召喚から二十四、二十五日~心のままに進め
更新空いてしまって申し訳ありません。
難産でした。
また長文&活動報告におまけありです。
サフィ様の忠告から二日目。
彼女から聞かされた「アルスニック・ドリュール」を調べると、どうやら上位貴族であることが分かった。
分かったが、言い換えるとそれだけしか分からなかった。
勇者に好意的で、出資もかなりの額を出している。魔族撃退の為の派兵にも乗り気で、私兵の練度も騎士団に近いレベルらしい。
良い所も悪い所も含め、典型的な貴族。とは、エミー様の談。
正直、対処のしようがなかった。
とりあえず暗殺されないように、人の気配に神経質になった。
けれど異変なんてものは音もなく忍び寄ってくるのが定石で、二日目の今夜それは唐突に訪れた。
「いつもと道順が違うみたいですけど」
私の問いかけに、毎回サフィ様の元へ案内してくれる侍女さんが振り向く。
その顔に浮かぶ表情は彼女からは初めてで、でも普段からひどく見慣れているものだった。
嫉妬と羨望。
それは、『あの男』が放つ謎のカリスマ性に魅せられた奴らが私へ向ける顔だ。
「いいえ、合っていますよ」
彼女が答える時には、既に私の体は声から背を向けていた。
だが、それはあちらも想定済みだったのだろう。
「駄目だよ、うた。逃げるなんていけない奴だ」
聞きたくもない声を聞き、感じたくもない温度を右肩へ受ける。
振り向いた視線の先、何もなかったはずの空間がゆらりと歪んでいく。
現れるのは、栗色の波打つ髪。少女漫画のヒーローかと見紛う程の整った顔。
しかし、張り付いた笑みはヒーローとは似ても似つかない歪さを持っていた。
「聖川、光明」
見上げる私の目は決して好意的ではないはずなのに、何が嬉しいのか奴の目には喜色が浮かんでいる。
「悲しいなぁ、うた。僕のことは「こうちゃん」って呼べって何度言えば分かるんだ?」
「触らないでください」
私の髪へと伸びた奴の手を全力で払う。
日本ならば痛みを与えることも出来たかもしれないが、ここは数値化された世界だ。私の全力は物理耐性値の高い奴に、何の痛痒も与えてくれない。
全くもって、くそったれな世界だ。
「おっと、乱暴だな。昔はこんなことする奴じゃなかっただろ?
治石や二雁といるから良くない影響を受けるんだよ」
「何か用ですか」
遼や葵ちゃんのことを言われて一瞬、怒りが湧くがそれを無理矢理ねじ伏せて問いかける。
ここで反論しても水掛け論になるのは分かりきっている。こいつは私の話を一切聞かない。
黙って逃げようとしてもまた肩を掴まれて始めからになるだろう。それならば用件をとっとと済ませて一秒でも早くここから去った方が賢明だ。
「まあまあ、久々にゆっくり話せるんだからさ。
最近は二雁や治石達だけじゃなく、寺生なんかも邪魔してくるから本当に困るよね。忌々しい」
柔らかな笑顔で天気の話をするかのようにクラスメートへの毒を吐く。
その瞳は硝子のように何も映していない。こいつにとっては、仲間意識なんて欠片もないんだろう。
忌々しいのはお前だよ、くそが。
「約束があるので、早く用件を言ってください」
再度の催促に、浮かんでいた奴の笑顔が消えた。
「ねぇ、君。うたを案内してくれてありがとう。
今日はこれで大丈夫だから、帰って貰っていいかな」
殊更甘い声で、いつの間にか奴の背後に控えるように立っていた侍女の髪を撫でる。女のとろけるような笑みが、奴の肩越しに見えた。
「は、はい……あの……コウメイ様」
「うん、分かってる。またね」
女は名残惜しそうに奴へ振り向きながら暗い廊下の先へ歩いていく。
一瞬、空間が揺らいだかと思うと女の姿は煙のように消えていた。
「魔法って便利だよね。あ、属性スキルって言うんだっけ?
僕の光属性スキルって、こういう使い方も出来るんだ。光学迷彩が作れるなんて思わなかったよ」
声の甘さはそのままに、私へ向き直った奴の顔に表情はなかった。
「ねぇ、うた」
一歩、近付く奴から私の体が思考より早く後ずさる。
「約束ってさ」
二歩、三歩、徐々に早くなる奴の足に私の足もならうように早く動く。
「あの第一王女とだよね」
「近寄ら」
近寄らないで、と言いかけた口から、代わりに悲鳴が漏れた。
「痛ぅっ」
もつれて転びかけた私の腕を奴が掴み、そのまま壁へと押しつけたのだ。
背中の痛みに顔が歪むのが分かった。奴は私の様子を気にすることなく、息がかかる距離で自分の言いたい言葉を私へ叩きつける。
「ねぇ、あの女の何が良いの? うたは馬鹿だから、王族なんて肩書きに騙されてるのかな? 目をかけて貰えて浮かれちゃった?
