悪魔城で、恋
どこか近くで聞こえる、
歌と呼べるのか、音程の狂ったララバイ。
諦めろ、お前じゃ無理だ。どうしようもない。
どらくらいを諦めてきただろう。
これからも続く、惨めなララバイ。
暖かい、慰めのララバイ。
「うぉぉぉぉぉ!」私は悪魔城から出て、一目散に門へと走っていく。
「ちくしょぉぉぉぉ!」冷たい霧を払いのけ、ぬかるんだ泥を蹴散らしながら。
背後には、剣を持った骸骨や、羽根の生えた不細工な動物が追いかけてくる。
私は門を抜け、不気味に聳え立つ悪魔城を抜けた。
うめき声のような風が通りぬける、薄気味悪い森を駆ける。そして、停車してあったバイクに飛び乗った。
『ブォーン』エンジンを掛け、走り出す。
時は、少し前に遡る。
「本当に行くのか?」長い白髪に長い白髭の長老が、私の方を見て言った。というか、多分見て言ったと思う。白く長い眉毛が目にかかって、目が見えなくなってしまっているのだ。
どこでもいいから毛を掴んで、ひきちぎってやりたい。そんな衝動を抑える。
「はい」私は言う。「私の愛しい人がさらわれたんです。もう黙ってられません」
私は歯を食いしばり、心配や苦しさ、怒りのカオスをなんとか抑える。
「そうか・・」と長老。「後ろを見てみろ、この村にはもう、若い女はいなくなってしまった。残された村人もごくわずかだ。それも全て、あの悪魔城に住む、悪魔どものせい。お前も知っているだろう?あいつらは人間ではない。太刀打ち出来る相手ではない」
私は後ろを見た。狭い村の集会場に集まった人々。少数の人間しかいない。ここにいる全員が、この村の生き残り。悪魔達のためにせっせと働かせられ、逃げるにも逃げる事が出来ない。
まさに奴隷達だ。
「わかっています。ですが、もう耐えられません」私は拳を握る。
「そうか・・」と長老。「しかしもう一度言う、この村にはもう若い女はいなくなってしまった。残されたのは男達と、よぼよぼのババアだけ。若い女は皆さらわれてしまったし、たくさんいた男達も、殆どが殺された。それでも行くのか?」
「行きます」私の決心は固い。
「もう一度言うぞ!」と長老。「この村にはババアしかいないんだ!」
「行きます」
「そうか」長老が諦めたようにそう言い、傍にいた長老の息子に「あれを持ってきなさい」と指示した。
長老の息子は、言われた通りに部屋の奥に向かい、そこから何やら麻袋を持ってきた。
「これは、いつか悪魔に立ち向かう者が現れたら、渡そうと思っていた武器じゃ。わしが、あいつらの隙を窺い、弱点を研究した結果、これが一番、最適だと思った武器を集めた。持っていくがよい」
「有難うございます」私はその麻袋を受け取った。
「気をつけていくのじゃ」
「はい」私は立ち上がる。そうして村人の座る中を歩き、出口の方まで向かっていった。
「この村には、ババアしかいないんだ・・」消え入りそうな長老の声が聞こえた。
そして出口を出ると、集会場の中から、『うるせぇんだよじじぃ!』とか、女性の声がいくつも聞こえ、ドタドタと争いの音も聞こえてきた。
私は無視して、月夜にそびえたつ、悪魔城を睨みつけていた。
そして、私は逃げている。
その理由は、長老から受け取った武器にある。
まずは鞭だ。鞭で歩く骸骨を叩いても、痛みを感じていないようだった。肉がないから、当然の事と言えば当然の事だ。
空飛ぶ不細工な悪魔に対してもそうだ。まず、鞭が当たらない。空に向けて振ってみても、空振りばかりする。
次にニンニク。これは使い道はありそうだが、ドラキュラにしか効果はないだろう。
そしてそのドラキュラは、この悪魔城のボスだ。だから、ボスにたどりつくまで、使い道がない。
