めない私だ。
申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、自然、私を守るような布陣が作られていく。
大した助力にならないが、せめてもと作戦会議の間中、攻撃力と物理耐性を上げる曲をかけた。全員で手を繋ぎながらの作戦会議は、相手チームには奇異に映ったことだろう。
「では、試合開始だ」
アシエ副団長の声で試合が開始される。
「じゃあ、レナからいっきまーす! オッケー、Nike! 詠唱開始して!」
まず始まったのは魔法戦。魔法素養の振り切れているレナさんが、自分の魂器の音声サポート機能を駆使し多重詠唱の雷属性スキルで華々しい開幕の音頭を取る。
それを防ぐのは奴のハーレム三号の園藤さんだ。魂器の鏡を使い、レナさんの魔法をこちらへ打ち返してくる。そこへ、ハーレム二号の鷹田さんが扇子から飛ばした魔法やホモ一号の爽間健二がばらまく弾丸が追加で飛んでくる。
「通すかぁ! 『臥薪嘗胆』ッ! お返しするぜぇ!」
「『悪しきものの入室を禁じます』……『逆さ箒』!」
それを防ぐのはクラスで一番の防御力を誇る鉄也くんと結界術のエキスパートである美智さんのタッグだ。盾術で鉄也くんが攻撃を一手に引き受け、それを美智さんの結界術がフォローする。
「皆さん、警戒してください! 土煙に紛れて来ます!
前から五人……後ろから一人!」
攻撃によって訓練場の地面が抉られ、土埃が煙幕のようにドーム状に張られた結界の全面を覆う。
私達の目の代わりを小森先生が行う。携帯ゲーム機の画面を覗き、発せられた声に私達は声を出さずに従う。
「『自由切断』」
「『瞬歩』」
奴のスキルが結界を壊すのと葵ちゃんが消えたのはほぼ同時だった。
「おっとぉ、相変わらずおっかないねぇ、二雁ちゃんは。
キレーな顔してるのに、ほんともったいないなぁ」
「邪魔をしないで頂戴。あなたに用はないの」
「ウケるなー。光明に殺気ビンビンな二雁ちゃんを俺がほっとくわけないでしょ?」
葵ちゃんが奴へ向けた刃は三津鳥伊右衛門に防がれる。
へらへら笑う三津鳥へ葵ちゃんは一言だけ告げ、あとは軽口に相手せず刀を振るう。
三津鳥は葵ちゃんの神経を逆撫でするような会話をしながら、的確な槍さばきで彼女の攻撃をいなしていた。
「茶十島ァッ! 邪魔すんじゃないわよ! 退きなさい!」
「やれやれね。あなたのおつむはどれだけ貧相なのかしら?
コウに向かう女を私が通すわけがないでしょう?」
「邪魔するって言うなら、叩き潰す!」
激しい破砕音と怒声が響き渡る。
大槌を振り回す遼と鞭を構えた茶十島さんが対峙していた。
お互いがお互い相性の良くない組み合わせだ。遼は茶十島さんの鞭に大槌が絡め取られないよう動き、茶十島さんは一撃必殺の威力を持つ遼の大槌が振り下ろされないように立ち回っていて、膠着状態となっていた。
乱戦状態は進んでいく。属性スキルのぶつかり合う爆発音、武器と武器のかち合う金属音が濁流のような激しさでもって私の鼓膜へ注ぎ込まれる。
『聴覚強化』の名前の通り、このスキルは耳が良くなるだけでなく強くもなるみたいだ。以前だったら耳を押さえていただろう轟音も全く気にならない。音の強弱だけでなく距離も把握出来るようになってきていた。
そんな私の耳へ足音が滑り込む。私へ真っ直ぐ向かってくる音に、知らず“指揮棒”を握る手に力が入る。
栗色の髪を揺らし、聖川光明は私へ迫る。神々しいと形容出来る金色のオーラと剣は、私には地獄の使者のように思える。
「ふははは、安心しろ! からは……じゃなくて……う、歌乃っ」
「那珂路くん」
私を守るように背にかばったのは山井那珂路くん。
自信に満ち満ちた声で笑う彼は、演技じみた動作で魂器の指貫グローブをはめ直す。