でも、うたはあいつが裏じゃなんて呼ばれてるか知ってる? 知らないよね、うたは何にも知らないんだ。
うたは馬鹿で世間知らずで、僕がいなきゃ何にも出来ないんだよ。いい加減、そこだけは分かりなよ。
『うたが金さえ渡せば何でもする』って噂だって、なくしたのは誰だった? あの女は何も出来なかったろ? 二雁や治石だって、何にも出来なかった。
……僕だよ。今までも、これからも、うたを守れるのは僕だけなんだよ。
お前に必要なのは、あの女じゃない。二雁でも治石でもない。ましてや真壁や寺生でさえない。
うたのヒーローは僕だ。お前の幼なじみである、聖川光明なんだ」
骨が軋むほどの力で掴まれた手首が痛みと気持ち悪さを私の脳へと送る。
何なんだ、本当に、こいつは一体何なんだ。
何で私に、私へ、こんなに執着するんだ。
ただ親同士が、幼なじみだっただけで。
何で、こいつは。
「触らないで、ください」
怒りと困惑と、他にも言語化出来ない激情が私の体を駆け回る中、自分の口から出た拒絶は笑えるくらい弱々しかった。
奴の得体の知れない私への執着が、恐怖になって声を弱らせる。
何がスイッチとなるか分からない状況で、迂闊なことは言えない。
正解が分からない状況が怖くて、でも逃げる選択肢はなくて。
百合ちゃんに助けて欲しい。
でも、百合ちゃんはここにはいないから。
自分で、何とかしないと。
「あなたの言う通り、サフィール王女との約束があります。
用件はないようですし、王女を待たせては申し訳ないので、これで失礼します」
一度深く息を吸い、奴へ言葉を返す。
きちんと奴の目に、目を合わせたのはいつ振りだろう。目は合っているのに視線が合っていない奇妙な不快感。
こいつは、私に何が見えているんだろう。
「はなして、ください」
奴の手が緩む。圧迫されていた血管を血が巡り始め、右手がじわっと熱を持つ。
どれだけ強く掴んでたんだよ、くそが。
「おかしいなぁ」
「なっ」
ぐいっと、頬を両手で掴まれた。
無理矢理上げさせられた体勢に、首が痛みを訴える。
一瞬、キスでもされるのかとおぞましい想像が走るが、奴は何もせずに私の目を心底不思議そうな顔で見つめていた。
「うたの中に、僕がいない」
ひゅっと、失敗した呼吸が私の口から鳴る。
恐怖が、限界に近付く。
血の気の引いた体が、寒さを訴える。
理解不能な言葉や行動。
これは、本当に、私と同じ人間なんだろうか。
「お前は二雁で何の学習もしなかったんだね。本当に、馬鹿な奴だ」
奴の顔へ表情が戻る。哀れむようなそれに、困惑が頭を占める。
「そうだ、そうだよ。昔は僕だけ見ていたのに。あいつが首を突っ込んでから、うたはおかしくなったんだ。
腹立たしい。腹立たしいよ、本当に。
この世界なら、また僕の元へ戻ってくるかと思ったのに、今度はあの女が邪魔をする。
『マルブルの歌鳥』だなんて、冗談じゃない。うたはあの女のものじゃない。
うたは、僕のものだ」
怨みがましい言葉に関わらず、奴の表情はすっきりしたものだった。
長年の謎が解けたかのように、晴れやかな声で奴は笑う。
「そうだ、そうだね。焦らず一つずつやっていこう。
まずはあの女だ。あの女をうたから引き離そう。
仲間も出来たし、ちょうどいい。
あの女の化けの皮を剥がしてあげる」
満足そうに笑ったまま、奴は手を下ろす。
体を支えていられず、私は逃げ場を奪った壁へ背を預ける。
「おやすみ、うた。今日はあの女の所へ行ってもいいよ。
明日には自分から離れることになるんだからね。
お別れでも言っておいで?」
奴が私へ背を向ける。
安堵で笑いそうになる膝に、必死で力を込める。
「ああ、そうそう」
まだ何かあるのか。
振り向いた奴の顔から、私は目をそらす。
「言わないから不安になったのかな。
うた、好きだよ。愛してる。
早く僕の元へ帰って来て、お前の口からもちゃんと、言葉を聞かせて?」
何で、私は聴覚強化なんてスキルを持ってるんだろう。
この世で最も聞きたくない言葉に、私は耳を塞ぐ。
声は鼓膜にへばりついたまま、私の脳から離れない。
遠ざかる足音に、張り詰めていた糸が切れる。
ずるずるとしゃがみ込み、誰もいなくなった廊下で縮こまる。
「助けて、百合ちゃん」
泣き言がこぼれるほど、私を恐怖で縛り付ける想いが『恋』だと言うなら。
私は、一生、恋愛なんて知りたくない。
「あの、大丈夫でしょうか」
どれくらいしゃがみ込んでいたのか。プレーヤーで確認を取ると十分ほどだった。
永遠かと思うくらいに長く思えたが、実際はそれほどでもなかったらしい。
顔を上げた先には、どこかで見たような覚えのある侍女さんが立っていた。
「すみません、大丈夫です」
「お顔の色が優れないようですが……立てますでしょうか」
「あ、はい」
乾いた口から出した声は普段通りに戻っていて、ほっとする。
侍女さんは心配そうに眉を下げて、私に手を差し出す。それを受けて立ち上がると、レモンイエローのショートヘアを揺らした彼女は同色のたれ目を細めて微笑んだ。
「カラハシ様、でしたよね。お部屋までお送り致します」
「あ……いえ、これからサフィール王女様の」
言いかけて、声が出なくなる。
サフィ様の所へ行って何をするのか。昨日までと同じように音楽会?
