紅い砂漠と傭兵の国
葉狸の里を出て、地図をもう一度開いて方向を確認してから、アタシ達は街道に沿って歩き出す。
誰が敷いたのかは分からないけれど、街道は石畳で出来ており、経年劣化でごつごつとはしているが道を見失うことはない。
葉狸の里から歩くこと数時間、分かれ道の看板が見えてきて、そこに書いてある文字を確認する様に目を細めて見上げる。
『西:ハルバディア、流砂の砂漠
北:ヘルメア
東:レイニーツリー』
「ヘルメアに行くには北の道なのね……ごめん、ジーク」
「なにがだ?」
「すぐにでもヘルメアに行きたいでしょうに、アタシのワガママで」
「俺は行きたいと言った覚えはないな。ユーリが行くと言ったからついていくだけだ」
「……アンタってほんっと憎たらしいくらいに男前ね!」
背中をバシバシと叩けば結構痛かったらしくジークは噎せていた。
看板を後にして少し進むと、そこはもう砂漠の入口らしい。じわじわと上がる体感温度に汗が止まらなくなってくる。
時折吹く風は心地よいものの、乾いた風は水分を奪っていく。
砂漠の入口から少し行ったところに割と大きめの商店を見つけた。
「あら、こんな所に商店があるなんて」
「お店!?お店なの!?モモの果実のジュースをくださぁい!!」
喉が渇いていたらしいティーズがふくろから飛び出してその商店へと飛び込むのを追いかけて行く。
「ごめんくださーい……うっわラクダ」
覗き込んでの第一声がそんな言葉になってしまったのも仕方が無い。
ラクダが何頭も雁首揃えてこちらを見つめていたのだ。
「おぉ、いらっしゃいませ!こちらでは、流砂の砂漠を越えられる旅人様にラクダのお貸し出しをしているんです」
なんとそこは砂漠越えの為にラクダのレンタルサービスを行っている貸しラクダ屋だという。渡りに船とはこの事ね。
ラクダ商人が言うには、この流砂の砂漠は歩いて行くのは厳しいと断言されて、現代社会の便利さに慣れきったアタシは即金でラクダ二頭のレンタルを決めた。
「ありがとうございます!流砂の砂漠が終わる場所に私の弟が営む貸しラクダ屋があるので、そちらにラクダを返却していただければ大丈夫です!」
「わかったわ」
「それでは、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
ラクダの手綱を渡され、丁寧に頭を下げる商人の顔には心配、の色が浮かんでいる。
ラクダが無事帰ってくるかも心配なのだろうが、純粋にアタシたちの心配もしてくれているらしいその顔に、荒んだ心が癒されるのを感じた。
大福みたいな体型の心優しい商人に手を振ってから、ラクダに乗ろうと鞍の鐙に足をかける。
ひょい、と軽く乗ったアタシを尊敬の目で見ているティーズは、アタシが乗ったラクダにやたら気に入られて涎まみれにされていた。
体洗うまでくっつかないでね、ティーズ。
「ジーク、早く乗んなさい」
「あ、あぁ」
歯切れの良くない返事が聞こえてきて振り返れば、鞍を乗せて鐙に足をかけているものの今ひとつ思い切れないジークがいた。
どうやら乗馬に類する経験はあるが馬にはあまりいい思い出がないらしく、いい年の大男が少し腰が引けながらもラクダに跨るのがギャップ過ぎてきゅん、と来てしまった。
ラクダを借りて快適、砂漠の旅!と思っていたけれど、そうは問屋が下ろさなかった。
「あーつい……」
そう、暑いのだ。
ラクダに乗っている限りモンスターには遭遇しないものの、ただただ暑い。上からの太陽光と下からの反射光に照らされて焼け爛れてしまいそうだった。
オカマの姿焼きなんて誰が喜ぶのよ。誰も喜ばないわよ。