「俺の両手に宿りし、聖刻印と邪刻印を開放すればこんなハーレム野郎など恐るるに足りん! くくくっ、聖川! 俺に魔眼の封印を解かせるほどの血沸き肉踊る戦いが貴様に出来るかな!」
ばっと大仰に手を振りながら大声で話す那珂路くんはいわゆる厨二病だ。
ちなみに彼の魂器には魔眼に類するものはない。
「いくぞぉ! 夢想破壊者!」
那珂路くんは魂器の指貫グローブでボクシングのような戦い方をする。向かってくる奴の懐へ、自分から入り込み拳を叩き込む。
奴は那珂路くんの二連撃を後ろへ飛んでかわし、那珂路くんもまた後ろへ飛んで奴との間合いを空けた。
ヒットアンドアウェイが那珂路くんの戦闘スタイルだ。
「ふぅん……山井とだとこっちの方がいいかな」
「……くははっ、中々ジェントルマンスタイルに乗っ取った男じゃないか、聖川!」
奴は己の魂器を消し、拳を握り構える。
那珂路くんは一度頬をひくつかせてから、何かを振り払うように声を張り上げて笑った。
「行くぜぇっ!」
そこからは拳の打ち合いだ。素早さと攻撃力にステータスの偏った那珂路くんの攻撃は手数が多く、奴はそれを天才的な戦闘センスでいなす。
奴は的確な攻撃を加え、那珂路くんはそれを大きな動作で避けていく。
涼しい顔の奴に比べ、那珂路くんの呼吸は荒い。だが確かに奴へと食らいついていた。
「ふっ!」
「おっと、危ないな、うた」
タイミングをはかり、那珂路くんの背中を目隠しに“指揮棒”を奴へ突く。
だが、スキルのない私の攻撃は奴にはお遊びなのだろう。あっさりと避けられ、腕輪の防御効果を利用して刃の付いた穂先を掴まれる。
「捕まえた」
「はな、せっ!」
にこりと奴に微笑まれ寒気が背中を駆ける。“指揮棒”を引っ張るがびくともしない。
ずり、と足が奴の方へ動く。奴の握られていた左手が開き、私へ伸ばされる。
「聖川ァ! 伽羅橋離せぇぇえええ!」
出そうになった悲鳴が、那珂路くんの怒声にかき消された。
私へ向けられていた奴の左手は那珂路くんの拳を受け止める。
絡みつくような奴の視線が私から逸らされる。目を細め、奴は那珂路くんを視界へ入れた。
「山井、僕とうたの間を邪魔しないでくれないか。無粋だよ」
「てっめぇ、どんな目と頭してんだよ! 伽羅橋の顔真っ青じゃねぇか!
お前、あんだけハーレム作っといて、何でキモオタみたいなこじらせ方してんだよ!
現実見ろ! 勘違い野郎!」
那珂路くんは三白眼を普段以上につり上げ奴へ怒鳴る。
奴は自分より背の低い那珂路くんの鋭い視線を受け、不快そうに眉を跳ね上げた。
「何を言ってるんだ。そもそも、君に何の権限があって僕とうたの関係に口を出すの?」
「お、俺は! からは……歌乃の、と、ともだち、なんだよ!
友達が困ってたら、助ける! 常識だろ!」
戦闘による興奮でか、頬を赤く染め那珂路くんは叫ぶ。
「那珂路くん」と思わず声が漏れた。
彼との付き合いは異世界生活での関わりが全てだ。学校での接点はほぼない。
アミューズではエメラルド王女の代わりに選んだ耐性スキルを得る為の練習相手。葵ちゃんや遼でなく彼を選んだのは、那珂路くんのコーチがエミー様の婚約者だったから。
接点が増え、会話も増えた。奴の取り巻きやシンパの考えについていけない中立派の彼らと一緒にいることが多くなっていた。
味方なのは分かっていた。だけどこうして、仲間だと言われるのは、理解していた以上に嬉しいものだった。
「気に入らないね」
奴は、那珂路くんの言葉に、私以外には隠していた仮面を剥いで素顔を晒す。
「うたに僕以外の存在なんていらない。友達? 必要ないよ。
あいつも……二雁も治石もあの王女も、全員、うたには必要ない」
そもそもね? と、ひどく優しい声音で奴は囁いた。
「僕以外の人間が、気安くうたの名前を呼ぶなよ」
「自由切断」と、囁き声よりも小さな音が私の鼓膜を撫で、私の“指揮棒”が自由を取り戻す。
「ぐぉおお!?」
次に鼓膜を揺らしたのは那珂路くんの絶叫。