ざらざらとした不安が全身を駆け回る中、いつもと変わらずに私は過ごせるだろうか。
「化けの皮を剥がす」だなんて言葉を聞いたら、あいつがサフィ様に何もしないとは絶対に考えられない。
思い出すのは、昔の記憶。
私のせいで、葵ちゃんが謂われのないレッテルを貼られて孤立した過去。
またあれを繰り返すのは。
嫌だ。
「カラハシ様?」
「サフィール王女様の部屋へ行く所でした」
言いかけて一度口をつぐんだ私へ、レモンイエローの侍女さんは首を傾げ答えを促す。
言いかけた言葉をそのまま放つと、侍女さんは何故か目を見張った。
「行かれるのですか?」
「え?」
どういう意味かと、尋ねる前に侍女さんは更に口を開く。
「いえ、御気分が悪いようでしたので、すぐにお部屋に戻られるのかと」
「ああ、大丈夫です。座っていたら落ち着きましたので」
「そうですか」
分かりました。と、一つ頷いて、レモンイエローの侍女さんは現在位置の分からなくなってしまった私をサフィ様の元へと送ってくれた。
侍女さんの背中を追う。
良くしてくれたサフィ様に、これ以上迷惑をかけないよう、「さようなら」をしに。
「あ」
「カラハシ様?」
「いえ、独り言です」
この人、初日に食事を持ってきてくれた人だ。
* * * * *
いつもよりも三十分近い遅刻をした私を、サフィ様はいつもと同じように待っていた。
「ウタノ様、何かありましたか」
サフィ様は硬質的な瞳をいつもより細めて私へ尋ねる。
待たせたからか、普段よりも機嫌が悪そうに見えた。
「お待たせして、すみません」
まずは謝罪をするが、「そちらについては特に問題ありません」と流されてしまう。
「迎えに行かせた者と違ったので、何かあったのかと思いました」
「ああ……それ、なんですが……」
私の背後に立つレモンイエローの侍女さんを鋭い瞳で見据えるサフィ様へ、ざっと事の成り行きを話す。
奴が侍女を籠絡したこと、私への執着をこじらせてサフィ様へ危害を加えそうなこと。
その二つを話し、「なのでお部屋に来るのも今日で終わりにしたいと思います」と言おうとした時だ。
「申し訳ありません」
唐突に、サフィ様から謝罪をされた。
「サフィ様?」
「私の軽率な行動でウタノ様に嫌な思いをさせてしまいました」
「そんな……むしろ、私がサフィ様に甘えたせいでこんな面倒に巻き込んじゃって……すみませんでした」
サフィ様のせいでは決してない。
こうなることは今までのことから、私は予測出来たはずだ。
これは私のミスだ。
けれど、慌ててし返した謝罪を、サフィ様は頑として受け取ってはくれなかった。
「いいえ、これは私の失態です。先ほど、ヒジリカワ様には協力者がいると仰られていましたよね?
それが先日お話したアルスニック・ドリュールで間違いありません。
ドリュールがヒジリカワ様と接触をはかったことは報告を受けていましたので」
淡々と話された内容に、頭がついていってくれない。
奴がこちらの貴族と繋がっている。それが頭に浸透した時、私の口からこぼれ出たのは先ほどと変わることのない謝罪だった。
「ごめんなさい。やっぱり、私がサフィ様に迷惑をかけているんです。すみません」
私が関わらなければ、奴がドリュールとか言う貴族と結託することもなかった。
勇者の中でも覚えのめでたいあいつがサフィ様と敵対しでもしたら。
それはサフィ様だけでなく、他の王族にも迷惑がかかってしまう。
あの時のように、また私が関わったせいで。
「いいえ。これはウタノ様のせいではありません。
むしろ私がウタノ様と懇意にしている事を知り、ドリュールがヒジリカワ様を利用したのでしょう。
……あれは、私を良く思っていませんので」
またサフィ様から否定が入る。
このままだと「いやいや、私が」「いいえ、私が」と中身のない謝罪合戦になりそうだ。
「きりがないんで、『ごめんなさい』は置いておきませんか」
「そうですね」
私の提案に、サフィ様は至極真面目に頷いた。
「……それで。聖川は私とサフィ様の接触が気に入らないようなので、サフィ様と距離を置いた方が良いんじゃないかと私は思ったんですが」
仕切り直しと、私は一度咳払いをしてから本題を告げる。
サフィ様は机に置いた手を、指を組ませながら聞いていた。
「私も」
少しの間の後、厳かにサフィ様も口を開く。
「私も、ウタノ様とは距離を置くべきだと考えていました。
このままでは私のせいでウタノ様へ危険が及ぶかもしれませんので」
そこで話は終わったとばかりに、サフィ様は目を伏せる。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
だから何でそうなるんだよ。
「だから、今回のことはサフィ様のせいじゃなくて私のせいだって言っているじゃないですか。
聖川光明が私へのおかしな執着をこじらせてドリュールとか言う貴族と結託して何かやらかそうとしてるって。
サフィ様は何も悪くないんです。悪いのは私なんです」
「……お言葉を返すようですが、ドリュールがヒジリカワ様を選んだのは、ひとえに私があなたに目をかけていたからです。
ヒジリカワ様をけしかけることで、私と関係のあるウタノ様を攻撃しようとしたのでしょう。
謝罪すべきはあなたではなく、原因である私です」
私の説明を聞いても、一ミリも自分の主張を曲げないサフィ様に、自分の眉に力が入るのが分かった。
置いていた「ごめんなさい」は速攻で場に戻ってくる。
さっきまで理解不能な生き物を相手にしていた私は、自分の予想以上に疲弊しているのだろう。一般人よりも高い精神耐性を持っているはずなのに、苛立ちの現れが眉間を痛くさせている。
普段なら言わないような悪態が、思わず口をついて出た。
「サフィ様って、思った以上に分からず屋ですね」
「ウタノ様こそ、想定よりも頑固でいらっしゃいます」
まさか言い返してくるとは思わなかった。
この人、私より年上じゃなかっただろうか。
「何で分かってくれないんですか」
髪が乱れるのも気にせず、掴む。
ぐっと髪を掴む手に力が入り、頭皮の引っ張られる感覚がぎりぎりと音を立てて軋む理性を寸でで保つ。
「悪いのは私なんです」
私がいなければ。
葵ちゃんがいじめられることはなかった。
家族が引っ越すこともなかった。
私が、あんな奴に目を付けられたせいで。
「ウタノ様は」
視線を下げた私へ、サフィ様はいつもと変わらない声で問いかける。
顔を上げない私は、彼女が今どんな表情をしているか分からない。
