謎の子供
その子供は不思議そうな色を瞳に乗せてこちらを見ていた。
アタシは動けずにいた。その子供がどこから現れたのかもわからないし、その子供が内包している魔力の強さがビリビリと伝わってきて、怖かった。
ひょこり、と立ち上がり、こちらに歩いてきて、転ぶ。
べしゃりと顔から転んだ子供の顔は段々痛みに歪んでいき、泣き出す瞬間の表情を見せた後、アタシを見て泣くのをやめた。
まだ10歳にも満たないだろうその小さな体で、必死に泣くのを耐えている子供にないはずの母性本能が擽られる気がして、恐る恐る近付いてみる。
転んで臥せっている子供の脇の下に手を入れて、ひょいと抱きあげれば予想よりも軽い体重
のその子は簡単に持ち上げられた。
アタシと同じ目線になったその子の瞳は綺麗に澄んだ黄色で、ジークとは違う色合いのそれは僅かに青味がかっていた。
「あなた、お名前は?」
地面に下ろして立たせながら、転んだ際についた砂を払ってやる。
しゃがんで目線を合わせたまま出来る限り優しく尋ねてみれば、その子はもじもじとローブの裾を弄りつつとんがり帽子を深くかぶり直してしまう。
どうやら照れ屋らしい子供の仕草に絆されて顔が緩みまくってしまう。
「……トト」
「トトちゃんね、どうしてこんなところにいたのかしら?」
お名前ちゃんと言えて偉いわね、と頭を撫でてやればまた恥ずかしそうに帽子のつばを持ってもじもじとする仕草に脂下がるのは仕方が無いと思うの。
ついついどうぐぶくろから水飴でコーティングしたイチゴのような果物を上げちゃうのも仕方ないと思うの。ジークの好物だけど許されるわね。
ジークは転んだ際に飛んでいった杖を拾ってきてくれて、トトに渡してやっていた。
「ありがとう、ジーク」
杖を受け取りながら、教えた覚えのないジークの名前を言い当てたトトに戦慄が走った。
「僕は予言するの。異世界の旅人ユーリは、世界の望みを叶えて、世界の望みを邪魔するの」
杖に嵌る水晶玉が眩いばかりに輝き出した。トトは両腕を天に向かって伸ばして杖の先でぐるぐると掻き回して空気の中に渦を作る。
その渦はどんどん大きさを増していき、森の木々がざわめき渦の中へと散った葉が吸い込まれていく。
渦の中心から、大地の色をしたドラゴンの頭が顔を覗かせた。ゴツゴツとした岩のような鱗に覆われた瞼が瞬きをして、アタシ達を認めて僅かに笑ったような気がした。
ゆっくりとその巨体を渦の中から引き摺るように歩いて出てくる姿に、アタシ達は息を飲んで見守るしか出来なかった。
圧倒的な力の差。悠久に近い時を生きるドラゴンの生命力とその力強さに圧倒されて、動く事すらできない。
トトは召喚したそのドラゴンの背中に乗り、アタシを見て、片手にいちご飴を持ってにぱ、と笑った。
「旅人ユーリ、あなたはどの道を選ぶの?トトは見守ってるの」
ドラゴンが身体を起こし、その大きな翼をはためかせた。
ぶわり、と突風が巻き起こり木々を更に大きくしならせてから、ドラゴンの巨体がふわりと浮いた。
物理的法則を無視したその巨体が浮き上がるのにあんな羽ばたき一つでは無理だと目を凝らせば、翼の所で何か、巨大な魔法が行使されているのが見えた。
あれは飛翔の魔法だろう、風に属する者ならば皆が使えるという魔法だった。
あの巨体を浮かせるほどの魔力とは一体どれほどの物なのだろう。
そして、あの謎に満ち溢れているような子供の正体は、一体なんなのか、アタシには訳が分からん事ばっかりでとりあえず隣にいたジークを肩パンしておいた。
---------------
謎の子供との遭遇から一週間。
ようやく魔の森を抜けられた安堵に全員で深く息を吐く。
謎の子供との遭遇の後も、魔の森は波瀾万丈だった。
毒虫の急襲やらでっかいムカデに追い掛けられたりとか、独自に進化した食人植物の触手にティーズが捕まって食べられかけたり、イフリートが放った火が予想以上に広がって森火事になりかけたりと、本当に大変だった。
アタシこの一週間で痩せたんじゃないかしら。