水筒を手放せない。ラクダの上にいるからまだ下からの熱波は来ないけれど、上からの容赦ない照りつけにぼたぼたと汗を流しては暑さのあまりすぐに乾く。
渇きを訴えてから飲んでは遅いとジークにも我慢せずに水を飲めと伝えてあるし、ラクダにも適時水分を与えている。
「あーーーーつい……」
ぐったりとラクダの首にもたれ掛かり揺られるままになりながらも、流砂の砂漠を進んでいく。
聞いた話によると、夜になればこのあたりは氷点下まで気温が下がるらしく、温度差に風邪を引きそう、本当の意味で。
ジークもこの暑さにはさすがに耐え難いのか何時もの3割減くらいしか凛々しさがない。
「こう、パーっと水魔法使おうかしら!?」
「魔力を無駄遣いするな、つい先日空っぽにして倒れただろ」
「それな」
ラクダは長い睫毛を瞬かせながら、ゆっくりと砂を踏みしめて歩く。
ここの砂漠の砂は鉄分を含んでいるのだろう、赤い色味の強い砂粒の為に、砂漠全体が赤く見える。
「流砂の砂漠の別名はクリムゾンデザート。見たままの名前だが、そう呼ばれている」
「へー…あ、骨」
ラクダの足元に転がる骨は、角のある生物のものらしい。額に生える長い角が見て取れた。
「ラクダ借りなかったらアタシ達もああなってたかもね」
「笑えないな」
時折、空の高いところを大きな鳥が飛んでいるのが見えた。
「ハゲタカかしら」
「死肉を啄む鳥もいると聞いたが…怖いな」
「死ななきゃいいのよ」
簡単に言うな、とジークが笑う。
砂漠で相談だなんて笑えないから地図を開く。
進路はずれていない。このまま西に向かえば無事、ハルバディアに辿り着く。
見渡す限りの赤い砂原にげんなりとしてしまう。
砂漠はテレビで見るに限る。実際に行くとなるとこんなに過酷だなんて思いもよらなかったのだ。
ジリジリと照りつける太陽。反射して赤くギラギラと照る砂。
湿度がない分サウナよりもきついとぐったりと項垂れつつ、ふと頭を過ぎるのは砂漠に付きものの、アレ。
そう、オアシス。
ドラ〇もんのアラビアンなんちゃらでもオアシスあったでしょ。お風呂大好きな女の子が泳いでたでしょ。
そんなことを考えながらラクダを歩かせて、流れ出る汗を拭う。
このべたつく汗を今すぐ流したい。けれど水魔法を使うとジークが保護者モードになってしまう。それは避けたい。
そんな思いをぐるぐる頭の中で回転させながら顔を上げて周囲を伺うアタシの目に飛び込んできたのは、目が覚めるようなブルーだった。
「オアシスとかないのかし、あっだァぁああああ!!」
思わず喋ってる途中にすごい声あげちゃったけど。ジークなんか思い切りびくってしてたわ。ごめんね。
「ジーク!ジークっ!!オアシス!!オアシス!!!」
「落ち着け、わかった、わかったから落ち着いてくれ頼む」
ラクダの上で汗でドロドロになりながら必死に指差すアタシを宥めつつ、ジークもオアシスの方を見る。
「蜃気楼ではなさそうだな」
「魔力感知したわよ!ちゃんと!あそこにあるのは紛れもなく現実のオアシスよ!行くわよラク太郎!」
まるで馬を駆るかのごとく前傾姿勢になり鐙で腹を叩けばラク太郎と勝手に名付けたラクダはいなないてオアシスに向けて駆け出した。
ノリがいいラクダね本当。
オアシスに到着した瞬間、アタシは鞍から飛び降りて地面に着地すると、いい具合に生えているヤシの木らしき木の下にローブを脱ぎ捨てて下着一枚になって護身用としてダガーを差し込むホルターを太腿に括りつけてからオアシスに飛び込む。
ティーズもアタシの背中にくっついてオアシスに飛び込んで、底深くまで潜っていく。
遠目に見ていた時も思ったが、このオアシスはだいぶ大きい。中心部まで泳ぐと底は更に深く、青はより濃くなっていた。