「ウタノ様は、責められたいのですか。ヒジリカワ様の起こしたことをご自分の責と思い、叱責されたいのでしょうか。
ですが、ヒジリカワ様の起こしたことは彼の責任です。あなたが咎を負う必要は、ないのです」
ことん、と胸から胃へ何かが落ちる。
顔を上げる。サフィ様はどこかが痛むように、少し目を細めてこちらを見つめていた。
ずっと、私が悪いのだと思っていた。
奴が私の心へ染み込ませた言葉の数々が呪いとなり、私の思考を凝り固めていた。
言われてみればその通り。奴が何かをしたとして、それは奴の責任であって私の責任にはならない。
何で今まで、忌々しい奴の責任を連帯で背負おうと思っていたのだろうか。
もちろん、私を求める奴が起こしたことで誰かが迷惑を被るのは心情的に気持ちいいものではないが、それでも咎められるのは私でなく奴になるべきだ。
何で、こんな単純なことに、今まで気付かなかったのか。
でも。私は滑稽な自分を気付かせてくれたサフィ様へ問いかける。
「それならドリュールとか言う人の起こしたことも、サフィ様のせいにはならないですよね?」
自分のことは自分で分からないものなんだろう。
そう思って尋ねるが、サフィ様は緩く首を振った。
「いいえ。これは、私の……違いますね。
私が、負わなければならない責なのです」
どういうことだ。
私は、また自分の眉間に皺が寄るのを感じた。
「ねぇ、サフィ様」
「はい」
名前を呼んで答えてくれたサフィ様へ、私は一度深く息を吸ってから声を出す。
「もう、回りくどい言い方は止めにしませんか」
奴との遭遇で黒い靄がかかったように狭まっていた視界が、サフィ様の言葉で明るく晴れた。
今は何だか粘度の高い水の中を泳ぐようなもどかしさを感じる。
私は元々腹のさぐり合いだとか、策略だとかは苦手なんだ。人の心の機微を察するだとか、そういうのも得意じゃない。
奥歯に挟まった物は、とっとと取って話すなら話して欲しい。
今の私の話のように、傍から見ればなんてことはない杞憂であるかもしれないのだから。
私はサフィ様の了承を得ずに、自分から彼女の面前へ座る。
いつも感じる面談のような空気。
でも今回は立場が逆だ。
「私は自分がサフィ様と離れた方がいいと思った理由を話しました。ですが、それはサフィ様にとってはおかしな話だった。
じゃあ、今度はこちらの番です。あなたが私と距離を取るべきだと思う理由をどうぞ。
話してみれば私の話のように、考えすぎの笑い話になるかもしれない」
こうやって向かい合っているのに、手を繋がないのは初めてだ。
何だか右手がむず痒いような感じがする。
「ウタノ様に話すことはありません。
これ以上、あなたを巻き込むわけにはいきませんので」
サフィ様は私の質問に一度目を伏せ、目を開けてから答える。
私を見据える鋭い視線に、私は思わず笑ってしまった。
多分、今の私はとても悪い顔をしている。
「サフィ様、駄目ですよ。
私はもう巻き込まれてる。私達はもう関わってしまったんです。
だったらこれからの判断は自分でしたい。あなたからの判断で行動するのは今の段階では納得がいかない。
ああ、サフィ様が私の事情を知って関わりたくないと思うのであればそう仰ってください。
そうであるなら、私はこのまま帰ります」
意地が悪い言い方だ。
そう言われて、サフィ様は「では迷惑なのでお帰りください」と言えるような人じゃない。
私は、言えない。だからこの言い方をしてみた。
サフィ様が私に似ていると言うなら、絶対に釣られるはずだ。
ふっとサフィ様の目元が緩む。
「中々に意地の悪いことを言いますね」と目元に力を入れ直し嫌味を返す。
「だってずるくないですか。私は全部話したのに、サフィ様はだんまりだなんて」
「ずるいずるくないの話ではないと思うのですが」
いや、そう言う話だよ。
お互いの「離れた方がいい」と言う主張は共通してるんだ。
それを私は、本当は理由なんか聞かないで「それじゃあ、さよなら」で済む話を引っかき回しているのだから。
私がしているのは理性的な部分じゃなくて、もっと気持ち的なものを納得させたい行動。
詰まる所私は、「あなたの為です」と言いながら身を引こうとするサフィ様に苛ついているのだ。自分も同じことをやっていたのは棚上げにして。
自分勝手な理由で私は、恐らくこの人の一番触れられたくない部分に土足で入り込もうとしている。
だけど、きっと、ここで行動を起こさないと私達の繋がった縁とやらは断ち切れてしまうだろう。
それは、余り良い気分ではないと、私の心が軋んでいた。
「以前、私はウタノ様に『蒼』についてお尋ねしたと思います」
「ああ、ありましたね」
何度か唇を動かし、言葉が出ずに言い澱んでいたサフィ様は、私の見つめ続ける視線に耐えきれなくなったのか、ついに言葉を発した。
「私はあなたの思う『蒼』に対してこう言いました。私が思う蒼とは随分違う、と」
「そうでしたね」
私が相槌を打つと、サフィ様は自分の胸にかかる蒼い髪を摘む。
サフィ様の自分の蒼へ落とした目には、暗く澱む熱があった。
「『蒼』は、パルテネ王国……いいえ、このカダレフ大陸では有り得ない色です」
そこまで言われて察せない程、鈍いつもりはない。
もしかして、魔族の髪や目って。
「三百年前の勇者召喚も目的は魔族の討伐でした。あの時は邪神の復活ではなく、崇められていた邪神を唯一神にすることが魔族の目的でした。
その戦いで、私達カダレフ大陸の人々は初めて魔族を知りました。
……当時の文献には、こう記されています」
サフィ様は指に絡めた蒼い髪をぐっと握り締める。
「“その者達、恐ろしき風貌と魂器を持ち我が大陸を侵略す。
奴等は言う、世界を覆う空と海の色を持つ我々が覇者となるのがふさわしいと。
見る者全ての魂を凍らすかの様な寒々しい蒼さ。
髪、瞳、肌までもが蒼に染まったおぞましき姿は、我々人族と絶対に交わらぬことを示すかの様だった。”」
白い指が蒼い髪を放す。はらりと手から逃げた蒼い髪は、灯りに煌めきサフィ様の目を痛める。一度閉じ、開いた瞳にはもう暗く澱んだ熱は潜められていた。
私は硬い表情に隠されてしまった熱を追うように口を開く。
「でも……」
言いかけた音は、舌で貼り付いて最後まで出て来なかった。
でも? その次に何を言おうとした?
髪と目だけであっても、魔族と同じ特徴を勇者を召喚すべき国の王族が持っている。その事実がどれだけの重さなのかは簡単に想像出来る。
そこにたかが十六年しか生きていない、政治も何も関わったことのない小娘が何を言える?
