霧の湖の死闘
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カリュブディス討伐の作戦は、あっさりと決まった。
最初から決められていたのだろうと思える程にトントン拍子で決まっていくそれに、口を挟む隙すらなかった。
作戦なんて大袈裟だった。内容は、アタシとジークの二人でカリュブディスを倒せ、というもの。薄々分かってはいたけれど、アタシ達二人を人身御供にするつもりなのだろう。
倒せれば万々歳。倒せなくても供物として捧げれば少しの間は怪物は大人しいだろう、という考えが根底にあるのが見え見えだった。
面白くはないが、子供たちのため。そう言い聞かせて怒鳴り散らかしたいのを我慢する。
「カリュブディスは恐ろしい渦を巻き起こし、近付いたもの全てを吸い込み食い尽くす魔物です」
カリュブディスの絵姿だという古い布に描かれているのは上半身が女、下半身は八本足の蛸、だろうか。軟体生物らしきものが足をくねらせて船や人を巻き付けている姿だった。
ギリシア神話にも似たような怪物がいたけれど、あれは海だったかしら、と思考を飛ばしていると、村長はその布を大切そうに折り畳み、代わりにひと振りの剣をテーブルの上に置く。
「それは?」
「湖の底より見つかった宝剣です。伝承ではカリュブディスはこの宝剣を心臓に突き刺さないと死なないらしいのです」
「ふーん……」
ほんの少しの違和感を覚えたけれど、口には出さずに剣を受け取る。
その剣をジークに渡せば何も言わずに背負って、話の続きを促すように村長を見る。
「カリュブディスを討伐された暁には我が里秘伝の薬を差し上げますので、どうか」
「わかったわかった、行くわよジーク」
湖までの案内人を先頭に、アタシとジークは霧の湖まで向かう事にした。
湿地帯特有のぬかるんだ地面に苦戦しつつ、襲ってくる魔物を借りた宝剣で一刀両断するジークに頼もしさを覚える。
普段は徒手空拳とでも言うのか、素手で敵を粉砕している姿ばかりを見ていたから、たまにはこうして武器を持って魔物を屠る姿を見るのも悪くない。
湿地帯の魔物は主に巨大化したグロテスクな見た目のカエルやら半魚人みたいなのやらヘドロスライムといったものばかりで、見た目にも良くない。
案内人の獣人がいるために、アタシは魔法が使えない。魔法銃も勿論使えない。
腰に差していたダガー1本で応戦はするけれど、体術ではジークには到底敵わない。ジークが取りこぼした魔物を仕留めるくらいがせいぜいだった。
アタシ達がぬかるみに足を取られて魔物に襲われて足止めをされている中、案内人は慣れているのかすいすいと先へと進んでいく。
霧はどんどんと濃くなっていき、案内人の灯す松明を見失ったら大変だと必死に追いかける。
というかなんであいつは襲われないのかしら、と飛びかかってくるカエルの首を斬り飛ばし血飛沫を避けながら鑑定のスキルを発動させる。
【魔除けの松明:これを持つものは魔物に襲われにくくなる。また、自身のヘイトを周りの人間へ移す効果がある】
つまり、アタシ達がこんなに魔物に集られるのもあの松明のせいってわけですか。
松明を持つのは戦闘能力もないただの村人なのだから仕方ないとして、せめてその小道具の説明くらいしろよ、と思いながらサハギンを膾切りにして蹴り落として沼に沈める。
ジークに劣るとはいえここまで旅をしてきたアタシは、女神様のドーピングもあってかチートとも言えるべき力を手に入れていた。
魔法は日々進化しており、夜な夜なイフリートと二人で新たな魔法を開発してはジークに説教されるのがセットなのだが、そのお陰もあってか炎系、水系の魔法はほぼすべて習得している。
炎系と水系の魔力を混ぜ合わせて均一に練り上げ、身体能力をアップさせる魔法だとか、逆に水系の魔力で相手の能力を下げる魔法だとかを作り上げてはこっそり寝ずの番の時に試しているのだ。
一度空っぽまで使い切った魔力は反動で今までの倍程の容量を得た上に、強さもぐんと跳ね上がっている。
こっそりジークに能力アップの魔法を掛けたらステータスがカンストしてしまったらしく、殴ったモンスターが消し炭になっていた。
後で怒られた。