口から泡が零れて登っていくのを追いかけるようにアタシは一度、酸素を取り込むために水面へと戻る。
ざばん、と水面を割って空を見上げれば、あんなに憎たらしかった太陽が煌めいて見えて眩しかった。
「っはーーー生き返った……」
そのまま水面に浮かんで漂う。
湧水なのだろうか、水面は太陽に温められて温いくらいなのに底に近づくにつれて水温が下がっていた。
こんな砂漠のど真ん中に湧き出るオアシスなら利用者も多いだろうに、今ここにいるのはアタシと、少し遅れてラクダを引きながら歩いてくるジークくらいしかいなかった。
アタシのラク太郎は悠々と水を飲んでたのが横目に見える。
「ユーリ、いきなり駆け出すなんて危ないぞ」
木の下の木陰に入りながらそこにラクダを繋いで水辺へとジークが歩いてくる。
靴を脱いで素足になり膝まで泉へ浸したジークの顔も、この水の心地良さに少し緩んでいる。
「ごめんって〜…しかしいい気持ちだわー…」
水面にゆらゆらと漂うものの日光の照りが強く、肌が暑さを覚えると冷やすためにざぶんとまた潜る。
伸びた髪がゆらゆらと漂う様を海藻みたいだと笑ったティーズの頬を摘みつつゆっくりとジークが足を浸す場所へと泳いで戻る。
冷たい水は海水とは違い身体が浮かないせいか、思っていたよりも体力を使ってしまう。
これから先、まだ砂漠は続くだろうからあまりはしゃぎ過ぎるのも良くないと泉から上がろうと、腰の当たりの深さの所で足をつけて立ち上がった。
伸びた襟足が背中に張り付くのが鬱陶しくて手を差し込んで掻きあげる。
脇腹の傷は跡が残ってしまっていたが、嫁入り前の娘でもないし、まず女でもないのであまり気にはしていない。
そのままざぶざぶと水をかき分けるように進むも不意に視線を感じた。
ジークは泉に足を浸しながら寝転がって、濡らしたタオルを目にかけているからこちらを見ているわけがない。
視線を感じる方向へと振り返ると泉から少し離れた木の下に、灰色の髪に褐色の肌の女がちらりと見えて、すぐ様姿を消した。
知らない人だったし、見られて困るものも特にないので無視をしてローブを置いてある木の下まで向かう。
濡れた素足に張り付く砂の感触が懐かしい。
「あー、こういうの懐かしいわ」
張り付いた砂は乾いたら勝手に落ちていくので放っておきつつ濡れた身体を拭こうとどうぐぶくろからタオルを取り出して体を拭ってから頭に乗せて水気を拭う。
ローブの下に着ていた袖なしのゆったりと裾の長いシャツを頭から被る。
肌触りの良い絹が肌を撫でる感触が心地よく、プール上がりを思い出した。
「……ユーリ」
「なに?」
濡れタオルを目の上からどかして先程の男は何だ、と言わんばかりに視線で示される。
「あー…いや知らないけど」
「そうか。水浴びは済んだか?」
「お陰様でね。生き返ったわ」
タイトな革で出来たパンツに足を通してサハギンとラピスファーレの靴を履いてから頭に巻いたタオルを解く。
水気のだいぶなくなった髪を風に遊ばせつつ青いローブを纏い旅装を整える最中も、不躾な視線はずっと背中に突き刺さっている。
「なんなのかしらねぇ、嫌な感じだわ」
「……殺気はないから害はないと思うが」
「放っておくのもねぇ」
立ち上がったジークが素足のまま水底を蹴って走り出し、獣人本来の凄まじい脚力で女が隠れた場所まで一気に距離を詰める。
木陰から飛び出してきた女はそのまま跳躍して木の上、枝の上へと飛び移って逃げるものの、ジークは逃がさないとばかりに地面を蹴り、枝を掴んでくるりと一回転して軽々と同じ枝の上に乗る。
余りの身のこなしに女は驚いたのか、足を踏み外してぐらり、とその身体が傾いだ。
「あっ…!?」
その浮遊感に女は短い声を上げ、今にも落下するその瞬間に、ジークは女の脚を掴んでぶらん、と持ち上げて女を確保した。