十字架も同じだ。ボスは当然、最後まで現れない。だから、最後に行くまでに死んでしまったら意味がない。
言うまでもなく、聖水もだ。
そんな中で、銀の銃弾だけは役に立った。まぁ、細かく言ってしまえば、銀でなくてもよかった。
ショットガンに弾を込め、何度も撃った。撃った、撃った。
そして、弾が切れた。
逃げている。
一度立ち向かって気がついたのは、やっぱり「銃」が一番役に立つという事だ。そして、次は剣も持っていこうかな。
そう心に決めながら、私は必死に逃げていた。
その翌々日くらいの事。
死に物狂いで逃げる事の出来た私は、リュックサックに銃の弾をたくさん入れ、帰ってきた。
当然調達にはお金がかかったが、『悪魔退治をする』と言ったら、多くの企業がスポンサーになってくれた。
おかげで弾をたくさん買う事が出来たが、着ている皮の鎧には、たくさんのステッカーが貼られる事になった。
ドラックストアのステッカー、警備会社のステッカー、スポーツメーカーのステッカー、それらが貼られた皮の鎧を着て、私は悪魔城に再び向かっていった。
骸骨も、不細工な動物も、最早敵ではない。ショットガンで粉々。
だが、自分の鎧を見るたびに、『俺は何をしているんだ?』という悲しみに暮れてしまう。
そうして、最初のボス、フランケンシュタインに遭遇した。
でかい図体で、こめかみからこめかみに釘が突きぬけている怪物だ。
私はビデオカメラでその怪物を撮影した。これも、スポンサーからの依頼だ。仕方がなかった。
「凄いでかいなぁ。しかしそのせいか、動きが鈍い。これは、勝てるなぁ」と自分のコメントもしっかり入れた。
ここを出る事が出来たら、このビデオを放送局に渡さなくてはならない。
まぁ、フランケンシュタインは、ショットガンで粉々にしてやった。
そして次に現れたのは、狼男だった。
眼鏡をかけた普通のおじさんに見えた。
「ふっふっふ」とおじさんは笑った。
「私は狼男。満月の夜に狼に変身する。そして、今日は、満月ではない!」
私はビデオカメラを撮影しながら落胆した。
変身してもらわなければ、スポンサーに怒られてしまうからだ。スポンサーからは狼男を撮影してくるように言われたのだ。普通のおじさんを撮影してくるように言われたのではない。
「ちょっと、なんとか変身出来ませんか?」私は懇願した。
「いや、今日は満月じゃないんだ」私はあからさまに困り果てた表情を見せた。
「どうした?なんでそんな顔をしているんだ」とおじさん。
「いや・・くそ・・ちきしょぉぉぉぉ!」私はやけくそになり、ショットガンで狼男を粉々にしてやった。
罰金を払わなければならなくなるかもしれない。その事ばかりが頭の中をじんわりと漂い、もう歩けなくなりそうだったが、なんとか頑張ってドラキュラにたどりついた。
「よくぞやってきたな、こんなところまで」とドラキュラが言う。
顔色の悪い面長な男で、黒髪を後ろに撫でつけ、黒のスーツに赤のネクタイ、黒のマントという出で立ち。
ふと、私はドラキュラの横にいる、白いドレスを着た女性を見た。
「みわこ!」
みわこはボンヤリとした様子で目を泳がせている。私が呼んだ事にも気がついていないのではないか。そんなふうに見えた。
「はっはっは!こいつはお前の彼女だってなぁ。残念だが、私が先程血を吸ってやった」
「てめぇ!」私の体が怒りで満ちていく。血液が沸騰する。目から、鼻から、耳から、血液が噴射しているのではないかという錯覚にすら陥った。
「殺してやる!」私は心の底からそう言った。この日まで、心の底がある事を知らなかった。心の底は、荒れ地に枯れ木が疎らに立っていて、熱い風が吹いている。濁った空は、どこまでも続いていて、果てしない。何もない荒んだ土地も同じように、どこまでも続いていて、果てしない。