魔法銃が使えない今、アタシは獣人の筋力操作の振りをして能力アップの魔法を自分自身にかけて強化はしている。しかし、効果時間はそこまで長くはなく、切れる度にこまめにかけ直さなければならないのがネックだった。
効果永続魔法なんてものを開発したら多分チート過ぎる代償にごっそりMPを持っていかれそうだから、怖くてまだそれには手をつけていない。
「霧の切れ目が湖の入口です」
松明を持った案内役の足が止まる。
指を差した先は確かに霧が晴れていて、その先に静謐な青をなみなみと湛える湖が見えた。
案内人の若い男は、それまで被っていたフードを下ろしてジークを見て、それからアタシを見た。
「……父が、申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げるその顔に、あの村長の面影を感じ取ってあ、と小さく声を上げる。
「本来なら、自分たちの村のことなのだから自分たちでなんとかすべきなのはわかっています…けれど、僕達には、力がない」
固く握り締められた拳がぶるぶると震えている。
自分たちの村を守れずに、余所者に頼るしかないと言うことはきっと、アタシが想像するよりもずっと悔しいのだろう。
「あなたがた二人は、本当にお強い。この湿地帯に出る魔物は本来ならば二人ではとても倒せるものではありません。ある程度のレベル、ギルドランクCのパーティが四人がかりで倒せるくらいのモンスターなのです。しかし、お二人は各個で戦って、しかも赤子の手をひねるように簡単に倒していた…」
「師匠が良いからね」
ジークを見てからウインクをして見せると、青年はようやく強ばった顔に笑みを浮かべて、頷いた。
「その松明って親父さんに持たされたのかしら?」
「えぇ。これを持つと魔物が寄ってこなくなる、と父は言っていましたが…そんな事はなかったですね、あなたがたが倒してくれていなかったら今頃僕は」
「いーのいーの、これも依頼のうちだから」
ひらひらと手を振ってジークを見上げる。ジークはむっすりと黙り込んで腕を組んだままアタシを一瞥してから視線を湖へと戻す。
ご機嫌ななめなジークは放っておくとして、アタシはこの葉狸族の青年に向き合う。
「アタシとジークは打ち合わせ通り、湖に二人で行く。帰り道はなんとなくわかったからここで待ってなくていいわよ」
「し、しかし」
「鼻で覚えた道は忘れん」
相変わらずむっすりしたままのジークが言い切れば、青年は言葉を告げずにただ頷くしかできない。威圧感はんぱないわよね、2mに近い大男に不機嫌に言われたらそりゃ縮こまるわ。
「…ありがとう、ございます」
「いいっていいって。その代わり、報酬は弾んでもらうわよ」
「は、はい!……あの」
葉狸族の青年は、アタシの事を頭のてっぺんから足のつま先まで見た後に、何故だか破顔する。
「闇豹族の人って、隠れ里からあまり出て来ないから全然知らなかったんですけど、こんな面白い人なんですね」
「アタシははぐれ者だから別よ」
「男性なのに女性のような話し方をしている、きっと弱いに違いない、と村長達は嘲っていましたが…」
「まぁ……そう見られるわよね」
それを馬鹿正直に伝えてしまう村長の息子の頭の弱さを少し心配しつつも何とか切り抜ける。
闇豹族が秘匿主義で良かったわ、本当。
「そろそろ行くぞ」
十分に休息はとったと言わんばかりにアタシの腕を掴んで引っ張るジークに引きずられるまま、アタシは葉狸族の青年に手を振る。
霧で見えなくなるまで頭を下げていた青年は、根は悪い子ではないのだろう。
「…利用されたこと怒ってんの?」
「いいや」
「じゃあ何怒ってんのよー」
湿地帯から抜けたせいか、足元にはしっかりと地面があり、あちこちに背の低い草が繁茂している。
さくさくと踏みながら湖へと近付いていくジークの背中は、やっぱりまだ少し怒っていて、アタシにはその理由がわかるようで、わからない。
昔、助けられた恩義を感じて葉狸族の依頼を受けたのだとは思ったけれど、それにしてはこの怒り様がわからない。
「……ユーリは、弱くない」
「へっ?」
「ユーリは弱くないと言ったんだ」
「……もしかして、アタシが弱いとかおかしいとか狸ジジイが言ってたの、聞こえちゃったの?」
無言は肯定の証だろう。
もうすぐ怪物を退治しなければいけないというのに、アタシの口元は緩む一方で引き締められなかった。