「……ジーク、捌く鳥持つんじゃないんだからやめなさい」
「手を離して暴れられたら困るだろう」
「離してぇぇぇ」
木の上から飛び降りてなお、脚を持たれ逆さまにぶら下げられた女は頭に血が上るのか目を回していた。
褐色の肌の女は、見た目年齢的には少女の域を出たばかりの子だった。髪の色と同色のふさふさとした犬耳を頭の上に生やした目鼻立ちもはっきりした可愛い女の子。
そんな子がなんでアタシの水浴びシーンなんて見ていたんだろうか。
「アンタ、なんでアタシを見ていたの?」
ジークに持ち上げられて逆さま状態の女の子と目を合わせるためにしゃがんで目を覗き込む。
赤くなりつつある顔は具合が悪そうで、鋭い犬歯が覗く口からはあう、だのうう、だのしか言えなくなっている少女はそれでも必死にアタシをにらんでいる。
「ううう……あんたのせいで、ジーク様が王都に戻ってこないって聞いた!!」
「……は?」
これには足を掴んでいたジークが驚いて、思わず手を離してしまった。べしゃり、と地面とちゅーをする少女はふぎゃ、だの声を上げていた。
「あう…ジーク様酷いです…」
「あ、あぁ。すまない」
「ていうかアンタ誰よ」
顔についた砂を払いつつ立ち上がり、ジークに向かって敬礼をした少女はアタシを完全無視をして、眼中にすら入れていない。
「ジーク様、お迎えにあがりました!」
「あ…いや、すまん。お前は誰だ」
「そんなぁ!?」
ジークの言葉に思い切りショックを受けた少女はその犬耳をしょぼん、と垂らせて思い切り肩を落とす。
「自分は、王国騎士団兵のフォルナー=ティルムです!」
再度敬礼をした少女は、そう言ってからアタシに思い切り敵意の籠る目を向けてきた。
「ティルム…すまないが、覚えがない」
「うぅ…そうっすか…やっぱりこの男の所為で」
「ユーリは関係ないぞ」
「でも!!」
完全に蚊帳の外のアタシは未だに水の中で泳いでいたティーズを呼んでラクダ貸し屋で購入したモモのジュースを与えつつ、二人のやり取りを見つめる。
「俺は本来なら王都に戻らん予定だった」
「なんでです!?今でも王様は、ジーク様に戻ってきてほしいって言ってるっすよ!?」
「……王に恩はある。しかし、それでも俺は帰るつもりはない」
「そんな…」
「だが……ユーリが、旅の途中に寄るくらいなら問題ないと言ってくれた。その言葉がなければ、俺は今でも帰るつもりはないんだ」
アタシの名前がジークの口から紡がれる度に少女の目は敵意を込めたままアタシを見る。
完全にアタシを部外者にしているくせにそんな嫉妬を込めた目で見ないでちょうだい。
「…アタシは、別にアンタが王都に帰っても、」
言いかけて、言葉を止める。
ジークの目が驚愕に見開かれた後、切なげに揺れたのを見てしまったから、そこから先の言葉を続ける事は出来なかった。
「……そこはアンタに任せるわ」
「あぁ、すまない」
ジークの目を見る事が出来ずに、頭を掻きつつラク太郎の背に乗せた鞍の上へとひらりと飛び乗る。
「話は道すがらでもいいかしら。ジークとえぇと、フォルナーちゃん」
「気安く呼ぶな」
威嚇するように歯を剥き出しで唸られてしまえばそれ以上会話は望めずに、肩を竦ませてみせながら鐙に足を乗せ、ラク太郎の腹を軽く蹴る。
ゆっくりと歩き出したラク太郎の後をついてくるもう一頭のラクダには乗らずに、手綱を持ったまま歩くジークとその後ろについてくるフォルナー。
これから先も、あんな調子で敵意を向けられながらヘルメアまで旅しなければいけないかと思うと、頭が痛くなってくるようだった。
赤い砂漠の終わりは、もうすぐそこに見えていた。




