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巻き込まれオカマの異世界放浪譚  作者: 雪柳
ガリエガンド編
13/21

霧の湖の死闘2

海に帰れぬ身なれど、妾は幸せだった。

呪われしこの身を厭うことなく愛してくれた男は、生きる長さの違いの中、先にいなくなってしまった。

最期まで、皺だらけの顔で優しく笑って、妾の呪われたこの身を愛していると言うてくれた、背の君。

天寿を迎え逝ってしまった彼のものは湖の深い深いそこに沈めた。妾に残されたのは彼のものと妾の魂の証。

小さな小さな妾の子等よ。

妾は確かに、幸せだったのじゃ。















どう、と倒れた振動で湖の氷に罅が入る。

アタシの魔力ももう残り少なくて、氷を維持するだけの力は残っていない。

倒れ込んだカリュブディスへ向けて鑑定のスキルが発動する。


【カリュブディス

状態:裂傷/凍結/火傷/瀕死】


カリュブディスの命の灯火は、今にも消えてしまいそうだった。

アタシは更にもう一歩近付く。カリュブディスの瞳にはもう、狂乱状態の時の憤怒はなく、ただ死を受け入れた、静かな色をしていた。


「ユーリ様ぁ!」


そんなカリュブディスとアタシの間に、青い光が飛び込んできた。

吹き飛ばされてぼろぼろになりながら、ティーズは空を飛んでアタシのところに戻ってきてくれたのだ。


「ティーズ、よかった、無事だったのね」


掌を差し出せば、そこにぽとりと落ちるティーズは、同じくらいボロボロのアタシを見て泣きそうな顔をしていた。


「……異世界の、旅人よ」


ティーズが安心したのか気を失ったのを見てからイフリートに託していると、カリュブディスは、息も絶え絶えにアタシを呼んだ。

近付いて、膝を折ってその頬に触れる。

カリュブディスの口から吐き出される息は、アブソリュート・ゼロのせいか恐ろしく冷たかった。


「……妾を、倒す力を持つ、異世界の旅人よ」

「…アンタ喋れたのね」


魔物は人の話す言葉を操れないはず。しかし、目の前にいるカリュブディスは人の言葉を話している。つまり、彼女は厳密に言うと魔物ではない、ということだ。


「…どうか、頼む」


死出の道へと旅立ちかけている女の願いなんて、恨み辛みが篭っていそうで恐ろしかったけれど、カリュブディスはその瞳に湛えきれない涙を溜めながら、ろくに動きそうもない腕を動かして、アタシの手を傷だらけの大きな大きな手で包み込むようにして握り込んだ。

アタシの後ろではジークが倒れないように支えてくれている。

イフリートに目をやると、気を失っているティーズを背負いながらゆるく首を縦に振られた。


「…聞いてやるからさっさと話しなさい」

「感謝、するぞ……旅人よ…」


美しい笑みだった。

血の涙を流し、怒りに我を忘れて狂っていた女の夜叉のお面は、もう外れている。


「…我が子らを、どうか、妾と共に連れて行ってたもれ」

「子供?」

「この湖に、妾とともに…」

「……わかった。んで、子供はどこにいるの?」


アタシの手を握る力が少しずつ弱くなっていく。

咄嗟にヒールを掛けたけれど、アタシの全身に裂けるような痛みが走ってうまくかけられない。

魔力量が限界ギリギリまで落ち込んでいるらしく、アタシはまた、回復魔法の一つも唱えることが出来なくなっていた。


「子供らは、湖のすぐ近く、祠の中に…」

「祠の中ね、わかった。今すぐ連れてくるから、アンタ死んじゃだめよ!アタシがこんなにしちゃったんだけど、死んじゃダメだから!」


ヒール!と唱えても何も起こらない。どうしてアタシは、こんなに要領が悪いのだろう。

目の前で消えていく命の灯火を長らえさせることすら出来ない。

ジークがアタシの肩に手を置いて、首を横に振る。

分かってるわ、助けられないことくらい。それでも、足掻きたいの。悪足掻きだなんて、分かってる。


「…優しい旅人よ、お前の行先に、幸、多からん事を…」

「ちょっと、やめてよ!お母さんなんでしょ!?子供のためにもうちょっと頑張りなさいよ!」


その言葉に、カリュブディスの美しい青い瞳が見開かれて、そうして悲しそうに笑った。


「ありがとう…優しき旅人よ……子等の亡骸と妾を、どうか共に沈めてたもれ」


ずるり、とカリュブディスの手が滑り、熱で溶けた氷の上へと落ちていった。

今、カリュブディスはなんと言った?