「……これが終わったら、ベリーのコンポート作ってあげるから機嫌直しなさいよ」
「オイラも食べたい!」
案内役の獣人がいなくなったのを見計らってどうぐぶくろから飛び出してきたのはティーズで、人型の姿のままアタシの顔にべちんと張り付いた。
精霊は基本的に人族としか契約をしないから、獣人に扮したアタシに精霊がくっついていたらまずいってことでふくろの中に押し込んだのは悪いと思ってる。だから顔から離れなさい。
「あーはいはいアンタらの分もあるわよ!」
いつの間にか肩にちょこんと乗っかっていたイフリートからも期待を込めた眼差しで見られてヤケクソ気味にかえせばやったぁ!だの声が聞こえてくる。
本当に緊張感のないパーティだわ、と溜息を吐いたアタシの魔力察知に、何かが引っかかった。
瞬間脚に力を込めて飛び上がったアタシが見たものは、今までアタシがいた所に叩きつけられた黒く大きな蛸の足だった。
「さぁてと、御大将のお出ましね」
手に馴染んだグリップを握り、引き出したのは嘆きの薔薇。
鑑定のスキルを発動して、目の前にウインドウが広がり情報の文字列を羅列する。
【カリュブディス(属性:水)
大渦を作り出し、飲み込んだものを全て食い尽くす大海の魔物。
上半身は美しい女の姿をしており、下半身は大蛸の八本足を有している。その足で捕らわれたものは逃げることは敵わない
弱点:炎、斬撃
状態:狂乱
八本の足を切り落とし、焼かない限り足は無限に再生する。
人型の上半身には何重にも防御魔法がかけられているために、生半可な攻撃は通らない
また、水魔法を行使する為、水魔法軽減の術がないと魔法のみで倒されてしまう】
「ジーク!相手の属性は水!ヒートシールドを張るわ」
「おう!」
霧が一段と濃くなっていく。視界が不明瞭だが、声が聞こえたところからおおよその位置を把握して対象を選び、呪文を紡ぐ。
「あらゆる物を遮断する熱の更紗、ヒートシールド」
薄い膜一枚で身体を覆われる感覚が走る。これで大抵の水魔法は弾くことが出来るけれど、相手は神話の中の怪物。どこまで通用するかはわからないから油断は大敵だった。
飛脚の術を使い、脚に力を込めて空気の層を蹴って更に高く飛ぶ。
飛翔、という訳では無いらしいが、この術は正直反則技だと思うわ。だって宙にある空気を踏みつけて飛べるのよ?スーパー忍者になった気分だわ。
しかし、カリュブディスのステータスを見て一つ気になることがあった。【状態:狂乱】になっているということ。この魔物は何故狂乱状態になったのか、見当も付かないながらもこれは厄介なステータス異常だった。
カリュブディスは、魔法をメインに行使する魔物だと鑑定結果は出たものの、狂乱状態は、魔法ではなく物理攻撃をメインに暴れまくる、といった特徴がある。つまり、このカリュブディスは魔法ではなく物理で攻撃してくるというわけで、つまりは一撃でも貰ったらやばいってこと。
「身の内に秘めたる守護の力よ目覚めよ!ガードアップ!」
「すまない、助かる!」
「相手は狂乱状態に入ってるみたいで、攻撃力が跳ね上がってるはずだから脚での叩きつけに気をつけて!」
「わかった!」
ジークの声が霧の向こうから聞こえてくるのを確認して、霧に覆われて全体像の見えないカリュブディスの足に向かって銃を向ける。
「その身を守る殻を壊せ!レデュースガード!」
トリガーを引いて魔法を行使する。放たれた弾丸は違わずにぬるりとぬめる黒い大きな蛸の脚に着弾して弾ける。
弱体化の魔法が放たれて魔力が広がっていくのが見える。目に見えて動きの遅くなったその脚に向かって逆手に持ったダガーをくるりと回転させて順手に持ち替え、空中からの落下の加速もダガーに乗せて湖から這い出ている黒い足をぶつりと切断した。
『ギャアアアアアアアァ!!』
カリュブディスが悲鳴を上げる。ぐねぐねと蠢く蛸脚は触手のようで気持ちが悪かった。
切断した傷口がぐむぐむと動いたかと思うと、ぶつんと音がして切断面を打ち破り、新たな足が生えて来たのを見て眉をしかめる。
「ジーク聞こえる?そっちでも足切った?」
「あぁ、だけどすぐに復活したぞ!」
「やっぱりね……イフリートはそっちにいる!?」
「背中にしがみついているぞ!」
「切ったらイフリートのファイアブレスで切断面を焼かなきゃまた生えてくるみたいよ!」