訳知り顔で陳腐な台詞を吐いた所で赤面の原因にしかならない。いや、赤面で済めばいい。実際は後悔と恥にしかならないだろう。
「私の問題はそれだけではありません」
私の言葉を待っていたサフィ様は、言葉が続かないのを見て、自分の話を続ける。
まだこれ以上の話があるって言うのか。
「パルテネ王国には邪神封印の方法を授けて下さった主神様より賜ったものがあります。
『四方の神宝』と総じて呼ばれる四種の魂器です。
まだお教えしていませんでしたが、魂器には一代型と継承型があり、『四方の神宝』はパルテネ王国の王族に代々受け継がれる魂器です。
この魂器を受け継ぐ為に、パルテネ王は必ず四人の子を成します」
サフィ様の表情は変わらない、いつもの淡々としたもの。
だけど、分かっている。この告白が、どれほど彼女の心の傷を広げる行いなのか。どれだけ酷な行いなのか。
分かってる。
だが止めない。目もそらさない。
望んだのは私だ。
建前だとか屁理屈だとかを取っ払った先で、私が望んだんだ。
まだ、この人と手を重ねたままでいたいと。
「『四方の神宝』は四種類の魂器です。
絶対の守護者を現す『栄光の両手』
この世界で唯一残された召喚手段『異次元の鍵』
勇者召喚を指示出来るパルテネ王である証『神の祝印』
邪神の力を防ぐ『邪封の瞳』
……ウタノ様は私の魂器は覚えていらっしゃるでしょうか」
サフィ様の口角がわずかに上がる、嘲笑の形に。
何度か見た彼女の魂器の名前は、確か。
『究理のモノクル』だ。
「これは目安ですが、この大陸では大体の国が五つか遅くとも七つになるまでは魂器を顕現させません。理由は強力な魂器の場合、分別のつかない年で行うと制御出来ないからです。
蒼い髪と瞳を持って生まれた私は五つの顕現の儀まで腫れ物に触るような扱いを受けていました。四年前の魔族からの宣戦布告までは、この大陸の者達にとっては蒼の恐怖は昔話に過ぎませんでしたから、まだどこか遠い話だったのでしょう。
母は髪こそ艶やかな紅ですが、瞳は青みの強い紫です。それが強く出たのだろうと、むしろ可哀想なものを見るような視線がその当時は強かったように思います」
サフィ様の口は止まらない。先ほどまでの言い澱む様子は幻だったのかと思うほどに饒舌に喋る。
空気も、今まで張り詰めていたものがなくなっていた。
くつろいでいるものとは違う、どこか捨て鉢な空気。私はこれを知っている。
これは、決壊だ。今まで抑え込んでいたものが、少し開けた口を壊し溢れているのだ。
「ですが、それも顕現の儀が始まる前まででした。
側室より遅れて、正室がようやく生んだ子供。魔族と同じ蒼い髪と瞳を持つ王女は、『四方の神宝』をその魂に持っていませんでした」
サフィ様はそこまで話すと、自分の両手を見つめる。真っ白な肌に薄ら浮かぶ緑がかった青い血管を見つめる。
「血を疑われました。不義の子と囁かれ、母が声を出さぬよう泣く場面を何度も隠れ見ました。
王や側妃、彼女の子達は私達母子を王族から退けようとする家臣達の進言を拒絶してくれました。
その後、正妃たる母から生まれた王子は王と同じ紅の瞳を持っていました」
嘲笑の形に上がった口角はそのまま、サフィ様は穏やかに瞳を細める。
「それから五年後。第二王子の顕現の儀が行われました。
側妃の子である第一王子が『栄光の両手』、第二王女が『異次元の鍵』
残っているのは『邪封の瞳』と『神の祝印』
蒼の姫は願いました。『神の祝印』は顕れないで欲しい、と」
握り締めた両手は当時の願いの再現か。開かれた手には薄く爪痕が残っている。
「酷い姉です。そのような浅ましい願いを神が叶える訳がありません。
第二王子が顕現させたのは『神の祝印』
母は不義をはたらいた女から一転、次代の王を産んだ国母に変わりました」
サフィ様は微笑む。
今までの鉄面皮は何だったのかと聞きたくなるくらいに、表情を短い間に変えていく。
まるで封じ込めていた暗い熱を吐き出すごとに、表情を取り戻しているようだ。
「先ほども言いましたようにパルテネの王は四人の子を作ります。『四方の神宝』を継ぐ為に。
そして四人以上の子を持ちません。それが神との盟約でした。
まだ顕現しない『邪封の瞳』の為に子をもうけるべきだと家臣達は進言しましたが、王はこれも拒否しました。
既に子は四人いる、と。
髪も目も魂器も不出来な私をまだご自分の子であると仰ってくださいました」
アダマン王の言葉を思い出してか、彼女の顔が一瞬くしゃりと歪む。
しかし、それはすぐに笑みに戻り、サフィ様は一度息を吐いて話を続けた。
「王の言葉に応える為に政だけでなく様々な学問を学びました。女だからと舐められないよう、武も鍛えました。
ですが何をしようと、私はこの国では『邪悪なる蒼』でしかありませんでした。
アルスニック・ドリュールは私をマルブルと呼ぶ筆頭です。彼は今の地位に満足していないようですから、この綻びを喜々として攻撃しています」