蚊みたいな虫に刺されたところがぷくりと丸く腫れて痒いし夜は蒸し暑くてろくに寝れないし、未だにアタシに娘を押し付ける気満々のエルフの女王の声が聞こえてきたりして、軽くホラーだった。
「太陽よ…太陽が見えるわ……」
「空が見えるよユーリ様……もう木がないよ、虫もいないよへんな植物もいないよぉ!」
抱き合って喜ぶアタシとティーズを他所に、ジークは街道の確認を怠らない。確か、この先に獣人の集落があるとかなんとか言ってたわね。
「どう?」
「……この近くの里は、確か葉狸族の集落だったな」
「ふぅん…狸、たぬきねぇ……あんまりいい予感はしないわね」
古来より狸は人を化かすと言われており、奴隷狩りも相まって人間に対する好感度はきっと地に落ちているだろう。
アタシが集落に行ったとして、追い出される未来も想像に難くなかった。
「どうしたもんか……」
「ユーリ、それならば蜃気楼の魔法を使えばいい」
コウモリみたいな羽をパタパタと羽ばたかせてアタシの顔の高さまで飛んできたイフリートが、その爪先に魔力を灯してアタシの額に触れる。
イメージが流れ込んできて、アタシはそのイメージのままに魔力を練り上げる。
蜃気楼の魔法。ミラージュバレットがあるけれどあれは厳密には魔法ではないらしい、アタシの固有技。
蜃気楼で己の姿を望むものに変える幻をかける。相手から見たらアタシはアタシじゃなくて、アタシが望んだものに変化する。
イフリートに言われてターバンを一度外してから呪文を唱える。
「幻の先の虚を求めよ、ミラージュフォーゼ」
黒い髪はそのまま黒い体毛へ。耳は元の位置よりもずっと上、丸みを帯びたネコ科の動物のものへと変化していく。
黒かった瞳の色は黄色味の強いヘーゼルに。犬歯が鋭く尖り、肉を引き裂く爪は黒く艷めく。
人間の四肢に黒い尻尾を生やしてだらんと垂らせば、そこにいたのは黒豹の獣人だった。
「どう?人間に見えないでしょ?」
くるりと一回転すれば、ローブの裾がふわりと捲れて黒い尻尾が顔を出す。
「完璧だな。全部幻なんだろう」
ジークが手を伸ばしてアタシの見せかけの耳に触れる。感触はちゃんとあるらしいけれど、神経が繋がってないからアタシには感じない。
「まぁこれで人間だってだけで追い出されることはなくなったわね。最初っからこの魔法使っときゃよかったわ」
「……しかし、見慣れるまでは時間がかかる」
「あらそう?あんまり基本は変わってないわよ」
鋭く伸びた爪を見つめつつ、指先で触れてみてもそれは幻だから痛みはない。
「目の色が変わった」
「まぁそれはね。どうやら黒い髪に黒い瞳ってこの世界ではアタシくらいしかいないみたいだし」
あの高校生達は髪を染めてたり目の色素が茶色っぽかったりしたしね。
「これ魔力消費ほんと少ないのね。継続時間とかはどれくらいなのかしら」
蜃気楼の魔法にカーソルを合わせて鑑定してみる。
【ミラージュフォーゼ(消費MP45)
任意の対象の姿を変化させる幻をかける。効果時間:任意永続。一度発動した場合、魔法を行使したものが魔法を解く、もしくは解呪の魔法を使われると幻は消えてしまう】
「めちゃくちゃ便利じゃない。アタシがやめない限りはこの幻は掛かったままなのか」
「そうなるな」
イフリートはアタシが解いたターバンの端を咥えてどうぐぶくろへとしまってしまう。
耳がないと獣人には見えづらい、との事だけど、ジークには耳がない。
じっ、と見つめていると視線に気付いたのかジークは頭を軽く掻いてから、とんとん、と本来なら耳が生えている所を指さした。
顔を近付けてよく見てみると、ぴょこん、と黄色と黒の縞の虎の耳が飛び出してきてびくりと肩が震えた。
「気合いで隠せるんだ」
「嘘だろおい」
「尻尾もあるが…まぁ、幼い頃にヤンチャしてな。根元からざっくりと」
「いやいやいや痛い」
「嘘だ」
「……ジークちゃん最近いい性格になってきたんじゃないかしら!?」
想像しただけでアタシの見せかけの尻尾が縮んだというのに、あっけらかんと笑って冗談だというジークは、初めて出会った時のあのアタシに命捧げます。みたいな感じはどっか行っちゃってる。
いやまぁ今のね!ジークもいい男には変わりないけれど!