“指揮棒”を解放した奴の右手が彼の鳩尾を捉えていた。
「那珂路くん!?」
体をくの字に曲げ悶絶する那珂路くんは私の声に応える余裕がなさそうだ。お腹を押さえてうずくまり、歯を食い縛っている。
「立てよ、山井。『友達』を助けるんだろ」
乱戦の喧噪にかき消されるほど小さく柔らかな声で、奴は那珂路くんへ問いかける。
那珂路くんは応えられない。地面を見つめたまま、食い縛る歯の間からうめき声を漏らしている。
「這いつくばって惨めだね、山井? 一回殴られただけで反撃も出来ない君がうたのヒーローになれると思った? ……勘違いも甚だしい」
「や、やめっ! がぁっ!?」
奴のつま先が那珂路くんの腹にめり込み叫び声が上がるのと、私の“指揮棒”が振りかぶられたのはほぼ同時だった。
私の攻撃は奴に当たれど何の痛痒も与えられず、奴の攻撃は蹴り一つで那珂路くんを悶絶させる。
深く考えずとも、先ほど奴が発した『自由切断』のせいであることは明白だった。
ちらりと私を見た奴は満足そうに笑う。
「流石にうたでも分かるか。さっき思いついたから試してみたら出来ちゃってさ。
……じゃあ、ここでうたに問題です」
硝子玉のような目をしたまま笑う奴の右手に、豪華な装飾のされた黄金の剣が戻ってくる。
「『絶対正義』で攻撃したらどうなるでしょう?」
「ひっ!?」
那珂路くんの鼻先に刃が突きつけられる。二度の蹴りで、闘争心を根こそぎ奪われた那珂路くんは青ざめた顔で後ずさった。
那珂路くんが動いたことで開いた空間へ、私は足を動かす。
「そんなこと、させない」
黄金に輝く剣へ、鈍い銀色の穂先を向ける。
役立たずと評された、頼りない“指揮棒”で、『絶対正義』に立ち向かう。
奴への恐怖に反逆することを決めた心は、ここで那珂路くんを見捨てることを良しとしなかった。
「ああ、本当に。あいつさえいなければなぁ」
硝子玉のようだった奴の瞳に怒りが満ちていく。
あいつが誰を指すのか考える前に、奴の剣先が“指揮棒”の先に触れる。
私はそれを弾く。また剣先が触れる。
弾く、触れる。はじく、ふれる。
段々と弾いてから触れるまでの感覚が短くなる。
『剣王』スキルを持つこいつにとってはお遊びだろう打ち合いも、スキルのない私は必死だ。徐々に穂先は剣先を打つのが遅くなり、私の心臓の動きも早くなっていく。
「楽しいね、うた」
過ぎるほどに集中した私の耳は、“指揮棒”と『絶対正義』のぶつかる音と奴の声しか拾わなくなる。
それが分かるのか奴の声はとても楽しげだ。「まるで世界に二人きりになったみたいだ」なんて吐き気を催す台詞をご機嫌に吐かれ、私の気分は下降していく。
「残念だ。ああ、ひどく残念だよ。うたの中に今は僕だけだって言うのに、この時間を終わりにしなきゃならないなんて」
大げさに首を振り、金色に輝く刃よりもぎらつく目で私を見つめ、奴は話す。
「自由切断」の囁きに応えるように、『絶対正義』は黄金の輝きを強めた。
「でも、僕とうたの関係以外に永遠なんてありはしないから、せめて終わりは僕が決めよう」
致死の力を持つ刃から逃がした“指揮棒”を『絶対正義』が二つに分ける。
「さよなら」
「愛している」と私へ告げた唇が別れを囁き、黄金の光が私の首を通り過ぎた。
* * * * *
私の首を剣が通ったことで場は騒然となり、訓練はその場でお開きとなった。
ひどくふわふわとした感覚の中、私は王国からあてがわれた自室に連れて行かれる。ベッドに押し込まれ、治癒師の治療だけでなく涙を滲ませて狼狽えた遼の治癒も受ける。
こちらが止めても聞かず、SPが枯渇するまで私へ治癒をかけ続けた遼がようやく落ち着いても、私の手には訓練場で拾った栗色の髪の毛が握られていた。
「歌ちゃん、平気? 本当に、本当に痛くないの?」
「だから大丈夫だって」
寝台の上で座る私のお腹へ抱きついた遼にしつこく尋ねられる。