そこまで話すと、サフィ様は口を閉じた。おおまかにだが、吐き出すだけ吐き出し終わったらしい。
少しだけ沈黙が流れる。サフィ様はこちらを探るように見つめていた。
私は頭の中が整理し終わってから、口を開く。
「まとめると、サフィ様が私との関わりを切りたい理由は、出世欲に駆られたドリュールが一番攻撃し易い王族のサフィ様に目をつけているから。
そして、その攻撃部分は魔族と同じ蒼を持ち、王族なら持っているべき魂器を持っていなかったから。
サフィ様はその為に攻撃されるのは仕方ないと思っているってことで良いですか」
「ええ、概ねそうですね。冗長に話してしまったので、まとめて頂いて感謝します」
にこりと笑い、サフィ様は机に両肘を突き、組まれた指に顎を乗せる。
どこぞの司令官のようなその格好は、表情豊かになった彼女になかなか似合っていた。
「これを聞いて、あなたはどうなさいますか」
挑戦的な瞳と言葉。
固く封じられていた扉を開けた先にある彼女は、今までのサファイアを思わせる硬質さとはかけ離れている。
これが彼女の本質なのかと少し思うが、それはないだろう。
私も経験がある。抑え込んでいた感情を吐き切った反動でいわゆる「ハイになってしまう」のだ。それに、抑えていたせいで感情の出し方も加減が難しくなる。
「私は、サフィ様の心に響くような言葉を持ちません」
私の言葉に、サフィ様の眉が薄く寄る。
「誰が何を言っても、サフィ様の心には傷にしかならないでしょう。周囲の心ない言葉に傷ついたあなたは確かにいたんだから、ここであなたの蒼について否定した所で意味がない。
家族から愛情を受けているのもサフィ様なら指摘せずとも理解しているでしょう。
私だったら訳知り顔で何か言われても「そんなこと分かってるんだよ」と心の中で舌打ちします。頭では分かってても心が納得していないんですから。
だから私は、あなたの心を癒す言葉も軽くする言葉も言えません。
……でも、話を聞く場にはなれます」
サフィ様は予想していない言葉だったのか、驚きでいつもより目が大きくなっている。
「経験談ですが、吐き出すとすっきりしますよ。話す前が辛いですけどね。
話を聞くだけで問題の解決は出来ませんけど、気持ちの整理は可能だと思います」
ゆっくり、だけど大きくサフィ様は瞬く。その様子が年より幼く見えて何だか可愛らしい。
「あ、でも。一つだけ良いですか」
「何でしょうか」
そうそう、これは別にサフィ様を慰める言葉でも何でもなく言いたいことがあったんだ。
「私の気持ちとしては、髪や目が蒼いだとか魂器が思ってたのと違うだとか、そういう本人じゃどうにもならないことをあげつらって攻撃する人間は大嫌いです」
「先日も、そう仰られていましたね」
「ええ、だから私はサフィ様が髪や目、魂器でどうこう責められるのはおかしいと思ってます。
ですので私の気持ちとしてはドリュールとか言うおっさんは敵です。あの男と組んでいる時点で敵認定は決まってましたが、更にヘイトを溜めてくれました。
えぇと、だから、ですね……」
自分の髪に触れる。百合ちゃんと同じ栗色の髪は私が最も手をかけて、唯一人へ自慢出来る箇所だ。さらさらとした感触を確かめるように指を通すと、湧き上がった恥ずかしさが少しだけ抑えられる。
「ですから……サフィ様が嫌じゃなければ、このまま話したりしたいなぁ、と……あいつは取っかかりをサフィ様にすると言っていたんで、ここで要求通りサフィ様と離れてもエスカレートしていくだけだと思うんですよ。だったら、共通の敵としてサフィ様と協力してた方がいいかなって。
あー、っと……ちょっと今から恥ずかしいこと言いますね」
「どうぞ。気兼ねなく仰ってください」
今度はこちらのアドレナリンが上がる番だった。
いつの間にかサフィ様は元のテンションに戻ってしまっている。司令官ポーズも止めて、今度はいつもの面接官スタイルだ。
「私はサフィ様を友達、だと思ってます。だからこそ、まあこうやってサフィ様の事情にくちばしを突っ込んだわけですし……初めは迷惑かけたくないと思ったからこそ「さようなら」しようとしました。
でも本音を言えば、まだこうやって話してたいんですよ。サフィ様のたまに出すちょっとずれた天然ボケも面白いですし」
サフィ様が口の中で小さく「ずれ……天然ボケ……」と呟いている。
やっぱり自覚なかったんだ。いきなりサブレを「あーん」しようとするって、かなり天然な行動だからなぁ。
「私は人と違う魂器を持っています。この世界の人も、他の勇者も、私と同じ作りの魂器はまだ知られてません。
そんな異端な上に、笑ってしまうくらい弱い金食い虫の私を、サフィ様は見捨てず手を差し伸べてくれました。
……ああ、特記事項云々は良いです。それもあるんでしょうけど、それにしても構いすぎだと思いますよ。お菓子食べさせ合うのってビジネスライクな関係ならやらないでしょう?
