クイズショウで、恋
遠く離れてしまった、あなたからのララバイ。
許してあげる。許してあげる。
遠く離れてしまった、あなたへのララバイ。
言葉のない、願いのメロディ。
遠く離れてしまった、あなたからのララバイ。
本当はなにも聞こえない。
幸せだった頃の、あなたの声が、
今でもずぅっと、私のララバイ。
「ル!」私は自信を持ってそう答えた。
「正解!素晴らしい!」白髪頭で日に焼けた司会者が、大げさに叫んだ。
私は今、クイズショウの優勝決定戦に参加している。
幾多の出演者を戦い抜き、隣の吉田と二人きり、優勝を争っている。
「殺虫剤は、キンチョーなに?という問題でした。答えは『ル』大正解です。よくわかりましたね、こんなに難しい問題」
「確か、そうじゃないかなと思ったので」
「素晴らしい。これで、としきさんはあと一問で優勝という事になりました。だけど油断はできませんよ。吉田さんもあと二問で優勝ですからね」
私は隣の吉田を見た。歳は二十代前半、でっぷりとした体躯をしていて、スポーツ刈りに切れ長の目。服装はグレーのトレーナーにクリーム色のチノパンという出で立ち。
テレビに映ってるんだから、もっとお洒落をしてこいよ。
私は内心、呟いた。
そんな私の服装は、グレーの下地に白のストライプが入ったスーツ。この日の為に、洋服の青山で購入した。
そして、グレーの下地に『純情』と書かれたネクタイ。こちらは、近所の駄菓子屋で購入した。
一見大人な装いに、子供っぽさを演出してみた。
とても満足している。
「ではここで、優勝したら賞金100万円を何に使いたいか、お二人に聞いてみたいと思います」と司会者の声。
「まずは吉田さんから」
吉田が、分厚い頬を持ち上げて、何がおかしいのか、笑いながら答える。
「僕は、お腹一杯にハンバーガーを食べたいです」
観客席から失笑の声。当たり前だ。そんな馬鹿な夢、誰も笑わずにはいられない。
勉強ばっかりしてるから、そんなどうしようもない夢しか語れないんだ。
「では、としきさんは?」司会者が私に問いかけた。
私は、待ってましたという表情を隠し、あらかじめ考えてきた、誰もが納得するような答え。誰もが尊敬してやまないだろう答えを口にした。
「この世界を、愛で満たしたいです」
観客席が静まり返った。わかっている。皆、感動で言葉も出ないんだろう。
「素晴らしいですね」と司会者が言った。それは間違いなく、観客席のみんなの言葉を代弁したものだと理解した。
「では、次の問題です」私はスイッチの上に手を浮かせ、身構える。
「男性有名グループ、エグザイ・・」
ピンポーン!と音が鳴った。私ではない。吉田だ。
「ル!」
「正解です!素晴らしい!よくわかりましたね」
私は項垂れる。これで吉田と私、どちらも一問答える事が出来れば、優勝となる。
「こんなに難しい問題、簡単にはわかりませんよね。としきさんは、わかりましたか?」
「わかりませんでした」わからなかった。わからなかったけど、スイッチを押してしまうところだったので、危なく「ン!」と答えるところだった。
「さぁ、勝敗の行方がわからなくなりました。では、引き続き次の問題行きますよ」
私は気を取り直し、再びスイッチの上に手を浮かせ、神に祈った。
神がいるのかどうか、本当は知らない。神は、ひとりひとりに不幸と幸せを平等に与えると聞く。だが、私の人生は、不幸の方が割合が多いような気がしている。
今日、幸せを与えてくれ。
私は目を瞑った。
「人が人に気持を伝える時の言葉です。あいして・・」
私はスイッチを押した。ピンポーン!答えはわかった。わかったが・・。
神は悪戯な性質らしい。私が答えるわけにはいかない。重いため息が落ちて行った。
「さぁ、答えてください」司会者が催促する。
私は何度も頷き、口を開いた。
「テレフォーン、使わせて下さい」
観客席がざわつきだす。吉田を一瞥した。うっすらと嘲笑うような表情。
わからないのに、何故押したんだ。こんなに難しい問題の答えを、一般人が答えられるわけがない。そんな心の声が聞こえたようだった。
「わからないんですか?」
「いえ、わかります。わかりますけど、この答えを聞きたい相手がいます」
司会者が諭すように言った。
「でも、もしもその相手がこの問題をわからなかったら、あなたに解答権はない。この問題はおしまいになる。更に次の問題の解答権も失いますよ。大事な時です。それでもいいんですか?」
私はスタッフが持ってきたハンディフォンを受け取り、頷いた。
「それでもいいんです」
スーツの胸ポケットから手帳を取り出す。インデックスを貼ってあるページ。
そこに彼女の電話番号が記してある。
以前は携帯電話に登録していたが、末梢した。しかし、恥ずかしながら、手帳に書き記しておいたのだ。
もう、電話する事はないとは思いながら。
「相手は誰ですか?」
「私が好きだった女性です。半年前から連絡を取っていません。彼女に尋ねてみます」
私はハンディフォンのボタンを押した。
ハンディフォンには小型マイクが取り付けられていて、会話などは、会場にも聞こえる仕組みだ。
呼び出し音が聞こえる。一回、二回、三回、もしも出なければ、それでも解答権を失うルールだ。次の回も解答権を失う。
四回、五回、六回、羊を数えるならば眠たくなるが、これは一回、一回、目が覚めていく。