床に膝を立てて私へしがみつく遼の頭を撫でて答えても、彼女の瞳は不安そうに濡れたままだ。
それを見れば巻き付く腕の力が少し強くて痛みを覚えても振り払うことは出来なかった。
この部屋には私を含めいつもの四人しかいない。さっきまでは尾根先生と小森先生もいたけれど、二人はこの事態の終息や那珂路くんの対応に追われていた。
怪我らしい怪我がほとんどなかった私よりも、奴の攻撃を二発喰らった那珂路くんの方が大変そうだった。傷はスキルですぐに治るが、折れた心はすぐには元に戻らない。
日本より死が近いこの世界で折れた心のままで生きていけるとは思えない。理々安くん達がフォローしてくれるのを祈るばかりだ。
それに、那珂路くんも心配ではあったが、今、この部屋には彼よりも心を配らなければいけない人がいた。
私に抱きついた遼でなく、青い顔で落ち着きなく私達三人を見回す鉄也くんでもない。
「葵ちゃん」
部屋の隅で泣き腫らした目をこちらへ向ける葵ちゃんだ。
声をかけると、どこかぼうっとした霞んだ目で私を視界に収める。いつもの大人びた切れ長の瞳は、潤み熱を持つと昔のような幼さを見せた。
「こっち来て」
遼を撫でていた右手で葵ちゃんを招く。左手は私の一部ではないかのように、切り離された一部を離さない。
私の左手はこれは大事な物だと言わんばかりに、嫌悪しか抱かない奴と同じ色をしたものを離そうとはしなかった。
「うたの、ちゃん」
泣いたせいだろうか。葵ちゃんの声はいつもの凛としたものとは違い、濡れて濁ったものだ。
「うん」
微かに震える指が、頷く私の髪に触れる。
恐る恐る、確かめるように頭の天辺から滑り降りる指は、昨日までと違いすぐに髪の先へと到着する。
「まもれ、なかった」
「違うよ、あれは私の油断。あいつが私を怪我させるわけないって自惚れたから。自業自得」
「今度は、ちゃんと、まもろうって。歌乃ちゃんを、まもりたくて。
それなのに、まもれ、なくて……」
髪から離れた指が、『絶対正義』の通り過ぎた首を撫でる。
そこには剣が通ったことを示すように、首輪のような紅い痕があった。
『絶対正義』に立ち向かった代償は、斬り落とされた後ろ髪と紅い傷跡。まるで昔々に罪人へ施されていた入れ墨のような傷は、治癒術スキルをもってしても消えることはなかった。
「葵ちゃん」
首に当てられた指を掴む。それは氷のように冷たい。
彼女の覚えなくてもいい罪悪感が、指先から温度を奪っている。
握っても暖かさは戻らなくて、彼女の心を軽くさせる言葉なんか浮かばなくて、どうしたものかと途方に暮れてしまう。
「葵」
お腹に巻き付いていた腕の圧迫感が消えた。
立ち上がった遼は乱暴に髪を掻き上げる。揺れる前髪の下にある瞳は鋭い。
「遼?」
「あんたね、ふざけたこと抜かしてるんじゃないわよ」
「ちょっと、遼……」
こくんと首を傾げた葵ちゃんへ、喧嘩腰で話す遼。
止めようと声をかけるが、遼の瞳の熱さに制止の言葉が出てこない。
「あんた一人の責任みたいな顔してんじゃないわよ。
私だって、歌ちゃんを守りたいのに、守れなかった! 傷を治す力を持ってるくせに、治せなかった!
私だって歌ちゃんに何もしてあげられない役立たずな自分が、嫌で嫌でしょうがないわよ!」
一気にまくし立てる遼の声が段々と大きくなる。
潤んでいた瞳は揺れ始め、眦から一滴、水をこぼす。
「だからってめそめそ泣いて歌ちゃんがいい気持ちすると思ってんの!?
笑えなんて言わないけど、悲劇のヒロインみたいな顔は止めなさい!
歌ちゃんはあんたが自分のことで落ち込むのを見てたくなんてないのよ!
……歌ちゃんにとって、葵が一番の……親友、なんだから……」
乱暴に目を擦り、流れた涙をなかったことにした遼は、顔を腕で隠したまま葵ちゃんを励ました。
「……そうだぜ、葵ぃ。歌乃の顔を見てみなぁ。困ってるだろぉ?