自然に笑うようになったと思う。最初はお堅そうだったのに、実際はこんなにお茶目だなんてギャップ萌えを狙っているとしか思えない。
「さぁ、遊んでないでいくぞ」
ジークが先頭に立って歩き出す。
生まれ故郷であるガリエガンドの事は異世界人のアタシや精霊のティーズ達よりも詳しいのだろう。
半歩後ろを歩いてついていく。
森を抜けた先は草原で、じめっとした暑さには変わりなかったが通り抜ける風は強くて心地よい。
草いきれとどこかから漂う花の匂いに、森で見舞われた惨事で鬱々としていた心が少しずつ洗われていくようだった。
ふと、思い出したように地図を取り出せば、真っ白だったガリエガンド大陸に自動的に森やアタシ達が進んだ街道が記されていた。
魔の森の中央に赤い丸でエルフの隠れ里、と記されているあたり隠れる気はないのかしら、と思ってしまう。
そしてアタシ達が向かう先、地図にまた赤い丸が描かれていて、そこには"葉狸の里"と書かれている。
「ジークは行ったことあるの?」
「昔、一度だけな。……がむしゃらに強さを目指して、魔の森に入って死にかけた俺を助けてくれた人がいる」
「……アンタ、結構無鉄砲だったのね」
少しずつだけど、過去の話を零すジークの少年期は、アタシが想像していたものよりもずっとヤンチャだったらしい。
アタシは空手と勉強しかしていない芋臭い子供だったけど。
「昔の話だ」
ぶっきらぼうに吐いて捨てるのは照れ臭いのを誤魔化す時の癖だということを、この旅で知った。
「ふーん」
「ユーリは、小さい頃はどんな子供だったんだ?」
意趣返し、と言わんばかりにアタシに振ってくるジークに笑いつつ、アタシの小さな頃を思い出そうとして、やめた。
何もいいことなんてなかった。三つ下の弟と何もかもを比べられていた過去。
優秀で、天才の弟と努力しても秀才にしか届かなかった兄。
「……アタシは、そうね。それはもう天使のように愛らしくて〜」
「葉狸の里が見えたぞ」
「アンタ振っといてそれはないでしょ」
半眼になって睨むけど、ジークは笑うばかりだった。
それから、アタシの黒い尻尾を指差してその形を指で表す。
「…尻尾がだらりと下がってる時は、悲しい時だ。思い出したくない過去なんだろう」
「……あー…なるほどね」
どうやらアタシのくだらない虚勢はバレバレだったらしい。感情の機微を表す尻尾というものは、案外厄介なのかもしれない。
「過去は過去よ。 アタシは前しか見ないから忘れちゃったわ」
「そうか」
それ以上は何も聞かずに、ただ先を歩いているペースを少し落としてくれたジークの優しさが嬉しくもあり、憎たらしい。
いい男過ぎるのも問題だわ。
--------------
魔の森から一時間ほど歩いた先に漸く見えたその集落は、小さな村だった。
丸太造りのログハウスが建ち並び、どの家も小ぢんまりとしていた。
高床式の住宅は風通しもよさそうだった。熱帯に似た気候のためにそのような住居形式になるらしい。
この村の奥には湖がある、とジークは言っていた。
その湖の水は生活用水であり、またそこに生息する魚は里の人の食料ともなる。大切な湖だと言うことで、厳重に警備されているらしい。
村の入口には門番だろうか、二人の若い男が立っていた。
甲冑に身を包む姿を見て、暑くないのだろうかと思ってしまう。
涼しさ重視の格好をしたアタシですら蒸し暑いと思うのに、こんな格好をしていたら倒れそう、とジロジロと見ていたのが悪かったのか、入村の手続きをしていたジークに一人の門番が突っかかってきた。
「見た所、冒険者のようだが、どこから来たんだ」
「魔の森から」
「嘘をつくな!あそこに住むのは古来よりエルフのみと決まっている!」
「……言わなきゃダメか?」
ジークの声に呆れが混ざるのが聞こえる。随分厳しい取り締まりだこと。
どう見ても獣人の二人旅だというのに。
「…奴隷狩りに捕まったのを、逃げ出してきたんだ」
その言葉に、門番二人がいきなりジークに向かって敬礼をしたからアタシはびっくりして目を丸くする。