七回目、彼女の声が聞こえた。
「もしもし・・」
私は安堵した。と同時に、懐かしい彼女の声に、まるで耳から電流が走ったような感覚を覚える。
その電流が、脳の電気信号を停止させる。
奪われていく心。その心が電気信号に代わり、受話器を通り抜け、ケーブルを走り、装置に入って、またケーブルを走り、彼女に届く。そんな夢を、一瞬見たような気がした。
「あっ、俺だよ。としき。覚えてるかい?」
僅かな無言の後、彼女の言葉が返ってきた。
「覚えてるよ。元気だった?」
「あぁ、とても元気だ」
私は小さくため息を吐いた。そのあとの言葉が見つからない。
司会者の方を見る。円らな瞳で、急かしているように見えた。
「しょうこちゃん、懐かしい気持はいっぱいなんだけど、時間がないんだ。ちょっとクイズに答えてほしいんだよ」
「クイズ?」
「そう。『クイズ・デッド・オア・アライブ』知ってるだろ?あれに出てんだ。そして今、決勝戦。あと一問、これを正解すれば、俺、優勝すんだよ」
「すごいじゃん」としょうこ。「えっ?て事は、私が答えなければいけないの?」
私は彼女に重荷を与える事を理解していた。その上で、彼女に連絡したのだ。
本当にどうしようもない男だ。だから、彼女に好いてもらう事が出来なかった。
今ならわかる。だけど、どうしてもこの問題だけは、彼女に答えてもらうしかない。そうでなければ一生後悔する。そう、思ってしまったのだ。
「そう、しょうこちゃんが答えなくてはいけないんだ。だけど、間違ってもいい。答えられなくてもいいんだ。それが、賞金よりも、優勝よりも大切な事なんだ」
「やだ、やめてよ、としきくん!」
私はそんな彼女の言葉を、固い決意で無視した。
「問題、人が人に気持を伝える時の言葉です。あいして・・なに?」
「えっ!?」彼女の短い言葉が、会場に響いた。
「答え、わかるかい?」彼女はすぐには答えなかった。だけど私にはわかった。
彼女は、答えを知っている。
「わかるんだろ?言ってくれ」
「言えない」消え入りそうな声で、彼女が言った。
私は笑みを作り、何度も頷いた。作ろうとして作った笑みでは、目が笑えない。
そんな悲哀を感じさせる表情になっている。それがわかった。
「さぁ、答えを早く聞き出してください。生放送ですから、放送時間にも限りがありますよ。あと一分でお願いします」
司会者の催促があったが、私は焦る事はなかった。その言葉は耳から入り、浸透せずに、頭の中で彷徨い続けていく。
「しょうこちゃん、半年前にも俺に同じような事を言ったよね。俺がしょうこちゃんに好きだっていったら、しょうこちゃん、私は言えないって。好きってどういう事かわからない。だから言えないって」
しょうこの声は聞こえない。
「あれから半年経ったね。しょうこちゃんは俺を忘れたかな?俺は、誰を見ても、誰と出会っても、結局はしょうこちゃんの事ばっかり考えていたんだ。この世界には、女の人なんて星の数程にいるっていうのにね。まったく、なんでしょうこちゃんなんだって思った事もあったよ」
「としきくん・・」
「気持わりぃかい?声も聞きたくないかもしれない。だけどね、忘れらんなかったんだよ。誰とどんな話をしているんだろう。誰と何をしているんだろう。そんな事ばっかり考えて、時間は過ぎていったよ」
観客席からすすり泣きの声が聞こえた。司会者が白いハンカチをポケットから取り出す。
吉田が、口をぽかんと開けてこちらを見ている。
幸せとは、馬鹿の事を言うのではないかしら?と、偉い文豪が言ったような気がしたが、多分、誰も言ってない。私はくだらない考えを振り払った。
「としきくん、わたし・・わたし・・」
「あぁ、わかってるよ!」私は明るい表情でそう答えた。もう十分だ。さようならの時は過ぎたのに、私はそこに置き去りにされていた。
彼女の背中はもう見えなくなってしまっていたというのに、私は陽炎の立つ坂から、まだ彼女が上ってくるような気持を抱き、そこにずっと立ち尽くしていた。
この電話が終わったら、メモ帳を破り、吉田の口に突っ込んでやろう。
そして、歩きださなくてはいけないんだね。
「もう十分だよ。有難う。しょうこちゃん。俺、しょうこちゃんならきっと答えがわかると思ってた。やっぱりわかったね。その答え、今度大切な誰かに教えてあげてね。その時、誰がなんて言おうと、しょうこちゃんが」
私は涙を堪えて続けた。
「クイズショウの、優勝者だよ」
観客席からグスグスと声が聞こえた。司会者も泣きながらうずくまってしまっている。
吉田を見た。鼻くそをほじっている。
この電話が終わったら、本当の地獄を見せてやる。そう心に決めた。
「では、あと十秒となりました。人が人に気持を伝える時の言葉です。あいして・・」
私は受話器の切断ボタンに指をおいた。
私は目を瞑った。人は堪え切れない痛みを感じると、何故か笑ってしまう事がある。
私の表情には、笑みがあった。
「三、二・・」と司会者のカウントダウン・
「一」といったときに受話器の向こうから声が聞こえた。
明瞭で、且つ、心のこもった声だった。
「ル!」
遠く離れてしまった、あなたからのララバイ。
生きていける。生きていける。
遠く離れてしまった、あなたへのララバイ。
途方に暮れた、悲しみのメロディ。
どこまでも続いていく、人生のララバイ。