とにかく、私は良くしてくれたあなたに好意を覚えました。友達になりたいと思いました。
あー、だから……話飛びまくってすみません……だから、外野にやいのやいの言われて「さようなら」するのはもったいないと思ったんです。
お互い、お互いの問題に足を踏み入れてしまったんですから、協力……出来るほど自分に力があるか分からないですけど……少なくとも私はサフィ様が吐き出す場所にはなれます。
だから、その……改めて、お互い……頼れる者に、なりませんか?」
舞い上がると舌の回転も良くなる。内容の出来不出来は別にして。
さっき偉そうに「何も言えません」とか言っておきながら、しっかり自分の主張は伝えてるし。舌の回転が早くなったからか、舌先すら乾く間もなく前言撤回してしまった。
天然と言われてショックだったのか、サフィ様は口元に手をやったまま固まってるし。
途中で止まると恥ずかしくなって強制終了しそうだったから言い切ってしまったけど、ちゃんとサフィ様に聞こえていただろうか。
「……ウタノ様」
「あ、はい」
プレーヤーの時計は十時近いことを知らせている。
たっぷり一分近く待たされたのち、サフィ様はゆっくりと言葉を出した。
「私を面白いと言われたのは、あなたが初めてです」
「え、そこ?」
私の背後で「ごふっ」と噴き出した音が聞こえた。慌てて手で口を押さえたようだが、空気が口から漏れてしまったようだ。金属のぶつかる音がなかったから、恐らく笑ったのはレモンイエローの侍女さんだろう。
サフィ様が私の背後をもの凄く睨みつけている。侍女さんが睨まれて急いで姿勢を直したのか、衣擦れの音がした。
「私を分からず屋だと言ったのもあなたが初めてです。私に蒼をどう思おうが自由だと言ったのもあなただけです。もちろん、菓子を食べさせ合ったのも初めての経験でした」
「はぁ……」
私が召喚されてから今日までを思い出しているのか、サフィ様は思案顔で聞かせるでもなく話す。
「ウタノ様」
「はい」
「私は友人と呼べる者がいたことがありません」
「え、あ……そう、ですか」
まあ、彼女の生い立ちを思えば想像出来るけど。
本人からの告白は、重い。
「ですからウタノ様と私が友人関係になるとすれば、あなたは私の初めての友人となります」
「はい、そうですね」
何だろう、サフィ様はいつもと同じ硬質的な雰囲気のままなのに、目だけがやたらキラキラして見える。
悪い反応ではないけど、予想となんか違う。
すっと、サフィ様は私へ左手を差し出した。
「ウタノ様の申し出、大変嬉しく思います。経験がないこと故、至らないこともあると思いますが、これからもよろしくお願いします。
ウタノ様、私からも言わせてください。
どうか、私の『初めての方』になって頂きたいです」
「サフィ様、言い方言い方」
あ、侍女さんは撃沈したっぽい。しゃがんだっぽい音がした。
微かに金属の擦れる音も聞こえるからフェールさんが必死に笑いの衝動を耐えているんだろう。頑張ってください。
「何かおかしかったでしょうか」
不思議そうに首を傾げるサフィ様は綺麗系な見た目に反して可愛い。
我慢出来なくなって、久しぶりに声を出して笑ってしまう。
「いえ、ごめんなさい。サフィ様が可愛くて、つい。
はい、これからよろしくお願いします。
むかつく奴らへの対応、一緒に頑張りましょうね」
「はい、お願いします」
気を遣って左手を出してくれたサフィ様に私も利き手を差し出して握手をする。
サフィ様は微笑んでいる。今まで無表情だったのは、気を抜ける場所がなかったからだろうか。
「ウタノ様」
「はい?」
「今日はこちらへ泊まっていかれませんか?」
「え?」
相変わらずサフィ様は手をなかなか離してくれない。
友達になってすぐのパジャマパーティーへのお誘いに戸惑い、びくっと手を引いてしまったのに、サフィ様の手から私の手が離れなかった。
「恐らく明日にでもヒジリカワ様は行動を移されると思います。それについての対応を検討したいと思ったのですが……これから話し合うと夜も更けてしまうでしょう。
それでしたら、そのままこちらでお休み頂いた方が効率的かと」
「ああ……そうですね」
葵ちゃん達も待たせてるし、これ以上待たせるなら「今日は戻らない」と言ってしまった方がいいかな。
「マルブルの歌鳥」と私を呼んだあいつは、サフィ様の立場を知っているはずだ。奴がそのカードをどう使うか今日の内に考えないと。
「じゃあ、それでお願いします」
「分かりました……シトロン、コモリ様に伝えて来てください。笑っていないで」
「んんっ……申し訳ありません。承知致しました」
再度サフィ様は私の背後を睨み指示を出す。レモンイエローの侍女さんは咳払いをして取り繕おうとしたが、声が震えていて取り繕いきれてない。
部屋から出る侍女さんへ振り向いて軽く会釈する。道案内のお礼だ。
侍女さんはおっとりと微笑んで礼を返してくれた。ちらりと目に入ったフェールさんはいつも通りだ。笑ってる所を少し見てみたかった。
「ではウタノ様のステータスを上げながら話しましょう。湯浴みはその後でもよろしいでしょうか」
「あ、はい。それでお願いします」
「ウタノ様はニカリ様やハルイシ様、ご友人と湯浴みをしていらっしゃいますよね」
「……一緒に入りますか?」
「はい、よろしければ」
そうか。お風呂も一緒か。
……そうか。
いや、別に良いんだけど。私はまず背と目つきを何とかしたいから、別に良いんだけど。
私の右手に左手を絡めるサフィ様の体つきは、凄い。
大きさこそ小森先生には及ばないが、葵ちゃん達より大きいし、何より全体バランスが圧巻の一言に尽きる。
そんな人と裸の付き合いをするのか。この発育不良の体が。
……そうか。
「ウタノ様」
「はい」
今日は何から始めようかとプレーヤーを開いた私へ、サフィ様が声をかける。
「あなたの言う通り、話したら少し楽になれました」
「それは良かったです」
「私にまさか友人が出来るとも思いませんでした。あなたとはこのまま、縁が切れてしまうと思っていました」
「私もそうです」
それが嫌だったから足掻いてみた。上々の成果を得られて良かったと思う。
「こうして笑うことが出来るようになるとも思ってもいませんでした……ありがとうございます。あなた方を無理矢理喚び出した側の者がこのようなことを言っていいのか分かりませんが……
私は、あなたに会えて良かった」
自然に笑うサフィ様は見た目よりも幼く、可愛らしい。
ついつい、私は彼女へ左手を伸ばす。
「ウタノ様?」
「頭こっちに向けてくれますか」
「はい」
素直にこちらへ顔を寄せるサフィ様の頭を撫でる。
見た目通り髪は硬めでコシが強い。でもサラサラで、手触りは良い。
「あの」
「手触りいいですね」
「……ありがとうございます」
絹糸をサファイアで染めたような髪を気の済むまで撫でる。
その間ずっと、サフィ様の耳は紅に染まっていた。
* * * * *
朝、食堂でみんなと挨拶する。
葵ちゃんはいつも通り微笑んで、鉄也くんは眠そうにあくびをしながら挨拶をしてくれる。
「おはよう」
「おはよう、歌乃ちゃん」
「おはよぉさん、からは……じゃなくて、歌乃……まだ慣れねぇなぁ」
……あれ?