「失礼いたしました!奴隷狩りに遭われるとは不運でしたな……しかし、こうして自由を手に入れられたのも、全てはユエ神の思し召しでしょう」
また新たな聞き慣れない言葉が出てきたわね。ユエ神、とはなんぞや。
ここで口をはさんだとしたら、そんなことも知らないとは十仁族ではないな、なんて展開になりかねないからお口にチャックをして、ジークが手続きを終えるのを待つ。
「あちらにいらっしゃる美しい闇豹族の御仁は?」
「……友人だ。奴隷狩りから逃げる際、世話になった」
どうやらアタシが姿を借りている黒豹の獣人は闇豹族というらしい。覚えておかないと。いついかなる時でもボロを出さないようにしないといけない。そう、アタシは女優。
「お待たせいたしました。ようこそ、葉狸の里へ!」
門番二人が頭を下げて、木でできた門が持ち上げられる。
門が開かれるのが珍しいのか、開いた先には葉狸族の子供たちが数人、こちらの様子を窺っていた。
みな一様に抹茶色の瞳をしており、樺色のふわふわと触り心地の良さそうな髪を持っている。
背は低く、ずんぐりむっくり気味の体型が種としての特徴だろう。その尻尾はふさふさの毛で覆われていて艶々としている。
「葉狸族ってみんな小さいのねぇ」
「あぁ、元は穴を掘って暮らしていた種族だからな。背が高くてもあまりメリットはないんだ」
「……もしかしてアンタとアタシって相当でかい部類に入るのかしら?」
「いや、そうでもないな。獅子族や馬蹄族、牛尾族はでかいぞ」
ジークと並びながら村へと入ると、遠巻きに様子を見ていた葉狸族の子供が一人、アタシに近付いてきた。
女の子だろう、可愛らしいピンク色のワンピースを着て、アタシのズボンをきゅっと握る。
しゃがみ込んで目線を合わせながら、女の子の目を覗き込めば抹茶色の瞳がきらきらと輝いた。
「なぁに、どうしたのお嬢ちゃん」
「お兄ちゃん、お外から来たのよね?」
「そうよ」
「あのね、お外ってどんなところなの?」
女の子の言葉に、周りにいた小さな子たちも集まってきてアタシを取り囲む。ジークの周りには男の子ばっかり寄って行っているのを見るに、強そうな雰囲気に憧れたのだろうという事が容易に分かる。
「そうねぇ。アタシ達は人間の大陸からこの大陸に来たんだけれど、どこの話が聞きたい?」
「にんげんのくに!お兄ちゃん、どれいがりにあわなかったの?」
女の子が大げさに口に手を当てて、それから心配そうな顔をしてアタシを見上げる。本気で心配してくれているのだという事がすぐに分かってなんだかこそばゆい気持ちになる。
「アタシは大丈夫よ。強いもの」
力こぶを作って見せると、女の子たちはキャッキャとはしゃいでアタシの腕に触れてくる。
これくらい小さいならば女、というよりも女の子だからかわいいもんだわ。
ふとジークを見れば同じように胸筋だとか腕筋だとかをぺたぺたされていて動けないらしい。困ったように笑っていた。
子供たちのおもちゃになるのも、たまには悪くないと二人して好きにさせていたが、ふと何やら言い争う声がして、子供たちの笑顔が一気に消えてアタシ達から離れて行ってしまった。
少し残念に思っていると、大通りの向こうから何やら偉そうな恰好をした小太りのおっさんと、その周りを役人らしき男が囲んでこちらへと歩いてくるのが見えた。
「村長がきた」
女の子がポツリと呟いて、そうしてそれぞれの家へと走って戻っていってしまった。
子供に嫌われる役人はろくなもんじゃない、と直感が告げる。
緩めていた表情を引き締めて、こちらに向かってくる村長を迎えると、周りにいた役人らしき男はアタシ達の退路を断つように後ろに回ってきた。
「何の用だ」
先に口を開いたのはジークで、アタシは余計なことを言わないように口を噤む。
「おぉ、失礼いたしました。私はこの村の村長を務めさせていただいております、ポヴォビ=パシェと申します」
どこか芝居がかった仕草で頭を下げる胡散臭い狸男を細目で見つつ、ジークがどう出るかを待つ。
「そうか。少しの間滞在させてもらう。見て分かる通り、俺達は旅をしているんだが食料品や消費アイテムの補充を」