歌乃がそういう態度が苦手なのはお前が一番分かってるんじゃないかぁ?
それに、守れないって言うならよぉ。盾役の俺が、一番責められるべきだろぅ?」
鉄也くんがおどけた調子で遼の言葉をフォローする。
「それもそうね」と紅い目元をした遼に返され、「そこは否定して欲しかったぜぇ」と鉄也くんは肩をすくめて笑った。
「ねぇ、葵ちゃん」
「……なぁに、歌乃ちゃん」
声をかけた私へ、葵ちゃんは乾いたけれどまだ熱を持ったままの目を向ける。
私は笑みを返してみせた。上手く出来ているかは分からない。こんなに大きく表情筋を動かしたのはほとんどないのだから。
「私はいつも葵ちゃんに助けられているよ。葵ちゃんは足りないのかもしれないけど、私にはそれで充分嬉しいから。これ以上、葵ちゃんが辛い気持ちでいる方が私は嫌だな。
……それに、さ」
私は随分と軽くなった、自分の中で一番手を入れている部分を掴む。
つやつやとした、柔らかな栗毛。奴と同じ色をしたそれ。
吐き気がする。昔のように引き抜きたい衝動に駆られる。
「こんなことくらいで、私は傷つかないよ」
くっと引っ張られた頭皮が痛みを覚える前に私は手を離し、首の傷跡をなぞる。
少しだけ、でこぼこと肉が盛り上がっているのが分かった。
こんなこと。
そう、こんなことだ。
髪ならまた生える。消えない傷は隠せばいい。
そんなこと、地球へ帰れないことに比べたら大したことじゃない。
そう考えて、ふと思う。
地球へ帰りたいと干上がるほどの渇望が体を満たしている。
けれど、芯の部分。『何故帰りたいと望むのか』がとんと思い出せない。
両親に心配かけたくない。あの安全な世界でみんなと暮らしたい。
どれも正解で、だけど全てではない。
ぽっかりと、後ろ髪と共に何かが斬り離されたような感覚。
考えれば考えるほど、遠く離れていく何か。
答えが中に詰まっているような気がして、私は左手の栗色へ視線を落とす。
それは不快しか感じない色であるはずなのに、この栗色には神聖さを感じた。
「でも、歌乃ちゃん」
俯いたまま、思考の海へ沈みかけた私を葵ちゃんの声が呼び戻す。
「うん?」
「歌乃ちゃんは、とても……とても、大事にしていたでしょう?
余り似ていない姉妹だから、お姉さんと同じ色をした髪の毛が宝物だって。
歌乃ちゃん、前に言っていたじゃない」
「え、あ……ああ、そうだけど、うん……」
葵ちゃんの言葉に、私は曖昧に話を合わせる。
目が泳がないようにするのが大変だった。声が上擦らないように、喉が震える。
これ以上心配はかけたくない。上手く、取り繕わないと。
「『お姉ちゃん』とお揃いの場所でも、命には替えられないよ」
姉。
私より年上の、父とも母とも違う家族。
……どんな、人だった?
いたのは覚えている。
だけど、顔も声も姿も、何も、思い出せなくて。
存在を思い浮かべると、砂のように手からこぼれていく。
奴と同じ色をした髪を、彼女とお揃いだからと大事なものへ変えるほどの存在。
そんな大切だろうものが、私から抜け落ちている。
明らかにそれは異常事態で。
焦らなくてはいけないはずで。
だけど、このあと訪れた奴や那珂路くんやサフィ様への対応に焦燥感すら霞のように薄れていき。
小森先生にひとしきり心配されたあと、眠りに就く頃にはすっかり霧散していた。
そして翌朝、目が覚めた時には眠る前までには持っていたはずの髪も消えていて。
それに伴い、私の記憶から姉を構成する全ては消え失せていた。
地球を離れて二十九日目。
私は、父よりも母よりも、誰よりも私を支えてくれた人を失くしてしまったのだった。
* * * * *
深く邃く窖い。
暗く瞑く幽い。
そんな場所へ、落ちていた。
何も見えない。匂いも、肌を撫でる風も感じない無音の黒の中。
身動きすら取れない状態で、深く暗い『下』へ落ちていた。
意識も思考も『上』に置き去りのまま。
『支え』を失いぐらついた『芯』が、傾き倒れ、落下し沈む。
終着地点には先客がいた。『芯』だけの状態で持ってきていた『聴覚強化』が一人分の女の声を拾う。
話し声がぴたりと止んだ。数拍の間を以て、ひどく柔らかで優しい声が、ひそやかに息を吐く。