「了解した!」
足が迫ってくる気配に飛び退って逃げると、叩きつけられた地面がべコリと凹んでいるのが見えて本当に笑えない。
いくら身体強化しているとはいえ、あんなのを食らったら骨の一本や二本は軽く持っていかれるだろう。
「ったく……割に合わない依頼だわほんっとに!!」
カリュブディスが暴れる度に、湖に立ち込める霧が少しずつ晴れていく。
8本の蛸足は疲れを知らないかのように縦横無尽に動き回り、アタシやジークを叩き落とそうと蠢き、捉えようとくねらせている。
ジークの剣が閃いた。それと同時に一本の足が根元から切断されて、間髪入れずにイフリートのファイアブレスがその切断面を焼き尽くす。
蛸の焼ける匂いに少しだけお腹が空いたけれど、そんな事を言っている場合ではない。
「火花よ散って嵐となれ!バーンストーム!」
トリガーを引いて炸裂した弾丸は、火属性の爆破魔法を展開して黒い足を炙っていく。
あまりの熱さに激しく身を捩らせたカリュブディスは湖へと潜ろうとその足を引きずり水中へ逃げ込もうとする。
しかし、それを許すほどアタシは甘くない。
「熱を許さぬ傲慢な者よ、凍れ!フローズンディザスター!!」
シャグラン・ラ・ローズの二丁の銃の銃口から同時に放たれた魔力弾は、湖に触れると同時にその水に触れているもの全てを瞬時に凍らせてしまった。
当然身体を半分以上湖に沈めていたカリュブディスにとって、凍らされてしまっては自由に動けないとばかりに雄叫びを上げ、悲鳴を上げながら悶えている。
暴れる度に氷が裂けるけれど、底の底まで凍りついた水はそう簡単には逃がしてくれそうもない。
氷原となった湖の上へ飛脚の術を解いて降りると、同じように上空からジークが降りてきて氷の地面の上へと着地して剣を構え直した。
凍りついて半身を取られたとはいえ、相手は伝説級の怪物。一瞬たりとも気が抜けなかった。
狂乱状態からか、錯乱したような叫びが静寂に満ちていた湖を満たす。
そのうち、その声に魔力が込められ始めたのを察知して銃口をカリュブディスに向ける。
霧がさぁ、と晴れていく。
朧気だった姿が徐々に輪郭を取り戻していき、アタシたちが見たものは、美しい顔は夜叉のように歪み、その瞳からは血の涙を流し長い空色の髪を振り乱した巨大な女だった。
「……ジーク」
「あぁ、くるぞ」
叫びが魔力の嵐を起こす。凍りついた湖は、カリュブディスの周りだけ強制的に水に戻されて、女の周りにいくつもの水の玉を作る。
「スプラッシュショットのでっかいやつね、あれ」
「当たるなよ」
「そっちこそ」
一度顔を見合わせて不敵に笑うと同時にアタシたちは氷を蹴って飛び上がる。
ズドドドドとマシンガンの音をもう爆音にしたみたいな音が響いて、氷の大地は穴だらけになっていた。
あそこにあのままいたらアタシたちは欠片もなかっただろう。
「ひー、おっかない…っと」
空中にいるアタシに巨大な水の塊が飛んでくる。ギリギリで避けて銃を構えてカリュブディスの剥き出しの肩へと弾丸を放つ。
ガゥンと鳴いた嘆きの薔薇から放たれたのは火の魔力を込めた弾丸で、着弾した瞬間に燃え広がる焼夷弾の様な代物だった。
しかし、着弾はしたものの炎は思ったよりも燃えずにすぐに沈下されてしまう。
「これが防護壁か……厄介ね」
「ユーリ様危ない!」
ティーズの声に後ろを振り返れば、存在を忘れていた残りの足が、アタシに迫ってきていた。
まずい、と空中を蹴るものの焦りからかうまく空気の層を捉えられずにバランスを崩してしまう。
「ちぃっ!」
迫り来る黒い足。避けることは出来ない、とありったけの防御魔法を紡いでガードの構えをしてそれを受けたものの、あまりに重たい衝撃にアタシの身体は吹き飛ばされた。
受け身すら取れないままに凍りついた湖面にドォン!と叩き付けられて、背骨がミシミシと嫌な音を立てた。細かく砕けた氷が埃のように舞い上がる。
「がっ、はっ……!」
殴られた腹がぎしぎしと痛む。込み上げてくる鉄の味に咳き込んで、白い氷の上に吐き出した赤が嫌に映えていた。
手の甲で口元を拭い立ち上がる。ぱらぱらと氷の欠片が落ちていく。
打ち付けた背中は幸い打撲で済んでいるが、攻撃を食らった腹は肋骨が折れているのがわかる、それと、内臓もどこかしら傷が付いている。血を吐いたのはそのせいだろう。