亡骸、と聞こえた気がした。そして、共に沈めてくれ、ということは。


「……嘘、でしょ」


美しい青い瞳は、もう何も写さない。

半ばまで閉ざされた瞼の下、瞳は少しずつ、白く濁っていく。

その瞳から零れ落ちた涙は結晶となり、アタシの膝元へと転がってきた。

海を閉じ込めたかのような、深い深い青色の美しい宝石。そっと拾い上げて、額に押し付ける。


【カリュブディスの涙を手に入れた】


凍りついてひび割れた身体が少しずつ自分の重みに耐えきれずに崩れ始めた。

穏やかな顔で、そこだけを見れば眠っているように見えるけれど、引き裂かれた腹は凍りつきゆっくりと崩れて、氷片が転がり落ちていく。


「……ジーク、怪我は大丈夫…?」

「あぁ、俺のはすべて軽い切り傷ばかりだ」

「そう……ねぇ、多分アタシ気絶するから、安全なところまで運んでちょうだい」

「……俺の主は人使いの荒いことだ」


アタシに何を言っても聞きやしないとわかっているのか、ジークはアタシを止めること無く肩を抱いて支えてくれた。


「……すべては理のままに、ヴォルテオール」


凍っていた湖は時を巻き戻すかのように全て水へと変わっていく。

氷が溶けて、ゆっくりと沈んでいく、カリュブディスの身体。

きつく握り込んだ掌の中に握りしめている涙石が皮膚に食い込む痛みで、その身体が全て沈むまで意識を保つ。

無理をして魔法を行使した反動に、呼吸すらろくにできない痛みが全身を襲うけれど、アタシは目を逸らさなかった。

そうして、空色の美しい髪が大輪の花の様に水面に咲いて沈み切るのを見届けてから、最後の魔力を使い果たしたアタシは、そのまま意識を失った。






【シャグラン・ラ・ローズが規定条件を満たしたので進化します。

必須素材:碧涙結晶

必須条件:伝説の魔物の討伐

これにより、Lv.3,Lv.4の固有技が解禁されました。

また、一定量の魔力量に達しているためにより『アブソリュート・ゼロ』の通常使用が可能になりました】


【アブソリュート・ゼロ

使用者の最大MPの半分を使用する、成長する武器(水属性)専用の奥義。

魔力を具現化した美しい氷の女王が対象のすべてを凍らせる技。大輪の氷の花と化した対象は少しの力でも砕け散る】






---------------








全身の痛みで目が覚めた。

ぼやける視界は断続的に揺れていて、現状を把握しようとして、指先を動かすもののそれだけでまた全身を激痛が駆け巡り断念する。

どうやら、ジークに背負われているのだけは分かったけれど、あれからどれだけの時間が経ったかわからなかった。


「う……」


身動ごうとして失敗した呻きが零れ落ちる。


「起きたか」


ジークの声は穏やかで、優しい。寝起きの鼓膜を優しく震わせる響きを持って、海馬の中に溶け込んでいく。


「アタシどれぐらい寝て……子供!」

「ちゃんと母親と同じ所に送った」


はっと身体を起こすものよ全身にまた痛みが走りまたジークの背中にもたれ掛かる。

ジークの背中は広い。アタシも、平均よりでかい成人男子だけれど、種族が違うだけでこうも体つきまで変わるのか、と思うほどに逞しい背中。

ふと、カリュブディス戦までは背中に背負っていた宝剣がないのに気付いて軽く肩を叩く。


「……ジークちゃん、剣は?」

「餞だ」

「そう…」


霧の深い迷路のような湿地帯は、行きの喧騒は何処に行ったのか、魔物の一匹も現れることは無かった。

ただ沈黙ばかりが辺りを取り囲む。


「……あれから」


先に口を開いたのはジークだった。アタシはジークの肩に顎を乗せて、あまり身体に力を入れないように寄り掛かる。重たいはずなのに、ジークはそんな気配も見せることなくただ、暗い道を進んでいく。