「失礼ですが、あなた様は音に聞こえた王国直属騎士団団長のジークヴェイン様ではありませんかな?」
ジークの言葉を途中で遮って声を張り上げた狸親父に、ジークの目が見開かれた。
「……人違いではないか」
「いいえいいえ!虎牙族のジークヴェイン様と言えば、知らぬものはいないほどの有名人ではありませんか!」
苦く歪む顔で、ジークは狸親父を見返す。周りの役人も狸親父に似たり寄ったりの顔をして、ジークを見ている。
「若くしてその突出した才能で王家直属騎士団に入団し、めきめきと頭角を現して当時の騎士団長を打ち負かして史上最年少で騎士団長へと就任した、虎牙族の希望の星!」
「一族は関係ない」
ばっさりと切り捨てたジークの口調には苛立ちが滲み出ていて、触れられたくない過去なのだとアタシですら分かるというのに、狸親父の口はよく回って止まる事はない。
「奴隷狩りの憂き目に遭ったものの、婚約者であらせられるイセリア姫を守り、代わりに己自身が捕えられたと聞いた時は国中が悲しみに暮れたものです」
ジークの婚約者だという姫の名前はイセリアっていうのね、なんてどこか遠い他人事のように聞いていた。
アタシは、ジークの本当の名前も今まで知らなかったし、ジークが過去にどんな地位にいたのかも詳しくは聞くことはしなかったし、その婚約者についても聞く事はしなかった。
知るのが怖い、と思っていた。
アタシの奴隷のジーク。それが覆ってしまいそうな気がして、恐れたのかもしれない。
「イセリア姫は喜ぶでしょうな、ジークヴェイン様が生きていると知ったら」
「今はもう、関係のない事だ」
切り捨てたジークの言葉の中に、僅かでも後悔があるとしたら。アタシはヘルメアへ辿り着いた時、ジークを手放す事が出来るのだろうか。
正直言って、自信はない。
戦闘でも、それ以外でもジークに頼りっきりのアタシが今更一人で旅しろ、だなんて言われたら。
考えれば考えるほどドツボに嵌っていく。
この世界に来て、アタシが手に入れたものはみんな、ジークとティーズとイフリートの四人一緒の思い出で、一人欠けるだなんて想像が出来なかった。
この大陸に来るときには、ちゃんと別れる未来も考えていたはずなのに、予想外過ぎて自分自身が信じられない。
「ユーリ」
ジークがアタシを呼んでいる。はっと我に返り顔を上げれば、怒ったような表情をしてアタシを見ていて、アタシは取り繕った笑顔を浮かべる。
やべぇ、何の話してたっけ。
「何卒お願いいたします!この村の未来がかかっているんです!」
は?未来?え?何が?
本当に何の話をしているのかわからなくってジークを見上げれば、仕方がないなって顔をされた。本当に申し訳ない。
「この村の生命線ともいえる湖に、魔物が棲みついたらしい。村人の手には負えないから俺達でどうにかしてくれ、だと」
「はぁーん」
「気のない返事だな」
「その魔物がどんなやつなのかってのが分かんない限りこんな返事にもなるわよ」
村長はどうやらアタシの方がくみし易いと思ったのか、ジークしか見ていなかった目をアタシに向ける。
「魔物の名前はカリュブディス。渦潮の中に住み、近寄ったものを何でも食べてしまう、恐ろしい魔物です」
「なんだってそんな魔物が棲みついちゃったのよ」
「我々にもわかりませぬ…ただ、討伐に向かった村の自警団の半分が、その怪物に食われてしまいまして…中には、先ほどあなた方に懐いていた子供の父親も…」
しまった、と思った。
そんな話を聞いてしまっては、断るだなんて言えない。子供の父親が化け物に食われて死んでしまって、その化け物はいまだにでかい面をして湖に棲みついている。
ジークを見る。無表情で、何を考えているのか全く分からない。温度のない瞳が怖い、と初めて思った。
「ユーリ」
決定権はアタシにあるっていうわけね。きっと、ジークはアタシがこの依頼を受けるのを分かっているだろう。
子供には、無条件で弱いのだ。
「わかったわ、引き受けるわよ」
決して狸親父の為じゃない。この村の未来を担う、小さな子供たちの為よ、と胸の中で言い訳をして、カリュブディス討伐への話し合いが始まった。