「降りて来てしまいましたか、『可愛い妹』」
それは責めるのではない、慈しみと悲しみを抱いた声だった。
足音が近付き、短くなったばかりの髪がサラサラと小さな音を立てて揺れる。
「『彼』はいくつになっても、相変わらずひどいことをしますね」
ふぅ、と吐かれた息は疲れを伴っていた。
さらりと髪がもう一度鳴り、女の足音が遠ざかる。
「『可愛い妹』が『目』を持っていなくて良かった。
こんな姿、見せたくないでしょうから」
――……ザッザッザーッ……――
女とは違う何かが、割れた音でノイズを発した。
ぐしゃぐしゃと、少し離れた場所で湿った音がする。
「無理をしないでください。これ以上壊れたらどうするつもりですか」
――……ザッザーッザーッザッザー……――
女の言葉に応えるようにノイズが途絶える。
しん、と音が消えた。
「……『可愛い妹』がここへ降りてきてしまったのなら、『門』はもう開いてしまったのでしょう。
希望など、一切ないとしても」
話の合間に、水っぽい何かを掻き回す音が現れる。時折、短いノイズと金属音がそれに添えられた。
「……それは何度も話し合ったでしょう。今更反対したとて決定は覆りませんよ。
何より『可愛い妹』にはもう『門』が開かれてしまったのですから」
ぐちゃぐちゃと湿った音が途絶える。代わりの音もぐしゃぐしゃと湿っていた。
「……ええ、ええ……代わりは私が務めます。ですから少し休んでください。必要なものは今回収しましたから。修復に全力を当ててください。
『彼ら』の思い通りになるのは、気に喰わないではないですか」
湿った音が止む。コツ、コツ、と小さな足音が二回近付く。
「納得して頂けましたね。それでは、しばしお休みなさい。
ユーザーID:====からユーザーID:======へ、アカウント委譲を開始」
途中、理解出来ない音を挟みながら、女は某かの作業を開始する。
「パスワード入力……あれでいいでしょう。捨てるには惜しいほど、手をかけていましたし。
『取り込み』」
少しの間、音のない時が過ぎた。
女が再び口を開いた後、彼女の側でさらりと音が作られる。
「アカウント委譲終了。これより第一サポートシステムの圧縮を開始します。
フォルダ作成、保存先を選択……移行完了。パスワード設定終了。フォルダ名登録……」
一度沈黙し、数拍の間のあと、女は音を発した。
「フォルダ名『伽羅橋百合乃』」
小さなノイズが溶けていく。コツコツと足音が真っ直ぐに近付いていくる。
サラサラと短くなった髪が揺れた。
「これからは『第二サポートシステム』が支えます。
ですが『可愛い妹』が失った『愛』は、余りにも大きい」
口を開かされた。顎を掴んでいるだろう手の感触は得られないが、口内は触覚が生きていた。開かれた口の中に、冷たい暗さが入り込んでくる。
「『可愛い妹』の道行きに『愛』がありますように。
私達のように、枯らし、手折らないように」
ぬるり。
温かく濡れた何かが口内へ入り込む。
それは押し出そうとする舌を押さえつけ、喉の奥へ甘く苦い酒精のような固い何かを落とし込んだ。
「『進化の系統樹』の『種』、譲渡完了。
さあ、もう『上』へ戻りなさい」
こくん、と喉の鳴るのを確認してから、女は口を閉じさせる。
ふわっと体が、明るい上へ浮かんだ。
「出来ればこの『種』を芽吹かせないように」
徐々に離れゆく女の声を拾う。熱のこもった言葉のあと、ひどく物悲しい呟きが女の口から漏れる。
「無理だろうことは、理解してはいるのですけど」
この言葉も、あの情景も。
全ては上へ昇り、『芯』が肉を纏うごとに奥深くへと閉じこめられ。
それを『伽羅橋歌乃』が識ることはなく。
祈りはたった二日で潰え、『種』は、芽吹きを迎えるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
今回のおまけ(予定)は、
『山井の謝罪とその後』(山井視点)
『聖川光明の暗躍』(光明視点)
百合要素はほとんどない上にNL要素とか、あととにかく光明が気持ち悪い予定なので閲覧は自己判断でお願いします。