「子供たちを見つけて、袋の中にあった宝箱、あるだろ」

「ん……使い道のない綺麗な箱のこと?」

「あぁ。そこに、子供たちを乗せて、剣も一緒に入れて湖の中心まで流したんだ」

「……うん」

「…母親が沈んだところにたどり着いたら、その船はゆっくりと沈んでいった」

「……うん」


虫の音が聞こえてくる。

物悲しいそれがアタシたちの間に落ちる。


「俺には、わからん。何が正しかったのか」

「そんなの」


そんなの、アタシにもわかんないわよ。

ただ、狂気に満ちて悲しみに取り憑かれて暴れていた母親を殺したのはアタシ達で、それで村の人は助かったけれど、殺された方の気持ちはどうなるのかなんてわからない。

ありがとう、と最期に口にした彼女は笑っていて、アタシはただ、それを見ているしかできなかった。

手を下したのは、アタシなのだ。


「ユーリ」


ジークの声はまるで、甘やかすみたいに優しくて、泣く資格なんてアタシにはないのに許されている気になってしまう。

しがみついた身体は暖かくて、ジークは生きているのだと伝わってくる。

最後に触れたカリュブディスは冷たく氷のようで、あれが死の温度なのだと本能で理解して、怖かった。

強大な力には、責任がつき回る。

アタシはその事を楽観視していたのではないか?

出口のない思考の迷宮に落ちかけたアタシを捕まえてくれたのは、ジークの声だった。


「たとえお前がどの道を進もうと、俺はそれを許す」

「…ジーク?」

「もし、誰にも許されない事をしたとしても、間違えた道を進んだとしても、俺だけはお前を許して肯定してやる」


迷いのない言葉だった。

ジークはいつも前を見ている。今もきっと、分からないと言いながらもこうするしかなかったのだと自分を納得させているのだろう。

自分に厳しいくせに、アタシには甘い男。


「……お馬鹿さんねぇ」

「そうかもな」


まだ寝ていろ、とジークに促されて、魔力枯渇に陥った身体はその優しい誘惑に抗えないままに、意識はまた深い泥の底へと沈んでいった。





村の入口に着く前に起こされて、何とか痛みは引いたものの酷い倦怠感に顔を歪ませつつ、蜃気楼の魔法を紡ぐ。

魔力0になったせいで解けてしまった相手の目を騙す魔法をかけ直して、ボロボロになってしまったローブを脱いでタンクトップ姿になる。

隣に並ぶジークとの腕の太さの差に少し悲しくなったのは秘密。


「おぉ!よくぞお戻りくださいました!」


村の入口では村長がわざとらしくアタシ達を出迎えてくれたけど、正直今は外面を取り繕っている余裕すらなかった。


「率直に聞く。カリュブディスの子供を殺したのはどいつだ」


ぎくり、と村長の肩が揺れたのを見逃すほどアタシは甘くない。


「カリュブディスが暴れたのには理由があった。子供を殺されたからだ。子を失った母は恐ろしく凶暴になる生き物よ。もう一度問うわ。殺したのは誰だ」


追及の手を緩める事はしない。この村の人が殺したのならば、カリュブディスに殺された人たちは申し訳ないけれど自業自得ということになる。しかし、もし部外者が手を出したのだとしたら、アタシはそいつを許せそうもない。