私はそこから叫んだ。誰かに届けと血が出るくらいに声を張り上げて。
「私を殺す事は出来ない。何故なら、私はすでに死んでいるからだぁ!」と襲いかかってきたドラキュラ。
私はリュックを放り投げ、ショットガンも放り投げた。そして、スポンサーのステッカーでいっぱいの体で、両腕を広げ、ドラキュラの突進を受け止める姿勢をとった。
「馬鹿め!狂ったか!」そう言ってドラキュラが私の首に噛みつこうとしたところを、抱きしめた。
「おぅ!」とドラキュラのうめき声。「貴様、何をした!」
私はほくそ笑み、言った。
「この鎧には、聖水とニンニクエキスをしみ込ませているんだ。お前はもうおしまいだ」
私はドラキュラを抱きしめている手に力を込めた。逃がさない。
「おっ、、オオオオオオオオ!」ドラキュラが叫び声を上げながら燃えていく。
「何故だ!何故お前は燃えないんだ!」
「ふっふっふ」と私。「気がつかないか?私の鎧の中から風が吹きあがっているのを!」
「なにぃ!?」
「私のスポンサーには、電化製品のスポンサーもいるんだ。その電化製品のスポンサーが、私の鎧の中に、エアコンをつけてくれた。暑さでバテてしまわないようにな。私はそのおかげで、お前の炎の熱さを和らげる事が出来ているんだよ!」
「貴様ぁぁぁぁぁ!」とドラキュラの叫び声。「ちきしょおぉぉぉぉ!」そう言ってドラキュラは灰になっていった。
私はドラキュラに勝った。そして、ドラキュラの灰を見下ろしながら呟いた。
「ビデオ撮るの忘れちまった・・」
結局フランケンシュタインしか撮影出来なかった。スポンサーの依頼は狼男と、ドラキュラと、フランケンシュタインを撮影してくる事。
「罰金を払わなければならないなぁ」私は途方に暮れながらも、みわこを見た。
「みわこ」そのふくよかな体躯、丸く、白い肌の、愛くるしい表情を見る。
一緒に畑を耕しながら、笑いあったあの時。緑道を二人きりで散歩した時間。
こんな状況ではなく、二人の結婚式で、綺麗なドレス姿を見たかった。
「と・・し・・き・・くん」とみわこが虚ろな目で口を開いた。
「みわこ!」私はみわこの方に向かっていく。
「大丈夫か?みわこ!なぁ、帰ろう!みわこ」そう言って近づいた時、首に噛み傷があるのを見つけ、私は立ち止った。
「みわこ・・・」きっともうすぐ吸血鬼に変わってしまう。そう理解した。
「と・・し・・きぃぃぃくんんんんんん!」そう言ってみわこが吸血鬼に変貌していく。
私は薄らと涙を流しながら、みわこの顔を見つめていた。
「そうだよ、としきだよ。迎えにきたんだ。一緒に帰ろう。なっ、一緒に帰ろう」
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ!」そう言ってみわこが私に抱きついた。
土の香りがした。優しい、包み込むような土の香り。青い空、緑の木々、眩しい太陽がそこにあるように感じられた。
私は鎧についたエアコンのスイッチを切った。
みわこと共に、炎に包まれていく体。
不思議と熱は感じられなかった。二人一緒に、川の水を笑顔で飲んでいる。そんな微笑ましい生活が、眼前に広がっていた。
「としきくん」とみわこの声が聞こえた。
「ずっと一緒にいようね」
私は何度も何度も頷いて、満面の笑みを浮かべ、答えた。
「当たり前のことを、言うなよ」
どこか近くで聞こえる、
歌と呼べるのか、音程の狂ったララバイ。
諦めろ、お前じゃ無理だ。どうしようもない。
どらくらいを諦めてきただろう。
これからも続く、惨めなララバイ。
諦めたくない!
そう心が叫んだ。