いつもなら一番元気良く挨拶してくれる遼なのに、今日はぼぅっとこっちを見ている。
何だか目が赤い。寝れなかったんだろうか。
「遼、大丈夫?」
「あ、うん、大丈夫よ。おはよう、歌ちゃん」
力なく笑う遼の手に触れる。ぎゅっと握り返してくる力は、頼りない。
「遼?」
「ううん、ただ、昨日は王女様のとこで泊まったでしょ? 何があったんだろうって思って」
「ああ」
ここで話すのはまずいな。
後で話そうと口を開いた私へ、奴が声をかけてきた。
「やあ、おはよう、うた」
「……何か用ですか」
爽やかな笑顔の挨拶を無視し、関わってきた用件だけ尋ねる。
葵ちゃんも鉄也くんが苦々しい顔をする。多分、私もそんな顔をしているのだろう。
遼だけは目尻をつり上げて威嚇していた。
「ははっ、相変わらずだな。まあ、いい。
昨日の話は受けて貰えるよね」
朝一番に返答を要求してくるのは、流石に想定外だ。
だが、これは逆に良かったかもしれない。
「そのお話は夕食前にしましょう」
「そうか、うん、分かった。
じゃあ、いい返事を聞いて、お祝いの晩餐にしよう」
ご機嫌で私の頭をぽんぽんと叩き、背を向ける。
くそ、高ステータスな奴の手に反応出来なかった。食事に影響が出そうだ。
ステータスを確認したら、ばっちり嘔吐反射が上がっている。嬉しくない。
「歌ちゃんっ、大丈夫!?」
「あー、うん、何とか」
「おい、それより伽羅橋ぃ。あいつの今の話何なんだぁ?」
「歌乃ちゃん、私も気になるわ」
「あー、うん」
三人に問い詰められる。
私は吐き気が落ち着いてから、一度深く息を吐き、三人を見回した。
「話すから、手伝ってくれる?」
話した後、みんなに心配され、怒られたのは言うまでもない。
* * * * *
「うた、さっきの茶番はどういうことだ」
座学の終了後、言葉巧みに取り巻きを帰した奴は私へ詰め寄り前置きなく問いかける。
私の両脇に立つ葵ちゃんと遼が口を開きかけたのを制する。ぐっと手を握ると、二人は何も言うことなく口を閉じた。
「何がですか?」
「とぼけるな、あれはお前の入れ知恵だろう」
「そろそろ約束の一月になりますし、座学で魔族の特徴を説明するのはおかしな話ではないと思いますが」
魂石を使った道具で撮影した魔族の資料を教材にしようと言ったのは私だけど。
事前に映像を見せて貰って予想していたけれど、思った通り蒼い肌のインパクトが強くて蒼い目と髪を持っているだけで魔族と結びつけるのは難しいようで、クラスメート達はサフィ様の髪や目に何か言うことはなかった。
そこで私がサフィ様の髪や目に言及した。そうすれば私に対して必ず反発を見せる奴の取り巻き共がサフィ様の擁護に回る。そうすればこいつがいくら私に賛同してもクラスがそれを認めることはなかった。私を庇う奴の言動は認められたが、髪や目が蒼いだけで魔族と同列とみなす私の人間性を責められる。
かなり口汚い罵詈雑言に、演技でなく遼がブチギレ、場が混沌とする。そこへ奴が余計な情報を話す前に尾根先生が介入し、場を収拾したことでこの件はうやむやのまま、おしまいとなった。
こいつがサフィ様の事情を交渉カードとして使うならクラスメートの印象操作にだろうと考えていたが、この苦々しい顔を見ると当たっていたようだ。
上手く奴の策を潰せて良かった。
「うた、やっぱりお前は馬鹿だな。折角の僕の助言を無視して」
哀れむような眼差しを受けて、肌が粟立つ。じっとりと冷や汗が体に滲む。
「私は」
「ん?」
葵ちゃんと遼が手に力を込める。私はそれに押されるように、固まりかけた舌を動かす。
戦うと決めた。もう私だけの問題じゃなくなった。
私も、変わるんだ。
「私は、サフィ様から離れない。もう、彼女は私の友人だ。
サフィ様だけじゃない。葵ちゃんとも遼とも、鉄也くんとも離れない。
私はお前の所へなんて行かない。私から、友達を引き離すなんて、させない」
しっかりと見つめたこいつの目は感情が見えない。本当に、私のことを好きなのか疑いたくなるほど無機質な瞳。
その硝子玉のような目で私を見つめる。表面だけではない、奥の奥を探られる不快感に目をそらしたくなる。
限界を迎えるぎりぎりの所で、奴の視線は私から離れた。
「もういい、分かった」
独り言のように呟き、私から背を向ける。私達などいないもののように、さっさと部屋から出ていってしまう。
ほっと力の抜けた私の耳に、風が奴の最後の言葉を運ぶ。
「……何で……いないんだ……」
ああ、私の中にお前なんてひとかけらもいないんだ。
さっさと理解して、諦めろ。
「これでひとまず大丈夫そうかしら」
「だと良いけど」
葵ちゃんの手が離れ、汗をかいた手がひんやりする。彼女の言葉に返しながら、私は自分の髪に触れた。
「ん、遼?」
「ねぇ、歌ちゃん」
「ん?」
手を離さない遼の顔を覗き込む。少し俯いた彼女は、朝のようにいつもの元気さを感じられない。
「歌ちゃんは王女様と友達になったのよね?」
「うん、まあそう」
少し癖のある遼の髪が、俯いた彼女の顔を隠している。
「じゃあ、ここに残るとか、考えてる?」
「それはないよ」
遼の質問に即座に返す。
それはない。私は地球に帰りたい。
百合ちゃんに会いたいんだ。
「絶対に帰るよ。私は帰りたい。
……遼や葵ちゃんと一緒にね」
顔を上げた遼の顔は出会ったばかりの頃のように、少しだけ幼さがあった。
「ほんと? 私達と一緒に帰る?」
「もちろん」
ホームシックになったのか、少し情緒不安定になっている遼の手を握り直す。
「一緒に、帰ろう」
大切な人のいる地球へ。
お読み頂きありがとうございました。
活動報告のおまけの内容は以下になります。
「歌乃がサフィールの部屋に泊まった夜の鉄也と遼の会話(鉄也視点)」
今回のおまけは遼の心情メインになります。