「…っ、実は、数日前に、勇者と名乗る一行が来まして」

「はぁ?」

「人族と、亜人族の絆をもう一度深めて、魔族を共に討ち滅ぼそうと言われ、我々としてもそれは願ったり叶ったりな事でして…」

「……勇者、人間の、勇者?」

「えぇえぇ、レッカ、と名乗っておりましたです」


頭を抱えたくなった。

あの甘ちゃんな三人が、まさかこんな事をするなんて思ってもいなかったのだ。


「……そのレッカと名乗る奴らは、何故カリュブディスの子供を」

「あの湖に眠る沈没船のお宝の話をしましたら、食いついてきまして」

「…あの宝剣はつまり、アンタらの取り分のうちの一つだった、ってわけね」


肺中の空気がなくなりそうな程に深い溜息が漏れる。

彼らはきっと、目の前の宝物を手に入れるために、沈没船を住処としていたカリュブディスの子供を切ったのだろう。

恐らく、母親は何らかの理由でそばから離れていて、戻ってきたら可愛いわが子が変わり果てた姿でそこにいた。そうして宝もすべて奪われていた。

そして母親は、怒れる怪物と成り果ててしまった、という訳だった。


「それで、カリュブディスの方は」

「死んだわ」

「なんと!あの化物を退治するとはさすがジークヴェイン様ですな!」

「……あぁ」

「して、お貸しした宝剣は」

「お前らがあの宝剣で心臓を貫かねばカリュブディスは死なぬと言ったのだろう?今頃、奴の心臓に突き刺さって湖の底に沈んでいるだろう」


ジークの答えにあからさまに落胆した様子の狸ジジイ共に、そろそろアタシの堪忍袋の緒が切れそうだったからジークを促して宿屋へと向かう。

とにかく今にも倒れてしまいそうなほどのだるさと眩暈から逃げ出したくて、アタシは諸々の手続きをジークに任せて先に部屋へと向かい、柔らかいベッドの上へと倒れ込んだ。

仰向けに寝転がり、脚を投げ出して天井を見上げながら村長が話していた事を考える。


「人間と、亜人の絆、ねぇ……」


先にその絆を断ち切ったのは人族のくせに、いまさら都合がよろし過ぎる謳い文句だと思った。

葉狸族はそれを信じたのか諸手を上げて受け入れていたけれど、アタシはいまいち信用ができない。

それじゃなくても、あの勇者達は圧倒的に社会経験の少ない高校生だったのだ。

きっと、王や姫にうまい具合に乗せられているに違いない。


「……何考えてんのかわかんないって、不気味ね」

「勇者達のことか?」


パタン、とドアが閉まる音がして、ジークが入ってきたのだとわかる。

投げられた問いには頷きで返して、また溜息がこぼれた。

ただでさえ運が良くないのにこの上幸運まで逃げてしまったらもう目も当てられない。


「人族は、なぜそこまで魔族を恐れるのかが分からないのよ。魔族は今のところ、目立って人族を排除しようとか、攻撃を仕掛けようとかはしてない訳でしょ?」

「あぁ。魔族は絶対数が少ないからな。戦争なんかして少ない個体数を更に減らすような愚かな真似はしないさ」

「そうよね……なぁんか、嫌な感じがする」


うまく言い表せないもやもやが鬱積していく感覚に軽く頭を振って寝返りを打つ。

びり、と脇腹に痛みが走り、思わず布団の上で蹲る。

地面に叩きつけられた時に湖底から突き出していた岩で切り裂いた箇所が開いてじんわりと血がにじんでくる。


「……まずは治療からだな」

「お願いします」


ヒールが使えない状況で怪我をすると、ジークが手当てをしてくれるのだが、アタシの無茶な戦い方に怒っているのか少しだけ、手荒い。

服を脱いで傷口を見せる。

内部の怪我はじわじわとヒール(微)でほぼ魔力を消費しないように治してきたが、外側の怪我には手が回らない。

薬草を煎じて膏薬と混ぜて塗り薬にしたものを、切り裂かれた脇腹にたっぷりと塗られて染みる痛みにびくりと肩が跳ねる。

その上から清潔な滅菌ガーゼを押し当てられて、テープで止められ包帯でぐるぐる巻きにされる。

止血も兼ねているのか少しきつめに巻かれたそれはきっとジークの心配の裏返しの愛情だからと黙って受け入れる。


「……前も、言ったが」

「はい」

「お前は後衛役なんだから、前に出るな」

「……はぁい」

「どうしても前衛で戦いたいなら、俺が守れる範囲にいてくれ」

「……気をつけるわ」


ジークはアタシが怪我をする事をとても嫌がる。

まるで自分自身が傷ついたみたいな顔をするから、アタシだって怪我をするのは不本意なのだけれど、今回や、前回のエルフの里でのことは仕方ないと思うの。


「…よし。2、3日は休んでおけ」

「はーい」


食事を貰ってくる、と部屋から出ていったジークを見送ってから、アタシはシャグラン・ラ・ローズを見つめる。

いつの間にか、カリュブディスの涙がグリップにはまっていたのを見て、意識を失う最中で聞いたあれは真実だったのだと理解する。


「……勇者、か」


一抹の不安を抱えたまま、アタシは睡魔に抵抗することなくまた夢も見ない深い眠りへと落ちていった。

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