「っはぁ……ぐ、魔法、使いなめんじゃないわよ…っ紙、装甲なのよ…」
腹部に手を当ててヒールを唱える。応急処置程度に留めて、シャグラン・ラ・ローズに魔力を込めていく。
吹き飛ばされた時にティーズとはぐれてしまったけれど、あの子は怪我してないかしら。
ジークは、イフリートは。
雑念ばかりが浮かぶのを頭から振り払い、瞼を伏せて精神統一をはかる。
頭上では激しい攻防を繰り返しているのだろう、剣の音と魔法を行使する音が聞こえてくる。
ジークは無事なら、イフリートも大丈夫ね。
深く息を吐いて、ゆっくりと目を開く。
強い風が吹いた。ジークが何か、風属性の力を解放したのだろう。
それだけジークもギリギリだという事で、アタシはこんなところで無様に血を吐いて倒れている場合じゃないのよ。
「ジーク!退いて!!」
ありったけの力を腹に込めて叫べば、ジークが引くのが遠目に見えて、アタシは銃口をカリュブディスの腹へと定めて引き金に指をかける。
魔力がどんどん吸われていく。応急処置しかしていない傷が痛み出して、また血が溢れて口の端から零れていく。
「……冷厳なる氷葬の絶技、全てを凍てつかせ生きるを許さぬ冷血なる氷の女王の息吹と踊れ、アブソリュート・ゼロ!」
トリガーを引いた瞬間、魔力がた大量に持っていかれるのがわかった。
音もなく放たれた弾丸に込めた魔力が形を作ってカリュブディスに向かい飛んでいく。
魔力は美しい女の形を描いて、高らかに笑いながらその鋭く伸びた爪がカリュブディスの腹を切り裂いて、その中へと飛び込み、背中を突き破って飛び出してきた。
美しい青い髪をたなびかせて、均整の取れた美しい肢体に天女の羽衣のような白い布を纏っただけの氷の女王は笑いながら指先をパチン、と鳴らす。
その瞬間、カリュブディスが内側から凍っていくのが見えた。
パキパキと言う音を立てて血液が凍っていく痛みに、カリュブディスは叫んだ。
氷の女王は笑いながらアタシを見て、そうして妖艶に微笑んでからその白い布で全身を包んで消えた。
アタシは立っていることすらきつかったけれど、まだ絶命していない敵を目の前に倒れるだなんて出来なくて、必死に足を踏ん張りながら銃を持ち上げて、魔力を込める。
弱点が炎なら、炎の魔法を打ち込めばいい。絶対零度で凍り続ける血液の痛みに悶え苦しむカリュブディスの大きく開いた腹の傷口へと照準を合わせる。
「火花、よ、散って嵐、となれ…っ、げふ、ぐっ、うぅ…バーン、ストーム!!」
詠唱中にまたどろりとした赤黒い血を吐き出しながらもアタシは止まらない。
指をかけたトリガーを引いて放たれた弾丸は、過たず腹の裂け目に突き刺さり、真っ赤な花火が炸裂する。
膝がガクガクと震えた。叩きつけられたダメージは考えていたよりも甚大だった。
前衛ではないけれど鍛えていたし、ガードアップの魔法も掛けていたのにこのダメージだなんて、笑えない。
「ぐっふ、…あー、もう、血ってほんと、まっずい…げほっ」
「ユーリ!」
上空から声がして、顔を上げれば今にも死にそうな顔をしたジークが降ってきて、アタシのすぐ前に着地する。
「あらジーク」
「あらジーク、じゃない!あぁもう…なんでこんなに後衛のお前が怪我をしてるんだ!」
目を吊り上げて怒るジークにぺたぺたと色んなところを触られて、思わず力が抜けて倒れ込む。
勿論、地面と激突なんてことはなくてしっかりとジークが抱き留めてくれて、アタシは深く息を吐き出した。
肋骨は二、三本折れてるし、内臓なんかきっとズタズタだろう。背中も痛い。息をする度痛いから肺も痛めている筈だ。
一方のジークは、巨大版スプラッシュショットを食らったのかあちこち裂傷は出来ているけれど、大きな怪我はなさそうでほっとした。
ジークに支えられて、口内に逆流する血液をまたぺっと吐き出して、血も凍りつき動くことすらままならなくなっているカリュブディスの元へとゆっくりと警戒しながら歩み寄る。
詳しく鑑定のスキルを使おうと普段は前髪で隠れている左目を出そうとした瞬間、何かの思念が頭に流れ込んできた。
『………なさい』
「……え?」
『ごめんなさい……子供たちよ……ごめんなさい……』
悲痛に濡れた声。
それは、今にも力尽きようとしているカリュブディスから聞こえてきた声だった。




